大江戸町火消し。マトイ娘は江戸の花

ねこ沢ふたよ

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盤面を覆す一手

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 畳の間に並んでいるお七達の前で繰り広げられているのは、和尚と奉行の囲碁。

 静かな部屋でパチリパチリと碁石を打つ音が響く。

「すみませんが、お話を進めてはくださいませんか?」

 佐和がもっともな意見を述べる。

「まあそう急くな」
「そうだぞ。佐和。急いでもなんともならん」

 この非常事態に何をのんきなことを言っているのだろう。この大人たちは。
 お七も早く清吉の件を進めたくてイライラとしている。
 
「急がなくてもこれで終わりじゃ」

 パチリと和尚が置いた白い碁石。

「あ……こりゃ……」

 奉行の手が止まる。

「うーん……」

 奉行が考え込んで、事態はますます膠着する。

「早う降参いたせ」

 和尚が奉行を煽れば、ますます奉行が考え込んでしまう。
 じっと考え込んだまま、身動き一つしなくなってしまった。

「ちょっと! 早くしてよ! こっちとら、足のしびれをずっと我慢して座って待っているのよ!」

 お七が抗議するが、和尚も奉行も聞く耳を持ってはくれない。
 
「しょうがない大人たちだな。早くしてください」
「しかし、宗悟よ。良い手が見つからんのだ」
「良い手なぞ見つかるか。諦めの悪い。なあ、宗悟」

 宗悟が盤面を見て、「ふむ」と呟く。

「では、俺がその『良い手』とやらを見つけたら、話を進めて下さいね」
「生意気な。見つけられるものなら……」

 奉行が言い終わるよりも先に宗悟は、スッと奉行の手前から黒い碁石を一つ取って、パチリと、盤面に一つ。
 人差し指と中指で挟んだ碁石をおく。

「あ!!」
「なんと、まぁ……!!」

 たった一つの碁石を見て、奉行と和尚が目を丸くする。

「ほら、さっさと話し合いをいたしましょう」

 涼しい顔の宗悟が、いつもの地図を広げる。
 まだ、盤面を見て、奉行と和尚が唸っている。

「あきらめの悪い! こっちですって!!」

 促されて、しぶしぶ奉行も和尚も地図の前に座る。

 宗悟は、あらためて皆の前に座り直し、手をついて深々と奉行に頭を下げる。

「このたび、火付けの下手人として捕まった、い組町火消の清吉。その無実をお認めいただき、釈放していただけませんでしょうか?」

 宗悟の言葉に合わせて、お七達も同様に手をついて頭を下げる。

「しかしな。いかに親しい和尚と宗悟の頼みであっても、そう簡単に釈放する訳にはいかないんだ。良いか? もしそんなことがまかり通れば、江戸の町はめちゃくちゃになってしまう。白洲の裁きは、どこまでも公平であるべきなんだよ」
「ですが、奉行様!! あの人は、清吉さんは、そんな火付けをするような人ではありません!」

 佐和がたまらなくなって奉行に訴える。

「そんなことをする人ではないと思うような人が何故だか犯すものなのだよ。昨日まで乳をくれてやっていた母が赤子を殺め、虫も殺さぬと評判の男が知人に毒を盛る。そういう例をいくつも見てきた。犯罪とは、そういうものなのだよ。そう、この和尚だって、裏では人を殺してるかもしれん」

 例に挙げられて、和尚が人の良い笑みを浮かべたまま肩をすくめる。

「はい。ですが、証拠のない人物を捕えたままなのは、もっと良くないです」
「証拠はある。証人もいる」
「あんなデタラメな証人の言うことを信じるの?」

 お七は、瓦版をバンッと畳に叩きつける。

「こんなの出まかせに決まっている!! 奉行様、あんたの目は節穴なの?」
「そうよ! お七ちゃんの言う通りよ! こんなの、佐和姉を手に入れるための平八の策略でしょ!」
「え、策略? お鈴ちゃん、この証言は佐和姉を手に入れるための策略なの?」

 お七は目を丸くする。
 何かあるとは思っていたけれども、それは初耳だ。

「お七ちゃん。ごめん。話すのが遅くなって」

 お鈴は何を謝っているのだろう。お七はキョトンとする。

「ふむ。話してみよ」

 奉行に促されて、お鈴は、平八が佐和に付きまとっていたこと、それを清吉が助けてくれたこと、そして、先ほどの平八と佐和の会話。お鈴の知っている全てを洗いざらいに話して聞かせる。

「清吉さんと佐和姉が……」

 お鈴の話、お七には、衝撃だった。気が遠くなりそうだ……。頭がクラクラする。
 
「おい、大丈夫かよ!」
「あ、ああ、うん」

 祐に声を掛けられて、何とか正気を保つ。

 ……そう、駄目だ。今はそれよりも、清吉さんを助けなきゃ!

 お七は、深く息をして、気持ちを整える。
 お鈴に言いたいことも、もっと詳しく話して欲しいこともある。だが、今はそんな場合ではない。
 まずは結束して、清吉の無実を証明しなければ、話にならない。

「なるほどな。その話を聞く限り、確かに策略なのではないかと思えてくるが……だが、清吉を現場で見たという証言は、瓦版の効果か、集まってきている。あの日、あの場所で、清吉が存在したのは、間違いないだろう」

 それは、お七だって知っている。
 辰吉が清吉を見たと言っていたのだ。
 しかも、すでに火の手が上がった後、火消しの作業の間にだ。

「でも、それは、そこに居たってだけで、火付けをした証拠にはならないでしょう!」

 お七は言い返す。

「だが、火付けをしてないという証拠もない」
「清吉は何て言っているんだよ」

 佑か聞く。
 
「やっていないと」
「じゃあどうして? どうしてあそこにいたのよ?」
「呼び出されたと言っていた」
「誰によ?」
「材木問屋の番頭だ」

 お七の頭の中に人の良さそうな番頭の顔が浮かぶ。

「え、まさか……番頭さんが?」
「ああ。だが、番頭の姿をあの時間にあそこで見た奴は誰もいない」

 目撃者は皆、清吉しか見ていないのだそうだ。
 
「だから、清吉の証言は裏付けが取れないんだ」

 お七は目の前が真っ暗になったような気がした。
 このままでは、本当に清吉が下手人にされてしまう。

「でも、この平八の証言には、明らかな矛盾がありますよね」

 ジッと瓦版と地図を見比べていた宗悟が口を開いた。
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