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4.生きるべきは<9月10日>
しおりを挟む私の心を表すように外は雨が降っている。天気予報によると一日中雨が降るらしい。九月の雨は暑くてじめじめするので最悪だ。
放課後になって一年A組の教室に向かう。前回と違って予定時間より早く着いたのでハナ先生は来ていない。鷺山や古手川さん、藤野さんと面々は揃っていた。
私は前回と同じ席に鞄を置くと、藤野さんのところへ向かう。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
私が声をかけると藤野さんは目を丸くして、けれどそれは一瞬で終わってニッコリと笑顔に変わる。
「なになに!? 何でも聞いてよ」
元気とか明るいとかそういった単語の似合う女子は眩しすぎて、長時間接していると疲れてしまう。早々に本題を切り出した。
「九月二十二日って何か用事ある?」
視界の端で鷺山の手がぴくりと反応した。それを知らず藤野さんは答える。
「あるある。うち、毎年九月に親戚の集まりがあってさー。伊豆で一泊するんだ。二十二日に出かけて二十三日に戻ってくる予定」
二十二日、予知の事件が起きる日は藤野さんは家にいないということになる。どういうことだろう。鷺山の予想が外れたのか、それとも別の理由があるのか。私の表情が翳ったことに気づいたらしい藤野さんは「でも」と声のトーンを落として続けた。
「今年の日程はさ、二十三日学校休まなきゃいけないから迷ってて。親戚の集まりも面倒だし、部活も休みたくないし」
「せっかくの旅行なのに行かないの?」
「うん。家に一人で残っていようかな――うん。そうしよ。鬼塚さんと話してたら気持ちが固まったよ。今年はうちだけ居残りにする!」
声をかけたことで謎の決心がついたらしい。どう反応したらいいのか困って鷺山に視線を移すと、私にだけ見えるように小さく手招きをしていた。
私は藤野さんにお礼を言って話を切り上げ、鷺山のところへ向かう。
さすがに教室では話しづらいので、二人で廊下に出て話す。
「さっき呼んでたでしょ。藤野さんの話からわかることあったの?」
「これは僕の予想ですが……予知の日、藤野さんは家に一人だと思います。あの日、家から出てきたのは藤野さんだけでした。もし家族が残っていたのなら、家族に助けを求めたはず。もしくは家族が、藤野さんを助けるべく外に助けを呼びにいった」
「そうだね。あの日、外に出てきたのは藤野さんだけだった」
先ほど留守番すると決めていたから、その通りになるだろう。そうして一人で家にいる時、泥棒が家に入ってくる。襲われ、大怪我をするのだ。
他人はどうでもいいと思っているけれど、藤野さんのことが引っかかる。怪我をせずに済む方法はないのだろうか。
「……旅行に行った方がいい、って藤野さんに話したらどうなるだろう」
鷺山は首を傾げた。
「わかりません。どのように未来に影響するのか予測できませんから。でも――」
「でも?」
そこで少しだけ言葉を区切る。彼自身も、考えている最中で確信を得られていない物事のようだった。
「もしかすると……予知での『僕たち』も藤野さんに声をかけていたのではないでしょうか」
「どういうこと?」
「彼女は香澄さんとハナして決心したと言っていましたから、ここで声をかけなければ伊豆旅行に行ったかもしれません」
予知での自分も同じ行動を取っていたのなら――何をしても未来は変わらないのだと告げられているような気がした。
無意識のうちに唾を飲みこむ。ごくり、と音が聞こえるほど私たちは静かだった。
「先生がそろそろ来るはずです。戻りましょう」
促されて教室に戻る。ハナ先生がなかなか来ないのもあって、教室では生徒たちが自由に喋っていた。
席に戻ると、鷺山の前に座る男子が振り返った。彼は二年C組の篠原渚だ。私が戻ってくるのを待っていたらしい。「よう」とわざとらしく手をあげて挨拶している。
「鬼塚、久しぶりだな!」
「……どうも」
「素っ気ねーの。同小、同中なんだし仲良くしようぜー」
この篠原は面倒な男だ。何度も同じクラスだったから覚えている。無駄な話をしたくないので会話を切り上げたいところだけど、援護射撃として間に入ったのは藤野さんだった。
「篠原がウザ絡みするから、鬼塚さん嫌がってるんじゃないのー?」
「嫌ってないよなあ、鬼塚?」
「もー。そうやって無理矢理話振るのやめなー」
藤野さんと篠原は仲がよさそうだ。そういえば二人とも剣道部所属という共通点がある。
さらに古手川さんも、二人のやりとりを見てくすくすと笑っていた。
「鬼塚さんに、篠原くんに藤野さん。なんだか兎ヶ丘小学校に戻ったみたい」
「……戻ってないけど」
