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2 若草狐
辻に立つ女
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佐次は、黄を見つめる。
「いかがしましたか?」
黄が、あまりに真剣に黄を見つめる佐次に首をかしげる。
「いえ、そんなはずはないと思うのですが、狒々を倒した時に見た、若草の幼い姿と黄様が似ているような気がしまして……」
ちらりと、白金の方を佐次は見るが、白金は涼しい顔でただ黙って座っている。
「もっと教えて下さい」
黄にせがまれて、佐次は語った。
「では、親父が亡くなった時の話をいたしましょう」
佐次は語り出した。
親父の元で修行しながら、仕事をこなす日々。
兄の佐門は、どこにいるのかも分からない。若草は、佐門は、雲外鏡を通って『妖魔の国』にいるのかもしれないと。
「誰か、佐門を助ける位の高い妖魔がいるのかもしれない」
若草の言葉に、親父の佐平の表情が曇る。
「親父、何か知っているのか?」
「知らん。俺が話すに値しない話だ。もう終わったこと」
親父は、不機嫌にそう言って、何も語ってはくれなかった。
その日の仕事は、夜に辻に現れて男を誘って喰らう女の姿をした妖を退治すること。
親父は、別の仕事にまず向かったので、佐次と若草で仕事に向かう。
「美人なんだって。佐次、誘惑されちゃうんじゃない?」
誰もいない山道。姿を現した若草は、軽口をたたく。ピョンピョンと軽い足取りで佐次についてくる。
「されるか。そんなの」
佐次がムッとして答えれば、若草は、そうかな? と笑う。
「だいたい、俺は妖が嫌いなんだ」
佐次がそう言えば、若草の耳がピクリと揺れる。
「そうなのか?」
佐次を見て、悲しそうな顔を若草がする。
若草も妖狐、妖だ。こんな言い方をすれば、それは悲しくもなるだろう。
「あ、いや。若草は別だ。若草は、ちゃんと友達と思っている」
佐次がそう言っても、若草の表情は晴れなかった。
「佐次……私がくっついてくるのも迷惑か?」
「違うって。悪かったって。面倒くせえな」
佐次がイラつけば、若草はシュンとして、静かに佐次の後ろをついてくる。
「ほら。手」
佐次が若草の手を引っ張る。
「いいの?」
若草は、佐次が構ってやれば喜ぶ。小さい弟か妹のようだった。
「この歳になって手なんてつないで歩くとは思わなかった」
佐次がぼやくのを、若草が楽しそうに笑ってみていた。
夕暮れの辻で人の気配を感じて若草は姿を消す。
佐次が独りで歩いていれば、話の通りの長く艶やかな黒髪の女が一人、手ぬぐいを被り、むしろを一つ持って、辻に立っている。
「もし。遊んでいかれませんか?」
女が佐次に声を掛ける。
怪しいが、まだ妖の気配を出してはいない。
この時代には、夜鷹と呼ばれる、売春を目的とした女が辻に立つことは、ままある。辻に立って声をかけたというだけで、この女が妖と決めつけて殺せば、下手をすれば、ただの人間の女を殺めてしまうかもしれない。
もっと、確証が欲しい。
「そうだな……。姉さんはいくらだ」
佐次が問えば、女がこちらに目を向ける。
たしかに美人だ。
切れ長の目。白い面。赤く紅をひいた柔らかそうな唇。ニコリと笑う口元に見える舌は蠱惑的でぞくりとする。
「そうだね。兄さんは具合が良さそうだ。安くしておくよ」
女がそう言って、佐次の左腕をさする。
女の手が、佐次の腕の上の人面瘡をみつける。
「おや……。兄さん。妖を飼っているのかえ?」
今は、河童の薬が効いていて、大人しくしている人面瘡。それを触れただけで、妖と気づくこの女は、人間だとしても、並みのものではない。
不思議な女。こんなに近くにいてまだ、妖の気配がない。
人間の女の気配がする。
ひょっとして、自分と同じ術師なのだろうか?
佐次は身構える。
「佐次」
若草が姿を現して、佐次の腕をグイと引っ張る。
「おや、七尾といえども妖狐まで使役して。これは良い」
女がニイと笑う。佐次の胸にもたれて、佐次を見上げる。
「あ、いや。若草は使役しているわけではない。友達だ」
佐次が若草を腕から離す。
「さ、佐次? 佐次?」
若草が呼んでも、佐次が答えてくれない。
「ふふ。美人でも妖は嫌なのでしょう。人間の女の方が具合がようございましょう」
勝ち誇ったように若草を見る女。
「さっさと消えてろ。邪魔だ。」
佐次にそう言われて、若草は、ハラハラと涙をこぼしながら姿を消した。
「さて、兄さん行きましょうか?」
女は、佐次の手を引く。
佐次は、女に付いて、辻から姿を消した。
若草が再び姿を現したのは、佐次の親父のところ。一仕事を終えて佐次を探しに付近まで来ていた親父は、若草にすぐ気づいた。
クフン。若草は、小さく鳴いて、親父に佐次のことを報告する。
「佐次の奴。調子に乗りやがって。そこまで妖狐様に言わなくても」
「さすがに私も傷付いた。佐次に後で文句を言う」
「さて、行きましょうか。妖狐様」
親父が念じれば、ぼうっと佐次の残した念の道が視える。
親父の手には、新しい護符が握られている。
「これは?」
若草が聞けば、
「私が新しく開発した護符です。女の話を聞いて、役に立つかと持って来ました」
と親父が答える。
何度も同じような場所を巡る不思議な道を、佐次の念の道しるべを頼りにたどれば、パックリと空間に穴が開いている。
妖魔の国への入り口。
呪力で門を作って閉じているから、妖魔が出て来てはないが、これは、やはりあの女は妖魔の類ということだろう。
女の根城まで続く道を、親父と若草はたどっていく。
「本当に魅惑されてしまっているようで、心配になった」
若草がこぼせば、
「佐次が? まさか」
と親父が笑う。
「あの女は、中身は妖魔だ。人間の体を奪って、人間のフリをしている」
若草が言えば、
「心得ております。依頼を受けて調査をした時から。人間の殻を被っていても、中身が妖魔だから、人間が時々喰いたくなるのでしょう」
と親父が答える。
心と魂が縮めば、そこに付け入り、妖魔が取りつき、体を乗っ取ってしまう。人間の体を得て、好き勝手して欲望を果たす妖魔の女。元の女の魂は、とうに喰われているだろう。
道は、小さな家に続いていた。
家の中から、女が笑う声がする。
「覗けば、佐次が女にもたれかかられながら、酒を飲んでいる」
「佐次……」
若草は、心がモヤモヤする感覚にさいなまれる。
演技なのだと分かっているのに、心がチクリと痛む。さきほどの、「妖は嫌いだ」という佐次の言葉が、脳裏によみがえる。
隙を見て、女を取り押さえることになっている。
親父と若草は、中をうかがいながらじっとしている。
「親父。覗きは、趣味として良くないな」
後ろから声を掛けてくる者に、驚いて振り返れば、そこに、佐門が立っていた。
「今、帰ったぞ」
佐門が、大きな声でそう言いながら、家の中に入る。
右手には、親父、左手には若草を掴んで、女に笑いかける。
「おや、大きな魚だこと」
女が嗤う。
「親父、若草」
「ごめん。佐次」
若草はまだ答える元気があるが、親父が返事をしない。白目をむいている。
親父の首から、佐門が手を離せば、どさりと親父がそのまま倒れてしまう。口から泡を吹いて痙攣している。
「若草。久しぶりだな」
親父から離した手で、佐門が若草の体をまさぐる。若草は、佐門の手を嫌がって身をよじるが、よじれば首を絞められて、若草はキュウと鳴いている。
「おや、堂々と浮気とは」
女がゲラゲラと下品に笑う。
「男を連れ込んでいる最中のお前には言われたくない」
佐門もクククッと笑う。
「佐次。返してほしいか?」
佐門が問えば、
「いらん。若草、自分で逃れろ。佐門を殺せ」
佐次が、意外な答えを返す。
「うるさいな。今やっている。でも、こんなに体を触られたら集中力が……。や、だめだって」
若草が、ゴウと音を立てて狐火を放つ。
佐門がゲラゲラと笑う。
「可愛いなあ。妖狐。そんな狐火でいかがする?」
佐門は、全く手を緩めずに、若草を抱きしめる。
「なんでぇ。どうして効かないの?」
必死で暴れる若草を佐門は離してくれない。
佐次は佐次で、女を相手に苦戦している。
女は、蜘蛛の巣を張り、佐次を絡めとろうとしてくる。
「これは、中身の妖魔は、低級妖魔ではないな。元は妖か」
「そう。勘がいいね。女郎蜘蛛の妖が、術師の女の体を乗っ取ったのさ。便利な体。お前のような鼻の下のばした男がわんさと釣れる」
ゲラゲラと笑う女は、舌で自身の唇をゆっくりと舐める。
「佐次! 護符! 親父の護符を女の背中に!!!」
若草が、叫ぶ。
若草の管狐が、佐次を捕えようとする蜘蛛女の糸を切る。
「お前、自分の状況を考えろ。俺の手助けする前に、佐門に身体を触らせるな」
佐次が、若草の手助けに苛立つ。
「そっちも頑張っているんだよ。早く女を片付けてこっちを手伝ってよ」
佐門に若草が噛みつくが、少しも動じてくれない。
「面白いな。性別のない身体。そのように扱えば、次第に変化する。ほれ、胸が女のように大きくなってきた」
ニタニタと佐門が嗤う。七尾といえども、これほど妖狐の攻撃を受けてびくともしないだなんて、どこまで妖力を高めているのだろう。どうやったのだろう?
若草はぞくりと背筋が凍る。
「触るな。佐門は嫌いだ」
若草が、妖力を強めて佐門にぶつける。
バチンと大きな音がして、佐門の腕が焦げる。
佐門の腕からようやく逃れて佐次の隣に若草が立つ。
蜘蛛女を見れば、背中に貼られた親父の護符に魂を吸い出されて、棒立ちになっている。
「元はこいつの体ではない。魂は、体からはがれやすくなっている」
背中に護符を貼られてしまえば、それを自分で取ろうにもてが届かない。
ガ、ガ、ガ、ガ、ガ
悲鳴ともなんとも言えない音を蜘蛛女は口から発している。
「役立たずだな」
佐門が、人面瘡から取り出した槍で蜘蛛女を貫く。
「なんだ? あれ」
苦しむ蜘蛛女を見て、若草が驚く。
「どうした?」
「槍で妖力の器に穴をあけて、吸い上げている。妖力の塊が、蜘蛛から佐門に移動している」
若草がそう言う間にも、女は力を失って、死んでしまった。
そうか。そうやって妖魔界で妖達を殺しながら力を貯めたんだ。
若草はゾッとする。
「だめだ。逃げよう」
虫の息の親父を背に乗せて、狐姿になった若草が佐次を促す。
佐次が乗ったのを確認して、若草が元の道を走り出す。
「佐門、あいつ……」
佐次が悔しそうに顔を歪める。
「駄目だよ。佐次。稲荷様に報告して応援を頼まなければ、あんなの太刀打ちできない」
若草が、佐次をなだめる。
「何が駄目なんだ? 俺は、妖魔を倒しているだけだ。妖狐のしていることとさして変わらないだろう?」
佐門が笑いながら、後を追ってくる。悠然としているように見えるのに、すごい速さで飛んでいる。
「佐門、なんとも嫌われたな。可愛い妖狐が逃げてしまう。あんなに可愛がってやっているのに」
佐門の胸の人面瘡が、大笑いしている。
「全くだ。こんなに俺が、優しくしてやっているのに」
佐門が、やれやれとため息をつく。
道をひた走る若草に、異物に気づいた妖魔の群れがせまってくる。涎を垂らして、喰らいつこうとしてくる。
若草が管狐で妖魔を蹴散らしながら走る。
狐火はバチバチと音を立てて妖魔を焼き払い、管狐は妖魔を喰らう。それでも後から後から、妖魔は若草たちを喰らおうと追ってくる。
あった。あれだ。
ようやくたどり着いた、人間界との境界の門。
転ぶように抜けようとする若草に、佐門の手が伸びる。
気を失っていると思っていた親父の手が、佐門の手をつかみ、佐門が若草を掴むのを防ぐ。
「親父?」
佐次が最後に見たのは、佐次と若草を逃して悔しそうな佐門が、悔し紛れに親父を突き殺す姿であった。
妖魔と人間の世界の境界に作られた門は、若草の力によって閉じられた。
「いかがしましたか?」
黄が、あまりに真剣に黄を見つめる佐次に首をかしげる。
「いえ、そんなはずはないと思うのですが、狒々を倒した時に見た、若草の幼い姿と黄様が似ているような気がしまして……」
ちらりと、白金の方を佐次は見るが、白金は涼しい顔でただ黙って座っている。
「もっと教えて下さい」
黄にせがまれて、佐次は語った。
「では、親父が亡くなった時の話をいたしましょう」
佐次は語り出した。
親父の元で修行しながら、仕事をこなす日々。
兄の佐門は、どこにいるのかも分からない。若草は、佐門は、雲外鏡を通って『妖魔の国』にいるのかもしれないと。
「誰か、佐門を助ける位の高い妖魔がいるのかもしれない」
若草の言葉に、親父の佐平の表情が曇る。
「親父、何か知っているのか?」
「知らん。俺が話すに値しない話だ。もう終わったこと」
親父は、不機嫌にそう言って、何も語ってはくれなかった。
その日の仕事は、夜に辻に現れて男を誘って喰らう女の姿をした妖を退治すること。
親父は、別の仕事にまず向かったので、佐次と若草で仕事に向かう。
「美人なんだって。佐次、誘惑されちゃうんじゃない?」
誰もいない山道。姿を現した若草は、軽口をたたく。ピョンピョンと軽い足取りで佐次についてくる。
「されるか。そんなの」
佐次がムッとして答えれば、若草は、そうかな? と笑う。
「だいたい、俺は妖が嫌いなんだ」
佐次がそう言えば、若草の耳がピクリと揺れる。
「そうなのか?」
佐次を見て、悲しそうな顔を若草がする。
若草も妖狐、妖だ。こんな言い方をすれば、それは悲しくもなるだろう。
「あ、いや。若草は別だ。若草は、ちゃんと友達と思っている」
佐次がそう言っても、若草の表情は晴れなかった。
「佐次……私がくっついてくるのも迷惑か?」
「違うって。悪かったって。面倒くせえな」
佐次がイラつけば、若草はシュンとして、静かに佐次の後ろをついてくる。
「ほら。手」
佐次が若草の手を引っ張る。
「いいの?」
若草は、佐次が構ってやれば喜ぶ。小さい弟か妹のようだった。
「この歳になって手なんてつないで歩くとは思わなかった」
佐次がぼやくのを、若草が楽しそうに笑ってみていた。
夕暮れの辻で人の気配を感じて若草は姿を消す。
佐次が独りで歩いていれば、話の通りの長く艶やかな黒髪の女が一人、手ぬぐいを被り、むしろを一つ持って、辻に立っている。
「もし。遊んでいかれませんか?」
女が佐次に声を掛ける。
怪しいが、まだ妖の気配を出してはいない。
この時代には、夜鷹と呼ばれる、売春を目的とした女が辻に立つことは、ままある。辻に立って声をかけたというだけで、この女が妖と決めつけて殺せば、下手をすれば、ただの人間の女を殺めてしまうかもしれない。
もっと、確証が欲しい。
「そうだな……。姉さんはいくらだ」
佐次が問えば、女がこちらに目を向ける。
たしかに美人だ。
切れ長の目。白い面。赤く紅をひいた柔らかそうな唇。ニコリと笑う口元に見える舌は蠱惑的でぞくりとする。
「そうだね。兄さんは具合が良さそうだ。安くしておくよ」
女がそう言って、佐次の左腕をさする。
女の手が、佐次の腕の上の人面瘡をみつける。
「おや……。兄さん。妖を飼っているのかえ?」
今は、河童の薬が効いていて、大人しくしている人面瘡。それを触れただけで、妖と気づくこの女は、人間だとしても、並みのものではない。
不思議な女。こんなに近くにいてまだ、妖の気配がない。
人間の女の気配がする。
ひょっとして、自分と同じ術師なのだろうか?
佐次は身構える。
「佐次」
若草が姿を現して、佐次の腕をグイと引っ張る。
「おや、七尾といえども妖狐まで使役して。これは良い」
女がニイと笑う。佐次の胸にもたれて、佐次を見上げる。
「あ、いや。若草は使役しているわけではない。友達だ」
佐次が若草を腕から離す。
「さ、佐次? 佐次?」
若草が呼んでも、佐次が答えてくれない。
「ふふ。美人でも妖は嫌なのでしょう。人間の女の方が具合がようございましょう」
勝ち誇ったように若草を見る女。
「さっさと消えてろ。邪魔だ。」
佐次にそう言われて、若草は、ハラハラと涙をこぼしながら姿を消した。
「さて、兄さん行きましょうか?」
女は、佐次の手を引く。
佐次は、女に付いて、辻から姿を消した。
若草が再び姿を現したのは、佐次の親父のところ。一仕事を終えて佐次を探しに付近まで来ていた親父は、若草にすぐ気づいた。
クフン。若草は、小さく鳴いて、親父に佐次のことを報告する。
「佐次の奴。調子に乗りやがって。そこまで妖狐様に言わなくても」
「さすがに私も傷付いた。佐次に後で文句を言う」
「さて、行きましょうか。妖狐様」
親父が念じれば、ぼうっと佐次の残した念の道が視える。
親父の手には、新しい護符が握られている。
「これは?」
若草が聞けば、
「私が新しく開発した護符です。女の話を聞いて、役に立つかと持って来ました」
と親父が答える。
何度も同じような場所を巡る不思議な道を、佐次の念の道しるべを頼りにたどれば、パックリと空間に穴が開いている。
妖魔の国への入り口。
呪力で門を作って閉じているから、妖魔が出て来てはないが、これは、やはりあの女は妖魔の類ということだろう。
女の根城まで続く道を、親父と若草はたどっていく。
「本当に魅惑されてしまっているようで、心配になった」
若草がこぼせば、
「佐次が? まさか」
と親父が笑う。
「あの女は、中身は妖魔だ。人間の体を奪って、人間のフリをしている」
若草が言えば、
「心得ております。依頼を受けて調査をした時から。人間の殻を被っていても、中身が妖魔だから、人間が時々喰いたくなるのでしょう」
と親父が答える。
心と魂が縮めば、そこに付け入り、妖魔が取りつき、体を乗っ取ってしまう。人間の体を得て、好き勝手して欲望を果たす妖魔の女。元の女の魂は、とうに喰われているだろう。
道は、小さな家に続いていた。
家の中から、女が笑う声がする。
「覗けば、佐次が女にもたれかかられながら、酒を飲んでいる」
「佐次……」
若草は、心がモヤモヤする感覚にさいなまれる。
演技なのだと分かっているのに、心がチクリと痛む。さきほどの、「妖は嫌いだ」という佐次の言葉が、脳裏によみがえる。
隙を見て、女を取り押さえることになっている。
親父と若草は、中をうかがいながらじっとしている。
「親父。覗きは、趣味として良くないな」
後ろから声を掛けてくる者に、驚いて振り返れば、そこに、佐門が立っていた。
「今、帰ったぞ」
佐門が、大きな声でそう言いながら、家の中に入る。
右手には、親父、左手には若草を掴んで、女に笑いかける。
「おや、大きな魚だこと」
女が嗤う。
「親父、若草」
「ごめん。佐次」
若草はまだ答える元気があるが、親父が返事をしない。白目をむいている。
親父の首から、佐門が手を離せば、どさりと親父がそのまま倒れてしまう。口から泡を吹いて痙攣している。
「若草。久しぶりだな」
親父から離した手で、佐門が若草の体をまさぐる。若草は、佐門の手を嫌がって身をよじるが、よじれば首を絞められて、若草はキュウと鳴いている。
「おや、堂々と浮気とは」
女がゲラゲラと下品に笑う。
「男を連れ込んでいる最中のお前には言われたくない」
佐門もクククッと笑う。
「佐次。返してほしいか?」
佐門が問えば、
「いらん。若草、自分で逃れろ。佐門を殺せ」
佐次が、意外な答えを返す。
「うるさいな。今やっている。でも、こんなに体を触られたら集中力が……。や、だめだって」
若草が、ゴウと音を立てて狐火を放つ。
佐門がゲラゲラと笑う。
「可愛いなあ。妖狐。そんな狐火でいかがする?」
佐門は、全く手を緩めずに、若草を抱きしめる。
「なんでぇ。どうして効かないの?」
必死で暴れる若草を佐門は離してくれない。
佐次は佐次で、女を相手に苦戦している。
女は、蜘蛛の巣を張り、佐次を絡めとろうとしてくる。
「これは、中身の妖魔は、低級妖魔ではないな。元は妖か」
「そう。勘がいいね。女郎蜘蛛の妖が、術師の女の体を乗っ取ったのさ。便利な体。お前のような鼻の下のばした男がわんさと釣れる」
ゲラゲラと笑う女は、舌で自身の唇をゆっくりと舐める。
「佐次! 護符! 親父の護符を女の背中に!!!」
若草が、叫ぶ。
若草の管狐が、佐次を捕えようとする蜘蛛女の糸を切る。
「お前、自分の状況を考えろ。俺の手助けする前に、佐門に身体を触らせるな」
佐次が、若草の手助けに苛立つ。
「そっちも頑張っているんだよ。早く女を片付けてこっちを手伝ってよ」
佐門に若草が噛みつくが、少しも動じてくれない。
「面白いな。性別のない身体。そのように扱えば、次第に変化する。ほれ、胸が女のように大きくなってきた」
ニタニタと佐門が嗤う。七尾といえども、これほど妖狐の攻撃を受けてびくともしないだなんて、どこまで妖力を高めているのだろう。どうやったのだろう?
若草はぞくりと背筋が凍る。
「触るな。佐門は嫌いだ」
若草が、妖力を強めて佐門にぶつける。
バチンと大きな音がして、佐門の腕が焦げる。
佐門の腕からようやく逃れて佐次の隣に若草が立つ。
蜘蛛女を見れば、背中に貼られた親父の護符に魂を吸い出されて、棒立ちになっている。
「元はこいつの体ではない。魂は、体からはがれやすくなっている」
背中に護符を貼られてしまえば、それを自分で取ろうにもてが届かない。
ガ、ガ、ガ、ガ、ガ
悲鳴ともなんとも言えない音を蜘蛛女は口から発している。
「役立たずだな」
佐門が、人面瘡から取り出した槍で蜘蛛女を貫く。
「なんだ? あれ」
苦しむ蜘蛛女を見て、若草が驚く。
「どうした?」
「槍で妖力の器に穴をあけて、吸い上げている。妖力の塊が、蜘蛛から佐門に移動している」
若草がそう言う間にも、女は力を失って、死んでしまった。
そうか。そうやって妖魔界で妖達を殺しながら力を貯めたんだ。
若草はゾッとする。
「だめだ。逃げよう」
虫の息の親父を背に乗せて、狐姿になった若草が佐次を促す。
佐次が乗ったのを確認して、若草が元の道を走り出す。
「佐門、あいつ……」
佐次が悔しそうに顔を歪める。
「駄目だよ。佐次。稲荷様に報告して応援を頼まなければ、あんなの太刀打ちできない」
若草が、佐次をなだめる。
「何が駄目なんだ? 俺は、妖魔を倒しているだけだ。妖狐のしていることとさして変わらないだろう?」
佐門が笑いながら、後を追ってくる。悠然としているように見えるのに、すごい速さで飛んでいる。
「佐門、なんとも嫌われたな。可愛い妖狐が逃げてしまう。あんなに可愛がってやっているのに」
佐門の胸の人面瘡が、大笑いしている。
「全くだ。こんなに俺が、優しくしてやっているのに」
佐門が、やれやれとため息をつく。
道をひた走る若草に、異物に気づいた妖魔の群れがせまってくる。涎を垂らして、喰らいつこうとしてくる。
若草が管狐で妖魔を蹴散らしながら走る。
狐火はバチバチと音を立てて妖魔を焼き払い、管狐は妖魔を喰らう。それでも後から後から、妖魔は若草たちを喰らおうと追ってくる。
あった。あれだ。
ようやくたどり着いた、人間界との境界の門。
転ぶように抜けようとする若草に、佐門の手が伸びる。
気を失っていると思っていた親父の手が、佐門の手をつかみ、佐門が若草を掴むのを防ぐ。
「親父?」
佐次が最後に見たのは、佐次と若草を逃して悔しそうな佐門が、悔し紛れに親父を突き殺す姿であった。
妖魔と人間の世界の境界に作られた門は、若草の力によって閉じられた。
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「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
「神様はつらいよ」〜稲の神様に転生したら、世の中パン派ばかりでした。もう妖を癒すことにします〜
逢汲彼方
キャラ文芸
【あらすじ】
ボロ神社の主神である「瑞穂」は、妖の医者として働くことで何とか生計を立てていた。
だが診療所の経営は赤字すれすれ、バイトはすぐに辞めてしまい、色んな意味でとんでもない患者ばかりがやってくる…それでも日々あやかしの治療に励む彼のところには、ぶっ飛んだ人の娘や、怠け者の猫又、我が道をゆく妖狐たち、美人な水神姉妹といった奇妙奇天烈な者たちが集まってきて、次第に頼もしい仲間となってゆく。
そして、ある事件をきっかけに「瑞穂」は過去の記憶を取り戻し、その闇と対峙することになるのだが―。
カクヨム、なろうにも掲載。
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