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82)お別れとはじまり(律火視点)
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そうまでして愛した父を自分の手でおかしくしてしまった母もまた、遂には正気を保てなくなってしまった。
それが両親の離婚、ひいては母の死の真相だった。
「東條院魁斗は昔からそういう汚い噂の絶えない男なの。私の親戚達が結婚を反対したのは、どちらかと言うとその噂の方が原因ね」
「じゃあみんな、お母様を心配しての反対だったんだね」
「勿論それもあるとは思うわ。けれど、私に言わせれば結局みんな東條院家に……あの男に関わりたくないのよ。みんなあの男が怖いの。私だって、梨衣子が自分の娘じゃなかったらきっと同じ事をしていたと思う」
「……」
そんな男がお祖母様の死後、自分を引き取ろうとしている。
僕の容姿は若い頃のお母様にそっくりらしいけれど、幸いなことに僕は男だ。
彼の目的が分からなかった。
だが少なくとも、『上手くやれる』などという己の考えが甘かったことは認識した。
僕の表情を見た祖母は、点滴の繋がった手を伸ばして僕の手を優しく握る。
「あの家に引き取られるならばお金にだけは不自由しないと思う。けれど東條院魁斗はあちらこちらでとにかく悪い噂の絶えない男よ。先立つ私がこんな事を言う権利がないのは分かってる。けど、お願いよ」
「……?」
お祖母様はさめざめと涙を流しながら、僕を引き寄せて、ギュッと抱きしめた。
「何があっても、あなたは気持ちを強く持って。どんな事が起きても、お母様や私の分まで生きていて欲しい」
「お祖母様……」
「大人になるまではじっと息を潜めて、やり過ごすの。大人にさえなれば、お父様みたいに一族から逃げられる機会もきっとあるはずよ。だからお願い」
お父様は、僕らを見捨てて現実から逃げた。
だけどこれは言い換えれば、お父様は全てを捨てる代償として、東條院家から逃げる事に成功したとも言える。
あんな男から上手く逃げる自信なんて、僕にはなかった。
けれど、身体中にチューブを付け、明らかに死が近づいているにも関わらず、祖母が僕の心配ばかりをし、母のように僕に謝り、泣いてばかりな事が悲しくて。
せめて気を強く持って、祖母や母の分まで生きよう。
そう思った。
「――うん、分かった。僕は大丈夫だから、お祖母様。もう泣かないで」
「律ちゃん……」
僕は無理矢理笑顔を作って、祖母にそう言うしかなかった。
弱りきった彼女に心配をかけることは、決して体に良くない。
唯一最後まで僕を愛してくれたお祖母様の残り僅かな時間を、これ以上縮めたくはない。
だから僕は精一杯笑顔を作って、聞き分けの良い子供を演じた。
「それにね、お祖母様。もしもの事だなんて言わないで。お祖母様はまだ生きてて、こうしてお話もできるんだもん。もしかしたら奇跡が起きて、この先もお祖母様とずっと一緒に暮らせるかもしれないじゃない」
なおも涙を流すお祖母様に、僕はポケットからハンカチを渡す。
元気だった頃のお母様が刺繍を入れてくれたこのハンカチは、僕のお守りだった。
「ごめんね……。そう、そうよね……」
「うん。“病は気から”だよ、お祖母様。早く元気になって。あ、そうだ。今日学校でね――――」
僕は敢えて他愛ない話題を振って、お祖母様の笑顔を引き出そうとする。
そんな奇跡が起こらないってことは、僕もお祖母様も本当はよく分かっていた。だからこそ、少しでも長くお祖母様の笑顔を見ていたかった。
そんな彼女は骨と皮ばかりになった手で僕の手を強く握ると、真っ直ぐに僕を見据えて微笑み、僕の頭を優しく撫でてくれた。
けれど翌日以降、彼女はもう目を覚まさなかった。
ドラマチックなお別れシーンなんて期待なんてしていなかったけど、あまりに呆気ないお別れだった。
数日後、僕は母の時と同じように白い骨になった祖母を骨壷に納めた。
ただ一つ母の時と違っていたのは、喪主が祖母ではなく、中学生になったばかりの僕だったということ。
そして、前回来てくれた母方の親族は、もはや片手で足る程しかいなかったという事だ。
***
祖母が亡くなって間もなく、東條院家の使用人たちとの暮らしが始まった。
『東條院家次男の名に恥じぬように』そう言われ続けて、何かにつけて僕を『スペア』と呼ぶ人達とする暮らし。
祖母を失った悲しみで、しばらく僕は部屋にこもった。
それが両親の離婚、ひいては母の死の真相だった。
「東條院魁斗は昔からそういう汚い噂の絶えない男なの。私の親戚達が結婚を反対したのは、どちらかと言うとその噂の方が原因ね」
「じゃあみんな、お母様を心配しての反対だったんだね」
「勿論それもあるとは思うわ。けれど、私に言わせれば結局みんな東條院家に……あの男に関わりたくないのよ。みんなあの男が怖いの。私だって、梨衣子が自分の娘じゃなかったらきっと同じ事をしていたと思う」
「……」
そんな男がお祖母様の死後、自分を引き取ろうとしている。
僕の容姿は若い頃のお母様にそっくりらしいけれど、幸いなことに僕は男だ。
彼の目的が分からなかった。
だが少なくとも、『上手くやれる』などという己の考えが甘かったことは認識した。
僕の表情を見た祖母は、点滴の繋がった手を伸ばして僕の手を優しく握る。
「あの家に引き取られるならばお金にだけは不自由しないと思う。けれど東條院魁斗はあちらこちらでとにかく悪い噂の絶えない男よ。先立つ私がこんな事を言う権利がないのは分かってる。けど、お願いよ」
「……?」
お祖母様はさめざめと涙を流しながら、僕を引き寄せて、ギュッと抱きしめた。
「何があっても、あなたは気持ちを強く持って。どんな事が起きても、お母様や私の分まで生きていて欲しい」
「お祖母様……」
「大人になるまではじっと息を潜めて、やり過ごすの。大人にさえなれば、お父様みたいに一族から逃げられる機会もきっとあるはずよ。だからお願い」
お父様は、僕らを見捨てて現実から逃げた。
だけどこれは言い換えれば、お父様は全てを捨てる代償として、東條院家から逃げる事に成功したとも言える。
あんな男から上手く逃げる自信なんて、僕にはなかった。
けれど、身体中にチューブを付け、明らかに死が近づいているにも関わらず、祖母が僕の心配ばかりをし、母のように僕に謝り、泣いてばかりな事が悲しくて。
せめて気を強く持って、祖母や母の分まで生きよう。
そう思った。
「――うん、分かった。僕は大丈夫だから、お祖母様。もう泣かないで」
「律ちゃん……」
僕は無理矢理笑顔を作って、祖母にそう言うしかなかった。
弱りきった彼女に心配をかけることは、決して体に良くない。
唯一最後まで僕を愛してくれたお祖母様の残り僅かな時間を、これ以上縮めたくはない。
だから僕は精一杯笑顔を作って、聞き分けの良い子供を演じた。
「それにね、お祖母様。もしもの事だなんて言わないで。お祖母様はまだ生きてて、こうしてお話もできるんだもん。もしかしたら奇跡が起きて、この先もお祖母様とずっと一緒に暮らせるかもしれないじゃない」
なおも涙を流すお祖母様に、僕はポケットからハンカチを渡す。
元気だった頃のお母様が刺繍を入れてくれたこのハンカチは、僕のお守りだった。
「ごめんね……。そう、そうよね……」
「うん。“病は気から”だよ、お祖母様。早く元気になって。あ、そうだ。今日学校でね――――」
僕は敢えて他愛ない話題を振って、お祖母様の笑顔を引き出そうとする。
そんな奇跡が起こらないってことは、僕もお祖母様も本当はよく分かっていた。だからこそ、少しでも長くお祖母様の笑顔を見ていたかった。
そんな彼女は骨と皮ばかりになった手で僕の手を強く握ると、真っ直ぐに僕を見据えて微笑み、僕の頭を優しく撫でてくれた。
けれど翌日以降、彼女はもう目を覚まさなかった。
ドラマチックなお別れシーンなんて期待なんてしていなかったけど、あまりに呆気ないお別れだった。
数日後、僕は母の時と同じように白い骨になった祖母を骨壷に納めた。
ただ一つ母の時と違っていたのは、喪主が祖母ではなく、中学生になったばかりの僕だったということ。
そして、前回来てくれた母方の親族は、もはや片手で足る程しかいなかったという事だ。
***
祖母が亡くなって間もなく、東條院家の使用人たちとの暮らしが始まった。
『東條院家次男の名に恥じぬように』そう言われ続けて、何かにつけて僕を『スペア』と呼ぶ人達とする暮らし。
祖母を失った悲しみで、しばらく僕は部屋にこもった。
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