ぼそっと呟くと古手川さんがこちらを向いて「覚えてないの?」と首を傾げた。
「小学校三、四年の時、私たち同じクラスだったでしょ。鬼塚さんと藤野さんと私、篠原くん。みんな二組だったよ」
「……あんまり覚えてない」
というより小学校のことなんてどうでもいい。昔のクラスがどうのこうの語られたところで何の気持ちも生じない。
うんざりしながらそっぽを向く。すると目が合った一年生の子がこちらに寄ってきた。
「あの、先輩たちって兎ヶ丘小学校出身ですか?」
「そうだよ。うちらは、兎ヶ丘の小学校卒業生!」
何度も頷きながら藤野さんが答える。その『うちら』に鷺山は入っていなかった。鷺山は自分の席に座って、ぼんやりしている。
私たちが兎ヶ丘小学校の卒業生と知るや、一年生の子はおずおずと聞いてきた。
「あの噂って……本当ですか?」
嫌な予感がした。眉間に皺を寄せて一年生を睨みつける。
古手川さんが「噂ってなあに?」と好意的に聞き返してしまったので話は続く。
「兎ヶ丘小学校の飼育小屋には幽霊が出るって噂を聞いて……先輩たちならわかるかなって」
すると篠原や藤野さんが頷いた。
「あー、噂あったね」
「うさぎ小屋の幽霊だっけ? うちもそれ聞いたよ」
「本当ですか!? 肝試し前に詳しく教えてもらえませんか!?」
胃がきりきりと痛む。いつの間にか噛みしめていた奥歯が嫌な音を立てた。
幽霊、幽霊、幽霊。兎ヶ丘小学校の話が出れば、いつも幽霊の話題が出る。みんな『誰か』から聞いただけの話を信じて、確かめもせず他の『誰か』に語る。
そんなのうんざりだ。苛立ちは抑えられず、ついに口からこぼれた。
「違う」
私が急に声をあげたことで、皆がこちらを見る。視界の端で鷺山が顔をあげたのがわかった。
「勝手な話をしないで。幽霊はいない」
本当は殴りかかってしまいたいぐらいに腹が立っているけれど、そんな乱暴できるわけなく。苛々は凝縮させて低い声にのせる。篠原や藤野さんたち、一年生の子も私の方に視線を向けたまま固まっていた。
気まずい空気が流れる中。教室の扉が開く。
「はーい。遅くなってごめんね。連絡事項あるから席について」
白衣に透けた花柄。いつものハナ先生だ。
何事もなかったように自席に戻っていく。一年生の子は私の方を二度と見ようとしなかった。
守り隊の打ち合わせ二回目は連絡事項とポスター用紙の配布だった。ポスター用紙は一人一枚配布し、足りなければいつでも職員室に取りにきてと言っていた。守り隊に参加した以上、私も一枚は書かなければいけないのだろう。
連絡事項の伝達を終えるなりハナ先生は教室を出て行った。今日はあっさりと解散になった。
解散になると、鷺山はすぐ教室を出て行く。挨拶もしない。何か声をかけようかと迷ったけれど、一昨日昨日と寄り道続きだったことを思い出し、声をかけなかった。
なんだか疲れてしまって、早く帰って休みたかった。
ポスターには祭りに関する標語を書かなければならない。とはいえ祭りに関する標語なんて簡単に浮かんでこない。『ゴミは持って帰ろう』が無難だろうか。
勉強机にポスター用紙とメモを置き考えこむ。兎ヶ丘の町名にあやかって兎の絵を描きたいけれど美術の成績はよろしくないので絵に自信がない。
とりあえずスマートフォンでうさぎの写真を検索してみる。
「……ゲンゴロウ、だっけ」
画像検索で出てきた写真の中に、鷺山が飼っているうさぎに似ているのがあった。ふわふわとして動きも可愛らしく、おまけにメスのうさぎ。なのにゲンゴロウと名付けるセンスはまったく理解できない。
今頃、鷺山は何をしているのだろう。無表情でゲンゴロウを撫でているのだろうか。
将来の夢があって、人より優れた能力もあって、大切なペットがいる。鷺山のことを知るたび『生き残るべきはどちらなのか』という問題の答えが見えてきていた。
私は、鷺山が生きるべきだと思う。
これは恋愛や好意を捨て置いて、私たちを比較した結果だ。
答えが出ていても動くことができないのは、情けない話だけれど死ぬのが怖い。人と関わりたくないと言っておきながら、あんな風に殺されるのが怖いのだ。自分が殺されるその瞬間を目の当たりにしてしまったから余計に。
『じゃあ。香澄さんはどうしたいんですか?』
鷺山の言葉が頭に浮かぶ。私はどうしたいのか。
「……鷺山も私も、生きていたい」
独り言は部屋に響き、一つの疑問が浮かんだ。
事件が起きなければどうなる。
事件が起きなかったら、鷺山は助かるかもしれない。私だって刺されない。みんな幸せな未来になるのではないか。
未来が、変われば。
それは分厚い雲が覆っていた心に光が差した瞬間だった。
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