大江戸町火消し。マトイ娘は江戸の花

ねこ沢ふたよ

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と組の親方

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 お七の暮らしている長屋とは比べものにならない広い屋敷。
 三和土たたきを上がってから、廊下を加代の後をついて、お七はキョロキョロしながらついていく。

「どうしたんだい?」
「すごく広くって」

 お七の素直な感想に、加代はクスリと笑う。

「そりゃそうさ。ここに何人出入りしていると思っているんだい」

 ここは、町火消の詰め所でもあるのだから、と組に属する火消し達が皆出入りする。
 と組のマトイだって、消火に使う龍吐水だって、鳶口とびくちのような道具だって保管している。
 確かにこれだけの広さは必要なのだろう。

「何かあった時には、ここで皆で飯だって喰うしね」

 さらりと加代は言ってのけるが、それは大変に手間のかかるものなのではないだろうか。
 う吉が女将である加代に頭が上がらないのも、無理はない。

「名前……」
「え?」
「あたしの名前、加代さんが知っていたの」
「ああ。そりゃ知っているさ。この屋敷で起きたことは、全部私の耳に入ってくる」

 加代がそう言って耳をポンポンと軽く叩き「こういうのを地獄耳っていうんだよ」って、軽口をたたく。
 
「お七が、と組に入りたいって訪ねてきた時に、う吉が追い返してしまったんだろう? その後で、う吉から聞いたんだよ。町火消になりたいなんて変な女の子が来たって」
「変って!! こっちは必死なのに!」

 カラカラと笑う加代に、お七はむくれる。

「ごめんごめん。さあ、座敷に家の人が待っているからね」

 障子の前で加代が歩みを止める。
 
「あんた、お七が来たよ」

 加代の呼びかけに「おう! 入りな!」という男の声が障子の向こうから返ってくる。
 お七は、緊張する。
 ここで、やっぱり親方が気に入ってくれなかったらどうしよう。
 せっかく町火消になれる千載一遇の機会がきたというのに、親方の一言で吹き飛んでしまう。

「大丈夫だよ」

 ポンッと加代が肩を叩いて励ましてくれる。

「お七です。入ります」

 意を決して障子を開ければ、そこには、キセルを吹かしながら男が座っていた。

 これが、と組の親方……。
 思っていたよりも若い。
 いや、加代の歳を考えれば、それくらいで当たり前なのだが、お七は、『親方』という言葉の響きから、もっと年上……そう、自分のお父と同じくらいの年頃かと想像していた。

「ほら、挨拶!!」
「あ、はい! お七です。親方さん、よろしくお願いします!!」

 お七は、加代に促されて慌てて頭を下げる。

「うん。良いからお入りよ。そこに座りなよ」

 親方に言われて、座敷の畳にお七は腰を下ろす。
 加代がお七の隣に座ってくれたのは、心強い。

「なんだ、加代。ずいぶんお七に肩入れしているんだな」

 加代がお七の隣に座ったのを見て、親方が笑う。

「そりゃそうさ。お前さんよりよっぽどお七の方が可愛いじゃないか」

 加代の言葉に「違えねぇ!!」と、親方が笑う。

「ずいぶんと肝の据わった娘なんだってな」
「ああ、あの味噌屋のデカ物相手に啖呵切りやがってさ」
「加代、良いから。お七に話させろ」

 加代は親方に言われてお七を見る。

「は、はい! その有り難うございます」
「だが、お七。町火消になりたいって言ってもな……」
「駄目ですか?」
「町火消ってのは、な。火事が起きない時は、何しているかは知っているな?」
「はい。鳶の仕事をしています」

 町火消は、火消の仕事だけをしていれば良いのではない。
 普段は、鳶の仕事をして、大工と一緒に建物を建てたり、屋根の補修したり、要らなくなった建物を解体したりと忙しく働いている。

 とび職の者が町火消と兼任しているのは、身軽で屋根の上を飛び回る技量があるだけでなく、建物の構造にも詳しく、火事の時にいち早く周囲の建物を壊して延焼を防ぐことが出来るからだ。

「そうだ。そして、鳶の仕事には、どうしても体力も力もいる」
「はい! 頑張ります!」
「頑張ったところで、女のお七では、限度があるだろう? 前例がない」
「そんなのっ! 分からないじゃありませんか。だって、前例がないんですから!!」

 お七に言い返されて、親方が目を丸くする。

「男にだって、体力がない奴はいるんですから、女にだって、体力がある奴がいるかもしれないじゃないですか」

 真っ直ぐな眼で、お七は親方を見る。
 親方は、キセルを燻らせて、じっと考え込んでいる。
 どのくらい経っただろうか。
 静まり返った座敷に、庭先て歌うヒヨドリの声だけが響いている。

「ふうん。良い度胸だ」

 親方は、キセルをポンと煙草盆で叩く。
 キセルの中の火は、煙草盆に静かに落ちてそのまま消える。

 不思議な物だ。お七は思う。
 人は、火を扱わなければ、煮炊きも出来ないし、夜目も効かない。身の回りにある物は、火を操って作られた道具を使って作られている。
 火がなければ、生きてはいけない。

 だが、一度その扱い方を誤ったり、悪用したりすれば、あっという間に何人もの人の命が奪われてしまうのだ。
 煙草盆の中でこんなに大人しくしている火が、お七の母の命も奪ったのだ。

「まあ、試してみるか」

 親方の口から、ポツリと漏れた一言。
 それが、ようやくお七を町火消にしてくれたのだ。
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