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1現世
賢者の本
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英司との電話を切ってからもしばらく綾香と姫は、古の聖者と賢者の創作恋バナで盛り上がっていた。だが、綾香がシャワーを浴びにいってしまったので、一人姫は、従者が持って来てくれた賢者の本を読んでいた。
いいな、恋愛。
姫は、修道院に入れられてから、若い男性と話をする機会もなかった。国王と兄の王子、幼い頃から知っている爺やと年寄りの修道院院長。たぶん、姫が恋愛して聖なる石をその男にとられるのを危惧したのだろう。異常なほどに、姫の行動は制限されていた。
勇者なんかには、なりたくなかった。勇者に選ばれてしまった時の父王の顔。ひどく憎々しげな嫉妬にまみれた表情。今でも覚えている。
それでも、勇者として選ばれたからには、歴代の勇者に恥じぬようにと勉学や剣の修行に励んだ。自分と同じくらいの歳の子が、物心つく前から聖なる子として、自分と同じように自由のない状況で頑張っているという話は、耳にしていた。実際に会ったことはなくても、同じように頑張っている子がいるのだからと、その子に負けないようにと、その子の存在を心の支えにしていた。まさか、その子が魔王になって、自分の敵になるとは思いもよらなかったが。
この世界に来てから、分身体である綾香の人生を夢で追体験した。
とても楽しかった。
無条件に自分を愛してくれる親。小学校の高学年で、同じクラスの優しい子に初恋。告白も出来ずにただただドキドキしていた。高校の時好きになった子には、すでに彼女がいた。彼女のいる子にアプローチなんかできる訳もなく、あっさりと失恋。すごく悲しくて、この世の終わりかと思う綾香の気持ちが切なくて、追体験する姫も心が痛んだ。大学に入って初めて出来た彼氏に浮気されて、ぶん殴って別れた。綾香に一目ぼれしたと言って告白してきた男の子。付き合い始めて一ヶ月で他の子とデートしている場面に遭遇した。優しい彼に心を許していたのに。結果、その男の子は他にも女がいて、三股をかけられていたことが判明した。自分の見る目の無さに、腹が立ったし、シレッと悪びれない彼に悲しみを通り越して怒りしかわかなかった。
やけになって参加した大学のミスコンで優勝して、彼がヨリを戻そうと連絡して来た時には、秒で着信拒否した。それからは、今はまっているアイドル一筋。爽やかで可愛い。時々出演するテレビでの可愛い仕草には、いちいちときめきを感じていた。
姫も、綾香に見せてもらったライブ映像で、同じアイドルグループの男の子に、心惹かれた。こんなイケメンがこの世に存在するなんて、思いもよらなかった。なんて素敵なんだろう。映像でも、こんなにワクワクしてしまうのに、本人が歌って踊っているところが見られるなんて、ライブって素晴らしい。いよいよ迫った来週のライブには、期待しかなかった。
ライブが終われば、魔王と決着をつけることになる。
圧倒的の力の差。
分身体を攻撃する作戦が失敗した今、姫に勝算はほとんどない。だが、逃げるわけにはいかない。それに、生きて自分の世界に戻れば、姫は勇者として国を立てなおすことに邁進しなければならない。結婚も、きっと見ず知らずの隣国の王子と政略のみの都合で決められてしまうことだろう。この先、姫は恋愛を楽しむことなんて出来ないだろう。だから、この世界の想い出に、たとえ疑似恋愛であったとしても、ライブで感じられた素敵な人の姿を目に焼き付けておきたい。一目でも、自分の方を見てもらえるように、頑張って応援団扇を作って、アピールしなければ。綾香と一緒に作るライブグッズの準備にも、自然と気合が入る。
だから、従者に持ってきてもらった賢者の本への関心も薄かったのだが、英司の話を聞いて、気がかわった。この本の中に昔の女賢者の想いが籠っているのだとしたら、読み取ってあげないと可哀想だ。
賢者が書き残した本。彼女の性格を表すかのような几帳面な文字で、淡々と起こったことを記録している。前書きに書いていたのは、時の為政者により過去がゆがめられることを恐れていること。聖者がどれほど高潔な人物であったのか。そんなことが書かれていた。その聖者が魔王になったことには、一言も触れられていない。きっと、隠しているのだろう。
「愛よね」
姫はつぶやく。
この賢者の記載をみる限り、夕月が言うように賢者が聖者を軽んじて裏切ったようには思えない。姫は、あの歌を作ったのは、賢者だったのではないかと思っている。あの歌の続きを聖なる子に託したのも、賢者かもしれない。聖者が夕月に歌を教えたのならば、聖者と賢者は、共謀して、夕月を魔剣にする計画を立てたはず。そして、聖者自身を魔王にすることを決めたはず。どうしてなのかは分からない。何か第三者も絡んで、事件が起きたのかもしない。
