黒虎記~たかが占いと伝承のせいで不吉の虎と呼ばれ迫害され暗殺されかけた王子だが、商人の家で得た知識で巻き返す

ねこ沢ふたよ

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旅立ち

烏天狗の子

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 黒い翼を持ち弓の技に長けた烏天狗からすてんぐ。 
 迦楼羅天かるらてんの庇護を受けた誇り高く、並外れた忠誠心で有名な一族。
 その烏天狗が、一族で住んでいる里がある。
 山の中、うっそうと茂る木々に囲まれて、人間とも他の妖とも離れた場所。そこで、三百羽ほどの烏天狗が、身を寄せ合って暮らしている。

 烏天狗の里で、烏天狗の子ども達が通う学校では、一人の子どもの弓の術に、どよめきが起こっていた。
 弓術の訓練の最中、たった十一歳の子どもが、一矢十射ひとやじゅっしゃの術、一つの矢で十の的を当てる妖術を成功させたのだ。大人の烏天狗でも、腕の無いものでは成功出来ない、難しい技を完成させたことに、皆、驚いた。

 子どもの名前は、壮羽そうは。今の烏天狗族の族長を務める黒羽くろはの次男であった。

「壮羽様。黒羽様、母様もきっとお喜びになられましょう」
講師は、そう言ったが、壮羽は、そう思わなかった。

 母上は、鼻で笑って、ではさらに鍛錬を積めと言うだけだろう。何を申し付けられるか分かったものではない。
 そう思っていた。

 母は厳しい人であった。飛行術で一等を取ろうが、剣術で大人を負かそうが、褒められたことなど無かった。ただ、ならば、その恵まれた才をさらに生かす努力を怠るなと、さらに厳しい訓練を申し付けるだけだった。
 今度は、どのような訓練が追加されるのだろう。
 壮羽は、皆が騒ぐ中で、一人暗い顔をしていた。

「壮羽、すごいじゃないか」
噂を聞いて駆けつけてくれた兄の悠羽ゆうはが、壮羽の頭を撫でて褒めてくれる。

「兄上! ありがとうございます」

 壮羽は、悠羽に擦り寄る。悠羽は、優しい笑顔を壮羽に向けてくれる。
 壮羽より五つ年上の悠羽は、母の黒羽と違って、いつも壮羽に優しい。
 怪我をした時には、手当てをしてくれるし、いつだったか、山で迷子になった時には、必死になって奥深い山まで探しに来てくれた。その時も、壮羽は、黒羽にずいぶん叱られた。次男のお前が、跡継ぎの悠羽の身を危険にさらしてどうする。兄は、お前が無茶をすれば、助けに行こうとする。無茶をして兄に迷惑をかけるな、と言われた。

 烏天狗の一族として産まれ育った壮羽に、その言葉に異論はなかった。
 跡継ぎの悠羽を守る立場にあるのが、次男の壮羽である。悠羽に危険が迫れば、その盾となる存在にならなければならなかった。その盾である壮羽が、悠羽に身を守らせるようならば、本末転倒である。
 壮羽は、その時、黒羽と悠羽に、両手をついて謝った。

「強くなりましたら、兄上の盾に壮羽も成れましょうか?」

 壮羽は、ニコリと笑う。悠羽は、困ったような顔をする。
 まだ、兄の盾としては不十分なのだろうか? 壮羽は、不安になる。

「壮羽。私の盾になぞ、なる必要はないのだよ」

 悠羽は、可愛い弟を盾にしてまで生きたいとは思わなかった。古い考え方に、悠羽は、納得がいっていなかった。
 壮羽は、キョトンとしている。

「ですが、壮羽の存在は、兄の盾となって初めて価値がありましょう。私は、兄上を尊敬しております。兄上の盾と成れるのでしたら、本望でございます」

 烏天狗としては、百点の発言。壮羽は、産まれてからずっと言われてきた言葉に、何の疑問も持っていないのだろう。
 可愛い優秀な弟。
 悠羽は、壮羽が大きくなってその才覚が現れてきた時に、弟は兄の盾となれという言葉に疑問を持った。
 壮羽こそ族長に相応しく、自分こそ壮羽の盾になるべきではないかと。

