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旅立ち
黒い虎の少年
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青虎の国に、黒い毛並みの王子が産まれた。
このことを、太政大臣は、大きな問題にした。
古の伝承の中に、黒虎の王子が悪心を抱き、国を滅ぼす物語があり、占いでも、黒い虎が王に立つことは、不吉を表すものだったからだ。
王子は、太政大臣の進言により、王宮の敷地の片隅で生活していた。
王子の名前は、西寧と言った。
「西寧様。占いなど気にする必要はございません。毛の色など、体の表面のこと。心が腐っていなければ良いのです」
物心つくまで育ててくれた臣下は、そう言っていた。
臣下の者は、陽明と言う。年老いた男だった。
陽明は厳しかった。
幼い西寧に、自分が知っている限りの武術や知識を教えようと、朝から晩まで先生として接していた。
「西寧様、箸の持ち方が違います」
と、朝食の時に叱られ、
「西寧様、あの木の名前を覚えておられますか。」
と、散歩に行けば質問攻めにあい、
「西寧様、三つあるリンゴを、五人で分けるとしたら、どのように分けますか。」
と、リンゴを食べる時には食べる前にまず問われる。
様々の質問を浴びせられ、それに答えられなければ、みっちり講義される。
それに加えて、剣技や妖術の稽古。
幼い西寧は、目を回しそうになった。
「もうたくさんだ。どうせ俺は、親に捨てられた身。そんなことをしても、無駄になるだけだ」
ある日、そんなことでは、良き王になれません、と叱る陽明に、西寧がついに歯向かった。
西寧が小さな牙を立て、西寧が陽明をにらめば、
「西寧様……」
陽明が悲しそうな顔をする。
その顔に、西寧の心が痛む。
厳しいとは言っても、陽明は、西寧を育ててくれた親代わり。陽明の悲しむ顔には、チクンと西寧の心が痛んだ。
「ちょっと、お互い頭を冷やしましょうか」
陽明が、そう言って部屋を出て行った。
居間と台所、それぞれの部屋。小さくて粗末な庵。ほとんど誰も訪ねてくる者は無いこの庵は、陽明がいなくなれば、寂しさが際立つ。
庵の居間の片隅で、西寧は座って泣いていた。
西寧の歳は六歳。まだ、涙の止め方も上手くいかない年頃。
どうして、陽明がこんなに厳しいのかは、理解できない。
「俺だって、好きでこんな毛並に産まれたんじゃない」
誰もいない部屋で、西寧は弱音を吐く。
普通の黄色と黒の毛並みで産まれていれば、こんな苦労はなかっただろう。
父も母も、顔すら知らない。
他に誰か信頼できる友がいる訳でもない。
ただ、王宮の片隅、本殿とは少し離された所に建つ小さな家で陽明に養われているだけ。
陽明の手間をかけさせていることに、申し訳ないと思ってはいても、幼い西寧には、どうすることも出来ない。
不吉な存在だからという理由で、本殿の父母に会いに行くことは禁じられ、たまに人とすれ違っても、蔑むように睨まれる。
この間も、西寧がなんとか父母の姿を一目だけでも見られないかと思って本殿に潜んで行けば、侍女に見つかって悲鳴をあげられてしまった。
「汚らしい!!」
そう言って、侍女長が箒を持って追いかけてきた。
国に不吉をもたらす存在。
そんなに嫌がられているのに、どうして生かされているのかも分からなかった。
なぜ陽明が見捨てずに世話をしているのかが分からなかった。
別に王子に産まれたかった訳ではない。黒い不吉の虎に産まれたかった訳ではない。
たった一人、陽明だけが、自分の隣にいてくれたが、陽明は厳しく、西寧は、褒められた試しはなく、ひたすら厳しく鍛えることだけ。二言目には、そんなことでは、良き王になれません。
良き王どころか、親に捨てられた西寧が、どうして王になる未来があると陽明が思っているのか、西寧には、サッパリ分からなかった。
西寧は、ただ、両親に可愛がられて、見守られて生きる子どもがうらやましかった。自分には、得られなかった幸せ。それを想えば、涙は、さらに止まらなくなってしまった。
西寧は、涙を拭う。拭っても拭っても、後から流れてくる涙を、ぐっと息を止めて我慢する。泣いていても何にもならないことは、西寧にも分かる。
でも、涙が止まらない。
川に行って水で洗えば、なんとかなるだろうか。
西寧は、陽明の部屋を出て、泣きながら川に向かう。