読み進めても、淡々と、何年何月にどのようにして魔物を討伐したのかを書く賢者の記録からは、その辺の深い事情は直接書かれていない。ひょっとすると、書けなかった可能性もある。もし、裏に権力者がいるならば、書けば本は処分される。歌を二つに割ったのも、事件の真相が明るみに出てはまずい人物がいたから、その人物から本来の歴史を紡ぐことを隠す必要があったからかもしれない。魔王野島英司・・・元聖なる子のニセが歌った建国の部分は、割る必要の無かった部分。ならば、隠されていたのは、やはり、夕月が魔剣に変化してしまったあの事件のことだ。
「ばか賢者め。それだけじゃ、後世の人間には、あなた達がどうして欲しかったのかが分からないじゃない。大切な人の名誉を守りたかったのでしょう? ならば、もっと頑張って書かなきゃ」
姫は、ベッドの上をゴロゴロ転がりながら、開いた本に悪態をつく。
賢者の残した物は、賢者の杖、この本、謎の多い歌。聖なる石、それから、魔剣に成り果てた夕月。平和な王国。
どうして、聖なる石を夕月に返して聖剣に戻さなかったのだろうか。
最後の魔王が死んだあとは、夕月は神殿の倉庫に封印されていた。
ああ、そうか。
賢者の杖は、魔王討伐のために賢者が残した物。最後の魔王が討伐されたのは、賢者が亡くなってからなのだろう。賢者が亡くなれば、本当は夕月が聖剣であったことを知る者は少ないし、夕月を元に戻すほどの魔力を持った者は、いなかったのかもしれない。
……あら? じゃあ、賢者は、最後の魔王が打ち滅ぼされたことを知らずに死んだの? ならば、聖なる子に伝わっている部分の半分は、創作?そんな訳ないか。淡々と事実を書き残す生真面目そうな賢者が、創作で歌を作るとは考えられない。魔王と何世代にも渡って戦い、建国したのは、だれ?
「勇者だわ」
姫の背中に、ぞくりとした感覚が走る。
なんで?
でも、腑に落ちる物がある。だって、一連の出来事で得をしたのは、聖なる石を手に入れた勇者。建国後に国王になっている。聖なる子に、自分を称える歌を歌わせたのだって、納得がいく。勇者は、この歌の本当の意味を知らなかったから、賢者が教えにしたがって、他の魔法と共にこの歌を覚えて伝えた。そして、もの歌の曲に合わせて、自分で作った部分を、国の宝である聖なる子に歌わせた。賢者は、為政者に事実を改竄されることを恐れた。ああ、国王になった勇者にならば、改竄も可能だったのではないだろうか。
でも、聖なる石が自分を選ぶなんて、操作できることではないはず。そんな邪な人物を聖なる石が選ぶだろうか?歴代の勇者に恥じぬようにと、頑張ってきた。なのに、初代勇者が、そんな邪な人物だったとすれば……。
珍しく姫から電話があったと思ったら、ギャン泣きだった。夕月とニセと俺の三人で、号泣する姫をなだめるのに苦労した。いや、魔王サイドに泣きつく勇者って。泣きつく相手を完全に間違えているだろうが。他に泣きつく相手なんていないのは分かるが。綾香先輩は、電話の向こうで、困り果てている。
「ほら、まだ勇者が悪人だったとは限らないだろ?」
俺の言葉に、姫がだって~、とまだ泣きじゃくる。
「そうですよ。あまり覚えてはいませんが、勇者が悪人だった記憶は有りませんよ。聖なる石を騙して悪人が勇者になるだなんて、できませんよ」
夕月が、オロオロとしながら姫を説き伏せる。覚えていない時点で、説得力はない。
「今まで、一生懸命頑張ってきたのよ。なのに、全ての原因が結局初代勇者だったとした、もしそうなら、私の頑張りって全て……」
「無駄じゃない」
姫の泣き言を、ニセが否定する。
「お前が、頑張っていたのは俺が知っている」
突然の魔王のデレ。鼻で笑うかと思っていたのに、まさか、勇者である姫を励ましにかかった。
「俺は、お前が望まぬのに勇者になって努力を強いられていたのを聞いていた。物心つく前に聖なる子として似たような環境にあった俺よりも、突然、そういう状況に追いやられたお前はかえって辛かろうと案じていた。勝手ですまんが、お前が頑張っているということを聞いて、俺は、自分が頑張る支えにしていた。同じように頑張っているお前がいたから、俺も頑張って、あの環境でも不平を言わずに過ごせていた」
ニセの言葉を、姫は、静かに聞いていた。
「だから、昔、お前と同じ役割の者が愚か者であったとしても、お前には関係ない。お前は、最高に優れた勇者だ。魔王の俺が保証する」
ニセの声が、優しい。何、このデレ。俺と綾香先輩の目がビデオ通話の画面越しに合う。
「あ……ありがとう。あの……ごめん」
姫の様子が、おかしい。
は? これは、ときめいたってやつか?
