平安の都で妖狐は笑う

ねこ沢ふたよ

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人魚

武士

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 キヨが戸惑っている間にも、追っ手の足音は大きくなってくる。

「紫檀! 頼んだぞ」
「また儂か! その狐使いが荒いのは、いい加減なんとかならんのか!」

 文句を言う紫檀を置いて、晴明が式神にキヨを担がせて姿を消す。
 
 晴明が姿を消してその後に現れたのは、数人の武士もののふ
 長い黒髪をなびかせて墓の前に立つ紫檀に追っ手の武士達が目を奪われる。
 一目見ただけでは、男女の区別もつかない不思議な顔立ち。紫檀の美貌に、武士の間からため息が漏れる。

「お、お前が例の人魚の女か! その命、この世のかなめとなるお方のために役立てていただこう!」
追っ手の大将格の男がそう言って刀を抜く。

 構えてはいないが、抜いただけで脅しとなると考えているのだろう。

「この世の要だぁ? 笑わせてくれる。そんな人間がこの世のどこにいるというのだ」

 ケラケラと紫檀が笑う。
 紫檀の周りに妖力が渦巻いて、周囲の空気が次第に重くなる。

 八百比丘尼には、妖力がないと聞いていた武士たちは、紫檀の様子に自分たちの誤りに気付いた。

「き、貴様、比丘尼ではないな! 何者だ、化け物め!」

 武士たちが警戒して刀を構える。
 並の妖程度なら、負けないという自負がある。
 妖退治は、武士の役目の一つ。

「ただ過ぎた欲望のために無辜の命を苦しめて喰らおうとする貴様らと、この儂。どちらが化け物であろうなぁ」

 刀を向けられても、紫檀は平然としている。
 紫檀の頭には狐耳が生え、後ろには幾本もの黒い尻尾が揺らめく。

「妖狐か!」

 武士たちは緊張する。
 妖狐となれば、その妖力は高いはずだ。陰陽師の力を借りずにどのように退治するべきかと、攻めあぐねる。
 じりじりと紫檀を包囲する輪を縮めていくが、紫檀は微動だにしない。
 悠然と立っている。

「本来なら……遊んでやっても構わないのだが、どうにも、こんな弱っちい奴を虐めたとあっては、後で稲荷様からお叱りを受けそうだ。まあ、比丘尼の心が決まるまで、ちょっと眠っててくれるか?」

 紫檀の姿が一瞬で消える。
 武士たちが慌てて紫檀の姿を探すが、その姿はどこにも見当たらない。
 武士たちの人数は五人。墓石が林立している墓地であるから、身を隠す場所は確かにあるが、それにしても五人もの目をかいくぐって姿を消すなどという芸当は、人間には出来ない。

 やはりあれは、退治すべき妖であったか!

「妖狐め! その美しい容姿でたぶらかしやが……が、がが……」

 武士たちは、一斉にその場に倒れて気を失った。

「誰がお前らなんぞたぶらかすか! 酷い風評被害じゃ! 晴明ならすぐさま儂を見つける! 姿が見えなくなるのは、お前らの修行が足らんからじゃ!」

 武士たちが倒れた後に姿を現したのは、紫檀。
 
「おう、紫檀。遅くなった」

 晴明が一人戻ってくる。

「……と、殺してはいないようだな? 皆気絶させたか?」
晴明が、周囲の惨状を見て、良かったとこぼす。

「当然じゃ。こんな遊び甲斐のない奴ら。手加減を間違うわけがなかろう? 見くびるな」
紫檀は機嫌が悪い。

「晴明一人か。ならば、キヨは玄武の元へ行く心を決めたのか」

「ああ。そして一つ頼まれた」

 晴明は、墓石を少し削って丁寧に白い紙に包む。
 それを式神が受け取って、どこかへと消え去った。

 聞かなくても紫檀にも分かる。
 夫の墓石の欠片は、キヨの元へ。

 以来、比丘尼は洞窟の中へと消え去ったとか、人里離れた場所で修行を続けているとか、様々な噂が流れた。

 ある日、白髪の老婆が現れて、自分こそが八百比丘尼であるから敬えと、周囲に言って回っていたが、その者は忽然と姿を消してどこへ行ったのかは分からなくなった。

「ふふ。勝手にキヨの身代わりに犠牲になる御仁が現れたようだ」
と、晴明は一人庵で笑っていた。
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