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6)絵日記と、海。
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数ヶ月ほど預かっていたあの子猫の家族が決まった。
相手は新婚の若い夫婦で、引き渡し日には悟と均、それに将貴までもが我が家にやってきた。
半泣きの均と、うるうるしつつもこらえる悟。
そんな二人の肩を抱く、将貴。
猫の引き渡しを行いながら、俺はぼんやりと、これでこいつらとの関係も疎遠になっていっちまうのかな。何とかしないとな。なんて考えていた。
将貴にはまだハグもチューもしてもらってないけど、もうこんなに頻繁には会えなくなってしまうのかな……。
そりゃバイト先の店に行けば会えるのかもしれないが、なんだか関係が遠くなってしまう気がして寂しかった。
猫と夫婦を見送って、無意識に将貴の薄い肩に手をおいてしまう。
将貴の表情を窺うとなんとも悲しげで、けれど涙は出ていなかった。
なんとなく別れ難い雰囲気に、思わず三人の肩を抱くように引き寄せた。
「ん、たまには外に飯でも食いに行くか? あんま高いとこは無理だけど……」
駅前の馴染みの定食屋で、四人で食事を摂った。
食事中は猫との思い出話に花が咲いたが、皆が食べ終わると、段々としんみりした空気になった。
定食屋を出て一つ目の分かれ道の前で、俺達は誰からともなく立ち止まる。
俺達の家は、ここから逆方向なのだ。
「ね、また奏さん家に行ってもいい?」
おずおずと切り出したのは、均だった。
「ん? おー、いいよ。均が読んでた探偵漫画の新刊、来月出るはずだから買っておくよ」
「え、それ僕も読みたい! ドラマのほう、いいところで終わってるんだもん」
すかさず悟が答える。
「おー、来い来い。締め切り前以外なら、いつでもウエルカムー」
明るくそう答えてやると、悟と均はホッとしたのか笑顔で漫画の話を始めた。
猫との別れも勿論寂しかったのだろうが、こいつらはもしや、猫がいなくなったらもう俺に会いに来ちゃいけないと思っていたとか?
「あ、あの。僕も、いい? その。会いに、行っても……」
おずおずと、将貴が言った。
「あっ、その。借りてるものとか、返さなきゃいけないし……」
恥ずかしそうに言って、将貴はモゴモゴと口籠る。
うーん、兄弟だなぁ。どうやら将貴も二人と同じ事を考えてたらしい。つまりは、ここにいる全員、同じ事を考えていた訳で。
「おー勿論。ていうか友達が遊びに来るのに理由は要らないだろ。借りとか寂しいこと言わないの。いつでも歓迎するよ」
そう言って、俺は将貴の頭をくしゃくしゃ撫でてやる。
安心したように微笑む将貴があまりに可愛くて、俺は将貴にすっかり夢中になっている自分に気が付く。
あー、駄目だ。完全に好きだわー。この笑顔、俺だけのものにしたい。
三人を見えなくなるまで見送りながら、とりあえず今後どう将貴にアプローチしてやろうか、算段を企てる俺なのだった。
***
その機会はことの他早くにやってきた。
事の発端は、我が家にやってきていた小学生兄弟の、夏休みの宿題を見てやっていた時のことだった。
「あーもー、なんで宿題こんなにあるの? 終わらないよー」
計算ドリルを黙々とやる悟の横で、均はちゃっかり扇風機の前を占拠しつつ、グチグチ文句を言いながら絵日記を描いていた。
「そもそも僕の絵日記なんて『毎日友達の誰かとナニナニして遊びました。楽しかったです』ばっかなんだよ? つまーんなーいー。自由研究だってあるのにさー」
均は末っ子気質なのか、遠慮がちな兄二人に比べると比較的奔放な性格だった。
均は鉛筆を机にポイッと放り投げ、唇をへの字に曲げる。
「ん? どっか行きたいのか?」
何気なく聞き返すと、二人がバッと俺の方を見た。
「えっ?! 奏さん、どっか連れて行ってくれるの?!」
「う、海とか……山とか……花火とか遊園地とか……?」
見ると、二人の瞳がキラキラと輝いていた。
「お、おう。あー、えーっと。遠出となると将貴と相談しなくちゃならない、かな」
二人の勢いに押されて言葉を濁しつつ、俺は一瞬で将貴と過ごす海や山、花火大会なんかを想像して、思わずニヤけてしまう。
「そうだな、せっかくの夏休みだし。よし、兄ちゃんは俺が説得してみせるから、期待してな!」