王宮の裏、手付かずの山の中に、小川が流れていることは、知っている。小川で洗い流せば、涙もおさまるかもしれない。西寧は、とことこと、山を歩いていた。
大きな木が、目に留まる。
この上に登れば、王宮の外が見渡せるかもしれない。
ふと思いついて、木に登る。てっぺんまで登れば、思った通り、王宮の高い塀の外まで見渡せる。
木の上に登れば、夕方の風が気持ちいい。街にたくさんの家がある。
あの中に、どれほど仲良く楽しく暮らしている家族がいるのだろう。
西寧は、想像する。
父と母に囲まれて、楽し気に夕食を食べているであろう子どもを。
西寧自身は、何一つ持っていない物を持つ子ども。
この幸せが、横暴な王が立っただけで、あっという間に奪われてしまう。
だから、陽明の言うように、王子は、厳しく育てた方が良いのだろう。西寧だって、もし王になるならば、そんな小さな幸せを守れる王になりたい。
だが、現状、西寧には、王に成れる道などない。あるのは、いつ誰の気まぐれで首を刎ねられるのか分からない未来だけ。
不吉の象徴の黒い虎。
古い本を読んだ。
通常、黒い毛並みの子は、産まれてすぐに、殺されてしまうのだと本に書いていた。誰の気まぐれで自分の命が助かったのかは、分からない。なぜ、陽明が面倒をみることになったのかも分からない。こんな現実で、成れもしない『良き王』になるために厳しい訓練に耐えるのは、幼い西寧には辛かった。せめて、何か目標があれば、頑張れるかもしれないが、『良き王』になるなんて到底不可能な目標では、一歩も前に出られなくなってしまった。
遠い空に、渡り鳥が飛んでいるもが見える。翼があれば、王宮から脱出できるだろうか。
西寧は、鳥を目で追う。
妖の中には、翼を持つ者もいる。烏天狗や鳥乙女、四神獣の朱雀。獣の国とは違う場所で、朱雀の統べる土地で、また国を作っているのだそうだ。行ってみたい。一緒に空を飛んでみたい。西寧は、見知らぬ国々を旅する自分を夢想する。
そうだ。ひょっとして、王宮を追い出されて、国から追放される未来なら、あり得るのかもしれない。
運が良ければ、たった一人、着の身着のまま、何も持たずに追放されることもあるかもしれない。
過去の記録にも、嫌われ者の王子が追放された記載があった。邪悪で横暴だった王子が、王宮内で横暴な振る舞いを繰り返して、王の怒りに触れ追放されたのだ。
ただ毛並が黒いだけの子。
興味も沸かずに、追放されることもあるかもしれない。
一縷の望み。
だが、そのためと思えば、陽明の訓練も耐えられるかもしれない。西寧は、思いつく。運よく、命を持って王宮を出られた時に、困らないための訓練。そう思えば、何とかやっていけるかもしれない。
ほんの小さな一欠けらの希望。
だが、それに縋らなければ、西寧の心は、潰れてしまいそうだった。
いつか、諸国を旅するために。
いつか、空を飛ぶために。
いつの間にか涙の止まった西寧の金の瞳は、日が落ちるまで、ずっと遠い空を観ていた。
家に帰ると、陽明が厳しい顔をして座っていた。
遅くなって申し訳ない。西寧は、そう言って、物言わぬ陽明の隣を通り過ぎた。そのまま、自分の部屋に向かおうと思ったのだ。どうせ夕食など罰としてなしだろう。このまま機嫌の悪い陽明と顔を合わせていても、良いことなど一つもない。
「お待ちください。西寧様」
陽明に声をかけられる。促されて陽明の前に座らされる。
これから、小言かと思えば、西寧の顔はうんざりして歪む。
「西寧様。よくお戻りになられました。ご自分から戻られたこと、陽明はホッといたしました」
どうやら、小言ではないらしい。
だが、何が言いたいのだろう。
西寧は、首をかしげる。
こんな子ども。戻らなければ、死んでしまうだろう。戻る以外の選択肢は、西寧にあるわけない。
「どんなに西寧様が反発しようと、陽明は西寧様の家臣として、西寧様の心根を信じています。西寧様が、いつか父王のような皆に愛される王になることを。今は、無理をお願いすることも多いですが、それも将来のためと思って、堪えていただけませんか」
陽明が、西寧を真っすぐ見つめる。
本気で陽明は信じているのだろう。この嫌われ者の不吉の王子が玉座につく日が来ることを。
これは、いくら俺が言っても、陽明の信念は揺るがないのだろう。
西寧は、ため息をつく。
「分かった」
西寧は、一言そう答えた。
いつか、運よく命拾いして王宮の外に出される程度ですんだなら、その時一人で生き延びられるように。
