【完】死にたがりの少年は、拾われて初めて愛される幸せを知る。

唯月漣

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第一章 常春と真冬編

3)呪われた夢。【残酷な表現あり】

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「あんたさえ居なければ、私は幸せになれたのに!」

「何で生まれてきたの?」

「邪魔! どっかに行ってて!」


 暗闇の中で、母親の声がする。


 ああ……これはいつもの夢だ。


 そう気付いた瞬間、酢酸を一気飲みしたかのように俺の胃袋がジリジリと痛んだ。

 夢の中の幼い俺は、闇の中でドロリとした血液色の汚泥のようなものに体中を包まれていた。
 それは闇の中にポッカリと空いた底なし沼に、ズブズブと俺の体を引きずりこもうとする。
 必死でもがいて、沼の淵に掴まろうとするのに、掴んだ瞬間に淵が崩れて、俺は何度も何度も汚泥に溺れた。


「ママ……ママ……助けて」


 必死に手を伸ばして、幼い俺は母親に助けを求める。


「うるさいッ。あっちへ行け! いいからちょっと黙ってろっ」


 誰かと楽しそうに電話中の母親は、憎々しげな表情で俺を振り返る。
 母親は幼い俺の襟首を掴みあげ、口の中に布きれを詰め込んで、俺の声を封じた。
 沈みゆく俺に一瞥すらくれず、再び電話に戻るため、立ち去ろうとする母親の背中。


「んんー!! ンンーーーー!!!」


 苦しくて、怖くて、助けてほしくて。
 涙と鼻水でぐしょぐしょになった俺は、それでも不自由な口で必死に母親を呼ぶ。
 けれどもいつだって俺の願いは虚しく無視され、俺はこの底なし沼の闇に引きずり込まれる。
 俺の幼い体はこうして、淀んだ紅黒い沼の底に沈みゆくのだ。





◇◆◇◆◇◆





「…………っ!! はぁ、はぁ、はぁ、うぉえ……っ!」


 目が覚めた瞬間、激しい吐き気に襲われた俺は、慌ててトイレに駆け込んだ。顔面は既に涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。

 あの夢を見た夜は、決まってこうだ。

 ネットカフェのトイレに駆け込んだ俺は、胃の中が空になり胃液だけになるまで吐き続ける。
 吐いて吐いて吐き続けて、気持ち悪さと不安、腹の底から襲い来る深い悲しみに蝕まれる。
 一人で眠る夜はいつだってあの夢が俺に付き纏って、目覚めると耐え難いほどの死にたい気持ちで、いっぱいになっている。


「クソッタレが。消えろよ、消えろ……」


 涙と鼻水、吐瀉物で汚れてしまった顔をトイレットペーパーで乱暴に拭っても、涙だけが止まってくれずに次々と頬へ溢れ出る。


「う、あう……うぇっ、うええっ……」


 嗚咽が漏れ、俺は子供のように泣き続けた。
 これだから、一人で寝るのは嫌なのだ。誰かの腕の中で眠れたら、こんなことにはならないのに……。

 あれから俺は、顔に大きくてグロテスクな青あざが出来てしまい、掛け持ちしていたバイトを共に一週間ほど休むことになった。
 体中にも青あざと擦り傷があって、俺の体はまるでリンチでも受けたかのような有様だった。そりゃあこんななりでは、接客業は難しいだろう。
 クビと言われなかっただけ、マシだと思う。

 つくづく、あの日俺に乱暴したあのクソハズレ男に腹がたった。





◇◆◇◆◇◆





 あれから三日が経過した。
 俺は相変わらずネットカフェに寝泊まりしながら、ゲイ専用のマッチングアプリや、時には足を伸ばしてハッテン場へと赴いた。

 しかし、こんな怪我だらけの身体ではまっとうな相手など見つかるはずもない。手持ちの金も心許なかった俺は、ネットカフェにあるドリンクバーで空腹を誤魔化しながら日々を過ごしていた。

 夜になると、あの夢が連日のように容赦なく襲ってきて、ほとんど眠れていなかった。
 寝不足が続いているせいか、視界が常にグラグラする。

 ああ、もう限界だ。
 無理言って、今夜は雪平のところにでも泊めてもらおう……。

 俺はスマートフォンで雪平のアドレスを探しながら、横断歩道をのそのそと渡り始める。

 道路の真ん中に差し掛かった、その時だった。


 ドンッ……!


