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渦巻く炎の中へ

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 炎は勢いを増している。
 この中から、播磨屋の主人を助け出す……。
 誰が出来るんだろうか?

「俺が行く」

 ザバッと桶の水と頭からかぶったのは辰吉だった。

「こんな火の中をおっさんを連れて無事に帰れる奴なんか他にいるかよ」
「じゃあ、あたしも行く!!」

 辰吉一人に危険なことをさせられない。
 しかも、これはお七達が清吉の潔白を証明しようとして、その先に起こった火事だ。
 見過ごせない。

「馬鹿言うなお七! テメェは……」

 軽くお七の頬に触れる辰吉の左手が、水で濡れているのに温かい。

「テメェは、俺の代わりにマトイを立ててくれ」

 マトイを? あたしが?

「え?」
「お七。お前なら出来る。あの地図を思い出せ。風の向きを忘れるな」

 呆然とするお七を置いて、辰吉は炎の中に入って行ってしまった。
 機敏な辰吉の背中はあっという間に見えなくなってしまった。

「お七! さっさと屋根登れ!! ちんたらするな!」

 親方の怒号。
 逆らうわけにはいかない。
 火を早く収めなければ、辰吉や播磨屋の主人だけではない。他の人も犠牲になる。

「あたし! 屋根に登る!」

 お七は、マトイを掴んで屋根に登る。
 重たいマトイだが、普段、鳶として高い所へ登り慣れているお七には、苦にならない。

 ――マトイを持って登る屋根の上。火は勢いよく江戸の町を踊る。
 
 次々と家を飲み込んで巻き上がる炎は、すぐそこに竜のように暴れている。  
 怖いという気持ちよりも、ドキドキと心の臓が高鳴る。

 あたしが、やらなきゃ、誰も助けられない。
 清吉を助けたい一心で穴のあくほど見た地図だ。地図で見た街の様子は、辰吉に言われなくても分かっている。

 お七はと組のマトイを立てる。

「お七! どうなっている! 早く指示しやがれ!」
「火は、呉服屋のところまで迫っています! ええっと、だから」
「落ち着け!」

 落ち着かないと。
 ずっしりと肩にのしかかるマトイの重みは、背負った命の重み。
 失敗するわけにはいかない。解体するのにかかる時間は……。

「二軒先の小物屋を潰して、竜吐水は、その一軒先に!」
「良い判断だ! オイ!」
「応!!」

 う吉が竜吐水を動かし、虎吉が鳶達を率いて建物を解体する。

「親方! そこから三軒、午の方向の建物を次に!」
「応よ!」

 大丈夫。なんとかなる!
 お七は、炎を見据える。
 マトイを持つ手は正直に言えば、先ほどからずっと震えている。
 指先がずっと冷たい。
 気を抜けば、きっとフラフラと倒れてしまう。
 だけれども、ここで踏ん張らなければ、今までの自分が全部嘘になる。

 先ほど辰吉の手が触れた頬の感覚が、お七を支えて正気を保ってくれている。
 
 火の粉が舞い、お七をマトイごと焼こうとしているようだが、お七は怯まない。

 ――何があってもあたしが、このマトイを守るんだ!

 お七は、高くマトイを振るった。
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