もじもじしている。まじでか。やっぱり、ツンとデレのギャップが重要なのか? 普段悪い奴が、突然、優しいとか。
いや、魔王だぞ? 悪すぎだろう? さっき、夕月が折れるくらいなら、勇者を滅ぼすとかなんとか言っていたぞ、騙されるな勇者よ!こんちくしょう。俺と同じ顔のくせに、どうしてニセはモテるんだ。夕月といい、姫といい。やっぱり、魔法のスキルと魔王っていうステータスか?俺が悔しがっている横で、ニセが優しい微笑みをみせている。
「ライブとやらに行くんだろ? いつだ?」
「来週……」
「そうか。良かったな。夢中になれるものが見つかって」
「うん」
「楽しんだら、その後は、お前は、勇者として全力で俺に向かってこい」
いや、全力で向かってこられたら、俺も死ぬんですけれど? 何を言っているんだ、ニセ。
「分かった。頑張る」
頑張らないでいいって、だから、平和的な解決を目指そうよ。俺の声にならないツッコミを他所に遠距離恋愛中のような会話が繰り広げられている。画面の向こうでも、綾香先輩が、パクパクと声にならない言葉を抱えて口を動かしている。驚きのあまり声にならないのだろう。電話は、そのまま切られてしまった。
「ん? なんだ英司。なんでそんなに驚いた顔している? 励まさないと泣き止まないだろうが。俺が、何か変なことを言ったか?」
ニセがシレッとのたまう。なんだとう、あのツンデレギャップは、計算ではなく天然だということか。恐ろしい奴だ。
「たぶん、お気づきではないですよ。姫の心境の変化」
夕月が、こっそりと耳打ちしてくれる。わかる。俺も鈍い方だ。隣で見ていたから気づいたが、きっと当事者ならば気づかなかっただろう。魔王め。なんて邪悪な奴なんだ。
いいな、恋愛。
姫は、修道院に入れられてから、若い男性と話をする機会もなかった。国王と兄の王子、幼い頃から知っている爺やと年寄りの修道院院長。たぶん、姫が恋愛して聖なる石をその男にとられるのを危惧したのだろう。異常なほどに、姫の行動は制限されていた。
勇者なんかには、なりたくなかった。勇者に選ばれてしまった時の父王の顔。ひどく憎々しげな嫉妬にまみれた表情。今でも覚えている。
それでも、勇者として選ばれたからには、歴代の勇者に恥じぬようにと勉学や剣の修行に励んだ。自分と同じくらいの歳の子が、物心つく前から聖なる子として、自分と同じように自由のない状況で頑張っているという話は、耳にしていた。実際に会ったことはなくても、同じように頑張っている子がいるのだからと、その子に負けないようにと、その子の存在を心の支えにしていた。まさか、その子が魔王になって、自分の敵になるとは思いもよらなかったが。
この世界に来てから、分身体である綾香の人生を夢で追体験した。
とても楽しかった。
無条件に自分を愛してくれる親。小学校の高学年で、同じクラスの優しい子に初恋。告白も出来ずにただただドキドキしていた。高校の時好きになった子には、すでに彼女がいた。彼女のいる子にアプローチなんかできる訳もなく、あっさりと失恋。すごく悲しくて、この世の終わりかと思う綾香の気持ちが切なくて、追体験する姫も心が痛んだ。大学に入って初めて出来た彼氏に浮気されて、ぶん殴って別れた。綾香に一目ぼれしたと言って告白してきた男の子。付き合い始めて一ヶ月で他の子とデートしている場面に遭遇した。優しい彼に心を許していたのに。結果、その男の子は他にも女がいて、三股をかけられていたことが判明した。自分の見る目の無さに、腹が立ったし、シレッと悪びれない彼に悲しみを通り越して怒りしかわかなかった。
やけになって参加した大学のミスコンで優勝して、彼がヨリを戻そうと連絡して来た時には、秒で着信拒否した。それからは、今はまっているアイドル一筋。爽やかで可愛い。時々出演するテレビでの可愛い仕草には、いちいちときめきを感じていた。