西寧は、そう思って、その後の陽明の厳しい訓練に反発もせず、耐えた。
このことを、太政大臣は、大きな問題にした。
古の伝承の中に、黒虎の王子が悪心を抱き、国を滅ぼす物語があり、占いでも、黒い虎が王に立つことは、不吉を表すものだったからだ。
王子は、太政大臣の進言により、王宮の敷地の片隅で生活していた。
王子の名前は、西寧と言った。
「西寧様。占いなど気にする必要はございません。毛の色など、体の表面のこと。心が腐っていなければ良いのです」
物心つくまで育ててくれた臣下は、そう言っていた。
臣下の者は、陽明と言う。年老いた男だった。
陽明は厳しかった。
幼い西寧に、自分が知っている限りの武術や知識を教えようと、朝から晩まで先生として接していた。
「西寧様、箸の持ち方が違います」
と、朝食の時に叱られ、
「西寧様、あの木の名前を覚えておられますか。」
と、散歩に行けば質問攻めにあい、
「西寧様、三つあるリンゴを、五人で分けるとしたら、どのように分けますか。」
と、リンゴを食べる時には食べる前にまず問われる。
様々の質問を浴びせられ、それに答えられなければ、みっちり講義される。
それに加えて、剣技や妖術の稽古。
幼い西寧は、目を回しそうになった。
「もうたくさんだ。どうせ俺は、親に捨てられた身。そんなことをしても、無駄になるだけだ」
ある日、そんなことでは、良き王になれません、と叱る陽明に、西寧がついに歯向かった。
西寧が小さな牙を立て、西寧が陽明をにらめば、
「西寧様……」
陽明が悲しそうな顔をする。
その顔に、西寧の心が痛む。
厳しいとは言っても、陽明は、西寧を育ててくれた親代わり。陽明の悲しむ顔には、チクンと西寧の心が痛んだ。
「ちょっと、お互い頭を冷やしましょうか」
陽明が、そう言って部屋を出て行った。
居間と台所、それぞれの部屋。小さくて粗末な庵。ほとんど誰も訪ねてくる者は無いこの庵は、陽明がいなくなれば、寂しさが際立つ。
庵の居間の片隅で、西寧は座って泣いていた。
西寧の歳は六歳。まだ、涙の止め方も上手くいかない年頃。
どうして、陽明がこんなに厳しいのかは、理解できない。
「俺だって、好きでこんな毛並に産まれたんじゃない」
誰もいない部屋で、西寧は弱音を吐く。
普通の黄色と黒の毛並みで産まれていれば、こんな苦労はなかっただろう。
父も母も、顔すら知らない。
他に誰か信頼できる友がいる訳でもない。
ただ、王宮の片隅、本殿とは少し離された所に建つ小さな家で陽明に養われているだけ。
陽明の手間をかけさせていることに、申し訳ないと思ってはいても、幼い西寧には、どうすることも出来ない。
不吉な存在だからという理由で、本殿の父母に会いに行くことは禁じられ、たまに人とすれ違っても、蔑むように睨まれる。
この間も、西寧がなんとか父母の姿を一目だけでも見られないかと思って本殿に潜んで行けば、侍女に見つかって悲鳴をあげられてしまった。
「汚らしい!!」
そう言って、侍女長が箒を持って追いかけてきた。
国に不吉をもたらす存在。
そんなに嫌がられているのに、どうして生かされているのかも分からなかった。
なぜ陽明が見捨てずに世話をしているのかが分からなかった。
別に王子に産まれたかった訳ではない。黒い不吉の虎に産まれたかった訳ではない。
たった一人、陽明だけが、自分の隣にいてくれたが、陽明は厳しく、西寧は、褒められた試しはなく、ひたすら厳しく鍛えることだけ。二言目には、そんなことでは、良き王になれません。
良き王どころか、親に捨てられた西寧が、どうして王になる未来があると陽明が思っているのか、西寧には、サッパリ分からなかった。
西寧は、ただ、両親に可愛がられて、見守られて生きる子どもがうらやましかった。自分には、得られなかった幸せ。それを想えば、涙は、さらに止まらなくなってしまった。
西寧は、涙を拭う。拭っても拭っても、後から流れてくる涙を、ぐっと息を止めて我慢する。泣いていても何にもならないことは、西寧にも分かる。
でも、涙が止まらない。
川に行って水で洗えば、なんとかなるだろうか。
西寧は、陽明の部屋を出て、泣きながら川に向かう。
王宮の裏、手付かずの山の中に、小川が流れていることは、知っている。小川で洗い流せば、涙もおさまるかもしれない。西寧は、とことこと、山を歩いていた。
大きな木が、目に留まる。
この上に登れば、王宮の外が見渡せるかもしれない。
