9 / 53
初出勤
しおりを挟む
長屋の朝は、やはりお七とお父の喧嘩から始まるようだ。
ついにお七の町火消入りが決まって、もうあの喧嘩の声も聞かれなくなるかと思っていたのに、本日もつつがなくお父の怒鳴り声が長屋に響く。
「てめぇ!! お七! なんだってそんな恰好でうろつきやがる! 年頃の娘っていうものはだな……」
「年頃もへったくれもねぇだろう! こっちとら、屋根の上を歩き回るんだ」
争う内容は、どうやらお七の出で立ちにあるようだ。
どんな格好かは、声だけでは分からないが、お父は、気に喰わないらしい。
「あの親父も懲りないねぇ」
「本当にそうだよ。そんなのお七の好きにさせる以外にないのに」
大根を洗いながらおばちゃん達はケラケラと笑う。
「とにかく行ってくるから!」
「あ、こら待て!!」
玄関の戸口が開いて、お七が出てくる。
あんなに揉めるなんて、どんな出で立ちなのだろうとお七に、長屋おばちゃん連中は注目する。
「あ、あんたそれ……」
「すごいでしょう! と組の女将さんにお古を分けてもらったの」
おばちゃん達の前で、と組の女将に古着をもらって、浮世絵にあるような地下足袋の鳶の風体で、クルリとお七が得意げに回る。
「まあ、屋根の上歩き回るんだしね」
「そうよね……。普通の着物じゃあ、怪我しちゃう」
男物の着物、地下足袋、法被、ねじり鉢巻き……。
最初はびっくりしたが、見慣れてくればお七らしくて可愛らしい。
「いいんじゃない? まあ、年頃の娘ってことで、お父はぎゃあぎゃあ騒いでるんだろうけれども」
「そうよね。本人がそれが良いっていう物にケチをつけたって仕方ないわよ」
おばちゃん達は、そう言ってお七を認めてくれた。
「お七!! 待ちやがれ!!」
「あ、ヤバイ。お父が追いかけてくる!」
お父の声を聞いて、お七は慌てて長屋を飛び出して行った。
◇ ◇ ◇
と組の入り口には、う吉が立っていた。
「またう吉さん……。う吉さん、あんた暇なの?」
「なんだ、お七! 先輩に挨拶もなしに」
「ああ、ゴメンなさい。 おはようございます」
う吉とは、あれからずいぶん馴染んできたから、つい先輩という事を忘れてしまう。
話してみれば、優しい気質の良い奴のう吉。
女将の加代からは、う吉が指導係になるから、付いて色々と教えてもらうように言われている。
「お七、よく似合っているじゃあねえか」
う吉が、お七の鳶姿を褒めてくれる。
「ありがとうございます」
「いいよ、敬語は。今更お前に敬語を使われても、なんだがしっくり来ねえ」
「ありがとう」
「で、お七。早速仕事だ」
「へい!!」
ワクワクするお七に、う吉がすっと箒を渡す。
「ほうき? 鳶口とかじゃなくって?」
鳶口とは、鳶や町火消の仕事の時に使う道具で、一メートル三十センチくらいの長さの先端に、鳥のくちばしのような形の刃物が付いている。
これで引っかけて、建物を解体したりする、欠かせない道具だ。
「馬鹿野郎。今日入ったばかりの新人に、大切な商売道具を渡すかよ! まずは、この屋敷前の表通りを箒で掃く。それが終わったら、屋敷の廊下をお七が全部雑巾がけするんだ」
「ええっ! この屋敷、こんなに広いのに?」
「嫌だったら、いつだって尻尾巻いて帰って良いんだぜ?」
『尻尾巻いて』なんて言われたら、負けん気の強いお七は、カチンとくる。
「わかったわよ!! やれば良いんでしょ!!」
お七は腕まくりする。
どうやら、町火消の一員には成れたものの、『一人前』になるには、まだまだ道のりは遠いようだった。
ついにお七の町火消入りが決まって、もうあの喧嘩の声も聞かれなくなるかと思っていたのに、本日もつつがなくお父の怒鳴り声が長屋に響く。
