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第二章 夏目と雪平編

3)呑みすぎ注意報。(夏目視点)

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「へーえ、夏目君ってまだ大学生なのぉ? カワイイ!」


 そう言って、俺の隣に座る若い女性は明るい色の巻き髪を揺らして笑った。
 彼女は俺の腕を取って胸に押し付けるようにしつつ、甘えるような上目遣いで俺を見た。
 二の腕には、彼女の柔らかな胸の感触。ピンクベージュのジェルネイルが施された爪の先が、薄暗いバーの照明の下で艶かしく光っていた。


「ちょ、ちょ! 稚早ちはやさん、胸当たってるっス」


 そう言って、俺はやんわりと稚早さんの腕を避けようと試みる。カウンターの中にいる雪平さんに、こんな所を見られる訳には行かない。

 俺が焦ってカウンターに目をやれば、雪平さんとバッチリ目が合ってしまった。雪平さんは涼しい顔で俺にニッコリと笑って、視線を戻すと慣れた手付きでシェイカーを振る。出来上がったカクテルをグラスに注ぐと、今度は何やらバイトの青年に話しかけた。
 しばらくすると青年はそのカクテルを持って、まっすぐ俺達の卓へ向かって来る。

「あの……っ、こちらは雪平さんからの奢りで『シンデレラ』になります」


 そう言って、バイトの青年は俺の前に黄色の小さなカクテルを二つ置いた。
 俺が慌てて雪平さんを見ると、今はカウンターにいた他の女性客と楽しげに話をしているようだ。サラサラと落ちる黒髪を耳にかけながら話す雪平さんのその仕草は、そこらの女性なんかよりずっと艶っぽい。


「ええー? ノンアルー? 雪平君、過保護すぎぃ」


 雪平さんに見惚れている俺をよそに、稚早さんはそう言って不満げにカクテルを煽る。俺も恐る恐るカクテルに口を付けると、爽やかなパイナップルと柑橘の香りが鼻を抜けた。





 雪平さんと共に真冬の事件を追うようになって、はや数日。
 俺はバイト帰りの雪平さんのボディーガードを自ら買って出た。
 今夜は少しだけ早くバーに着いて、バーテン姿の雪平さんで目の保養をしながら、店内で情報集めをしていた。
 そこにやってきたのはこの稚早という常連らしきこの女性で、聞けば雪平さんの長年のファンらしい。俺が雪平さんの知人と分かると、彼女は俺の隣に座って飲み始めた。

 そんなこんなで、今に至る。

「ねぇ、バイト君。次はロングアイランドアイスティと、カルーアミルクをお願い」

 稚早さんは先程のバイトの青年にそう伝えると、俺の方に向き合ってふと真顔になる。

「そーだ。夏目君、あの男について聞きたいんだっけぇ?」
「……! 稚早さん、なにか知ってるんスか!?」


 稚早さんは机の上のナッツを長い爪の指で器用に摘みながらコクリと頷いた。


「ここだけの話、あの人って確か、この界隈のSMクラブで有名な客よー。アタシの友達の友達がソッチ系のお店で働いてるんだけど。あいつ、プレイがとにかく酷いらしくて。そんでM嬢に何度か怪我させちゃって、この界隈のSMクラブでは出禁らしいわよー?」


 間延びした口調でそう答えた稚早は、運ばれてきたカクテルの片方を俺に差し出した。


「ねぇ。これ、ロングアイランドアイスティって言うの。美味しいわよー。氷が溶けると美味しくないから、早めに飲んでねぇ」
「あ、どうもっス。いただきます」


 ニッコリと笑う稚早さんに礼を言って、俺は"ナンとかカンとかアイスティ"を一気に煽る。


「ぐっ……!?」


 途端に強烈なアルコールの香りが鼻に抜けて、俺は目を白黒させた。強い酒が通過した食道は、瞬間的にカッと燃える。
 アルコールに食道を焼かれてケホケホとむせる俺に、稚早さんは自分のカルーアミルクを渡してくれた。
 俺は慌ててそれを口に含むと、マイルドなカフェオレ風の味が優しく食道の粘膜を回復させた。


「あはは。夏目君、一気に行くからよぉ」
「!? あ、アイスティじゃなかったんスか?」
「やだぁ、これはロングアイランドアイスティよー。ちゃーんとお酒よ?」


 稚早さんは無邪気に笑ってそう言った。
 俺はそのまま、未だ胃を焼いている強いアルコールを薄めるように、貰ったカルーアミルクを煽った。


「……! このカフェオレみたいなの、美味しいっスね」
「えー? 夏目君、男の子なのにカルーアミルクがイケる口なんだぁ。ならねー、これもオススメ!」


 そう言って稚早さんが何やらバイトの少年に注文を出している。

 結局その日は稚早さんの奢りで五杯ほどカクテルをご馳走になり、雪平さんがバイトを終える頃には、俺はすっかりフラフラになってしまっていた。






「ごめぇん、雪平君。夏目君が可愛かったから、つい」


 ふと気が付くと、バーの前にはタクシーが停まっていた。
 目の前で話しているのは稚早さんと雪平さんで、俺はバイトの青年に肩を貸してもらって何とか立っているようだった。


「いえいえ。稚早さんみたいな美しい方に可愛がって貰ったのなら、夏目もきっと嬉しかったでしょう」


 雪平さんは営業スマイルで稚早さんにそう言って、バイト君と二人がかりで俺をタクシーに押し込む。


「ボディーガードが聞いて呆れるよね」


 タクシーに乗り込んだ途端、雪平さんに耳元でボソリとそう囁かれると、俺はギクリと身を縮めた。


 お、おっしゃる通りです……。


 俺は気まずさに思わずたぬき寝入りを決め込んで、タクシーのシートに横たわる。
 

「この住所までお願いします」


 雪平さんはタクシーの運転手に、スマートフォンを見せながら行き先を伝えると、俺の隣に乗り込む。
 タクシーは繁華街を通り抜けて住宅街の細い道を通り、十五分ほどで目的地に着いた。
 雪平さんと親切なタクシーの運転手に支えられながら着いた先は、見慣れないマンションの玄関だった。それが雪平さんの自宅マンションだと俺が気が付くのに、それほど時間はかからなかった。


「彼氏さん、大変だね。じゃあ、私はこれで」


 雪平さんが玄関先で代金を手渡すと、運転手はそう言って立ち去った。


 俺は雪平さんの彼氏なんかじゃないっス……。
 そう思いながらも、俺は強烈な眠気に抗えずに、玄関先のフローリングに寝転ぶ。頬に当たる冷たい木の感触が、火照った体に心地よい。


「夏目、起きて。ここで寝たら、風邪引くよ。夏目っ」


 雪平さんが俺を呼んでいる。
 起きなくては……。
 そう思うのに、強烈な睡魔と倦怠感で、体が言うことを聞かない。


 ごめん、雪平さん……。


 そんな事を思っていたら、雪平さんの顔が俺を覗き込むようにして近付いてきた。俺の顔の上に、サラサラと雪平さんの美しい黒髪が滑り落ちる。

 甘い花のようなシャンプーの香りが鼻孔をくすぐり、雪平さんの長い睫毛が俺の顔に触れそうなほど近くに……。

 そう思っていたら、俺の唇に何か柔らかいものが触れた。





 ーーーーえっ?

 今俺、雪平さんにキスされた……?



 俺がそう気が付いたのは、雪平さんの唇が俺から離れた、数秒後のことだった。
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