大江戸町火消し。マトイ娘は江戸の花

ねこ沢ふたよ

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お鈴の悩み

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 寺にお鈴が一人で手伝いに来た。
 手伝いに来てくれるのは、宗悟としては有り難かったが、どうやら悩みを抱えているらしい。

「お鈴、芋がぐちゃぐちゃになる!!」
「だって、宗悟、どうしよう」

 お鈴が過剰にグルグルとかき回す鍋の中では、芋が悲鳴を上げてそうだ。

「どうしようもないだろう? 佐和と清吉、似合いじゃないか」

 評判の美女と、い組のマトイ持ち。誰も文句言える訳がない組み合わせだ。

「でも、お七ちゃん……お七ちゃん、きっとショックを受ける」
「だろうな。あれだけ清吉を崇拝しているんだ」
「ねえ、どっちを応援したら良いと思う? やっぱり、先に清吉を好きになっただろうお七ちゃんだよね? お七ちゃんが清吉に憧れているのに、清吉と逢引きしている佐和姉が駄目だよね?」

 たった一人の家族。
 たった一人の姉である佐和が恋をしているならば、応援してやりたい。でも、幼馴染の親友であるお七を裏切るなんてことは、お鈴にはできない。
 ならば、正しく思える方を応援しよう……そう思うのだが、どうだろう?

 お鈴は、物知りの宗悟ならば、何か『答え』を持っていそうだと思って相談しに来たのだ。
 佐和の行動を『駄目』なことだと言うお鈴の言葉に、宗悟はフンッと鼻を鳴らす。

「駄目? あのなぁ、恋愛に先も後もないだろう? 互いに好きかどうか、それが大事なんだよ。そりゃ、もし、清吉とお七が夫婦や恋仲だったとしたら、佐和と会っていたなら裏切りだ。だが、お七は単に清吉に憧れていただけだろう? そんなの、別にお七に憚る必要はないだろう?」

 正論だ。
 お鈴の言う通りに先に清吉に憧れていた者に優先権があると言えば、清吉のような人気者と付き合うためには、江戸中の女に頭を下げに行かなくてはなるまい。

「まあ……そうよね。でも、まだ逢引きって、決まった訳でもないんだけれど」

 お鈴がチラリと稲荷様の前の道で二人で話している姿を見ただけだ。
 勇気がなくて、まだ確認なんて出来てやしない。

「お鈴が逢引きっていったんだろう?」
「そうかもしれないって思って」
「じゃあ、それをまず確かめろよ」
「え……無理」

 朝から、こんな会話の繰り返しだった。
 寺の和尚のところには、さまざまな揉め事が持ち込まれる。
 殺生沙汰だの盗人だの、そんな物騒なものは当然裁判所に持ち込まれるのだが、日常に起こる裁判所に持ち込むほどではない程度の揉め事は、和尚に聞いてもらって良し悪しを判別してもらおうと、寺に持ち込まれるのだ。

 宗悟も、その揉め事を傍で聞いているから、同じ年頃の子どもよりも多少の目端は利くが、まさか、幼馴染達の蓮頼事情の相談まで持ち込まれるとは思わなかった。

「お鈴? お鈴はどうしたいの?」

 宗悟に聞かれて、お鈴は迷う。
 私はどうしたいの? お七ちゃんと佐和姉、どちらもとっても大事だ。できれば、この先も円満に二人と仲良くして生きたい。どちらも裏切りたくない。どちらも傷つくのは嫌だ。

「誰も傷ついて欲しくないし、誰も傷つけたくない」
「まあ……気持ちは分かるが……こういう恋愛事は、どうしようもねぇんだ」
「どうしようもない?」
「そう、ある日突然、ストンと穴に落っこちるみたいに突然はまって抜け出せなくなる」
「突然……抜け出せなくなる?」

 お鈴には、ピンとこない。
 でも、似たようなことをお七が言っていたような気がする。

「なんだか、夢を見つけたときと似ているのね」

 そう、お七は、夢を見つけた時の表現として、似たようなことを言っていたのだ。
 それも、これといった将来なんてまだ少しも思ったことがないお鈴には、よく分からなかったが、恋も結局夢と一緒なのだろうか。突然、ストンと落ちて、どうしようもなくなる……。

「夢、そうだな。恋愛なんて、夢みたいなものかな。どうしようもなくって、追いかけても頑張っても、報われるかどうかなんて訳わかんなくって」

 お鈴よりも年下の宗悟が、ずいぶん偉そうに夢と恋愛を語る。

「ねえ、宗悟」
「なんだよ。まだ何かあるのかよ。あ~あ、芋がぐちゃぐちゃだよ」

 お鈴からお玉を取り上げて嘆く。

「ずいぶん詳しいけれども、それって……ひょっとして、宗悟、誰か好いた人がいるとか……」
「えッ! わっ!!」

 真っ赤な顔をして、宗悟が慌てる。
 
「そうなの? 何? 誰?」
「う、うるさい……言えるわけないだろッ」

 宗悟の手元では、お鈴の時よりもさらに高速でお玉が回転していた。

 ◇ ◇ ◇

 お鈴の帰った後、座敷に和尚の分の煮物を運ぶ。
 本日、炊き出しに振舞われたのがずいぶんと芋が煮崩れた煮物だったことに和尚は首を傾げた。

「宗悟、珍しいな……」

 どろっと崩れた芋を掴みながら、和尚が笑う。

「申し訳ありません。ちょっと、料理に集中できませんでした」
「ふむ……」

 和尚は微笑む。
 宗悟は、和尚に、諭されたことはあっても、これといって叱られたことがない。
 まあ、そういう時もあるわな。
 和尚は、深くは追求せずに、今日も和やかな微笑みを浮かべてそう言った。

「宗悟、火付けの犯人を捜しているとか聞いたが?」

 和尚は煮物を食べながら宗悟に問う。
 和尚は聞いたのだろう。
 炊き出しの時に、焼き出された被害者たちに、不審な者は見かけなかったかと聞きまわっている、と。
 
 この間の火事は、付け火によるものだった。
 ひと気のないゴミ捨て場で、誰かが火をつけた。
 その悪意ある火が大きくなって、あんな風に何軒もの家を焼いたのだ。

「はい。探しております」

 付け火と聞いて、宗悟は、居ても立っても居られなくなった。
 一人の気まぐれな行為で、どれほど多くの人が不幸になるか。
 普段、炊き出しに走り回っている宗悟には、痛いほどわかる。
 必ず見つけ出してとっちめてやらねば。
 そう、心に決めたのだ。

「宗悟の気持ちは分かる。火付けは重罪じゃ。ほんの小さな火が、あっという間に大きくなって、何人もの命を奪う。多くを不幸にする憎むべき行為じゃ」

 箸で器用に和尚は、柔らかすぎる芋を掴んで口に放り込む。

「しかし、ちと危険ではないかな?」
「承知の上でございます」

 じっと、和尚の視線が宗悟と貫く。
 鋭い視線。
 和尚は、普段柔和に勤めてはいるが、時々、驚くほどに厳しい目をしている。

「必ず、儂に相談して動いてくれるか? それだけは約束してくれ」

 和尚の言葉に、宗悟は、「はい」と、一言、返事を返した。
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