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第二章 夏目と雪平編
12)雪平の過去。(雪平視点)
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「そう言えば怜さん、ピアノが弾けるんスよね!? 怜さんのピアノ、聞きたいっス!」
再びシャワーから出た夏目は、壁に立て掛けてあった電子ピアノに視線を落として言った。
「夏目の空手に比べたら、僕のピアノなんて大したことないよ?」
「いやー。自分はそういう器用さはないっスから、ピアノが弾けるなんて、それだけでもう憧れますよ」
夏目は無邪気に笑ってそう言った。
人前でピアノを弾く事は二度とない。
……そう思っていたのに、夏目の無邪気な笑顔を見ていると、まぁいいかと思えてしまうから不思議だ。
「いいよ。何を弾こうか?」
「あー、そっか……。ピアノの曲とか、俺あんまり詳しくなくて……」
「んー、キラキラ星なら分かる?」
僕はローテーブルの上に電子ピアノをセットしながら、夏目にそう問う。電子ピアノにワイヤレスイヤホンを設定して、イヤホンの片耳を夏目に手渡した。夏目はイヤホンを受け取って、ベッドの上に腰を下ろす。
「分かるっス! あっ、あと猫踏んじゃったとか、トルコ行進曲とか……あ、魔王も! 確か、小学校で習ったっス」
「魔王って……シューベルトの?」
「え、えーっと……。そうなんスか……??」
「うん、そう。ピアノ曲は、リストが編曲してるよね」
僕はニコニコそう話す夏目を微笑ましく思いながら、夏目が知っていそうな曲をいくつかチョイスして、ソファに座り、頭の中で組み立てる。
ローテーブルの上の鍵盤に両手を広げて、僕はふーっと息を吐いた。
次の瞬間、僕の両指は何かに操られるように鍵盤の上を滑らかに跳ねた。
キラキラ星変奏曲に、トルコ行進曲、魔王。
そこからラ・カンパネラやアヴェ・マリアなど、夏目でも知っていそうな有名な曲を選んで、僕は取り憑かれたようにピアノを弾いた。
僕にとって、ピアノを弾く事はある種の呪いだったはずだ。
なのに、夏目のためだけに弾くピアノは堪らなく楽しくて、脳内麻薬が満ちるように僕の指はどんどん加速していく。
初めはキラキラした視線で僕を見ていた夏目だったが、途中からポカンとした表情で僕のピアノを聞いていた。
両腕がするすると鍵盤の上を走って、まるで何かに操られているようだ。
目を閉じると両親や義理の兄の顔が思い浮かんで、少しだけ胸がチクリと痛んだ。けれど、一度は弾けなくなったことが嘘のように、僕の指は鍵盤を叩き続けた。
汗だくになってピアノを引き終えたとき、夏目は座っていたベッドから立ち上がって僕に大きな拍手をしてくれた。
「れ、れ……怜さん凄い!! 凄過ぎるっス!!!」
そう言って抱きついてくる夏目は、もはや抱きつくを通り越して、僕を抱き上げてくるりと一周回っていた。
「『ピアノは嗜む程度』とか言ってたのに、楽譜もないのにあんなに弾けるなんて、もはやプロじゃないっスか! 俺、感動しちゃったっス!!」
無邪気に僕を褒めてくれる夏目が愛おしくて、僕は「ふふふ」と笑みをこぼした。
そう言えば、僕がピアノを始めた理由は、僕が幼い頃母さんが、僕の弾いたキラキラ星褒めてくれたからだったな……。
僕は夏目の額にキスを落として、ソファに座り直した。夏目が僕の隣に座って、そっと僕の手を握る。
「プロなんかじゃないよ。僕の家はピアノ一家だったけど、僕は家族の中で、一番ピアノが下手な出来損ないだった。一番優秀だったのは、義理の兄」
僕は鍵盤を眺めながら、優しかった義兄を思い起こす。
