となりのロリコン

ハレるや!

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一章

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 セミの鳴き声が響きわたる八月の午前十時、木々が生い茂る林のでこぼこ道を抜けながらガシャガシャと音を鳴らして三輪トラックが走る。荷台にはそう多くない荷物が積んであり、空いたスペースに男の子と一回り小さい女の子が揺れに突き上げられながら乗っていた。男の子は大人しく運転席側に背をもたれて遠くを眺めている。女の子は柵に乗りかかって、横へ横へと流れる景色を顔で追っていた。やがて三輪トラックは開けたあぜ道へと出る。空は透きとおった晴天で、雲さえまぶしかった。
「もうすぐだぞお」運転席から子供たちの父親が話しかける。寝ぐせがついた髪に無精ひげを生やしているが、顔は中性的でとても整っている。
「ほんと⁉うわっ!」
 父の声にすぐさま反応した女の子は、大きく揺られて危うく柵から飛び出しそうになった。その声を聞いた父は一瞬窓から後ろをのぞいて「大丈夫かい」と女の子が落ちてないのを確認してからまた前を向いた。
 荷台でバテそうにしてる男の子が不機嫌な口を開く。「大人しくしてろミナヅキ。さっきから危なっかしくてしょうがない」ミナヅキと呼ばれた女の子は返事をすることなく、むっと顔を歪ませてからあお向けに体を放り出した。
 男の子はミナヅキの兄で名前はジュン。中学二年生。細身の体に紫外線にすぐ負けてしまいそうな白い肌、顔は父親に似て凛と整っていて薄い唇はキツく結ばれている。髪は肩にかかるくらいの長さの黒髪で、後ろを宝石で装飾された髪留めで結んでいる。髪型と中性的な顔のおかげで、一見男女の区別がつかない。妹のミナヅキは小学五年生。その歳にしては小柄な体でミナヅキ以上に細く、風が吹けば飛んでしまうくらい軽そうに見える。ビー玉のような丸い眼に人形のようなまつ毛が並んでいる。唇は桜のような淡いピンク色。髪はビスケットのような淡い茶色で、背中を隠すくらいのロングヘアー。眉にかかった前髪が風にさらさらとなびいている。左手首にはジュンと全く同じ髪留めが巻かれていた。
 彼らは父と三人で都会から引っ越しをしている最中だった。辺りは広々とした田舎で、引っ越し先の村に入っていくにつれ田んぼにチラホラと人が見え始める。都会と比べて土や草花の匂いがするので、よりいっそう真夏を感じられた。やがて引っ越し先の家が見えてくる。家の前には女の子が一人立っていて、ジュンと同じぐらいの歳の子だ。女の子は近づいてくる三輪トラックに気がついた。
「あ、来た。おばあちゃん!来たよー!」
 家の中から腰の曲がったお婆さんがゆっくり出てくる。ミナヅキ達の母方の祖母であり、三人は祖母の家に引っ越しに来たのだった。
 家の前に停車してからまず父親が挨拶に出ていった。「やあやあどうもこんにちは。お元気でしたかお義母さん」
「いやいやこんにちは元気ですとも。遠いところからご苦労さん。暑かったでしょう、早くこちらで涼みなさい」
「ではお言葉に甘えて。そちらのお嬢さんは?」
 祖母の隣にいた女の子が元気よく頭を下げて挨拶をする。「こんにちは。おばあちゃんの隣に住んでるカンナと言います。今日は引っ越しのお手伝いに来ました」
 カンナは健康的に焼けた肌に赤毛でくせ毛のショートヘアー。尻上がりの眉毛にキュッと口角が上がっている活発そうな女の子だ。
「そうか、わざわざありがとうね。おーいジュン、ミナヅキ、お前たちも挨拶しなさい」
 ジュンとミナヅキは荷台から降りて静かに挨拶をする。
「ジュンです。よろしくお願いします」
「ミナヅキです」
「よろしく!えっと、ジュンちゃんと、ミナヅキちゃんね。びっくりした、都会の姉妹ってこんなキレイなんだね」
「ははっジュンは男の子だよ」
「えっ、そうなの!ごめんなさい、『ちゃん』付けは嫌だったよね」
「別になんでもいいよ」ジュンは興味なさげに家の中に入っていく。
「無愛想だけど気にしないで。よしっ、それじゃあ休憩したら作業しちゃいましょう!」
 一同は家の中へ入っていった。