姫も、綾香に見せてもらったライブ映像で、同じアイドルグループの男の子に、心惹かれた。こんなイケメンがこの世に存在するなんて、思いもよらなかった。なんて素敵なんだろう。映像でも、こんなにワクワクしてしまうのに、本人が歌って踊っているところが見られるなんて、ライブって素晴らしい。いよいよ迫った来週のライブには、期待しかなかった。
ライブが終われば、魔王と決着をつけることになる。
圧倒的の力の差。
分身体を攻撃する作戦が失敗した今、姫に勝算はほとんどない。だが、逃げるわけにはいかない。それに、生きて自分の世界に戻れば、姫は勇者として国を立てなおすことに邁進しなければならない。結婚も、きっと見ず知らずの隣国の王子と政略のみの都合で決められてしまうことだろう。この先、姫は恋愛を楽しむことなんて出来ないだろう。だから、この世界の想い出に、たとえ疑似恋愛であったとしても、ライブで感じられた素敵な人の姿を目に焼き付けておきたい。一目でも、自分の方を見てもらえるように、頑張って応援団扇を作って、アピールしなければ。綾香と一緒に作るライブグッズの準備にも、自然と気合が入る。
だから、従者に持ってきてもらった賢者の本への関心も薄かったのだが、英司の話を聞いて、気がかわった。この本の中に昔の女賢者の想いが籠っているのだとしたら、読み取ってあげないと可哀想だ。
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「愛よね」
姫はつぶやく。
この賢者の記載をみる限り、夕月が言うように賢者が聖者を軽んじて裏切ったようには思えない。姫は、あの歌を作ったのは、賢者だったのではないかと思っている。あの歌の続きを聖なる子に託したのも、賢者かもしれない。聖者が夕月に歌を教えたのならば、聖者と賢者は、共謀して、夕月を魔剣にする計画を立てたはず。そして、聖者自身を魔王にすることを決めたはず。どうしてなのかは分からない。何か第三者も絡んで、事件が起きたのかもしない。
読み進めても、淡々と、何年何月にどのようにして魔物を討伐したのかを書く賢者の記録からは、その辺の深い事情は直接書かれていない。ひょっとすると、書けなかった可能性もある。もし、裏に権力者がいるならば、書けば本は処分される。歌を二つに割ったのも、事件の真相が明るみに出てはまずい人物がいたから、その人物から本来の歴史を紡ぐことを隠す必要があったからかもしれない。魔王野島英司・・・元聖なる子のニセが歌った建国の部分は、割る必要の無かった部分。ならば、隠されていたのは、やはり、夕月が魔剣に変化してしまったあの事件のことだ。
「ばか賢者め。それだけじゃ、後世の人間には、あなた達がどうして欲しかったのかが分からないじゃない。大切な人の名誉を守りたかったのでしょう? ならば、もっと頑張って書かなきゃ」
姫は、ベッドの上をゴロゴロ転がりながら、開いた本に悪態をつく。
賢者の残した物は、賢者の杖、この本、謎の多い歌。聖なる石、それから、魔剣に成り果てた夕月。平和な王国。
どうして、聖なる石を夕月に返して聖剣に戻さなかったのだろうか。
最後の魔王が死んだあとは、夕月は神殿の倉庫に封印されていた。
ああ、そうか。
賢者の杖は、魔王討伐のために賢者が残した物。最後の魔王が討伐されたのは、賢者が亡くなってからなのだろう。賢者が亡くなれば、本当は夕月が聖剣であったことを知る者は少ないし、夕月を元に戻すほどの魔力を持った者は、いなかったのかもしれない。
……あら? じゃあ、賢者は、最後の魔王が打ち滅ぼされたことを知らずに死んだの? ならば、聖なる子に伝わっている部分の半分は、創作?そんな訳ないか。淡々と事実を書き残す生真面目そうな賢者が、創作で歌を作るとは考えられない。魔王と何世代にも渡って戦い、建国したのは、だれ?
「勇者だわ」
姫の背中に、ぞくりとした感覚が走る。
なんで?