ふと思いついて、木に登る。てっぺんまで登れば、思った通り、王宮の高い塀の外まで見渡せる。
木の上に登れば、夕方の風が気持ちいい。街にたくさんの家がある。
あの中に、どれほど仲良く楽しく暮らしている家族がいるのだろう。
西寧は、想像する。
父と母に囲まれて、楽し気に夕食を食べているであろう子どもを。
西寧自身は、何一つ持っていない物を持つ子ども。
この幸せが、横暴な王が立っただけで、あっという間に奪われてしまう。
だから、陽明の言うように、王子は、厳しく育てた方が良いのだろう。西寧だって、もし王になるならば、そんな小さな幸せを守れる王になりたい。
だが、現状、西寧には、王に成れる道などない。あるのは、いつ誰の気まぐれで首を刎ねられるのか分からない未来だけ。
不吉の象徴の黒い虎。
古い本を読んだ。
通常、黒い毛並みの子は、産まれてすぐに、殺されてしまうのだと本に書いていた。誰の気まぐれで自分の命が助かったのかは、分からない。なぜ、陽明が面倒をみることになったのかも分からない。こんな現実で、成れもしない『良き王』になるために厳しい訓練に耐えるのは、幼い西寧には辛かった。せめて、何か目標があれば、頑張れるかもしれないが、『良き王』になるなんて到底不可能な目標では、一歩も前に出られなくなってしまった。
遠い空に、渡り鳥が飛んでいるもが見える。翼があれば、王宮から脱出できるだろうか。
西寧は、鳥を目で追う。
妖の中には、翼を持つ者もいる。烏天狗や鳥乙女、四神獣の朱雀。獣の国とは違う場所で、朱雀の統べる土地で、また国を作っているのだそうだ。行ってみたい。一緒に空を飛んでみたい。西寧は、見知らぬ国々を旅する自分を夢想する。
そうだ。ひょっとして、王宮を追い出されて、国から追放される未来なら、あり得るのかもしれない。
運が良ければ、たった一人、着の身着のまま、何も持たずに追放されることもあるかもしれない。
過去の記録にも、嫌われ者の王子が追放された記載があった。邪悪で横暴だった王子が、王宮内で横暴な振る舞いを繰り返して、王の怒りに触れ追放されたのだ。
ただ毛並が黒いだけの子。
興味も沸かずに、追放されることもあるかもしれない。
一縷の望み。
だが、そのためと思えば、陽明の訓練も耐えられるかもしれない。西寧は、思いつく。運よく、命を持って王宮を出られた時に、困らないための訓練。そう思えば、何とかやっていけるかもしれない。
ほんの小さな一欠けらの希望。
だが、それに縋らなければ、西寧の心は、潰れてしまいそうだった。
いつか、諸国を旅するために。
いつか、空を飛ぶために。
いつの間にか涙の止まった西寧の金の瞳は、日が落ちるまで、ずっと遠い空を観ていた。
家に帰ると、陽明が厳しい顔をして座っていた。
遅くなって申し訳ない。西寧は、そう言って、物言わぬ陽明の隣を通り過ぎた。そのまま、自分の部屋に向かおうと思ったのだ。どうせ夕食など罰としてなしだろう。このまま機嫌の悪い陽明と顔を合わせていても、良いことなど一つもない。
「お待ちください。西寧様」
陽明に声をかけられる。促されて陽明の前に座らされる。
これから、小言かと思えば、西寧の顔はうんざりして歪む。
「西寧様。よくお戻りになられました。ご自分から戻られたこと、陽明はホッといたしました」
どうやら、小言ではないらしい。
だが、何が言いたいのだろう。
西寧は、首をかしげる。
こんな子ども。戻らなければ、死んでしまうだろう。戻る以外の選択肢は、西寧にあるわけない。
「どんなに西寧様が反発しようと、陽明は西寧様の家臣として、西寧様の心根を信じています。西寧様が、いつか父王のような皆に愛される王になることを。今は、無理をお願いすることも多いですが、それも将来のためと思って、堪えていただけませんか」
陽明が、西寧を真っすぐ見つめる。
本気で陽明は信じているのだろう。この嫌われ者の不吉の王子が玉座につく日が来ることを。
これは、いくら俺が言っても、陽明の信念は揺るがないのだろう。
西寧は、ため息をつく。
「分かった」
西寧は、一言そう答えた。
いつか、運よく命拾いして王宮の外に出される程度ですんだなら、その時一人で生き延びられるように。
西寧は、そう思って、その後の陽明の厳しい訓練に反発もせず、耐えた。
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