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7.日曜日の前方不注意<9月13日>

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 仕上がったポスターは一枚。もう一枚は下書きが終わったところ。鷺山は『日曜も来ていいですよ』と言っていたけれど二日連続はさすがに断った。あとは一人でもできると思っていた。

 椅子から立ち上がり体を伸ばす。ずっと作業していたので小腹が空いた。甘いものが飲みたい。とびっきり甘いミルクティーがいい。そうなればコンビニだ。
 持ち物は、スマートフォンと財布が入る程度のミニショルダーバッグ。昨日のことがあったからトートバッグを使う気にはなれなかった。

 家を出てコンビニまで歩く。住宅街というやつは困りもので、我が家からコンビニが遠い。自転車に乗ることも考えたけれど、ポスター作りで座り続けていたので歩きたい気分だ。
 町内会の集まりで使う兎ヶ丘会館の前を通って、兎ヶ丘小学校方面へ。小学校に着く少し手前にコンビニがある。
 コンビニが見えてきた頃、前方を歩くおばあさんがいた。歩くのが遅い。私が追い越すのが先か、それともコンビニに入るのが先か。
 歩道は二人が並んで歩ける程度の狭さで、おばあさんを追い越すタイミングを計っている時だった。前方から男が歩いてきたと思いきや、二人の体がどんとぶつかった。
 おばあさんはよろめいて座り込み、手にしていたトートバッグが地面に落ちる。痛そうに腰を押さえている。
 ぶつかった男はというと、おばあさんが座りこんでいても無視してそのまま歩いていく。おばあさんも男も、お互いに前方不注意だと思う。けれど一言ぐらい声をかけるべきだろう。
 違和感があった。男は謝るどころか頭は下げたままで、その足取りもだんだん速くなっていく。暑そうな黒いジャンパーのポケットに両手を入れ、帽子は目深に被ってうつむき気味。
 男は、私がいることに気づいていなかったらしい。早歩きのまままっすぐこちらに向かってくる。
 慌てて避けようとしたけれど、反応が遅れた。
 案の定、私も彼とぶつかって視界が揺れる。

「……いってぇな」

 ぼそり、と男が呟いた。
 体がぶつかっても多少よろめく程度で済んだけれど、男は違った。想定外の衝突で、慌ててポケットから手を出す。
 瞬間、ポケットから何かが落ちた。地味な黒いジャンパーを飛び出し、これまた地味なアスファルトに落ちたのはショッキングピンクのポーチ、いや財布か。歩道に派手色の塊が落ちているのを目で追った時には、男の姿が離れていた。舌打ちを残して走り去っていく。

「……財布だよね」

 男の落とし物、だけれども。自分のものならすぐに拾っていただろう。どうして逃げたのか。
 答えは予想できていたけれど、確かめるべく財布を開く。中のカードを取り出して名前を確認しようとしたところで、前方から声がした。

「おねえちゃん、そのお財布」
 声の主は先ほどぶつかってよろけたおばあさんだった。
「わたしのなのよ。知らないうちに落としちゃったみたいねえ」
「これ、さっきぶつかった男の人が落としました」
「あら。どうしてかしら」
「わかりません……名前を証明できるものありませんか? 財布にあるカードと名前が一致しているか確認します」

 私は警察ではないけれど、偉そうなことをして申し訳ないと心の中で謝りつつ告げた。男の人でが落としたのを見てしまっている以上、証明できるものがないかぎりおばあさんには渡せない。もしも別人の財布だったなら、これは交番に届けるべきだろう。
 おばあさんはトートバッグを開いた。中から手帳を取り出し、挟んである名刺を私に見せる。

「この名刺は主人のだけどねぇ。ほら、向井って書いてあるでしょう?」
「このカードにも向井と書いてありますから一致していますね――疑ってすみません。お財布、お返しします」
「ありがとう。名前確認してから渡すなんて、今時の子はしっかりしてるわねえ」
「さっきぶつかった男の人はスリだったのかもしれません。他になくなっているものがあるかもしれませんし、鞄の中を確認した方がいいと思います。それから警察にも」

 おばあさんは鞄の中身を確認して頷いていた。その様子を見るになくなったものはないのだろう。確認し終えると、何を思ったか私の手をがっしりと掴んだ。

「ありがとう。本当にしっかりした子だわ」
「えっと……交番に行った方が……」
「いいのよ。お財布は戻ってきたから。それよりもお礼をさせてほしいの。私のお家、近くにあるから寄ってちょうだい」

 話がとんでもない方向へ飛んでいく。コンビニに出かけたつもりが、まさか初めて会うおばあさんの家に行くなんて。


「感動しちゃったのよ。名前を確認するのもね、その後のアドバイスもね。助かったわあ」

 どれほど時間が経ったかわからないけれど、この話はこれで三回目だ。
 近くに家があるという宣言通り、おばあさんの家は近くだった。けれど想像よりも広い敷地と庭。家はやや古めだけれど綺麗で瀟洒なリビング。サイドボードにはいくつもの写真や賞状が並んでいる。あと演歌なのか昔の歌が流れていた。

「私の娘ならこんなことできないわあ。孫も遊んでばかりで困っちゃう」

 紅茶とシフォンケーキは美味しいけれど、延々とループする話題は疲れてくる。話題を変えるものはないかと考えていた時、どこかで聞いたことのある歌が流れた。

「あ……これ、お祭りで聞いたことがあります」

 近くの公園でやる町内会のお祭りでカラオケ大会があり、知らないおばあさんが歌っていた曲だ。サビの部分が特徴的だから覚えていた。
 私が言うと、おばあさんはぱあっと顔を明るくさせる。

「よく知ってるわねえ。これ私の姉が好きだったのよお。年が離れた姉で、もう亡くなっちゃったけど。お祭りの時期がくるとね、つい聞きたくなっちゃうのよお」

 おばあさんが言うのはよくわかる。お祭り中の賑やかさを連想させると思いきや、一転して祭りの後の静けさ。祭りに夢中で泥棒が入っているなんてまさに――そこで予知のことを思い出した。
 ポスターを作るはずがとんだ寄り道だ。切り上げて早く帰らないと。

「すみません。用事があるのでそろそろ帰ります」
「あら。何もお礼できてないのに」
「いえ。美味しい紅茶とケーキを頂きました。ごちそうさまでした」

 おばあさんに礼をして立ち上がる。
 腰が痛いだろうに庭先まで見送りにでてくれて、その去り際でおばあさんが言った。

「おねえちゃんのお名前、もう一度聞いてもいいかしら。今度はメモに書いておくから」
「鬼塚です。鬼塚香澄」
「しっかりした名前ねえ。近く寄ったらいつでも顔出してちょうだい」

 名前にも『しっかりした』なんて形容詞を使うものか。喜んでいいのか難しい。疑問に思いながらも頭を下げて、それから家に向かう。甘いケーキのおかげで、コンビニのことはどうでもよくなっていた。
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