でも、腑に落ちる物がある。だって、一連の出来事で得をしたのは、聖なる石を手に入れた勇者。建国後に国王になっている。聖なる子に、自分を称える歌を歌わせたのだって、納得がいく。勇者は、この歌の本当の意味を知らなかったから、賢者が教えにしたがって、他の魔法と共にこの歌を覚えて伝えた。そして、もの歌の曲に合わせて、自分で作った部分を、国の宝である聖なる子に歌わせた。賢者は、為政者に事実を改竄されることを恐れた。ああ、国王になった勇者にならば、改竄も可能だったのではないだろうか。
でも、聖なる石が自分を選ぶなんて、操作できることではないはず。そんな邪な人物を聖なる石が選ぶだろうか?歴代の勇者に恥じぬようにと、頑張ってきた。なのに、初代勇者が、そんな邪な人物だったとすれば……。
珍しく姫から電話があったと思ったら、ギャン泣きだった。夕月とニセと俺の三人で、号泣する姫をなだめるのに苦労した。いや、魔王サイドに泣きつく勇者って。泣きつく相手を完全に間違えているだろうが。他に泣きつく相手なんていないのは分かるが。綾香先輩は、電話の向こうで、困り果てている。
「ほら、まだ勇者が悪人だったとは限らないだろ?」
俺の言葉に、姫がだって~、とまだ泣きじゃくる。
「そうですよ。あまり覚えてはいませんが、勇者が悪人だった記憶は有りませんよ。聖なる石を騙して悪人が勇者になるだなんて、できませんよ」
夕月が、オロオロとしながら姫を説き伏せる。覚えていない時点で、説得力はない。
「今まで、一生懸命頑張ってきたのよ。なのに、全ての原因が結局初代勇者だったとした、もしそうなら、私の頑張りって全て……」
「無駄じゃない」
姫の泣き言を、ニセが否定する。
「お前が、頑張っていたのは俺が知っている」
突然の魔王のデレ。鼻で笑うかと思っていたのに、まさか、勇者である姫を励ましにかかった。
「俺は、お前が望まぬのに勇者になって努力を強いられていたのを聞いていた。物心つく前に聖なる子として似たような環境にあった俺よりも、突然、そういう状況に追いやられたお前はかえって辛かろうと案じていた。勝手ですまんが、お前が頑張っているということを聞いて、俺は、自分が頑張る支えにしていた。同じように頑張っているお前がいたから、俺も頑張って、あの環境でも不平を言わずに過ごせていた」
ニセの言葉を、姫は、静かに聞いていた。
「だから、昔、お前と同じ役割の者が愚か者であったとしても、お前には関係ない。お前は、最高に優れた勇者だ。魔王の俺が保証する」
ニセの声が、優しい。何、このデレ。俺と綾香先輩の目がビデオ通話の画面越しに合う。
「あ……ありがとう。あの……ごめん」
姫の様子が、おかしい。
は? これは、ときめいたってやつか?
もじもじしている。まじでか。やっぱり、ツンとデレのギャップが重要なのか? 普段悪い奴が、突然、優しいとか。
いや、魔王だぞ? 悪すぎだろう? さっき、夕月が折れるくらいなら、勇者を滅ぼすとかなんとか言っていたぞ、騙されるな勇者よ!こんちくしょう。俺と同じ顔のくせに、どうしてニセはモテるんだ。夕月といい、姫といい。やっぱり、魔法のスキルと魔王っていうステータスか?俺が悔しがっている横で、ニセが優しい微笑みをみせている。
「ライブとやらに行くんだろ? いつだ?」
「来週……」
「そうか。良かったな。夢中になれるものが見つかって」
「うん」
「楽しんだら、その後は、お前は、勇者として全力で俺に向かってこい」
いや、全力で向かってこられたら、俺も死ぬんですけれど? 何を言っているんだ、ニセ。
「分かった。頑張る」
頑張らないでいいって、だから、平和的な解決を目指そうよ。俺の声にならないツッコミを他所に遠距離恋愛中のような会話が繰り広げられている。画面の向こうでも、綾香先輩が、パクパクと声にならない言葉を抱えて口を動かしている。驚きのあまり声にならないのだろう。電話は、そのまま切られてしまった。
「ん? なんだ英司。なんでそんなに驚いた顔している? 励まさないと泣き止まないだろうが。俺が、何か変なことを言ったか?」
ニセがシレッとのたまう。なんだとう、あのツンデレギャップは、計算ではなく天然だということか。恐ろしい奴だ。
「たぶん、お気づきではないですよ。姫の心境の変化」
夕月が、こっそりと耳打ちしてくれる。わかる。俺も鈍い方だ。隣で見ていたから気づいたが、きっと当事者ならば気づかなかっただろう。魔王め。なんて邪悪な奴なんだ。
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