平安の都で妖狐は笑う

ねこ沢ふたよ

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人魚

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 紫檀と晴明が八百比丘尼を探しに赴いたのはのは、とある寺。

「ここは?」

 古ぼけた小さな寺。
 住職もいないこの荒れ寺がなんだと言うのだろう。

「うん。ここに今日、娘が現れると思ってな」
晴明が、墓の前をゆっくりと歩く。

 たどり着いたのは、古ぼけた小さな墓。墓地の隅に立つ墓の刻まれていた文字は既に読めない。ずいぶん昔の墓なのだろうが、よく朽ち果てずに残っている。

 往々にして、このような古い墓は、よほどの高名な人物の者でなければ、守る人も無く忘れ去られて消え失せる。
 それが世の摂理だし、人間の良く言う『無常』の真理というものだろう。

「ひょっとして、これは、あの人魚の娘の……」
紫檀が思いついたことを口にしようとしたときに、紫檀の鼻を海の匂いがくすぐる。

「晴明! 来た!」
「ああ。こちらへ」

 晴明に促されて二人して物陰に身を隠せば、墓を洗うための水を汲んだ桶を持った十五、六歳ほどの年頃の娘が一人こちらへ歩いてくる。
 付近の娘がする普通の村娘の出で立ちだが、確かにこの娘から海の底の匂いがする。こんな匂いは、妖以外には有り得ない。
 娘は、先ほどの古ぼけた墓を拝むと、丁寧に石を布で清め始める。
 小さな声で何かを呟き時々明るく微笑む様は、まるで年老いた親の体を拭いながら話をしているようだった。

「八百比丘尼……『キヨ』という名だったかな?」
晴明が、娘に話しかける。

「なんと懐かしい名前を」
キヨは、黒い瞳を細めて笑う。

 なんの変哲もないただの村娘。
 不幸なことに、人魚の肉を喰らってしまったがためにこのように死も与えられずに生き続ける事になってしまった。
 人魚の肉を食べてしまったと聞く。
 ならば、人魚の肉を喰らったことは、このキヨの意志ではなかったはず。

「憐れな……」

 紫檀は、キヨの孤独に想いをはせて心を痛める。
 キヨの生きた時間は八百年と聞く。
 妖狐は千年生きれば狐竜《こりゅう》となり天に昇り神々の末席に名を連ねることになるが、妖力も持たないただの人間はどうなのだろう。

「そう仰いますな。私にも、良き時もございました」
紫檀の言葉に、キヨは、寂しそうに笑い返す。

「この墓は、キヨの夫の墓だね?」
晴明がそう問えば、

「ええ。こうやって命日には、毎年参って、生きている時の晩年にそうしましたように、石を清めております」
と、キヨは、宝玉を転がすように優しく墓石を撫でる。

「良く調べたな。そんなこと」
「ふふ。簡単だ。娘が八百比丘尼になったというならば、その記録がどこか近くの寺にでも残されている可能性は高い。娘がかつて生きていたという地を訪ねて、近くの古寺を探したのだ」
晴明が、軽く笑う。

「あなた方は、私を喰らうために捕らえにきた方ですか?」
「いいや。我らにそれは必要ない。安倍晴明……それに、こっちのは、紫檀。妖狐だ」
 
 これって言い方はないだろう? と、ぶつくさ言いながらも、紫檀はキヨに頭を軽く下げる。

「まあ、それでしたら確かに、『不老長寿』は必要ありませんね」
コロコロと楽しそうにキヨが笑う。

「もっとも、そなたを喰らっても、『不老長寿』には成れはしないのだろう?」
「晴明様のおっしゃるとおりでございます。そんなに簡単に成れるのでしたら、私は夫に自らの肉を捧げてしまいましたでしょう」

 キヨは、愛おしそうに墓を見つめてそう言った。
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