大江戸町火消し。マトイ娘は江戸の花

ねこ沢ふたよ

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初出勤

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 長屋の朝は、やはりお七とお父の喧嘩から始まるようだ。

 ついにお七の町火消入りが決まって、もうあの喧嘩の声も聞かれなくなるかと思っていたのに、本日もつつがなくお父の怒鳴り声が長屋に響く。

「てめぇ!! お七! なんだってそんな恰好でうろつきやがる! 年頃の娘っていうものはだな……」
「年頃もへったくれもねぇだろう! こっちとら、屋根の上を歩き回るんだ」

 争う内容は、どうやらお七の出で立ちにあるようだ。
 どんな格好かは、声だけでは分からないが、お父は、気に喰わないらしい。 

「あの親父も懲りないねぇ」
「本当にそうだよ。そんなのお七の好きにさせる以外にないのに」

 大根を洗いながらおばちゃん達はケラケラと笑う。

「とにかく行ってくるから!」
「あ、こら待て!!」

 玄関の戸口が開いて、お七が出てくる。
 あんなに揉めるなんて、どんな出で立ちなのだろうとお七に、長屋おばちゃん連中は注目する。

「あ、あんたそれ……」
「すごいでしょう! と組の女将さんにお古を分けてもらったの」

 おばちゃん達の前で、と組の女将に古着をもらって、浮世絵にあるような地下足袋の鳶の風体で、クルリとお七が得意げに回る。

「まあ、屋根の上歩き回るんだしね」
「そうよね……。普通の着物じゃあ、怪我しちゃう」

 男物の着物、地下足袋、法被、ねじり鉢巻き……。
 最初はびっくりしたが、見慣れてくればお七らしくて可愛らしい。

「いいんじゃない? まあ、年頃の娘ってことで、お父はぎゃあぎゃあ騒いでるんだろうけれども」
「そうよね。本人がそれが良いっていう物にケチをつけたって仕方ないわよ」

 おばちゃん達は、そう言ってお七を認めてくれた。
 
「お七!! 待ちやがれ!!」
「あ、ヤバイ。お父が追いかけてくる!」

 お父の声を聞いて、お七は慌てて長屋を飛び出して行った。
 
 ◇ ◇ ◇


 と組の入り口には、う吉が立っていた。

「またう吉さん……。う吉さん、あんた暇なの?」
「なんだ、お七! 先輩に挨拶もなしに」
「ああ、ゴメンなさい。 おはようございます」

 う吉とは、あれからずいぶん馴染んできたから、つい先輩という事を忘れてしまう。
 話してみれば、優しい気質の良い奴のう吉。
 女将の加代からは、う吉が指導係になるから、付いて色々と教えてもらうように言われている。

「お七、よく似合っているじゃあねえか」

 う吉が、お七の鳶姿を褒めてくれる。

「ありがとうございます」
「いいよ、敬語は。今更お前に敬語を使われても、なんだがしっくり来ねえ」
「ありがとう」
「で、お七。早速仕事だ」
「へい!!」

 ワクワクするお七に、う吉がすっと箒を渡す。

「ほうき? 鳶口とかじゃなくって?」

 鳶口とは、鳶や町火消の仕事の時に使う道具で、一メートル三十センチくらいの長さの先端に、鳥のくちばしのような形の刃物が付いている。
 これで引っかけて、建物を解体したりする、欠かせない道具だ。

「馬鹿野郎。今日入ったばかりの新人に、大切な商売道具を渡すかよ! まずは、この屋敷前の表通りを箒で掃く。それが終わったら、屋敷の廊下をお七が全部雑巾がけするんだ」
「ええっ! この屋敷、こんなに広いのに?」
「嫌だったら、いつだって尻尾巻いて帰って良いんだぜ?」

 『尻尾巻いて』なんて言われたら、負けん気の強いお七は、カチンとくる。

「わかったわよ!! やれば良いんでしょ!!」

 お七は腕まくりする。
 どうやら、町火消の一員には成れたものの、『一人前』になるには、まだまだ道のりは遠いようだった。


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