【完】死にたがりの少年は、拾われて初めて愛される幸せを知る。

唯月漣

文字の大きさ
上 下
23 / 46
第一章 常春と真冬編

23)決別。

しおりを挟む
 俺達が呼び出された警察署に赴いたのは、電話から二日後の午後の事だった。
 一人で行けると言った俺に、常春は一緒に行くと言って聞かず、結局二人で警察署へ向かった。

 指定された部署へ行き、篠山の名前を伝えると、五分ほどでスーツ姿の篠山という刑事は現れた。篠山によって、俺達は人気のない薄暗い廊下の奥へ通される。
 篠山が鉄製のドアを開けると、そこにはテレビで見るようなガラス越しの面会室があった。壁にある明り取り程度の小窓には鉄格子が嵌り、ねずみ色の机とパイプ椅子が二つ、置かれている。

 何となく椅子に座る気にはなれなくて、俺は俯いて拳を握った。数分後、ガラスの向こう側の扉が空いて、女性警官に連れられた中年女性が現れる。


「あ………」


 ガラスの向こう側に居たのは、紛れもなく俺の母親だった。
 警察署の中は少しだけ肌寒い。
 ……にも関わらず、俺の握った拳の中には嫌な汗が滲み、脂汗が背中を伝った。
 心臓がバクバクと破裂しそうに早鐘を打って、口から飛び出すんじゃないかと言うほど胸が痛い。


「か、母さ……」
「真冬……っっ!!」


 不意に母親が大きな声をあげた。ガラスの前に駆け寄って、俺に向かってまくし立てた。


「違うの、真冬っ。聞いて! 母さん、あの男に騙されたんだよ。あいつがアンタにあんな事するなんて、全然知らなかった!!」


 大声を出した母親は、後ろにいた女性警官によってたしなめられる。渋々といった様子で椅子に座る彼女は、泣き腫らした目でこちらを見上げた。


 俺の記憶の中ではいつも綺麗に化粧をして着飾り、髪をくるくると巻いて、ヒールを履いていた悪魔のように美しい母親。


 けれども目の前に座る彼女は、俺の記憶の中の母親とはかなり違っていた。

 艶を失ったパサパサの髪は、パーマが僅かに残って毛先がだらしなくうねっている。
 化粧をしていないせいか顔色は土気色で、シミだらけの肌に、たるんだ目元。その下には、くっきりとクマが浮かんでいた。
 ガリガリに痩せてたるんだ皮膚は、彼女をいっそう老けて見せる。
 いつも綺麗に整えられていたはずの爪は、伸び放題のまま、所々剥げたマニキュアが申し訳程度に付着していた。


「母さん……久しぶり。元気だった?」


 俺の口から出た言葉に、一番驚いたのは、きっと俺だ。

 俺にとって、生まれてからずっと、恐怖の対象でしかなかった美しい母親。
 その母親は、こんなにも痩せていて、小さい枯れ木のような女性だっただろうか?

 ふと俺は、いつになく冷静になっている自分に気付く。


 俺はずっと母親を恐怖の対象とし、魔物か何かのように思ってきた。
 けれども目の前に座るのは、すっかり痩せて小さくなった、ただの中年の女性で……。


 常春に出会って、すっかり健康的になった俺。
 歳を重ね、枯れ枝のようになった母親。

 母親は幼い頃からいつだって俺を疎んできたが、今思えば命に関わるような暴力行為は、されたことがない。

 母親の連れ込んだ男に乱暴を働かれた事は何度もあった。……けれど、あの行為をされる時、母親はいつも不在ではなかったか?

 母親がそれに気付けたとして、男を止めるだけの力が、母親にあった……?

 きっと、腕力なら母親より今の俺の方がずっと強い。


 ……俺は何をそんなにこの母親を怖がっていたのだろう?