「よしっ、こんなもんかな。そんなに多くない荷物だったからすぐだったね。みんなありがとう」
 昼頃には引っ越しは終わった。事前にカンナと祖母が部屋の掃除をしていたので、作業は荷物を運び入れるだけだった。祖母がそうめんを茹でたので茶の間に集まって皆で食べる。外の熱気とそうめんの冷たさ、激しさを増すセミの声がこれからの田舎暮らしをほうふつさせる。そうめんをすすりながらカンナが兄妹へ話しかけた。
「いいとこでしょ、でも村に子供は私しかいなかったの。寂しかったんだ。あなたたちが来てくれて嬉しい」
「ミナヅキは誰もいない方がいい」
 反応に困るカンナに父があわてて補足する。「いやあ、ミナヅキは前の学校でいじめられててさ。だから思いきってこっちに引っ越してみたんだ」
「そうだったんだ…。安心して、もしそんな奴がいたらお姉ちゃんがひっぱたいてあげるから、ここでは何も心配しなくていいよ」
「お姉ちゃん…」
「うんっ、私はミナヅキちゃんのお姉ちゃん。困ったことがあったらなんでも言うんだよ」カンナは胸を叩きながらミナヅキをまっすぐ見つめる。ここに来て初めてミナヅキの顔が明るくなった。「そうだ、せっかくだしこれから遊びに行こうよ。色んな場所教えてあげる」
「うん!行く!」
「まだ自分の部屋の整理が終わってないだろミナヅキ。それに遊んでる暇があるなら勉強しろ。お前はバカだからナメられるんだ」
「ミナヅキバカじゃないもん!」
 ジュンが厳しい口を挟む。そうめんはもう食べ終わっていた。カンナは余計なお世話をしてしまったかと少し気が引けていた。
「いいじゃないかジュン、せっかく案内してくれるんだから。ミナヅキのおもりのためにもさ、ついて行ってくれないか」
「えー、お兄ちゃんも行くの」
 父に説得されたジュンはため息だけ吐いて渋々ついていった。



 カンナに連れられながらジュンとミナヅキの三人は村のいたるところをまわった。魚のいる川、カブトムシのいる林、トウモロコシ畑、地蔵、洞窟、見晴らしのいい丘、花を摘んだり、草笛を吹いたり、広い世界と姉を同時に手に入れたミナヅキは、新しい土地をたんのうして本来の明るさを取り戻していくようだった。
 遊ぶのに夢中だったカンナとミナヅキだったが、そろそろ日が暮れそうなことにジュンが気がついて「帰るぞ」と言う。
「もうそんな時間が経ってたの。いけない、暗くなる前に帰らなきゃ。この村には神隠しが出るって話があるの。今すぐお家まで送るね」
「神隠し?」とうとつな話にジュンが興味を持つ。
「うん、昔はこの村にももっと子供がいたんだけど、子供が神隠しにあうって噂が立ってからどんどん減っていったんだって」
「神隠しってなあに?」
「突然人が消えてしまうことだ。ただの都市伝説だろうけど、気持ち悪いな。早く帰ろう。お前は大丈夫なのか?」
「お前じゃなくてカンナ!大丈夫だよ、おばけとか怖がらないタイプだし」
「おばけいるの?」ミナヅキが怖がりだす。
「大丈夫だよ。もしお化けがでたらいくらでもやっつけてあげるから。ね!ジュンちゃん!」
「俺もかよ」
 カンナは兄妹を家まで送って、父と祖母に挨拶をして帰っていった。
 その夜、父と兄妹は一緒にお風呂に入った。ミナヅキが今日遊んできたことを父につたなく話し、父はそれをにこやかに聞いている。途中でジュンが神隠しについての話を振った。
「神隠し…ああそんな噂もあるらしいね。怖いのかいジュン?」
「別に、ただそんな噂の立ってる村をよく引っ越し先にしたなって」
「母さんの故郷だからな…。お前たちを母さんの育った村に連れていってみたかったんだ。ミナヅキの部屋も、元は母さんの部屋なんだぞ」
「お母さんの…部屋」ミナヅキが暗くかすれた声でつぶやく。
 ジュンとミナヅキの母親は半年前に病気で亡くなっている。ミナヅキにとって母親の存在は誰よりも大きく、いつもカンガルーの赤ん坊のように母の膝にくっついていた。しかし母が亡くなってからはいじめのこともあって、ついには不登校になってしまった。そんな母との記憶を湯船につかりながらミナヅキは思い浮かべる。

