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3章 罪

【ファナエルSIDE】人間がブランド物を纏うかの如く、私は古い日誌と斧を身に纏った 後編

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 「この棚にある本を……」

 どれほどの時間が経ったのだろう。
 私は不安定な空中飛行を繰り返し、やっとのことで『大魔女キルケーの日誌』に書かれていた禁書庫にたどり着いた。

 体中が擦り傷だらけで痛い。
 本棚に向かって伸ばした右腕の深い所からもギシギシとした痛みが私を襲っている。

 ほこり被った古臭い革表紙の本を手に取る。

 「この本の中に禁斧キンフチェレクスが封印されているはずなんだよね」

 意を決した私は一呼吸を置いた後にガバっと本を開けた。
 それと同時に本は赤色の強い光を放ち始めた。
 バダバダバダと鳴りやまない音をかき鳴らしながら中身のページが一枚一枚破れて辺りに散らかってゆく。

 本の中心からぬるりと姿を現した禁斧キンフチェレクスは自分が思っているより禍々しい見た目をしていた。

 刃の部分は酷い刃こぼれを起こしている。
 赤黒い人間の血、赤が白く色褪せた天使の血、色々な種族の血が錆の様にこびりついて酷い悪臭を放っている。

 私が両手でその斧を握ると、同時に先ほどまで激しく存在感を表していた本は静かになりパタンと地面に落ちた。
 一目見ただけで……いや、こうやって持っているだけでこの斧が持つ強大な力に圧倒されてしまいそうだった。

 「こんな危ない物が保管されている場所に居たのによくあの時の私は怒られなかったね」

 昔私がこの禁書庫に偶然逃げ込んだ時、私は誰からも説教を受けなかった。
 あの日は悪魔が天界で反乱を始めて、力を無くした私は必死に逃げて逃げてここにたどり着いた。
 反乱騒動が落ち着いて禁書庫から出たときはロクなボディチェックもされなかった。

 確かあの時、皆が私にかけてくれた言葉はー

 「ちゃんと隠れていて偉かった……だっけ」

 やっぱり何か壁を感じる。
 不快感を煽って私の心をえぐる何かが。

 その壁の正体が何なのかを知るために私は天使の力を取り戻したい。
 禁斧キンフチェレクスで体の一部を切り落とせばその代償として大きな力を得ることが出来る、日誌にはそう書いてあった。

 「今の私が力を得るにはこれしかー」
 「その斧、手放してください」

 突如響いてきたその声に私は思わず振り返る。
 視界へ真っ先に映ったのは私の両親。
 二人の後ろにはぞろぞろと天使達が並んでいた。

 目は虚ろで緑色に光っている。
 皆の額にはアルゴスの服に付いていた目が紋章となって刻まれていた。

 「神様ってそんなことまで出来るんだね」
 「あなた達天使のように他人を更生させるなんて事を私は出来ません。適材適所って奴ですよ」
 
 後の方に立っていた天使達が声をあげる。
 この感じ、おそらくアルゴスは遠くで皆の事を操ってるのだろう。
 
 「なので、あなた達のご要望通り後は任せますよ」

 アルゴスが一言そう告げると、先頭に立っていた両親の額から紋章が消える。
 目に生気を灯した二人はアルゴスにお礼を言った後、私へ真っすぐな視線を向け始めた。

 「ファナエル、何をそんなに必死になっているんだ。そんな危ない物を使ってまで力を得る必要はないだろう?」
 「身体中傷だらけじゃない、きっとその体で無茶な飛び方をしたのね。家に帰ったら治療しないと」

 二人は優しい言葉を吐いて私へ近づいて来る。
 裏なんて無い、親としての愛情がこもった優しい二人の姿が目に映っているはずなのに、私の心は何故か未だに晴れない暗闇のまま。

 今ここで自分の思いを伝えなければ一生後悔してしまうんじゃないかって予感が頭に走る。
 私は思わず声を張り上げていた。

 「お父さん、お母さん。私、今の自分が嫌なの。一人じゃ空も飛べない、ろくに力を使う事すらできない、皆に支えられないと生活すらできないこの状況が嫌なの!!」
 「無理に飛ぼうとしなくていいんだよ。誰もファナエルの事を悪く思ったりしないから」
 「その傷は天使の使命を全うした証なんだから恥じる事は無いわ。あなたは自慢の娘よ」

 私の言葉をのらりくらりと躱したような台詞が心をえぐる。
 お父さんとお母さんはすっと右手を前に突き出し、私に向かって真っ白な光りを放射した。

 ############
 ############
 #############

 心にノイズが走る。
 二人にぶつけたい文句があったはずなのに思いだせない。
 この状況を嘆きたい言葉があったはずなのに思いだせない。
 どれだけ口を大きく開けても、息を吐きだそうとしても、感情を乗せた音が出ない。