「うち、両親は共に有名なピアニストで。僕は生まれながらに期待されていたんだ。なかなか子供が出来なかった両親は、跡継ぎのため、遠い親戚から義兄を養子にしていた。けれど、数年後に僕が産まれた」
僕はそう話しながら、耳の中にあったワイヤレスイヤホンを外す。手の中でコロリと転がるイヤホンを指先で弄びながら、僕は遠くを見るように視線を伸ばす。
「幼い頃は、母や義兄に褒められたくて、夢中でピアノを練習したよ。けれど、才能っていうのは残酷で。僕は寝る間を惜しんで練習しても、とうとう義兄には叶わなかった。両親は当然義兄をとても可愛がり、僕はどんどん家族の中から浮いていったんだ」
「えっ……? でも、怜さんは実の子供なんスよね……?」
夏目は僕にもう片方のワイヤレスイヤホンを渡しながら、僕にそう聞いた。
「……実の子供だからこそ、許せなかったんだと思う。両親は次第に僕に冷たく当たるようになって……」
僕はそう言って苦笑いを浮かべた。
本当は、冷たく当たるなんてレベルではない。僕はあの家では、空気であり、無だった。
「唯一僕に優しいままだったのが、義理の兄だったんだ。そんな兄の結婚が決まった時、僕は家を出た」
僕の髪を綺麗だと褒めてくれた義兄。
僕の優しい性格と、努力家な所が好きだと言ってくれた義兄。
本当はバーテンダーになりたいと話したとき、応援すると言ってくれた義兄。
……知らない女性の隣で、見たことのない顔で微笑む、義兄。
兄が結婚式を挙げたあの日、僕はピアノが弾けなくなった。
追放される前に、僕は自らあの家を出たのだ。
「お義兄さんが、好きだったんスね……」
夏目は一言そう言って、僕の頬にキスを落とした。
「もう二度とピアノなんて弾けないと思っていたのに、こんな形で指が動くようになるなんて思わなかったな……」
僕はそう笑って、夏目を抱きしめた。
「今度いつか、お義兄さんとその奥さんと、笑って話せる日が来るといいっスね」
夏目はそう答えて微笑み、僕の長い髪にキスをした。
再びシャワーから出た夏目は、壁に立て掛けてあった電子ピアノに視線を落として言った。
「夏目の空手に比べたら、僕のピアノなんて大したことないよ?」
「いやー。自分はそういう器用さはないっスから、ピアノが弾けるなんて、それだけでもう憧れますよ」
夏目は無邪気に笑ってそう言った。
人前でピアノを弾く事は二度とない。
……そう思っていたのに、夏目の無邪気な笑顔を見ていると、まぁいいかと思えてしまうから不思議だ。
「いいよ。何を弾こうか?」
「あー、そっか……。ピアノの曲とか、俺あんまり詳しくなくて……」
「んー、キラキラ星なら分かる?」
僕はローテーブルの上に電子ピアノをセットしながら、夏目にそう問う。電子ピアノにワイヤレスイヤホンを設定して、イヤホンの片耳を夏目に手渡した。夏目はイヤホンを受け取って、ベッドの上に腰を下ろす。
「分かるっス! あっ、あと猫踏んじゃったとか、トルコ行進曲とか……あ、魔王も! 確か、小学校で習ったっス」
「魔王って……シューベルトの?」
「え、えーっと……。そうなんスか……??」
「うん、そう。ピアノ曲は、リストが編曲してるよね」
僕はニコニコそう話す夏目を微笑ましく思いながら、夏目が知っていそうな曲をいくつかチョイスして、ソファに座り、頭の中で組み立てる。
ローテーブルの上の鍵盤に両手を広げて、僕はふーっと息を吐いた。
次の瞬間、僕の両指は何かに操られるように鍵盤の上を滑らかに跳ねた。
キラキラ星変奏曲に、トルコ行進曲、魔王。
そこからラ・カンパネラやアヴェ・マリアなど、夏目でも知っていそうな有名な曲を選んで、僕は取り憑かれたようにピアノを弾いた。
僕にとって、ピアノを弾く事はある種の呪いだったはずだ。