そうと決まれば。
俺はパソコンを開き、早速夏休みのお出掛け計画を立て始めるのだった。
***
ってな訳で。
俺たち四人は数日後、レンタカーで三時間ほどの海に来ていた。
小学生兄弟は着くなり大はしゃぎで海に走り、将貴と俺は慌てて二人を追いかけた。
レンタルの浮き輪で波に浮かび、岩場で蟹を捕り、海の家で焼きそばやかき氷を食べてはしゃぐ。
均はもちろん、いつもは大人びていて遠慮がちな悟と将貴も、今日ばかりははち切れそうな笑顔だ。
こんなに喜んでもらえるなら、連れてきて良かった。将貴だって、バイトばかりの青春じゃーもったいないもんな。
普段コンビニ以外あまり家から出ない俺の皮膚は、ジリジリと容赦なく照りつける太陽と灼熱の砂浜にこんがり焼かれて、日焼け止めを塗った甲斐もなく、すでにヒリヒリしていた。
途中で慌ててパラソルの下に退避するが、こりゃー数日以内には皮が剝けること必至だな。
いつもの俺なら『うわー最悪!』なんて思うところだったけど、今は将貴のおかげで、こんな夏もたまにはいいもんだなと思える。
将貴達と出会わなかったら、俺は海水浴なんてくるタイプじゃないしなー。
帰り道。
朝から海で遊び倒した小学生兄弟は疲れて、車に戻るなり後部座席で眠ってしまった。
俺はレンタカーのハンドルを握りながら、信号待ちで車を止めると、助手席の将貴を見る。
「将貴、今日はお疲れさん。眠くないか? 明日もバイトだろ。別に襲ったりしないから、寝ててもいいぞ?」
冗談めいてそう言うが、俺のこの手の冗談にも慣れてきたのか、将貴は笑った。
「あはは。何だか、体は疲れてるのに、眠くないんですよね。何でだろう? 奏さんこそ、運転お疲れ様です」
時刻は夕暮れ時で、助手席の将貴の頬は夕焼けを浴びたせいか、ほんのり朱に染まっていた。
「僕、父が居なくなってから、海に来たの初めてです。母さんは均が生まれてからはずっと仕事が忙しい人だったし」
「そっか」
「あんなに楽しそうな均と悟、久しぶりに見た。僕も本当に楽しかった……。ありがとうございます。奏さんのおかげです」
そう言ってふんわりと微笑んだ将貴の笑顔が本当に綺麗で、俺は思わず見とれてしまった。
が、信号が青になったので慌てて車を発進させて、視線を前に戻す。
「はは。そりゃー良かった。じゃー、またどっかに誘わなきゃーなぁ」
「えっ。でも」
「うん? 迷惑?」
「……じゃ、なくて。その……」
そう言ってから、将貴は言葉を探すように俺を見た。
「だって、その……。奏さんはどうして僕達にそんなに親切にしてくれるのかなって。ひと回り以上も離れたこんな僕に優しくしてくれて……、弟達とも遊んでくれて。こうして出掛けたらお金だってかかるし、お仕事の邪魔にもなってますよね? 僕、こんなに親切にしてもらって、奏さんにどう恩返し出来るかわからないし、その…」
いつだって将貴は真面目で、お金や恩返しにこだわる。
「恩返しなんていらないよ。俺がしたくてしてるんだから。俺が将貴と海に行きたかったから誘った。喜ぶ顔が見たいから均と悟も誘ったし、三人が来るようになってから俺は規則正しい生活になったから、体調もいい。何より、俺も楽しい」
真剣な将貴に対して、俺はのらりくらりと笑ってみせた。
「なんで……」
「んー……。なんでと言われても」
将貴の背後には海とロマンチックな夕焼け。
楽しく遊んだ帰り道。男女だったら、最高のシチュエーションかもしれない。
けど、ここで男の俺が将貴を本気で好きだと言ったら、流石に帰りの車内であと三時間ほど二人っきりってのは、下手したら最悪に気まずい空気になる。
ま、正確には二人っきりじゃなく、後部座席で寝ている弟達がいるのだけど。
この質問をどう誤魔化すか俺が思案していると、将貴が口を開いた。
「じゃあ、あの……せめてっ……。いつかの、体で恩返しするってやつ……。今日、してもいい? ハグと、ほっぺにキス……」
「っ!? あーうん。良いけど、今運転中だから、あとでね」
「分かった」
将貴の不意打ちの一言に、俺は動揺しすぎて超クールな返しをしてしまった。
将貴は当たり前みたいにコクリと頷く。
年甲斐もなく、心臓の鼓動が早い。
運転に集中しようと努めていたが、俺はもはや事故らないだけで精いっぱいだ。
あの夜以来、何度か妄想の中で繰り返した、将貴とのハグとキス……。
まさか将貴の方からそんな事を言ってもらえる日がくるなんて、全く思っていなかった。
相手は新婚の若い夫婦で、引き渡し日には悟と均、それに将貴までもが我が家にやってきた。
半泣きの均と、うるうるしつつもこらえる悟。
そんな二人の肩を抱く、将貴。
猫の引き渡しを行いながら、俺はぼんやりと、これでこいつらとの関係も疎遠になっていっちまうのかな。何とかしないとな。なんて考えていた。
将貴にはまだハグもチューもしてもらってないけど、もうこんなに頻繁には会えなくなってしまうのかな……。
そりゃバイト先の店に行けば会えるのかもしれないが、なんだか関係が遠くなってしまう気がして寂しかった。
猫と夫婦を見送って、無意識に将貴の薄い肩に手をおいてしまう。
将貴の表情を窺うとなんとも悲しげで、けれど涙は出ていなかった。
なんとなく別れ難い雰囲気に、思わず三人の肩を抱くように引き寄せた。
「ん、たまには外に飯でも食いに行くか? あんま高いとこは無理だけど……」
駅前の馴染みの定食屋で、四人で食事を摂った。
食事中は猫との思い出話に花が咲いたが、皆が食べ終わると、段々としんみりした空気になった。
定食屋を出て一つ目の分かれ道の前で、俺達は誰からともなく立ち止まる。
俺達の家は、ここから逆方向なのだ。
「ね、また奏さん家に行ってもいい?」
おずおずと切り出したのは、均だった。
「ん? おー、いいよ。均が読んでた探偵漫画の新刊、来月出るはずだから買っておくよ」
「え、それ僕も読みたい! ドラマのほう、いいところで終わってるんだもん」
すかさず悟が答える。
「おー、来い来い。締め切り前以外なら、いつでもウエルカムー」
明るくそう答えてやると、悟と均はホッとしたのか笑顔で漫画の話を始めた。
猫との別れも勿論寂しかったのだろうが、こいつらはもしや、猫がいなくなったらもう俺に会いに来ちゃいけないと思っていたとか?
「あ、あの。僕も、いい? その。会いに、行っても……」
おずおずと、将貴が言った。
「あっ、その。借りてるものとか、返さなきゃいけないし……」
恥ずかしそうに言って、将貴はモゴモゴと口籠る。
うーん、兄弟だなぁ。どうやら将貴も二人と同じ事を考えてたらしい。つまりは、ここにいる全員、同じ事を考えていた訳で。
「おー勿論。ていうか友達が遊びに来るのに理由は要らないだろ。借りとか寂しいこと言わないの。いつでも歓迎するよ」
そう言って、俺は将貴の頭をくしゃくしゃ撫でてやる。
安心したように微笑む将貴があまりに可愛くて、俺は将貴にすっかり夢中になっている自分に気が付く。
あー、駄目だ。完全に好きだわー。この笑顔、俺だけのものにしたい。
三人を見えなくなるまで見送りながら、とりあえず今後どう将貴にアプローチしてやろうか、算段を企てる俺なのだった。
***
その機会はことの他早くにやってきた。
事の発端は、我が家にやってきていた小学生兄弟の、夏休みの宿題を見てやっていた時のことだった。
「あーもー、なんで宿題こんなにあるの? 終わらないよー」
計算ドリルを黙々とやる悟の横で、均はちゃっかり扇風機の前を占拠しつつ、グチグチ文句を言いながら絵日記を描いていた。
「そもそも僕の絵日記なんて『毎日友達の誰かとナニナニして遊びました。楽しかったです』ばっかなんだよ? つまーんなーいー。自由研究だってあるのにさー」
均は末っ子気質なのか、遠慮がちな兄二人に比べると比較的奔放な性格だった。
均は鉛筆を机にポイッと放り投げ、唇をへの字に曲げる。
「ん? どっか行きたいのか?」
何気なく聞き返すと、二人がバッと俺の方を見た。
「えっ?! 奏さん、どっか連れて行ってくれるの?!」
「う、海とか……山とか……花火とか遊園地とか……?」
見ると、二人の瞳がキラキラと輝いていた。
「お、おう。あー、えーっと。遠出となると将貴と相談しなくちゃならない、かな」
二人の勢いに押されて言葉を濁しつつ、俺は一瞬で将貴と過ごす海や山、花火大会なんかを想像して、思わずニヤけてしまう。
「そうだな、せっかくの夏休みだし。よし、兄ちゃんは俺が説得してみせるから、期待してな!」
そうと決まれば。
俺はパソコンを開き、早速夏休みのお出掛け計画を立て始めるのだった。
***
ってな訳で。
俺たち四人は数日後、レンタカーで三時間ほどの海に来ていた。
小学生兄弟は着くなり大はしゃぎで海に走り、将貴と俺は慌てて二人を追いかけた。
レンタルの浮き輪で波に浮かび、岩場で蟹を捕り、海の家で焼きそばやかき氷を食べてはしゃぐ。
均はもちろん、いつもは大人びていて遠慮がちな悟と将貴も、今日ばかりははち切れそうな笑顔だ。
こんなに喜んでもらえるなら、連れてきて良かった。将貴だって、バイトばかりの青春じゃーもったいないもんな。
普段コンビニ以外あまり家から出ない俺の皮膚は、ジリジリと容赦なく照りつける太陽と灼熱の砂浜にこんがり焼かれて、日焼け止めを塗った甲斐もなく、すでにヒリヒリしていた。
途中で慌ててパラソルの下に退避するが、こりゃー数日以内には皮が剝けること必至だな。
いつもの俺なら『うわー最悪!』なんて思うところだったけど、今は将貴のおかげで、こんな夏もたまにはいいもんだなと思える。
将貴達と出会わなかったら、俺は海水浴なんてくるタイプじゃないしなー。
帰り道。
朝から海で遊び倒した小学生兄弟は疲れて、車に戻るなり後部座席で眠ってしまった。
俺はレンタカーのハンドルを握りながら、信号待ちで車を止めると、助手席の将貴を見る。
「将貴、今日はお疲れさん。眠くないか? 明日もバイトだろ。別に襲ったりしないから、寝ててもいいぞ?」
冗談めいてそう言うが、俺のこの手の冗談にも慣れてきたのか、将貴は笑った。
「あはは。何だか、体は疲れてるのに、眠くないんですよね。何でだろう? 奏さんこそ、運転お疲れ様です」
時刻は夕暮れ時で、助手席の将貴の頬は夕焼けを浴びたせいか、ほんのり朱に染まっていた。
「僕、父が居なくなってから、海に来たの初めてです。母さんは均が生まれてからはずっと仕事が忙しい人だったし」
「そっか」
「あんなに楽しそうな均と悟、久しぶりに見た。僕も本当に楽しかった……。ありがとうございます。奏さんのおかげです」
そう言ってふんわりと微笑んだ将貴の笑顔が本当に綺麗で、俺は思わず見とれてしまった。
が、信号が青になったので慌てて車を発進させて、視線を前に戻す。
「はは。そりゃー良かった。じゃー、またどっかに誘わなきゃーなぁ」
「えっ。でも」
「うん? 迷惑?」
「……じゃ、なくて。その……」
そう言ってから、将貴は言葉を探すように俺を見た。
「だって、その……。奏さんはどうして僕達にそんなに親切にしてくれるのかなって。ひと回り以上も離れたこんな僕に優しくしてくれて……、弟達とも遊んでくれて。こうして出掛けたらお金だってかかるし、お仕事の邪魔にもなってますよね? 僕、こんなに親切にしてもらって、奏さんにどう恩返し出来るかわからないし、その…」
いつだって将貴は真面目で、お金や恩返しにこだわる。
「恩返しなんていらないよ。俺がしたくてしてるんだから。俺が将貴と海に行きたかったから誘った。喜ぶ顔が見たいから均と悟も誘ったし、三人が来るようになってから俺は規則正しい生活になったから、体調もいい。何より、俺も楽しい」
真剣な将貴に対して、俺はのらりくらりと笑ってみせた。
「なんで……」
「んー……。なんでと言われても」
将貴の背後には海とロマンチックな夕焼け。
楽しく遊んだ帰り道。男女だったら、最高のシチュエーションかもしれない。
けど、ここで男の俺が将貴を本気で好きだと言ったら、流石に帰りの車内であと三時間ほど二人っきりってのは、下手したら最悪に気まずい空気になる。
ま、正確には二人っきりじゃなく、後部座席で寝ている弟達がいるのだけど。
この質問をどう誤魔化すか俺が思案していると、将貴が口を開いた。
「じゃあ、あの……せめてっ……。いつかの、体で恩返しするってやつ……。今日、してもいい? ハグと、ほっぺにキス……」
「っ!? あーうん。良いけど、今運転中だから、あとでね」
「分かった」
将貴の不意打ちの一言に、俺は動揺しすぎて超クールな返しをしてしまった。
将貴は当たり前みたいにコクリと頷く。
年甲斐もなく、心臓の鼓動が早い。
運転に集中しようと努めていたが、俺はもはや事故らないだけで精いっぱいだ。
あの夜以来、何度か妄想の中で繰り返した、将貴とのハグとキス……。
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