 突然俺の体に、重量のある何かが凄い勢いで衝突してきた。
 突然の出来事に、俺は手にしていたスマートフォンを吹っ飛ばしてしまう。

 突然タックルしてきた相手の体の下敷きになるような形で、俺の体もまたコンクリートに突き飛ばされる。

 コンクリートに体を打ち付けられると思い、俺は咄嗟に痛みに備えて身構え、目を瞑った。……が、いつまで経っても痛みは来ない。

 恐る恐る目を開けると、目の前にはあの時のラーメン屋……大谷常春の顔が、どアップになっていた。
 常春は俺の体を包み込むように腕を回して、俺の体がコンクリートに叩きつけられないよう庇ってくれていた。

 ゆっくり地面に手をついて体を起こすと、コンクリートと俺の体に挟まれた常春の腕は、着ていたダウンジャケットが無残に擦り切れ、中の綿がベロリと剥がれてしまっている。


「は!? え、なに……!?」
「ーー……っ痛ててて……。はっ、お前大丈夫か!? 怪我はないか?」
「うんと……多分?」


 常春はもそもそと起き上がり、ぼーっと座り込んだままの俺に手を貸しながらながら、俺の体についた汚れをポンポンと払ってくれる。今のところ、俺に痛みを感じる箇所は見当たらない。

 キョロキョロと辺りを見回すと、先程まで俺がいた横断歩道には、俺のスマートフォンの他に白い買い物袋と長葱、ナルト、辣油の小瓶などの食材が散らばっていて、間近には白い軽自動車がハザードランプを光らせて路上駐車されていた。


「お前、あの車に轢かれそうだったんだよ。青信号、点滅して赤に変わったのに、お前スマホに夢中で気づいてなかったろ?」


 そう教えてくれた常春は、ボロボロになったダウンジャケットをさすりながら、信号機を指差した。


「すみません! 大丈夫ですか!?」


 路上駐車された軽自動車から、青い顔をした若い女性が駆け寄ってきた。女性は泣きそうな顔で常春に謝る。


「お姉さん、免許取りたて? 駄目だよー、右折する時は信号青でもちゃんと右折先の横断歩道、確認しなきゃ」
「はい、はい……申し訳ありません……!!!」


 女性は青い顔で俺達にペコペコ頭を下げた。


「それから! お前も! 歩きスマホは駄目だ。赤になってた横断歩道をいつまでもトロトロ渡ってたら、そりゃー車にも轢かれるわ」
「う。ご、ごめん……」


 腰に手を当てて真顔で怒る常春に、俺は慌てて謝った。


「うん。二人とも、これからは気をつける。けが人、無し。それで良いだろ? じゃ、帰るか!」
「え……!?」


 ぽかんとする俺とお姉さんをよそに、常春は散らばってしまった食材を拾い集める。ついでに俺のスマートフォンを拾って、俺に渡してくれた。


「せっかくだし、真冬はこのあとうちに来て、ラーメン食ってけよ。お腹、空いてるだろ?」
「え……でも……」
「いいから、いいから。さ、アンタも帰りは安全運転でよろしくな!」


 常春はお姉さんにそう言って、歯を見せてニカッと爽やかに笑う。どう見ても常春のダウンジャケットはノーダメージとは言えないが、どうやら常春は警察沙汰にするつもりはないらしい。

 ペコペコ頭を下げて立ち去るお姉さんを見送ってから、常春は俺の手を引いて、慣れた足取りで繁華街を歩きだした。
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