 母が入院した日、いつもいるはずの母がいない空虚な家の中は、言いしれない不安で胸を締めつけた。父は「すぐに帰ってくるよ」と言ったが、結局母は帰らないまま一年以上が過ぎてしまう。最近になって治療薬ができた病気ではあるのだが、もともと身体が弱い母はそれでも治すことができずにいたのだ。
 面会も多くはできず、たまに会える母はそのたびに弱っていく。面会した日にはミナヅキは自分も病院に泊まるとわめいてきかなかった。母にとっても学校でいじめられられているミナヅキから離れて病院に残ることは、涙が出るほど悔しくてしかたがなかった。
 ミナヅキは小さい頃から頭が弱い子で、まわりから馬鹿にされていた。学校でプリントの問題を解き終えるのはいつも最後で、忘れ物もよくしたし、女の子の会話のスピードにもついていけなかった。高学年になるにつれそれがさらに目立っていくようになり、四年生からはいじめに発展してしまった。「バカ」「あほ」と毎日のように罵られたり、物を隠されたり、叩かれる。母と会った時にはその話をぐずりながらいつもしていた。そんなミナヅキに母はいつも「ミナヅキはやればできる子」と言う。
「一緒にいられなくてごめんね、ミナヅキ。でもミナヅキはやればできる子だから、お勉強もできるようになるよ、みんなが馬鹿にできないくらい色んなことができるようになるよ」
 要領の良い子に生んであげられなかったことを申し訳なく思いながら、それでも何よりかわいいミナヅキの頭を母は優しくなでる。母からの想いを受けたミナヅキは少し安心しながら、病室で千羽鶴を折る。しかしそれはとても鶴の形はしておらず、あきらかにどこかで折り方を間違えていた。

 お風呂をあがった三人は蚊帳を張って祖母と一緒に寝床につく。夏の田舎の夜は、視界は真っ暗闇なのに対して虫や蛙の声が祭りのように騒がしく、目を閉じると平衡感覚を失いそうになる。案の定ミナヅキは怖がって寝つけなかった。ジュンも内心は少し怖かったが、慣れるしかないと目を閉じる。
「外になんかいる」ミナヅキが言い出した。しかしみんなで気にするが何も見えず、祖母が「たぬきかなんかじゃろう」と言って終わった。村は深い夜の闇へ沈んで溶けた。



「それじゃあ行ってきます」
 帽子や水筒などの簡単な身支度をしたジュンとミナヅキは父と一緒に祖母に挨拶をして家を出発する。天気は昨日と変わらずまぶしい晴天だった。
「今日はどこいくのー?」
「今日は御神木に挨拶さ」
「ごしんぼく?」
「昨日聞いた神隠しの話をね、おばあちゃんにしてみたら教えてくれたんだ。昔、神隠しが出るようになった頃、村の人が子供を守ってもらうために御神木にお供え物をするようになったんだ。結局神隠しよりも、村を離れていく人の方が多かったんだけどね。母さんも中学からこの村を出ていったらしい」
 出発からニ十分ほどたつと平地の真ん中にぽつんと目立つ森が見えた。その森に入って道を進んでいくと今度は樹齢何百年、あるいは何千年経っていそうな大樹の前に着いた。周囲は静かながら強い神秘的なパワーを感じる。この大樹自体が、不思議な力で神隠しを起こす源ではないのかと、ジュンには思えた。
 父が懐から黒くて四角い包を出す。それは『黒い友達』というこの地方の名物で、ラング・ド・シャにチョコレートを挟んだお菓子である。ミナヅキの大好物でもあった。
「お供え物何も持ち合わせてなかったからね、おばあちゃんが用意してくれたんだ」
「『黒い友達』だ!ミナヅキもほしい!」
「これはお供えようだからね…うーん、お家にまだあるかもしれないから、帰ったらおばあちゃんに聞いてみよう」
 ミナヅキはしつこくねだったが、なんとかなだめてから、御神木に三人で頭を下げてこの場を立ち去っていく。ジュンがなんとなく御神木の方を振り返ると、供えたはずの『黒い友達』はなくなっていた。

 帰ってから祖母に聞くが結局『黒い友達』はなかった。ふて寝するミナヅキに父が「今度買ってあげるから」となぐさめる。その後ジュンは祖母の畑の手伝いに出かけ、父は自分の部屋で仕事に取りかかった。
 父の仕事はいつも家で何かを書いているのだが、子供たちは何の仕事をしているのか知らない。暇を持て余したミナヅキは家の中を探検していると、隅に父の原稿らしきものが落ちているのに気がついた。何気なくそれを手にとり、壁際に座りこんで読み上げる。
「だめよ、んんさん。どうしてだい、おんんかあさん。もうこんなにんんれてるのに、まだぼくをんんむのかい。ぼくはじぶんのんりんつにくぼうを、おんんかあさんのんんれたあそこにんんりつける」
 父はミナヅキに気づかないまま原稿を進めている。
「おんんかあさんのんんしながらもんんをかんじるひょうじょうは、ふだんのすがたからはそうぞうできないんんおんなのいろけにまんちていた…」
「ミナヅキいいいいぃいぃぃ‼」
 やっと気づいた父が大声を出して全力で原稿を奪いに向かってきた。驚いたミナヅキは反射的にのけぞったことで壁に頭を強く打ってしまう。「しまった」と父は思ったが、案の定ミナヅキは泣き出してしまった。あたふたしてどうしたらいいかわからない父。ミナヅキはそのまま這いづって廊下の向こうへ行ってしまった。

