45 / 49
半妖
外のモノ
しおりを挟む
女主人である更衣の部屋に他の女官達と一緒に集まって、梨花は夜を過ごす。
天下の神童である安倍晴明。天才と言われる陰陽師が、魔を避けるために朝まで外へ出るなと言っている。
その話は、帝から皆へ伝えられた。
主に何かあっては一大事と、この夜は、更衣の部屋に皆で集まって過ごすこととなったのだ。
「他の方々の部屋でも、同じように皆、身を寄せ合って過ごしているようです」
「そう……」
不安そうな顔をする女主人の周囲を、皆で取り囲む。
「梨花殿は、怪異を視たことがあるのでございましょう?」
主人に声を掛けられて、末席の梨花は、頭を下げる。
「はい。おっしゃる通りでございます」
幼い頃から、部屋の隅や人の後ろに、人でない物の気配を梨花は感じていた。
だが、それを口にすれば、皆気味悪がった。
梨花の父は、そのような気味の悪い娘をどう扱ったらよいのやらと、あからさまに疎んじていた。
宮中へ働きに出たのも、もはやまともな婚姻は叶わない、家にはなるべく置いておきたくないという気持ちから、伝手をたどって無理矢理頼み込んでのことであった。
男ならば、それを一つの才能として、陰陽寮へ入るべくそれにふさわしい勉強をさせてもらえたのかもしれないが、この女が漢詩を読むことすら嫌われる世では、それは叶わぬこと。
梨花は、なるべく怪異の話には口をつぐんでいたが、それでも人の噂にはのぼる。
「では、梨花殿なら、こわくはありませんでしょう?」
「いえ……そんなことは……」
「なぜ? 視えるのであれば、逃げるのは簡単でございましょう?」
視えたとしても、それをどのうように避ければ良いのかなんて、誰も教えてくれなかったし、視えるからこそ、人よりも恐ろしく感じる。
人は、晴明の式神を「あのような便利な術を使えるとは、羨ましい」と、そんな風に言うが、梨花には、あの恐ろしい形相の鬼が式神と分かっているから、その言葉が信じられなかった。
「視えるからこそ、その恐ろしき姿に恐れております」
「そ、それほど恐ろしき姿を?」
「はい。ある物は、口が耳まで裂けており、ある者は頭に角が生え、ある者は、蜘蛛のような体に……」
「もうよい!! そのような話をして!! 姫様が震えあがっている!!」
主の隣に座っていた乳母が、梨花を睨む。
聞いたのはそちらではないかと思っても、梨花はそれを口には出来ない。
「申し訳ありません」
そう言って梨花はおし黙る。
やはり、話すべきではなかった。理解してもらえるものではない。
――もうし……。
外から、声がかかる。
部屋の女どもは、皆突然の声に悲鳴を上げる。
「り、梨花殿!!」
ああ、やはりこのような役割が回って来たか。
梨花は、諦め半分に、外に声をかける。
「どなた様でございましょう」
――主上の供の者でございます。
主上、帝の? 部屋の中の者は、皆訝しむ。
「それはおかしいではないですか。今宵は、陰陽師の安倍晴明様のお達しで、外に出てはいけないと。それをお伝えくださったのは、主上本人でございましょう?」
震える梨花の声を、ケラケラと笑って、外の者は一蹴する。
――思ったよりも早く事が済んだのでございます。やはりあの方はすごい。よって、主上がこのように直々に参じて、皆に無事を報告下さっているのです。
――さ、疾く。ここを開けて下され。主上を外で何時までも待たせるおつもりですか?
どうしよう……。梨花は迷う。
本当に主上であれば、疑ってしまうこと自体が不敬にあたる。
並み居る女御達の間で、主上と逢う機会すら乏しい主人は、今後この内裏で立つ瀬を失うのではないだろうか。しかし、これがもし妖の諫言であれば、梨花も他の女達もたちどころに喰われて死んでしまうだろう。
「主上と申すのであれば、開けて様子を見ぬわけにはいかないであろう?」
乳母が梨花に開けるように促す。
「しかし、もし妖であれば……」
「必ず妖であると言い切れるのか?」
「い、いえ……それは……」
晴明が、外に出るなと申していた。
しかし、外の者は、事は済んだと言っている。
「少し。少しだけ隙間を開けて、様子を見ることはできないかしら?」
主上と聞いて、気になって仕方ない更衣が、梨花に尋ねる。
……主人にそう言われて、どうして梨花に断ることができようか。
梨花は、諦めて、念仏を唱えながら戸に手をかけた。
天下の神童である安倍晴明。天才と言われる陰陽師が、魔を避けるために朝まで外へ出るなと言っている。
その話は、帝から皆へ伝えられた。
主に何かあっては一大事と、この夜は、更衣の部屋に皆で集まって過ごすこととなったのだ。
「他の方々の部屋でも、同じように皆、身を寄せ合って過ごしているようです」
「そう……」
不安そうな顔をする女主人の周囲を、皆で取り囲む。
「梨花殿は、怪異を視たことがあるのでございましょう?」
主人に声を掛けられて、末席の梨花は、頭を下げる。
「はい。おっしゃる通りでございます」
幼い頃から、部屋の隅や人の後ろに、人でない物の気配を梨花は感じていた。
だが、それを口にすれば、皆気味悪がった。
梨花の父は、そのような気味の悪い娘をどう扱ったらよいのやらと、あからさまに疎んじていた。
宮中へ働きに出たのも、もはやまともな婚姻は叶わない、家にはなるべく置いておきたくないという気持ちから、伝手をたどって無理矢理頼み込んでのことであった。
男ならば、それを一つの才能として、陰陽寮へ入るべくそれにふさわしい勉強をさせてもらえたのかもしれないが、この女が漢詩を読むことすら嫌われる世では、それは叶わぬこと。
梨花は、なるべく怪異の話には口をつぐんでいたが、それでも人の噂にはのぼる。
「では、梨花殿なら、こわくはありませんでしょう?」
「いえ……そんなことは……」
「なぜ? 視えるのであれば、逃げるのは簡単でございましょう?」
視えたとしても、それをどのうように避ければ良いのかなんて、誰も教えてくれなかったし、視えるからこそ、人よりも恐ろしく感じる。
人は、晴明の式神を「あのような便利な術を使えるとは、羨ましい」と、そんな風に言うが、梨花には、あの恐ろしい形相の鬼が式神と分かっているから、その言葉が信じられなかった。
「視えるからこそ、その恐ろしき姿に恐れております」
「そ、それほど恐ろしき姿を?」
「はい。ある物は、口が耳まで裂けており、ある者は頭に角が生え、ある者は、蜘蛛のような体に……」
「もうよい!! そのような話をして!! 姫様が震えあがっている!!」
主の隣に座っていた乳母が、梨花を睨む。
聞いたのはそちらではないかと思っても、梨花はそれを口には出来ない。
「申し訳ありません」
そう言って梨花はおし黙る。
やはり、話すべきではなかった。理解してもらえるものではない。
――もうし……。
外から、声がかかる。
部屋の女どもは、皆突然の声に悲鳴を上げる。
「り、梨花殿!!」
ああ、やはりこのような役割が回って来たか。
梨花は、諦め半分に、外に声をかける。
「どなた様でございましょう」
――主上の供の者でございます。
主上、帝の? 部屋の中の者は、皆訝しむ。
「それはおかしいではないですか。今宵は、陰陽師の安倍晴明様のお達しで、外に出てはいけないと。それをお伝えくださったのは、主上本人でございましょう?」
震える梨花の声を、ケラケラと笑って、外の者は一蹴する。
――思ったよりも早く事が済んだのでございます。やはりあの方はすごい。よって、主上がこのように直々に参じて、皆に無事を報告下さっているのです。
――さ、疾く。ここを開けて下され。主上を外で何時までも待たせるおつもりですか?
どうしよう……。梨花は迷う。
本当に主上であれば、疑ってしまうこと自体が不敬にあたる。
並み居る女御達の間で、主上と逢う機会すら乏しい主人は、今後この内裏で立つ瀬を失うのではないだろうか。しかし、これがもし妖の諫言であれば、梨花も他の女達もたちどころに喰われて死んでしまうだろう。
「主上と申すのであれば、開けて様子を見ぬわけにはいかないであろう?」
乳母が梨花に開けるように促す。
「しかし、もし妖であれば……」
「必ず妖であると言い切れるのか?」
「い、いえ……それは……」
晴明が、外に出るなと申していた。
しかし、外の者は、事は済んだと言っている。
「少し。少しだけ隙間を開けて、様子を見ることはできないかしら?」
主上と聞いて、気になって仕方ない更衣が、梨花に尋ねる。
……主人にそう言われて、どうして梨花に断ることができようか。
梨花は、諦めて、念仏を唱えながら戸に手をかけた。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説

金蝶の武者
ポテ吉
歴史・時代
時は天正十八年。
関東に覇を唱えた小田原北条氏は、関白豊臣秀吉により滅亡した。
小田原征伐に参陣していない常陸国府中大掾氏は、領地没収の危機になった。
御家存続のため、選ばれたのは当主大掾清幹の従弟三村春虎である。
「おんつぁま。いくらなんでもそったらこと、むりだっぺよ」
春虎は嘆いた。
金の揚羽の前立ての武者の奮戦記 ──
【新訳】帝国の海~大日本帝国海軍よ、世界に平和をもたらせ!第一部
山本 双六
歴史・時代
たくさんの人が亡くなった太平洋戦争。では、もし日本が勝てば原爆が落とされず、何万人の人が助かったかもしれないそう思い執筆しました。(一部史実と異なることがあるためご了承ください)初投稿ということで俊也さんの『re:太平洋戦争・大東亜の旭日となれ』を参考にさせて頂きました。
これからどうかよろしくお願い致します!
ちなみに、作品の表紙は、AIで生成しております。
京都式神様のおでん屋さん
西門 檀
キャラ文芸
旧題:京都式神様のおでん屋さん ~巡るご縁の物語~
ここは京都——
空が留紺色に染まりきった頃、路地奥の店に暖簾がかけられて、ポッと提灯が灯る。
『おでん料理 結(むすび)』
イケメン2体(?)と看板猫がお出迎えします。
今夜の『予約席』にはどんなお客様が来られるのか。乞うご期待。
平安時代の陰陽師・安倍晴明が生前、未来を案じ2体の思業式神(木陰と日向)をこの世に残した。転生した白猫姿の安倍晴明が式神たちと令和にお送りする、心温まるストーリー。
※2022年12月24日より連載スタート 毎日仕事と両立しながら更新中!
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

大日本帝国、アラスカを購入して無双する
雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。
大日本帝国VS全世界、ここに開幕!
※架空の日本史・世界史です。
※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。
※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる