妖狐

ねこ沢ふたよ

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1 白金狐

喰らう

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 昼下がり、狐屋敷で黄が書斎を覗けば、白金が転寝をしている。
 白銀の髪に木漏れ日がきらめいて、白い肌はうっすら赤みが差している。長い睫毛の下の金の瞳は、今は見えず、滑らかの肌の上を彩る瑞々しいピンクの小さな唇からは、寝息が漏れている。
 寝息に合わせて細い肩が上下し、気持ちよさそうな表情に、そのまま寝かせておいてあげたい風情を黄は感じるが、そうはいかない。

 件の所から帰って来て一週間。また、書簡の整理は疎かにされている。

「白金様、起きて下さい」

黄は、心を鬼にして白金を揺さぶる。

「……眠い……」

九尾の大妖狐とは思えないような情けない声をあげて、白金が抗議する。

「ほら、小豆洗いさんにいただいた小豆でぜんざいを作りましたから」

 目の前の温かいぜんざいを置けば、白金がゆっくり目覚める。
 白い餅の浮かぶぜんざいは、温かい湯気をあげている。

「いい匂いだね。美味そうだ」

 ニコリと白金が笑う。
 白金が碗を取ってぜんざいを啜る。

「お味はいかがですか?」
黄が尋ねれば、

「うん。うまい」
と白金が喜んでくれる。

 瘴気をまとった妖魔ですらバリバリと食べてしまう九尾狐の白金。
 味覚には一抹の不安があるが、それでも師匠である白金に喜んでもらえれば、黄もうれしい。

「やはり、清浄な水で洗えば、これほどに美味くなるね」

 白金が小豆を一つ箸でつまんで眺める。
 艶やかな小さな粒、一粒一粒が光を反射して輝いてみえる。

「ええ。ふっくらして良い小豆でした」

 黄も賛同する。
 街で暮らしていた小豆洗いは、汚れ切った街の川で小豆を洗い続けていた。汚れた川で洗った小豆は、瘴気をまとい黒く変色していた。
 到底、同じ小豆とは思えない物になっていた。

「白金様が、お仕事をさぼらなければ、もっと早く移動して差し上げられたかもしれないんですよ? もっと、お仕事に精を出していただかないと」

 黄がいつものように、白金に説教する。
 黄に叱られて、白金の狐耳が伏せてイカ耳になっている。

「さあ、書簡を一本取っておきましたから、これを食べたら行きましょうね」
黄に言われて、

「仕事のことを言われれば、せっかくのぜんざいの味が不味くなるよ……」
と、白金がため息をつく。



 いつものように大きめの管狐を出して、二人で目的地まで飛ぶ。
 黄の話では、今回は、廃屋となった病院に妖魔ようまが出没するから、それを退治しておくようにという物だった。

「妖魔なんて、なぜ出没するんですか?」
と、黄が聞けば、

「妖魔の世界とつながる穴を誰かが開けてしまうからだよ」
と、白金が答える。

 白金の説明では、妖魔は、元々人間や妖であった者の魂。あまりに欲深く邪であれば、死して肉体のタガが外れて妖魔に堕ちてしまう。通常は、そのまま妖魔の世界にまで堕ちてから妖魔化するから、何の問題もない。妖魔の世界で、同じような境遇の妖魔たちの間で暮らすことになるだけ。人間界への影響もない。

 だが、妖魔の世界は、欲深く邪な連中の巣窟であるために、天から見放され日も差さず、働く者もいない。ただ、互いに奪い合い罵り合う世界。

 だから、妖魔は人間界や妖の世界に入りたがっている。

 妖の世界では、白虎直属の虎精達が妖魔との国境を守り追い払い、人間の世界では、白金達のような神々に命じられた妖達が妖魔を始末している。時々、人間の中にも、妖魔を退治できるような技を持つ者もいるが、極まれなのだという。

 妖魔の世界と人間の世界。神々が作った壁で正しく分けられているから、通常交わりはないが、時々穴が開く。
瘴気が籠って濃くなって破れる場合もあるが、人間や妖が故意に開けてしまう場合もある。故意に開けてしまう理由は、様々。

悪意、悪ふざけ、好奇心、復讐のため……。
いずれにせよ、ろくなものではない。

 遠方に、ボロボロの建物が見える。
 森に囲まれて、周囲に人間の住む気配は無い。いわゆる隔離病棟で、伝染病か何かで、世間から離しておきたかった患者を入れていたのかも知れない。
 それが、役目を失って廃墟となっている。

「よかった。人間がいなければ、派手に力が使えるね」

「え? 白金様は、けっこう人間の前でも遠慮なく力をお使いになっていると思っていましたが」

 黄は、今までの白金の行動を思い出す。
 件の村でも、村人がかなり怯えていたはずだ。

「手加減はしているんだよ? あまり騒ぎにならないように……」

 白金が、苦笑いする。


 病院の前に下り立てば、小さい赤黒い物が一匹蠢いている。
 細い手足。衣は付けず、目がギョロギョロして、長い鼻がついている。耳まで裂けた口からは、鋭い歯が見えている。
 白金の管狐が、あっという間に妖魔を頭からパクリと一飲みにしてしまう。

「せっかくぜんざいが美味しかったのに。台無しだね」

 白金が、管狐を介して口に広がる妖魔の味に眉間に皺を寄せる。
 ねちょねちょとした食感。噛んだ瞬間に広がる瘴気。瘴気が舌にまとわりつく。

「これで、依頼は終わりでしょうか?」

黄が白金を見上げれば、白金は首を横に振る。

「そんな訳はない。この白金、九尾狐への稲荷神からの依頼。何かある。そもそも、誰がこの妖魔を放ったのかを正しく解明しなければ、また元の木阿弥だよ」

 そう言って、黄を抱き上げ、白金は廃病院に入る。


 三階建てのコンクリート造りの病院。
 一階には、受付と診察室。レントゲン室などが並んでいる。
 足元は瓦礫だらけなのに、白金は悠然と歩く。よく見れば、地面から少し浮いている。
 足音もなく滑るように白金が歩く。