「真冬、お願い聞いて……。私はあの男に利用されただけ。私はこんなにも辛いのに、真冬だけが幸せになるのが許せなかったんだ……。でも今は違うの! 真冬の幸せを心から祈って……!」


 そうまくしたてる母親の前に、俺は冷静なまま立った。 


「……母さん、ごめん。もう俺に関わらないで欲しい。今は幸せに暮らしてるよ。俺は来月で二十歳だ。もう、母さんが居なくても生きていける」


 俺はそう言って、ガラスの向こうにいる母親を一瞥する。


「……被害届を取り下げます。条件は、母さんが二度と俺に関わらないこと。親でも子でも、なくなること。これが俺から母さんへの、育ててくれたお礼。最初で最後のプレゼントだ」
「あ…………っ……」


 俺がそう言うと、ガラスの向こうで母親が泣き崩れた。
 俺はそんな彼女に対して何の感情も湧かなくて、ただただ彼女が泣き止むのを待った。


「時間です」


 しばらくして、母親の背後にいた女性警官が、無機質な声でそう言った。


「どうする?」


 俺が母親にそう問えば、母親は泣き腫らした目に更なる涙を浮かべながら、力なく答えた。


「……約束します。もう、二度と関わりません……」
「……分かった」


 女性警官に二の腕を掴まれ、母親は立ち上がった。ドアの前まで行ったとき、不意に母親が振り向いた。

 
「真冬っ……、今までごめんなさい。幸せに……、私の分まで、幸せになって……」


 ドアの向こうに消えた母親を見送って、俺はドアの側で待っていた常春に声をかける。


「……終わったよ。帰ろう」
「…………。本当に、いいのか?」


 常春は言葉を探すようにして、短くそう言った。


「うん、いい」


 俺は感情の無い言葉でそう答えて、常春の手を握った。





 俺達が手続きや聴取を受けて警察署を出ると、太陽は橙色に街を染め上げ、ゆっくりと傾き始めていた。


「はぁ。なんだか今日は疲れた。早く帰って、常春の味噌汁が飲みたい」


 俺はそう言って、駅の方へと歩き出す。


「奇遇だな。俺も今夜は和食の気分だ」


 常春がそう答えて、俺の後を追う。

 傾きかけた太陽は俺達の歩む道のりを優しく照らし、俺達の足取りを軽やかなものにしてくれる。俺は小走りして常春から三メートルほど離れると、くるりと振り返って言った。


「なー! 常春ーー!」
「なんだ?」


 常春は夕日を背にした俺を眩しそうに目を細めて見上げた。


「愛してるーーーーっ!!!!」
「ばっ…………か!」


 駅前の人通りが多いこの場所。俺の大声でのその台詞に、焦る常春は可愛らしい。慌てて駆け寄ってきて、小声で「俺も……」などと答える常春は、本当に愛おしい。


 ……ーー帰ろう。我が家へ。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?

名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。 そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________ ※ ・非王道気味 ・固定カプ予定は無い ・悲しい過去🐜 ・話の流れが遅い ・作者が話の進行悩み過ぎてる

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

精霊の港 飛ばされたリーマン、体格のいい男たちに囲まれる

風見鶏ーKazamidoriー
BL
 秋津ミナトは、うだつのあがらないサラリーマン。これといった特徴もなく、体力の衰えを感じてスポーツジムへ通うお年ごろ。  ある日帰り道で奇妙な精霊と出会い、追いかけた先は見たこともない場所。湊(ミナト)の前へ現れたのは黄金色にかがやく瞳をした美しい男だった。ロマス帝国という古代ローマに似た巨大な国が支配する世界で妖精に出会い、帝国の片鱗に触れてさらにはドラゴンまで、サラリーマンだった湊の人生は激変し異なる世界の動乱へ巻きこまれてゆく物語。 ※この物語に登場する人物、名、団体、場所はすべてフィクションです。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

オメガなパパとぼくの話

キサラギムツキ
BL
タイトルのままオメガなパパと息子の日常話。

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

処理中です...