 母の黒羽にも、姉がいたのだと聞く。母は、亡くなった姉に代わって族長になったのだと。ならば、何も長男にこだわる必要が無いのではないかと、悠羽は、思う。
 母の黒羽にもその疑問はぶつけたことがあったが、長男が継ぐことが決まっておらねば、跡目争いで醜い争いが起こるのだと、一蹴された。

「壮羽……。盾になどならずに、お前のやりたいことを自由にやればいいのだよ」

 悠羽は、優しく壮羽を抱きしめてくれた。
 壮羽のやりたいことは、悠羽を守ることなのに、なぜ兄はそう言うのだろうか。
 壮羽には、悠羽の言葉が、理解できなかった。

 夜、また何を言われるかと、母と顔を合わせるのが嫌で木の上に登り隠れていた壮羽に、とんでもない会話が聞こえてきた。

「悠羽様は、お心は広いが、武術は長けていない。それでは、武勇の誉れ高い烏天狗の族長として務まるのだろうか」

「本日、壮羽様が、烏天狗一族の弓の秘術を成功なされたと聞く。飛行術でも、武術でも、誰よりも長けた壮羽様こそが、族長になられるべきではないか」

 男達の声は、誰も聞いていないと思ったのか、とんでもないことを言っている。
 壮羽は、木の上で、怒りに震えていた。兄上の素晴らしい所を、全く分かっていない。出て行って、お前たちのために誰が族長になぞなるかと、言ってやろうか。

「しかし、壮羽様は、悠羽様を慕っておられます。とても、押しのけて族長になろうとはなさらないでしょう」

「ふふ、そこでだ。悠羽様のお食事に毒を入れてはどうかと思っている。毒を入れて、悠羽様が倒れられたら、壮羽様も族長に成らざるをえなくなる」

 悲鳴をあげそうになったのを、なんとか口を押えて食い止める。
 自分の存在があることで、兄の悠羽の命が危険にさらされている。
 もし、無事毒を防いでも、他に何を仕掛けてくるか分からない。
 どうしよう。兄の盾になるどころか、自分の存在が、悠羽を危険にさらしている。

 私が、兄を慕っているのが悪いのか? 私が、秘術を成功させてしまったのが悪いのか? すべては、優しい兄を守る存在になりたいがためだったのに、それが、全て裏目に出てしまった。

 涙がこぼれてくる。
 母の黒羽が、壮羽を手放しで褒めることが無かったのも、きっと、このような輩が出てくるのを恐れたからだろう。
 そうだ、兄のためには、自分は存在してはいけないのだ。
 壮羽は、そう思い込んでしまった。

 壮羽は、急いで家に戻ると、自室の机に置き手紙をして、着の身着のままで家を出た。
『本日、跡目争いの種に自分が成っていることに気づきました。兄の命を危険にさらすくらいならば、私は、里を出ます。どうか、お探しにはならないで下さい。お捨ておき下さいますように。では、母上も兄上も、お健やかであられますように。壮羽』
そう書き残して、暗闇の中、里の外に翼を向けた。

 運よく出入りの商人の幌馬車を見つけたのは、やはり天も壮羽に里にいるべきではないと、言っているのかも知れない。壮羽は思った。
壮羽は、商人に気づかれないように幌馬車の中に潜りこみ、そのままそこで眠りについた。後は、この馬車が、勝手に遠くへ連れて行ってくれるだろう。
 たった十一歳の子ども。外に知り合いがいる訳でもない。
 野垂れ死に覚悟の旅立ちだった。

 しばらく馬車に揺られて壮羽は、目を覚ました。
 不安な気持ちで空を見上げると、夜が明けるところだった。
 見たこともない景色。どこを走っているのだろう。
 地平線には、今日の太陽が、すみれ色に染まる夜明けの空に登り始めるところだった。
 日が昇れば、目立ってしまう。抜け出すなら今だ。見つかれば、里に戻されてしまう。壮羽は、翼を広げる。翼は、風を受けてバサリと音を立てる。

 明けきらない空へ、飛びだす。夜明けの冷たい風に受けて、高く空へ舞い上がる。遠くに、建物の影が見える。壮羽は、旋回して、街と思われる方向へ飛び去っていった。
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