【完】死にたがりの少年は、拾われて初めて愛される幸せを知る。

唯月漣

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第一章 常春と真冬編

6)人間の幸せ。

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「ありゃ。もうこんな時間か。真冬はどうする?」


 夏目がスタッフ控室に消えると、常春は俺に向き直ってそう言った。
 なんだか、ここに居ると毎食のように食事をご馳走になっている気がする。申し訳ない気持ちはあるけれど、断って店を出たところで、行くあてなんて俺にはなかった。
 雪平はもう仕事中だろうし、ネットカフェに戻るか?
 俺は再び黙り込んで俯く。そんな俺を見透かすように、常春は言った。

「俺、一人で飯食うの苦手なんだよねー。一人で寝るのもさ。もし行くとこが無いんだったら、暫くここに居るか?」
「!? な、何言って…」


 俺は常春にとって、数日前にちょっと助けただけの、赤の他人だ。
 そんな俺に降って湧いたような甘い話。
 俺は警戒と困惑の入り混じった表情で常春を見上げた。
 

「あーあ、まーたハルさんの病気が始まった。犬猫じゃないんスから、そうやってホイホイ人間拾うの、やめて下さいよー」


 私服に着替えたらしい夏目が、スタッフルームから出て来てそう言った。


「え……。よくある事なのか……?」


 俺は夏目と常春の顔を交互に見ながらそう聞く。


「よくあるも何も、しょっちゅうっスよ。ネカフェ難民や家出少年ならまだしも、こないだなんてDVから逃げてきた人妻と子供を拾ってくるもんだから、旦那が店に殴り込みに来ちゃって大変だったっス……」


 夏目はそう言って、大きなため息をつく。


「だから、アンタも別に警戒なんてしなくて大丈夫っスよ。あの人、アンタに見返りなんて一切求めてないっスから。ただし、変な気は起こしちゃダメっスよ? ……それじゃあハルさん! お疲れーっス!」
「??? 変な気……?」


 俺の問いには答えず、夏目は店の引き戸から繁華街のネオンの中へと足早に去っていった。
 夏目を見送ると、常春はキッチンの中に入り、カウンターごしに俺のそばに来た。
 カウンターに両肘をのせるような体勢で、カウンターの前に立つ俺の顔を覗き込む。


「で。真冬はどうする? とりあえず飯にするか?」


 ヘラリと笑った常春は、言い終わるなり手際よく調理を始めていた。
 ごま油を熱した中華鍋から、食欲をそそる香ばしい香りがする。その中に刻んだにんにくが投下されてジュウッと激しい音を立てれば、途端に俺の腹の虫がグゥっと鳴き出す。


「ホイッ!」


 常春はものの数分で調理を終え、カウンター上に湯気の漂う炒飯と葱の浮かんだスープを置いてくれた。ボックス席にそれらを運ぶと、常春は笑顔で俺に手招きをする。


「炒飯は熱いうちが美味いぞ。早く」
「い、いただきます……」


 俺は促されるまま常春の向かいの席に座ると、自分の為だけに用意された温かい食事を口に運ぶ。

 口の中でホロリと崩れる常春の炒飯は、頬ばった瞬間ににんにくのコクとごま油の香ばしさが口の中に広がる。噛むとチャーシューの肉々しい旨味が口いっぱいに広がって、飲み下すとほんわりと米の甘みが口に残る。

