元・愛玩奴隷は愛されとろけて甘く鳴き~二代目ご主人様は三兄弟~

唯月漣

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10)二代目のご主人様

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 両掌りょうてのひらも絨毯の上に付いて、水湊様を見つめたままゆっくりと視線を床に落としてゆく。
 いわゆる土下座の形だ。

 
 前の主人は私が気に入らない行動を取ってしまったとき、これをすれば大体舌打ちや軽く毒づく程度で許してくれた。
 主の虫の居所が悪く、背中を蹴られたことも何度かはある。けれど、背中で済むならばダメージは最小限だ。

 これでご機嫌が直り、雇ってもらえるならば……と私は床に向かって必死に頭を下げた。毛足の長い絨毯が、冷や汗に濡れた額に触れる。
 
 すると椅子から立ち上がる気配の後、私の目の前に先程のピカピカの革靴が現れた。


「あっ……」


 まさか、蹴られる……?

 反射的に目を閉じて身構えたけれど、いつまで待っても覚悟していたような痛みは来なかった。


「顔を上げなさい」
「……!」


 まさか、背中ではなく顔面を蹴られるのだろうか……? そう思い、私は恐る恐る顔を上げた。けれども次に私の視界に映ったのは、びっしりと文字が印刷された紙だった。


「こ、これは……?」
「雇用契約書だ」
「コヨウ、ケイヤクショ……?」


 床に座り込んだままその紙を受け取った私は、傍に立つ水湊様を見上げた。


「私は土下座をしろなどと命じていない。すぐに立ちなさい」
「えっ……申し訳ありません」


 慌てて立ち上がった私に、水湊様は心底面倒くさそうにため息をついた。


「何も、今すぐに放り出すとまでは言っていないだろう。君の事情は把握している」
「…………!!」
「会社の書類に愛玩奴隷とは書けぬから、書類上は我々兄弟付きの雑用係ということにしてある。契約書に目を通し、そこに名前と判をついて明日にでも佐倉に渡しておくように」
「えっ…………」


 何が起きたのかよく分からないまま、もう一度床にへたり込む私を一瞥して、水湊様は再び椅子に戻って足を組んだ。


「樫原と弟たちに免じて、キミをその金額で一年間契約社員として雇う。その代わり、キミはこの屋敷で働きながら、まずは社会のことを学びなさい」
「…………!! あっ、ありがとうございます!」


 良かった……。取り敢えず、明日から路頭に迷うという危機は回避できたようだ。

 安堵のあまりへたり込んだままの体勢で再び頭を下げようとした私に、水湊様は再びため息をつかれた。


「この家で働きたいのならば、まずその土下座はやめなさい。私はただの雇用主だ。プレイ中はともかく、日常的な場面で不必要に惨めな真似はしなくていい」
「も、申し訳ございません……!」


 たしなめられた私は慌てて立ち上がり、改めて水湊様に向かって垂直に頭を下げた。


「それから。今日みたいな深夜の急な呼び出しには『深夜手当』をつける。夜の仕事については、君が寝不足にならぬよう、兄弟間で取り決めをしておく。土日は休みだ。社保については明日加入手続きをさせよう。他に質問は?」
「シャホ……?」
「社会保険だ。東條院グループの福利厚生は、契約社員であっても当然つく」
「ふくり……?」
「お前、本当に何も知らないのか……」


 水湊様のその台詞は、呆れではなく純粋に驚きといったふうだった。私は申し訳無さに苛まれながらコクリと頷く。


 ーーーーピピピッ。


 そんな会話の最中。

 不意に水湊様の腕時計が、小さな電子音を鳴らした。その音源を止めた水湊様は、椅子から立ち上がって私に背を向ける。


「十五分経過だ。詳しくは明日、樫原か佐倉にでも聞いてくれ。私はもう休む」
「あ……はい。あの……っ、お忙しい中ありがとうございました!」


 ペコリともう一度頭を下げた私は、頂いた雇用契約書を大切に持って、慌てて部屋を出た。
 
 部屋の外では限りなく眠そうな顔の樫原さんが待っていてくれて、私の手の中の雇用契約書を見るなり「良かったね」と優しく笑ってくれた。


 こうして私は新たな家、東條院家にて、三兄弟の愛玩奴隷(名目上は雑用係)として無事働くことが決まったのだった。

 
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