「白金様。あちらに」

黄が、前方を指さす。妖魔が、数匹、白金の様子を見て慌てている。

「うん。いるね」

 白金は、管狐を数匹出して、妖魔を喰らってしまう。
 妖魔は、叫ぶ暇もなく消滅する。

「ふふ。たくさんいるね。全部食べてしまおうか」

そう言って微笑んだ白金から、無数の管狐が飛び出す。

 病院内を管狐が駆け巡り、逃げ惑う妖魔の悲鳴が、病院の中に響く。
 その中を、微笑みを浮かべながら白金が進む。
 白金の金の瞳は、妖力の高まりで輝き、九尾のシッポは、踊るように揺らめいている。

「可哀想に……」

階段をのぼりながら、白金がつぶやく。

「どうなさいましたか?」

抱っこされたまま黄が聞けば、

「うん。人間の遺体を見つけた。もう白骨になっているのだけれどね。首に縄が掛かっているから、自殺かな」
と、歩きながら答える。

管狐の見た物を言っているのだろう。数えきれないほどの管狐を操り、その見た物、触れた物全てを把握している。白金の妖力の高さに、改めて黄は驚く。

二階の部屋の隅に、白金が言った通りの遺体が転がっている。
恐らくは病室だった部屋。四つのベッドが並ぶ部屋の窓の前。カーテンレールに掛けたロープが千切れ、千切れたロープの切れ端に絡まるように白骨が散らばっている。

「魂は、その肉ごと妖魔に食べられてしまっている。無理に体からはがしたから、魂のかけらが白骨にこびりついているよ」

そう言って、白金が優しく白骨を撫でる。
おいで……。

 囁くような白金の言葉に誘われるように、魂のかけらが白金の口に吸い込まれていく。
 じっと目をつぶって、白金が考え事をする。

「白金様?」

「ん? ああそうだ。一かけら食べさせてもらいなさい。……いいかい?」

白骨に白金は許可を取って、黄の口に青白く光る爪の先ほどの魂の欠片を入れる。
コクンと飲み込めば、人間の記憶が断片的に蘇る。
 
 逆行する時間。死んだ場面から始まり、時間は巻き戻る。

妖魔に追われて、扉を閉めて防ぐが、逃げ場はない。扉が破られるのは時間の問題で、観念して喰われて死ぬくらいなら、と首を吊る。

医師が妖魔に喰われる場面。数匹の妖魔にたかられて、叫び声をあげて生きながらに喰われる恐ろしい場面。

看護師たちが逃げ惑っている。そこいらで悲鳴が上がっている。

妖魔を従えて怪しい男が笑っている。スーツ姿。眼鏡をかけている。左手に鏡。右手に持っているのは……呪符?  男の持つ鏡から妖魔が次々に現れて、患者たちを襲っていく。
妖魔は、生きている者を、バリバリと頭から骨ごと食べていく。

魂の欠片は小さすぎて、そこで消えてしまった。

 黄は、白骨の記憶から解放されて、ため息をつく。
 白金は、もっとたくさんの魂を食べていた。これよりも、多くの物を観たのだろうか?

「白金様?」

黄が声を掛ければ、白金が微笑む。

「どこまで観たのかい?」

「ええと、鏡と後は呪符ですかね、それを持った男が、笑いながら妖魔を従えていました。後は、この病院にいたであろう人間達が、次々に襲われて喰い殺されていました。……生きている人間が頭から骨ごと食べられていましたが、この方は首を吊ったので、骨は残されたのでしょうかね。とても残酷で……」

 黄は、見た光景を伝える。
 恐ろしい光景だった。
 人々の悲鳴、助けを呼ぶ声、妖魔の人を喰う音……。

「うん。残酷だね。……妖魔は、骨は好まない。だけれども、生きている人間は、逃げちゃうから、骨を選別せずに先を争って食べた。この白骨の彼は、妖魔が来た時には、すでに死んでいたから。だから、ゆっくり食べた。残念ながら魂があの世に行く前に食べられてしまったから、こんな風に欠片が白骨にこびりついていたんだろうけれども」

 憐れむように、白金は白骨を撫でる。
 白骨に付いていた魂は、青白い光をほのかに放ち、白金に纏わりつく。白金は、それを残さずに食べてしまう。

「この九尾と共にあろうな」

 優しく白骨に白金が笑えば、白骨もまた笑った気がした。

 病院内に残っていた妖魔を全て管狐で食べつくして、白金は黄を連れて外に出る。

「あの怪しい男は何だったのでしょう?」
黄が聞けば、

「呪符を持っていただろ? あれは、妖魔避け。鏡は、雲外鏡うんがいきょうと言って、妖魔界と人間界をつないでしまう鏡。呪符で自分は襲われないようにして、病院の人を妖魔に襲わせたんだ。たぶん霊能力者? 超能力者? 陰陽師? 魔法使い……現代の呼び名は何だろう? そう言った類の人間。誰かに依頼されてか、恨みを持っていたか、病院内の誰かを病院の人間全員ごと殺してしまったんだよ」
と、白金が教えてくれる。

「いずれにせよ、もうずいぶん前の話で、この病院には男の痕跡はない。ここに居ても意味は無いよ。帰ろう」

白金は、そう言って、管狐に黄を乗せて、狐屋敷に帰って行った。
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