 お世辞抜きで、今まで俺が食べたどんな炒飯よりも本当に美味しかった。 


「お、美味しい……すごく。美味しい……」


 気が付いたら俺の口からは、勝手に『美味しい』という言葉が出ていた。
 常春の作る食事は不思議だ。俺を無意識に優しい気持ちにしてくれる気がする。


「おう。そりゃ良かった。人間はさ、美味いもん食ってる時だけは、間違いなく幸せなんだよなー」
「……!」


 常春は得意気にそう言って、俺の頭をガシガシと撫でた。


「だから遠慮なくいっぱい食え。な、真冬!」


 常春は太陽みたいに屈託なく笑って、自分も炒飯を頬張る。


「ん! ウマいな!」


 リスのように炒飯を口いっぱいに頬張る常春に、俺は思わず頬を緩ませて言った。


「ぷっ……。常春、リスみたい。ご飯粒、ココに付いてるよ」


 そう言って、俺は常春の胸元に付着した米粒を紙ナフキンに取ってやる。

 
「へー! 真冬が笑った顔、初めて見た!」


 不意に常春にそう言われ、俺はかぁっと顔を赤らめた。
 俺は慌てて表情を引き締め、俯く。
 レンゲを皿の上に置くと、両膝の上に拳を作ってぎゅっと握りしめた。……嫌な予感がした。


 その瞬間、俺の視界がぐらりと揺れた。


「あ……!?」


 やばいな……これはいつもの……。


「ん? えっ? 笑ってていいのに、何でやめんの?」


 目の前にいるはずの、常春の声が遠い。

 顔が強張り、急速に呼吸が早くなっていく。
 心臓は早鐘を打ち、俺の周りだけ、急速に空気が無くなっていくかのようだ。酸素を求めてパクパクと魚のように唇を開くが、上手く酸素が取り込めない。


 急に黙り込んでしまった俺を、常春は不思議そうな顔で覗き込んだ。 






『アンタの笑った顔、虫唾が走るのよっ! 私はこんなに不幸なのに、へらへら笑って馬鹿にしやがって』


 俺の脳内で、母親のヒステリックな声が響き渡る。
 間髪なく飛んでくる、ティッシュの箱や空のペットボトルなどの小物。
 ぶつかって大怪我をするものを投げられた事は流石に無かったけれど、俺は泣きながら母親に謝って、カーペットの上で頭を庇うようにして蹲る。


『そんな気持ち悪い顔、二度としないで!』


 再び幼い俺に罵声を浴びせる母親。
 そんな情景が不意に脳裏にフラッシュバックして、俺の体はガタガタと震えた。
 指先と耳が瞬間冷凍されたかのような勢いで冷えてゆく。唇が震え、視界が濁り、泣いて叫びたいのに表情筋は顔に貼り付いたように動かない。
 

 これは、母親にかけられた、俺の呪い。
 俺は所詮、幸せになんてなれないのだ。この体は母親によって、そう造られているから……。


「うう、ううう……。ごめんなさい……、笑ってごめんなさい……」


 ああ、上手く呼吸が出来ない……。
 喉に張り付いたままの舌で、窒息死するんじゃないか。
 血の気が引き、俺の体は死人のように冷たく冷えていった。
 目の前が暗転しかかっている。
 頭が心臓にでもなったかのように、ガンガンと痛む。
 腹の底からどす黒い汚泥が上ってきて、俺の胃袋を体外に押し出そうとするようにギリリと押し上げた。

 幸せの味がした、常春の炒飯……。

 イヤだ……イヤだ……吐きたくない、吐きたくないのに……!!






 ふっ……と、何かが俺の鼻腔を掠めた。

 それはどこかで嗅いだことのある、お日様の匂い。
 ふわふわと何か温かい感触が、俺を包み込んだ。

 温もりを感じた瞬間、俺を苦しめていたどす黒い汚泥は、するすると下がってなりを潜めていく。
 閉塞していた肺の中には、嘘みたいに空気がするりと入ってきて、暗転しかけていた俺の意識を急速に現実へと引き戻した。


「真冬? 大丈夫か?」
「あ……っ……」


 気が付くと、常春は俺の体をすっぽりと抱きしめていてくれていた。
 常春は俺の顔を温かい胸元にそっと埋め、後頭部を優しく撫でてくれている。
 常春からはあの時のお日様の匂いがして、じんわりと温かい常春の体温が俺の冷えた体を温めてくれていた。


「『笑ってごめんなさい』って、なんだ? 笑っていいに決まってるだろ? いっぱい食って寝て、いっぱい笑えよ」


 ああ……これはお日様じゃなくて、常春の匂いだったんだ……。心地良い温もりを感じながら、俺はぼんやりとそんなことを考えていた。
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