「てめぇ!! お七! なんだってそんな恰好でうろつきやがる! 年頃の娘っていうものはだな……」
「年頃もへったくれもねぇだろう! こっちとら、屋根の上を歩き回るんだ」
争う内容は、どうやらお七の出で立ちにあるようだ。
どんな格好かは、声だけでは分からないが、お父は、気に喰わないらしい。
「あの親父も懲りないねぇ」
「本当にそうだよ。そんなのお七の好きにさせる以外にないのに」
大根を洗いながらおばちゃん達はケラケラと笑う。
「とにかく行ってくるから!」
「あ、こら待て!!」
玄関の戸口が開いて、お七が出てくる。
あんなに揉めるなんて、どんな出で立ちなのだろうとお七に、長屋おばちゃん連中は注目する。
「あ、あんたそれ……」
「すごいでしょう! と組の女将さんにお古を分けてもらったの」
おばちゃん達の前で、と組の女将に古着をもらって、浮世絵にあるような地下足袋の鳶の風体で、クルリとお七が得意げに回る。
「まあ、屋根の上歩き回るんだしね」
「そうよね……。普通の着物じゃあ、怪我しちゃう」
男物の着物、地下足袋、法被、ねじり鉢巻き……。
最初はびっくりしたが、見慣れてくればお七らしくて可愛らしい。
「いいんじゃない? まあ、年頃の娘ってことで、お父はぎゃあぎゃあ騒いでるんだろうけれども」
「そうよね。本人がそれが良いっていう物にケチをつけたって仕方ないわよ」
おばちゃん達は、そう言ってお七を認めてくれた。
「お七!! 待ちやがれ!!」
「あ、ヤバイ。お父が追いかけてくる!」
お父の声を聞いて、お七は慌てて長屋を飛び出して行った。
◇ ◇ ◇
と組の入り口には、う吉が立っていた。
「またう吉さん……。う吉さん、あんた暇なの?」
「なんだ、お七! 先輩に挨拶もなしに」
「ああ、ゴメンなさい。 おはようございます」
う吉とは、あれからずいぶん馴染んできたから、つい先輩という事を忘れてしまう。
話してみれば、優しい気質の良い奴のう吉。
女将の加代からは、う吉が指導係になるから、付いて色々と教えてもらうように言われている。
「お七、よく似合っているじゃあねえか」
う吉が、お七の鳶姿を褒めてくれる。
「ありがとうございます」
「いいよ、敬語は。今更お前に敬語を使われても、なんだがしっくり来ねえ」
「ありがとう」
「で、お七。早速仕事だ」
「へい!!」
ワクワクするお七に、う吉がすっと箒を渡す。
「ほうき? 鳶口とかじゃなくって?」
鳶口とは、鳶や町火消の仕事の時に使う道具で、一メートル三十センチくらいの長さの先端に、鳥のくちばしのような形の刃物が付いている。
これで引っかけて、建物を解体したりする、欠かせない道具だ。
「馬鹿野郎。今日入ったばかりの新人に、大切な商売道具を渡すかよ! まずは、この屋敷前の表通りを箒で掃く。それが終わったら、屋敷の廊下をお七が全部雑巾がけするんだ」
「ええっ! この屋敷、こんなに広いのに?」
「嫌だったら、いつだって尻尾巻いて帰って良いんだぜ?」
『尻尾巻いて』なんて言われたら、負けん気の強いお七は、カチンとくる。
「わかったわよ!! やれば良いんでしょ!!」
お七は腕まくりする。
どうやら、町火消の一員には成れたものの、『一人前』になるには、まだまだ道のりは遠いようだった。
34
お気に入りに追加
28
あなたにおすすめの小説
東へ征(ゆ)け ―神武東征記ー
長髄彦ファン
歴史・時代