 身体を優しく包み込む暖かな白い光はゆっくりゆっくりと体に忍び込んで私の心を蝕み漂白させてゆく。

 何もかも思いだせない様な苦しみの中、強く心に残り続けている感情が一つ。
 それは不快感。
 皆の言葉から壁を感じるたびに湧き上がってきた不快感だ。

 「そっか……そう言うことだったんだ」

 そして私はこの時、この壁の正体に気づいてしまったのだ。

 「ずっと気を使って遠慮して……皆が見てるのは私じゃない。飛べなくなってロクに力も使えない可哀そうな天使を見てるんだ」

 その壁の正体は優しさでデコレーションされていたから見抜くのが難しかったんだと思う。
 友人も、両親も、あのアルゴスとかいう神様も、アルゴスに命令を出した神様も、私の心なんて知らないふりをしている。
 皆が見ているのは状況だけ、羽を無くした天使と言う個体が起こす行動の結果だけ。

 皆の言葉に隠れていた壁は、無自覚の内に出来ていた優しい拒絶だったんだ。
 このままだと私の心は永遠に一人のまま、皆にぶつけたい言葉さえももみ消されたまま。

 #####あんまりだ。
 そ##のは嫌#。
 #んな心が痛むよ#な状況を続けるぐ##なら!!

 「アァァァァァァ!!!」

 私は大声を上げて禁斧キンフチェレクスを振り上げる。
 その大きな刃を自分に向けて、乱雑に振り下ろす。

 振り下ろされた斧は私の左羽へグシャリと食い込み、激痛を走らせながら左羽と私の身体を切り裂いた。

 「ハァ……ハァ……」

 バリンと皿の割れたような音が響く。
 
 私の心に走ったノイズが消えてゆく。
 消された感情が戻っていく。

 気づけば私の身体を覆っていた白い光は無くなっていた。
 その代わりと言わんばかりに生暖かい血が頭上からドバドバと流れ続けている。

 「ファナエル……光輪が割れてー」
 「いやぁぁぁー!!」
 「厄介な事になりましたね」

 両親は私を見ては悲鳴をあげ、アルゴスに操られている天使達は勢いよく動きだして私との距離を詰めてくる。
 それを見た私は何かに導かれるように右手を前に差しだした。

 『とりあえず彼女の身柄を拘束します』
 『能天気な上の判断のせいで本体の私は手が出せません』
 『とりあえず天使達の体を操作しながら上に報告を』

 アルゴスに操られている天使達から心の声がすっと耳に入る。
 ひどく懐かしい感覚だった。
 もう一度この感覚を味わえたことが心の底から嬉しい。

 私は心の高ぶりに身を任せたまま天使の力を発動した。
 周囲には弱々しく強風に煽られた焚き火の様に不安定な挙動を繰り返している白い光り。
 そして白い光りを補強するように交じっている黒いノイズ。

 『################』
 『#########################』
 『######################』

 ノイズ交じりの光りは竜や触手のような細長い形を作り、近づいて来る天使達の身体を一つ一つ迎撃していく。
 その動きはまるでさっき聞えて来た心の声をひねりつぶしている様にも、皆の心を踏みにじっているようにも見えたような気がした。

 破裂音が炸裂して禁書庫の棚が崩壊していく。
 あれよあれよという間にこの場に立っているのは私と両親だけとなってしまった。

 『どうしてこうなってしまったのだ』
 『ファナエルが羽を無くしてから、あの子が何を考えているのか分からないの』

 二人の声が聞えてくる。
 その声に含まれるのは恐怖と拒絶、そしてどうしても私の感情を理解することが出来ないという葛藤。

 『俺はどうすれば彼女を止められる』
 『私はどうすればいいのよ』

 そんな二人の疑問を晴らしてあげるために私は静かに口を開いた。

 「簡単な事だよ。二人もこの斧で羽を切り落とせばいいの」
 「何を言ってるの」
 「きっとね、立場や持っている力が違えば互いを理解することは無可能なんだよ。私は羽を無くしてからの3年間でそれを実感したの。だから二人が私の為に何かしたいと思うなら、私と昔みたいな関係に戻りたいと思うなら、この斧でその白い羽を切り落としてよ」

 私の頭の中には幸せな光景が広がっていた。
 たとえ世界中から拒絶されていたとしても親愛なる人が自分を受け入れてくれている、そんな光景が。

 でもそんな考えを浮かべているのは私だけだったみたい。
 目の前の二人から聞こえてくるのは、以前よりも増した私に対する拒絶心だけだった。
 
 「ねぇお願い、私の助けになりたいって言うのなら……私の為になることをしてあげたいって言うなら受け入れてよ!!」
 「ファナエル……きっと今の君は狂ってしまったんだ。大丈夫、父さん達も皆も君の味方だ……だからその物騒な刃物をしまっておくれ」
 「痛くなるかもしれないから怖いの?大丈夫、そんなに痛くないよ。自分の体で試したんだから間違いないよ」
 「ああ、なんてこと。誰か早くこの子を助けて!!」

 二人は発狂しながら真っ白な光りを私に向けてくる。
 私の両親はこの期に及んで私の気持ちをかき消す選択を取った。
 それはこの場のどこにも私の事を受け入れてくれる人などいない証明と同義だった。
 
 「……そう、じゃあもういいよ」

 口からため息が漏れる。
 目の前に立つ私の両親はもはや頭の中に広がる私を受け入れてくれた親愛なる人になることは出来ない。

 だったらせめて邪魔をしないでくれと、そんな思いのたけを叫んで私はノイズ交じりの光りを二人に向けて放った。
 勢いよく飛び出した二束の光りは両親の放った白い光りをいとも簡単に穿ち、二人の身体を壁に叩きつけたのだった。
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