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71)順応と変化
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その電話がかかってきたのは、水湊様とのドライブの一件があってから三日後のことだった。
水湊様はあの一件以来更にお忙しそうで、今夜もお屋敷に戻られず会社に泊まられる、とのことだった。
昨日今日は律火様も何だかお忙しそうだったし、詩月様は逆にこの三日、学校以外の時間はお部屋からほとんど出て来られない。
何となくだけれど、お屋敷の中の空気感が前とは違う。そんな気がして、けれども私がしゃしゃり出て何か出来ることがある訳でもなく。
今宵どなたからもお呼びのかからぬ私は、最近腰が痛いと言っていた掃除担当スタッフの代わりに、屋敷の風呂掃除を買って出た。このお屋敷のお風呂は広く、数も多い。腰痛持ちで掃除をすのは辛いと思う。
愛玩奴隷としての仕事はなくとも、せめて頂いているお給料の分は働かないと。私は張り切って腕とズボンの裾をまくり、タイルの隅々まで磨き上げた。
掃除が終わって用具を片付けていると、背後から現れたのは退勤間際らしい樫原さんだ。
「日和ぃ、一番に外線電話だよ~」
「え、私に? どなたからでしょう?」
「んー、出たら分かるよ。じゃあボクはもう上がりだから。ごゆっくり~」
電話の子機を持ってそう意味深に微笑む樫原さんを尻目に、私は持っていた道具を床に置いて、樫原さんから受話器を受け取り耳にあてた。
「もしもし。お電話代わりました、藤倉です。ええと……」
「――――日和……? 日和ぃぃぃ!」
「日和だぁっ!!!」
私が話し始めた途端に受話器の向こうから聞こえたのは、数人の懐かしい子供達の声だった。
懐かしい、甘えるような喋り方。これは、もしかして。
「その声……まさか翔夜……? 後ろにいるのは紡に大毅……?」
「うん、そう! 日和、良かった。皆ずっと、あの日お屋敷に一人残った日和を心配してたんだよ」
「心配……? 私を……?」
受話器の向こうにいる子供達。それは正しく、あのお屋敷で共に過ごしていた仲間たちだった。
私が幼い彼らの心配をするのと同様に、幼い彼らも私を心配してくれていた……。そう思うと、懐かしさと嬉しさで胸が詰まる。
「こないだこの施設に東條院様のお使いって人が来てね。日和は今東條院様のお屋敷にいるよって教えてくれたんだ。日和が僕達の様子を知りたがってるって聞いて。“それなら僕達が直接日和とお話したい!”って言ったら、“特別ですよ”って言って、お屋敷直通の電話番号を教えてくれたの」
彼らのその言葉に、私は瞬時に水湊様が先日の私の言葉を覚えていて、早々に動いて下さったことを悟る。
「その後、職員さんやカウンセラーさんに皆でお願いしてね。『少しだけなら電話をしてもいいよ』って言ってくれたんだ」
「そうだったんだ。他のみんなは元気?」
「元気だよ! みんな、園の中で何人かずつお部屋が分かれているの。僕達三人は同じ部屋なんだ。日和は元気? 新しいご主人様に酷い事とかされてない?」
「ねー大毅っ、日和はなんて言ってるの!? 僕も日和とお話したいっ。代わってよぉ」
「あー、待って。今ハンズフリーにするから」
電話口の向こうでわちゃわちゃと話す子供達の声。そのどれもが懐かしくて、私は思わず涙ぐんでしまった。
「みんな、お元気そうで良かったです。ちゃんと施設の大人の言うことを聞いて、いい子にしていますか?」
「うん。先生達、みんなすっごく優しいよ。お掃除とかお洗濯はお屋敷にいた時みたいにみんな当番制でしてるけど、勉強は家庭教師じゃなくて『学校』って所で教えて貰えるんだ」
「教科書や本も、夜伽なんてしなくても、先生達が全員分ちゃーんと買ってくれたんだよ」
「学校にはお休みの日がちゃんとあるし、お休みの日はテレビも漫画も自由に見て良くて。あっ、お菓子もあるよ。風邪を引いて家事が出来なくても、叩かれたりご飯を抜かれたりしないの。熱が出るとむしろ先生達は、日和みたいに傍で優しく看病してくれるんだ」
「園長先生も他の宿直の先生達も、僕達を夜な夜なベッドに無理矢理連れ込んだりしないんだよ」
「カウンセラーさんが、僕たちはもう誰かに無理矢理触られるのを我慢したり、痛い思いをしてご主人様に大人にして貰わなくていいんだよって」
「そーいうのは本当は、将来好きな人が出来て、『その人と一緒にしたい』って思ったらすることなんだって。嫌ならしなくてもいいんだって、カウンセラーさんが言ってたの」
「――――そうですか」
この屋敷に雇われてまもなく二ヶ月。
自分が置かれていた環境がどうやら特殊であったことは、私も少しづつ分かってきたつもりだった。
けれど子供達はもうとっくに私より先を行っていて、世の中という物に順応しているようだった。
水湊様はあの一件以来更にお忙しそうで、今夜もお屋敷に戻られず会社に泊まられる、とのことだった。
昨日今日は律火様も何だかお忙しそうだったし、詩月様は逆にこの三日、学校以外の時間はお部屋からほとんど出て来られない。
何となくだけれど、お屋敷の中の空気感が前とは違う。そんな気がして、けれども私がしゃしゃり出て何か出来ることがある訳でもなく。
今宵どなたからもお呼びのかからぬ私は、最近腰が痛いと言っていた掃除担当スタッフの代わりに、屋敷の風呂掃除を買って出た。このお屋敷のお風呂は広く、数も多い。腰痛持ちで掃除をすのは辛いと思う。
愛玩奴隷としての仕事はなくとも、せめて頂いているお給料の分は働かないと。私は張り切って腕とズボンの裾をまくり、タイルの隅々まで磨き上げた。
掃除が終わって用具を片付けていると、背後から現れたのは退勤間際らしい樫原さんだ。
「日和ぃ、一番に外線電話だよ~」
「え、私に? どなたからでしょう?」
「んー、出たら分かるよ。じゃあボクはもう上がりだから。ごゆっくり~」
電話の子機を持ってそう意味深に微笑む樫原さんを尻目に、私は持っていた道具を床に置いて、樫原さんから受話器を受け取り耳にあてた。
「もしもし。お電話代わりました、藤倉です。ええと……」
「――――日和……? 日和ぃぃぃ!」
「日和だぁっ!!!」
私が話し始めた途端に受話器の向こうから聞こえたのは、数人の懐かしい子供達の声だった。
懐かしい、甘えるような喋り方。これは、もしかして。
「その声……まさか翔夜……? 後ろにいるのは紡に大毅……?」
「うん、そう! 日和、良かった。皆ずっと、あの日お屋敷に一人残った日和を心配してたんだよ」
「心配……? 私を……?」
受話器の向こうにいる子供達。それは正しく、あのお屋敷で共に過ごしていた仲間たちだった。
私が幼い彼らの心配をするのと同様に、幼い彼らも私を心配してくれていた……。そう思うと、懐かしさと嬉しさで胸が詰まる。
「こないだこの施設に東條院様のお使いって人が来てね。日和は今東條院様のお屋敷にいるよって教えてくれたんだ。日和が僕達の様子を知りたがってるって聞いて。“それなら僕達が直接日和とお話したい!”って言ったら、“特別ですよ”って言って、お屋敷直通の電話番号を教えてくれたの」
彼らのその言葉に、私は瞬時に水湊様が先日の私の言葉を覚えていて、早々に動いて下さったことを悟る。
「その後、職員さんやカウンセラーさんに皆でお願いしてね。『少しだけなら電話をしてもいいよ』って言ってくれたんだ」
「そうだったんだ。他のみんなは元気?」
「元気だよ! みんな、園の中で何人かずつお部屋が分かれているの。僕達三人は同じ部屋なんだ。日和は元気? 新しいご主人様に酷い事とかされてない?」
「ねー大毅っ、日和はなんて言ってるの!? 僕も日和とお話したいっ。代わってよぉ」
「あー、待って。今ハンズフリーにするから」
電話口の向こうでわちゃわちゃと話す子供達の声。そのどれもが懐かしくて、私は思わず涙ぐんでしまった。
「みんな、お元気そうで良かったです。ちゃんと施設の大人の言うことを聞いて、いい子にしていますか?」
「うん。先生達、みんなすっごく優しいよ。お掃除とかお洗濯はお屋敷にいた時みたいにみんな当番制でしてるけど、勉強は家庭教師じゃなくて『学校』って所で教えて貰えるんだ」
「教科書や本も、夜伽なんてしなくても、先生達が全員分ちゃーんと買ってくれたんだよ」
「学校にはお休みの日がちゃんとあるし、お休みの日はテレビも漫画も自由に見て良くて。あっ、お菓子もあるよ。風邪を引いて家事が出来なくても、叩かれたりご飯を抜かれたりしないの。熱が出るとむしろ先生達は、日和みたいに傍で優しく看病してくれるんだ」
「園長先生も他の宿直の先生達も、僕達を夜な夜なベッドに無理矢理連れ込んだりしないんだよ」
「カウンセラーさんが、僕たちはもう誰かに無理矢理触られるのを我慢したり、痛い思いをしてご主人様に大人にして貰わなくていいんだよって」
「そーいうのは本当は、将来好きな人が出来て、『その人と一緒にしたい』って思ったらすることなんだって。嫌ならしなくてもいいんだって、カウンセラーさんが言ってたの」
「――――そうですか」
この屋敷に雇われてまもなく二ヶ月。
自分が置かれていた環境がどうやら特殊であったことは、私も少しづつ分かってきたつもりだった。
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