なのに、夏目のためだけに弾くピアノは堪らなく楽しくて、脳内麻薬が満ちるように僕の指はどんどん加速していく。
初めはキラキラした視線で僕を見ていた夏目だったが、途中からポカンとした表情で僕のピアノを聞いていた。
両腕がするすると鍵盤の上を走って、まるで何かに操られているようだ。
目を閉じると両親や義理の兄の顔が思い浮かんで、少しだけ胸がチクリと痛んだ。けれど、一度は弾けなくなったことが嘘のように、僕の指は鍵盤を叩き続けた。
汗だくになってピアノを引き終えたとき、夏目は座っていたベッドから立ち上がって僕に大きな拍手をしてくれた。
「れ、れ……怜さん凄い!! 凄過ぎるっス!!!」
そう言って抱きついてくる夏目は、もはや抱きつくを通り越して、僕を抱き上げてくるりと一周回っていた。
「『ピアノは嗜む程度』とか言ってたのに、楽譜もないのにあんなに弾けるなんて、もはやプロじゃないっスか! 俺、感動しちゃったっス!!」
無邪気に僕を褒めてくれる夏目が愛おしくて、僕は「ふふふ」と笑みをこぼした。
そう言えば、僕がピアノを始めた理由は、僕が幼い頃母さんが、僕の弾いたキラキラ星褒めてくれたからだったな……。
僕は夏目の額にキスを落として、ソファに座り直した。夏目が僕の隣に座って、そっと僕の手を握る。
「プロなんかじゃないよ。僕の家はピアノ一家だったけど、僕は家族の中で、一番ピアノが下手な出来損ないだった。一番優秀だったのは、義理の兄」
僕は鍵盤を眺めながら、優しかった義兄を思い起こす。
「うち、両親は共に有名なピアニストで。僕は生まれながらに期待されていたんだ。なかなか子供が出来なかった両親は、跡継ぎのため、遠い親戚から義兄を養子にしていた。けれど、数年後に僕が産まれた」
僕はそう話しながら、耳の中にあったワイヤレスイヤホンを外す。手の中でコロリと転がるイヤホンを指先で弄びながら、僕は遠くを見るように視線を伸ばす。
「幼い頃は、母や義兄に褒められたくて、夢中でピアノを練習したよ。けれど、才能っていうのは残酷で。僕は寝る間を惜しんで練習しても、とうとう義兄には叶わなかった。両親は当然義兄をとても可愛がり、僕はどんどん家族の中から浮いていったんだ」
「えっ……? でも、怜さんは実の子供なんスよね……?」
夏目は僕にもう片方のワイヤレスイヤホンを渡しながら、僕にそう聞いた。
「……実の子供だからこそ、許せなかったんだと思う。両親は次第に僕に冷たく当たるようになって……」
僕はそう言って苦笑いを浮かべた。
本当は、冷たく当たるなんてレベルではない。僕はあの家では、空気であり、無だった。
「唯一僕に優しいままだったのが、義理の兄だったんだ。そんな兄の結婚が決まった時、僕は家を出た」
僕の髪を綺麗だと褒めてくれた義兄。
僕の優しい性格と、努力家な所が好きだと言ってくれた義兄。
本当はバーテンダーになりたいと話したとき、応援すると言ってくれた義兄。
……知らない女性の隣で、見たことのない顔で微笑む、義兄。
兄が結婚式を挙げたあの日、僕はピアノが弾けなくなった。
追放される前に、僕は自らあの家を出たのだ。
「お義兄さんが、好きだったんスね……」
夏目は一言そう言って、僕の頬にキスを落とした。
「もう二度とピアノなんて弾けないと思っていたのに、こんな形で指が動くようになるなんて思わなかったな……」
僕はそう笑って、夏目を抱きしめた。
「今度いつか、お義兄さんとその奥さんと、笑って話せる日が来るといいっスね」
夏目はそう答えて微笑み、僕の長い髪にキスをした。
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