大江戸町火消し。マトイ娘は江戸の花

ねこ沢ふたよ

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宗悟の実験

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 それから数日後、宗悟の実験が奉行所の中庭で行われた。
 実際の現場で行いたいという宗悟の意見は、奉行に却下された。

「あんな込み入った場所で実験をすれば、下手をすればまた火事になる。安全に執り行うのが吉であろう」
「そんなことを言って、面白がって見てみたいだけでしょう? 奉行の腹なんて丸わかりです。知りませんよ、面白がっていらっしゃいますが、実験なんて成功するかどうか分からないんですから」
「はっはっは! 失敗したら、盛大に笑って後々まで揶揄ってやろう!!」
「そういう所ですよ。人望がイマイチないのは。全く……」

 和尚の囲碁仲間だという奉行は、宗悟とも元より知り合い。
 とは言うものの、宗悟がこんな風に奉行にポンポンと言い返す姿に、お七は驚く。

「ちょっと、宗悟! 相手はでもお奉行様なのよ! 切られちゃっても知らないから」

 侍には、「無礼である」の一言で切りつける権利があるとお七は聞いている。
 なんとも物騒な話だ。

「大丈夫だよ。人ですが、悪い人じゃないよ」
「なにやら絶妙に悪口を言っているようだが、宗悟よ、早く実験をいたせ」

 中庭に広げられた品々を見て、お七は眉をしかめる。

 風鈴、木片、枯葉、炭、そして馬糞の乾いた物。馬糞の中に、ほぐした縄が混ぜられている。

「馬糞?」
「そうさ。あそこは厠の傍だっただろう?」

 宗悟は枝に風鈴を結わえ付ける。
 風鈴は、チリンと可愛らしい音を立てて風に揺れ居ている。

 木や枯葉、炭を焚火をする時のように宗悟が積み上げる。
 中に馬糞を仕込んでいるのが奇妙だ。

「これで、火が点くっていうの?」
「そうだよ」

 こんな仕掛けで火が点くくらいなら、火付け石なんて必要無くなる。
 俄かには信じがたい。

「ねぇ。本当?」

 じっと見ていても、何も起こらない。
 風鈴から降りた光が、宗悟の作った焚火モドキを照らしているが、それだけ。
 実験は失敗だったのではないかと思えてくる。

「すぐ付いたら駄目なんだよ。この実験は、時間差で火が点く証明なんだ」
「ふうん」

 お七も祐もお鈴も、宗悟の言葉を信じでじっと待つ。

「これで時間差で火が点くことが証明されたら、清吉以外でも火付けができたって証明できるんだ」
「じゃあ、もし実験が失敗したら?」
「その時は……また、別の方法を探さないと、清吉しか火が点けられなかったってことを逆に証明しちゃうかも」

 それは困るのだ。
 また清吉がしょっ引かれるのは、勘弁してほしい。
 清吉が佐和と恋仲だったとしても、お七にとって憧れのマトイ持ちであることは、何も変わらないのだ。

 時は刻々と過ぎていく。
 出火の知らせがあったのは、何時であったか。
 あの時は、加代と一緒にと組の詰め所に居た。
 まだ、全くの見習いだったから、一生懸命に雑巾で廊下を磨いていた。
 宗悟に教えてもらった、米のとぎ汁を使う方法で廊下を磨き終わって……。

 あの時の時刻に近づいた時に、風鈴に照らされていた炭からフツフツと煙が上がり始める。
 その瞬間は、突然だった。

 ボウッと音を立てて炎が上がる。

「良かった!! 何とかなった!!」

 宗悟の口から安堵の言葉が漏れる。
 宗悟だって不安だったのだろう。

 目の前に燃えている火に、奉行も興味津々で目を丸くして見ている。

「こりゃ……一体、どういうことだ?」
「風鈴ですよ。風鈴が、お天道様の熱を一点に集めたんです」
「だとしも、今は冬よ? そんなに熱くはないわ」

 お鈴の言う通りだった。
 真夏ならともかく、この季節で火が点くほど熱くなるとは思えない。

「だから、熱を集めやすい黒い炭、それに枯葉とか木くずとか燃えやすい物を集めたんだよ」
「なるほど。でも馬糞は何だよ。あんなの要らないだろう?」
「あれは、絶対に必要なんだ。乾いたフンは、燃料になるんだ」

 知らなかった。
 あれが燃料?
 今度は、奉行以上にお七が目を丸くする。

「あれからは、目に見えない燃える物が出ているから燃えるんだ。文献に出ていた。遠くの国では、あれを燃料にしてかまどにくべるんだって」

 お七は、寺の人魂の話を思い出す。
 地面から燃えるものが出ていて、時々空気中で燃える。
 それが人魂となるのだと宗悟が言っていた。

 それと同じことが、目の前の馬糞で起こっているのだと思うと、お七には奇妙に思える。

「今作ったものは、急ごしらえの物だけれども、きっと本物の下手人は何度も実験を重ねて、もっと確実に火の出る装置を作ったに違いないんだ」
「なるほど……」

 しげしげと奉行が焚火を見ている。

「宗悟よ。これで、清吉以外にも火付けが可能だとは分かった」
「はい。あの場所だから、出来たことです」

 奉行の指示で水がかけられて火は消えたが、まだ白い煙が燃えカスから上がっていた。
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