 「あ、遊んでおいで。あまり遠くには行くんじゃないよ~」
 結局父はご機嫌取りをあきらめて半ば厄介払いのようにミナヅキを遊びに出かけさせた。日はまだまだ高く祖母とジュンが帰ってくるのはしばらく後だ。ミナヅキはムスッとしたまま麦わら帽子をかぶって外に出た。

 川に来たミナヅキは水切りをして遊んでいる。しかしどの石も一回も跳ねることなくぼちゃんと沈んで、だんだんムキになっていった。
「石を投げる時は低い位置から投げた方がいいよ。膝をついた方がより簡単だ」突然ミナヅキの隣から大人の男が現れたかと思うと、そのまま水切りの解説を続けた。「そして石は平たくてある程度の重さがあるものを選ぶ。丸みのある形よりも角ばった持ちやすい形の方がより良い。いくよ」
 男は見事なフォームでスローイングすると、石は三十回以上は跳ねて見えなくなった。
「やってごらん」男はミナヅキにちょうどいい石を渡すと膝をつかせたフォームを作らせて投げさせた。するとさっきまで一回も跳ねなかったミナヅキの石は今度は五回跳ねた。
「すごい…」
「よくできたね、ご褒美をあげるからそこで休憩しよう」すると男は名物お菓子の『黒い友達』を持ってきた。
「黒い友達!」
「好きかい?食べていいよ」
「いいの?やったあ!」
 ミナヅキは誕生日プレゼントでも貰ったかのように喜んでから、岩に座ってお菓子を食べはじめた。その隣に男も座ってにこにこしながら食べるミナヅキを見つめる。
 男は五十代くらいで、大人にしては背が低い小太り。白いランニングシャツに下着のように薄くひらひらした短パンを履いている。丸くギョロっとした大きな目に分厚い唇をしていて、何より特徴的なのが頭に三角にとがった獣の耳のような、あるいは触覚のようなヘアバンドをつけていた。
「あなたもたべる?」
「ありがとう優しいね。それじゃあ食べかけをちょっとだけ貰おうかな」
 男は半分食べかけられた一枚を貰うと、しばらく眺めてからそっと唇で柔らかく挟み、吸いつくように食べていった。
「ミナヅキちゃんは何歳なの?」
「11歳」
「いい歳だね、どこから来たの?」
「東京の江呂川区から引っこしてきた」
「そうなんだ、誰と暮らしてるの?」
「お父さんと、お兄ちゃんと、おばあちゃん…お母さんは、死んじゃった」
「そっか、それはかわいそうに。家族は優しい?」
「お兄ちゃんはやさしくない。いつもこわいし、べんきょうしろって言うし、見はってくるし。お父さんはやさしいけど、おしごとばっか。…あ、お父さんからしらない人と話したり物もらったりしたらいけないって言われてるんだった」
「大丈夫だよ。僕はミナヅキちゃんのことよーく知ってるから」
「ミナヅキのことしってるの?じゃあなんでミナヅキのこときくの?」
「それはね、ミナヅキちゃんとお話ししたいからさ」
「ミナヅキとお話ししたかったんだ。あなたなまえは?」
「僕はロリコンさ」
「ロリコン?あなたロリコンっていうのね」
 ついに、運命の出逢いが訪れてしまった。



 日が暮れそうになった頃、家にジュンと祖母が畑仕事から帰ってきた。
「父さんただいま。ミナヅキは?」
「あれ?もうこんな時間?いっけない、まだ帰ってないのか」
「探してくる」
「わしも探してくるよ」
「遠くには行かないよう言ってあるんだけどな」
 三人はミナヅキを探し始める。十分も経たないうちに見つかったが、ミナヅキは道ばたで倒れて眠ってしまっていた。真っ先にジュンがかけより、ゆすって起こそうとする。
「ミナヅキ、起きろミナヅキ!こんなところで寝てたらダメだろ!」
 やがてミナヅキが目を覚ます。
「んんん…お兄ちゃん?ロリコンは?」
「何を言ってるんだミナヅキ?」
「ロリコンに会った…。『黒い友達』もらった…」
「どういうことだ?」
「んんん、ねむい」
「しょうがないなあ」と父がミナヅキをおぶって帰途へつく。ミナヅキが発したことを父は寝ぼけて夢を見ただけだと解釈した。しかしジュンだけは、この村に来た時からだんだん感じている嫌な予感をより一層募らせていった。
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