日向の皇子・磐余彦(のちの神武天皇)は、出雲王の長髄彦からもらった弓矢を武器に人喰い熊の黒鬼を倒す。磐余彦は三人の兄と仲間とともに東の国ヤマトを目指して出航するが、上陸した河内で待ち構えていたのは、ヤマトの将軍となった長髄彦だった。激しい戦闘の末に長兄を喪い、熊野灘では嵐に遭遇して二人の兄も喪う。その後数々の苦難を乗り越え、ヤマト進撃を目前にした磐余彦は長髄彦と対面するが――。
『日本書紀』&『古事記』をベースにして日本の建国物語を紡ぎました。
※この作品はNOVEL DAYSとnoteでバージョン違いを公開しています。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
辻のあやかし斬り夜四郎 呪われ侍事件帖
井田いづ
歴史・時代
旧題:夜珠あやかし手帖 ろくろくび
あなたのことを、首を長くしてお待ちしておりましたのに──。
+++
今も昔も世間には妖怪譚がありふれているように、この辻にもまた不思議な噂が立っていた。曰く、そこには辻斬りの妖がいるのだと──。
団子屋の娘たまはうっかり辻斬り現場を見てしまった晩から、おかしな事件に巻き込まれていく。
町娘たまと妖斬り夜四郎の妖退治譚、ここに開幕!
(二作目→ https://www.alphapolis.co.jp/novel/284186508/398634218)

夢占
水無月麻葉
歴史・時代
時は平安時代の終わり。
伊豆国の小豪族の家に生まれた四歳の夜叉王姫は、高熱に浮かされて、無数の人間の顔が蠢く闇の中、家族みんなが黄金の龍の背中に乗ってどこかへ向かう不思議な夢を見た。
目が覚めて、夢の話をすると、父は吉夢だと喜び、江ノ島神社に行って夢解きをした。
夢解きの内容は、夜叉王の一族が「七代に渡り権力を握り、国を動かす」というものだった。
父は、夜叉王の吉夢にちなんで新しい家紋を「三鱗」とし、家中の者に披露した。
ほどなくして、夜叉王の家族は、夢解きのとおり、鎌倉時代に向けて、歴史の表舞台へと駆け上がる。
夜叉王自身は若くして、政略結婚により武蔵国の大豪族に嫁ぐことになったが、思わぬ幸せをそこで手に入れる。
しかし、運命の奔流は容赦なく彼女をのみこんでゆくのだった。
かくまい重蔵 《第1巻》
麦畑 錬
歴史・時代
時は江戸。
寺社奉行の下っ端同心・勝之進(かつのしん)は、町方同心の死体を発見したのをきっかけに、同心の娘・お鈴(りん)と、その一族から仇の濡れ衣を着せられる。
命の危機となった勝之進が頼ったのは、人をかくまう『かくまい稼業』を生業とする御家人・重蔵(じゅうぞう)である。
ところがこの重蔵という男、腕はめっぽう立つが、外に出ることを異常に恐れる奇妙な一面のある男だった。
事件の謎を追うにつれ、明らかになる重蔵の過去と、ふたりの前に立ちはだかる浪人・頭次(とうじ)との忌まわしき確執が明らかになる。
やがて、ひとつの事件をきっかけに、重蔵を取り巻く人々の秘密が繋がってゆくのだった。
強くも弱い侍が織りなす長編江戸活劇。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
居候同心
紫紺
歴史・時代
臨時廻り同心風見壮真は実家の離れで訳あって居候中。
本日も頭の上がらない、母屋の主、筆頭与力である父親から呼び出された。
実は腕も立ち有能な同心である壮真は、通常の臨時とは違い、重要な案件を上からの密命で動く任務に就いている。
この日もまた、父親からもたらされた案件に、情報屋兼相棒の翔一郎と解決に乗り出した。
※完結しました。
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる