【完】大きな俺は小さな彼に今宵もアブノーマルに抱かれる

唯月漣

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29)泥棒猫じゃない(由岐視点)

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 仕事の締切を終えて、僕は気怠い体で冷凍庫を開けた。
 中から取り出したのは、あの日翔李さんが冷凍していってくれた最後のご飯だ。冷蔵庫から取り出した残り少ないカレーを全てそれにかけ、そのまま電子レンジに入れた。
 これはここ数日、僕の日課になっている。

 カレーが温まるのを待つ間、僕は冷蔵庫からビールを取り出した。やがてカレーが温まって、食べ終えるとぐったりとソファに身を預けた。


「翔李さん……今何してるかな」


 カレーを作りに来た日以来、翔李さんからの連絡は一切無かった。時刻は夜の九時半。会社はとっくに終わっているはずだから、今電話をかけたら声が聞けるかな……。


『人の夫を寝盗るなんて、信じられない。この、泥棒猫!!』
「ッ…………!」


 テレビから流れる女性の怒声につられ、ふとそんな声が僕の中でフラッシュバックした。
 僕を泥棒猫と表したのは、何番目の奥さんママだったか。あのときは確か、思い切りビンタをされた。殴られたのは僕の筈なのに、殴った奥さんは泣いていて。
 その日から旦那さんパパは腫れ物を扱うように僕と接した。針のむしろのような生活が続いた数カ月後、僕は別の家に引き取られた。


 翔李さんがあの日ユウキさんとヨリを戻したのなら、ここで僕が連絡をしてしまえば、僕はまた泥棒猫と言われるかもしれない。
 そうはならずとも、こちらから連絡をすれば優しい翔李さんを困らせてしまうのではないか……。




 ああ、翔李さんに嫌われるのは、嫌だな…………。すごく嫌だ……。
 慶史さん、キク。僕は、どうしたらいいのかな……。





◆◇◆◇◆◇





「由岐ッ、由岐ッ!!」


 インターフォンから、翔李さんの声が聞こえる。

 僕は這うようにインターフォンに付いている解錠ボタンを押すと、再び大理石の床の上に突っ伏した。
 何者かに力強い両腕で抱き上げられた僕は、鼻腔をくすぐる嗅ぎ慣れたシャンプーの香りでそれが翔李さんの腕であることに気が付く。


「熱があるんじゃないか……! ちょっと待ってろ」


 ベッドに寝かされた僕は、遠くでドタバタと慌てた様子の足音が行き来するのをぼんやり聞いていた。


「由岐っ、薬はどこにある?」
「薬……仕事部屋の棚の……左下……」
「分かった」


 ハードな締切が明けると、僕は決まって熱を出す。昨日はうっかりソファで寝てしまったようだが、この熱はいつも三日もすれば勝手に下がる。だから、翔李さんが心配する事なんてないのに……。


「翔李さん…………」


 ーーーーもう僕に、優しくしないで。
 そう言ったつもりだったのに、僕の口からは違う言葉が出た。


「翔李さん……愛しています。僕は貴方が大切だ」
「由岐……? おいっ」


 そこからの僕の記憶は途切れ途切れだ。
 薬を飲ませてくれようとした翔李さんにキスをねだったり、甘えて添い寝をせがんだり、桃缶を翔李さんの手から食べさせてもらったり。
 僕の行為はまるで母親に甘える小さな子供のようだったように思う。
 けれどもいつ目を開けても翔李さんは必ず僕の側にいて、「大丈夫か?」「体調は?」なんて聞いてくれるから、大きな安心感から僕は泥のように眠ってしまった。




 遮光カーテンの隙間から、朝日が差し込む。
 眩しさに体を起こした僕は、翔李さんの姿を室内に探した。けれども翔李さんの姿はどこにも無い。夢だったのかと不安になった僕は、彼の痕跡を探して家中を歩き回った。


『冷蔵庫に桃缶の残りアリ』


 そんな小さなメモを冷蔵庫のドアに見つけた僕は、そのメモを宝物のように握りしめた。
 けれど、その後何度連絡しても翔李さんからの返信はなくて、電話にも出てくれる様子はなかった。

 意を決して会社にも何度か行ってみたけれど、


「岡田は本日、お休みを頂いております」


という受付嬢の返事が返ってくるばかりだった。
 僕が避けられているのか、はたまた本当に休みなのか……。

 流石に会社の前で待ち伏せするには、僕の容姿は目立ち過ぎる。
 それでなくても、僕は受付嬢達の中では翔李さんの弟と言う事になってしまっている訳で……。僕の身勝手な理由で、彼に迷惑を掛ける訳にはいかなかった。

 仕方なく家に戻った僕は、久しぶりに慶史さんの煙草を手に取った。慣れた手付きで咥えた煙草に、オイルライターの火を近づける。


「不味い…………」


 あんなに依存していた慶史さんの香り。思えば翔李さんに煙草を咎められたあの夜を最後に、僕は慶史さんの煙草を手に取ることはなかった。
 数カ月ぶりに口にした煙草はただただ煙臭くて、とても苦かった。甘いヴァニラの香りが部屋の中にふわりと漂っていたけれども、それはいつものように僕を安心させてはくれなかった。





◆◇◆◇◆◇





 翔李さんと連絡が取れなくなってから、一週間が経った。

 その日は以前僕がデザインを納品した飲食店の看板が、完成品となって世に出る日だった。クライアントから、この日は是非直接見に来てほしいという連絡を受けていた。
 正直今は外出が心の底から億劫だったが、仕事とあっては仕方がない。
 重だるい体を叱咤して、僕は街へ出た。


 仕上がった飲食店の看板は思いの外良い仕上がりで、仲介をしてくれた広告代理店の静香は勿論、店主の大谷さんも大喜びしてくれて、店に飾るのだと言って看板の前で記念撮影までしてくれた。
 その後店主の好意で店名物のチャーシューメンをご馳走になった静香と僕は、人のごった返す夕刻の駅前で別れた。

 ーーーー思いの外良い気分転換になった。折角なら、駅前で珈琲でも飲んでから帰ろう。
 そう思い喫茶店に入った僕は、珈琲が運ばれるのを待つ間、窓際の席から何となく駅前を通る人々の人間観察をしていた。

 ふと、遠くに見慣れた派手な金髪が見えた。
 派手な金髪の男はこのあたりではいわゆるビッチとして有名な、テツという男だった。

 彼とは以前一度だけ、彼の方からナンパされる形で関係を持ったことがあった。
 彼は美人だったがさかりの付いた猫のような性格で、基本的に誰にでも人懐っこく、寂しくなると誰とでも寝てどんなプレイも厭わないという危なっかしい人物だ。

 それを知る人物は多いらしく、駅前に立っている彼には次々に体目当ての男達が声をかけた。が、珍しく断られたのかどの男も一言二言言葉を交わして、彼の元を去っていく。
 そんな中、三人組の男が現れてしつこく彼を誘い始めた。半ば力づくで連れ去られようとするテツを、僕は運ばれてきたカフェラテに口をつけながらぼんやりと眺めていた。
 
 ガラの悪そうな三人組は、どう見ても堅気ではない。可哀想だけれど、テツの場合は身から出た錆。自業自得だと思う。

 そんなことを思っていたら、テツの前にスーツの男が現れる。彼はきれいな黒髪に長身。口元から覗く、小さな八重歯……。


「翔李、さん……」


 何度か目を凝らして見つめてみるが、それは間違いなく翔李さんだった。翔李さんはテツと三人組の間に入る形で仲裁に入り、何やら言い争いをしているようだ。
 それでも三対二……。

 僕は反射的に立ち上がって支払いを済ませ、慌てて店から出ようとした。
 横断歩道の信号がようやく青になったその刹那、翔李さんとテツの前に三人目の男が現れた。
 黒髪の短髪に厳つい顔。浅黒の日焼けた肌に、熊を思わせるような筋肉質の肉体。格闘家を思わせるような体格の彼は、テツの手を掴んでいた男をいとも簡単にテツから引き剥がす。

 長身でガタイのいい翔李さんと並ぶと、どう見ても絡んできた三人組の方が劣勢だ。
 三人組は自分達が不利と見るや、逃げるように去っていった。


「あは……。僕が行ったところで、何の意味も無いのに」


 冷静になってみれば、あの場に僕が駆け付けた所で事態が好転したとは思えない。やがて楽しそうに連れ立ってどこかへ歩き去ろうとする三人の背中を、僕はもやもやした気持ちで見つめていた。
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