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4.何もない、たぶん最初から Side リディア
しおりを挟むSide リディア
貧しい辺境の村で5人姉弟の長女に産まれた。
頼りになると両親に褒められるのが嬉しくて家事、妹弟の世話、畑仕事を必死にした。
『助かるわ。頼りにしてるわね、リディア』
『お前は長女なんだから手本にならないとな』
『お姉ちゃん、これやって~』
貧しいからどこの家でも子供が働き手になるのは当たり前だったし、下の子たちのために自分が我慢するのも当然だと思っていた。
『リディアは大きいんだから我慢できるわよね』
そう言われ、私に与えられるはずのものが妹と弟に譲られても納得していた。妹と弟に家の仕事を教えては口うるさいと言われたけど、それが姉の役目だから。
村の年配者にはしっかりした働き者だと褒められ嫁に来てほしいと言われたけれど、同じ年頃の男たちは妹に夢中だった。
「重いだろ、持ってやるよ」
「あ、ありがとう。でもお姉ちゃんのほうが重い物持ってるし」
「いーんだって。リディアはごついんだからそれくらい軽いだろ」
「うるさいわね。あんたこそ、そんなヒョロヒョロで持てんの? 自分のことやったら?」
「まったく、かわいくねーな」
「大きなお世話よ」
よくあることだ。私だって言い返す。でも傷つかないわけじゃない。
父に似た頑丈な体つきは畑仕事をすることで、ますます女らしさから離れていく。母に似た2つ下の妹の、柔らかな曲線を描く体と比べられるのは辛かった。
そんな私にも親同士が決めた幼なじみの婚約者がいた。親が決めた相手だけど私は彼が好きだった。彼が私のほうを見てくれればそれで良かったのに。
「もうすぐ義妹になるんだから、なんでも頼れよ」
「嬉しい。私、『お兄ちゃん』が欲しかったの」
「こんな可愛い妹なら、大歓迎だな」
妹が可愛らしく笑う。私の婚約者は私に見せたことのない甘い顔で妹を見る。
結婚も近くにせまったある日、家の裏でぼそぼそした声が聞こえた。
「俺が結婚したいのはアイツじゃなくて……」
「だめよ、義兄さん。お姉ちゃんが悲しむから」
「口うるさいアイツのことを心配するなんて優しいんだな」
「大事なお姉ちゃんだから」
淡いほほえみを浮かべる妹を私の婚約者が抱きしめ、妹の腕は婚約者の背中に回された。
私は息を殺して立ち去った。何も考えられず、考えたくなかった。
「ねーねー、お姉ちゃ~ん、ちゃんと義兄さんつかまえといて? 私も結婚相手決まってるし、変な噂されたくないから~」
「……そうね」
「もうちょっと甘えてみたら? 義兄さん単純だから喜ぶよ?」
甘えるってどうやって? 私は『頼りになる姉』をずっとやってきたのに今さら?
このとき、私の胸に浮かんだ黒いものはなんだったんだろう。知りたくない私は考えずに蓋をした。
「お前みたいなゴツイ女なんかと結婚したくなかった!」
彼にはっきり怒りをぶつけられたのは初夜だった。破瓜の痛みより心が痛んだけど、悔しいから泣かなかった。それを可愛くないと言われたって、泣き顔が似合わないと笑ったのは昔のあなただ。
それでもいつかは気持ちをわかってもらえるかもと尽くして、余計に怒りをかった。
「森で採ってきたベリーよ。好きだったでしょ?」
「ふん、ご苦労なこった」
「天気見の爺さんが明日から崩れるって言ってたわよ。今日中に収穫と覆いしたほうがいいんじゃない?」
「なんでお前が指図するんだよ。やりたきゃお前がやれ」
良かれと思ってしたことはすべて裏目に出た。
義理の両親は夫を諫め、私をよく働くと褒めてくれたけれど、それも気にくわないらしく夫婦生活はどんどん拗れた。
この家のために働けばいつかわかってくれると思った私はバカだった。夫は私にもっと働けと命令して酒浸りになり、ある冬の日に道端で凍りついているのを村人に発見された。
夫の弟が家を継ぐことになり、子供のいなかった私は実家に帰った。悲しまずにホッとしている自分に気づき、彼を好きな気持ちはとっくの昔に消えていたのだと知った。
夫婦の不和は村中が知っていて、家族は慰めの言葉をくれた。
『大変だったわね。でもまあ、よくもあんな仕打ちできるものねぇ。ご両親がもっとしっかり諫めてくれればよかったのに』
『大変だったな。まったく情けない男だった。どういう育て方をしたんだか』
『大変だったね、お姉ちゃん。身の程知らずのろくでもない男だったよね~』
その男を選んだのは両親だったはず。
その男を抱きしめたのは妹だったはず。
『リディアが戻ってきてくれて助かったわ。家のことよろしくね』
『リディアが戻ったから、畑の人手も足りるな』
『お姉ちゃん、うちの子の面倒みておいて。お姉ちゃんは子供いないからわかんないと思うけど、休むひまなくって疲れてるの』
家族を恨んでるわけじゃないけど、何かがひっかかった。でも、それを知るのが怖くてまた蓋をした。
『あんなことがあったから結婚は嫌でしょ? 断っておいたわ。うちにいていいのよ』
『リディアがいてくれると、老後も安心だな』
『お姉ちゃんは実家で楽できてるんだから、私のこと助けてくれるでしょ? 子供の服縫っておいて』
私はいつだって『頼りになる姉』だ。
ある年、父親が病気になった。薬は高く、家にはそれを買うお金がない。
父が倒れてからの畑仕事で家族全員が疲弊しているところに、奴隷商がやってきた。辺境の貧しい村々は子供を売ることが多いから、毎年決まった時期にやってくる。
「お金が必要だと伺いました。どうです、うちに預けてみては」
奴隷商は14歳の妹を見ながらそう言った。
私のすぐ下の妹は嫁いでる。その下の弟は後継ぎ。その下は弟で奴隷商が欲しいのは女。一番下の妹は母が可愛がってる。
「でもねぇ、まだ子供だから。もう少し成長しないと」
母は困った顔でため息をつき、チラリと私を見る。私にしてもらいたいことがあるときに母がいつもする目つきで。
もう少し成長してたら? 成長してる私なら売ってもいいってこと? 私から言ってほしいんでしょう? 私が自分から行くって言えば悪者にならないから。
心の奥から吹き上げたもので蓋があく。
「ごめんね、私はお嫁に行ったから力になれなくて」
「いいのよ、気にしないで。子供もいるんだから大事にしないと」
妹と母のわざとらしい会話にうんざりした。
私はこの家で何やってきたんだろう。この人たちにとって私は何だったんだろう。私はみんなのために働いた。自分のことはぜんぶ後回しにして。それなのに。
もう疲れた。こんな家にいたくない。娼婦になるのがなんだっていうんだ。夫に一度だって優しく抱かれたことなんてない。無理矢理されて血が出たときもある。抵抗したせいで殴られたことも。酷い言葉は毎日のように投げつけられた。
他人にされたほうが胸を痛ませずにすむだろう。ただの仕事なんだから。家族から切り捨てられるよりもずっとましだと思う。
「私が行くわ。私でも大丈夫でしょう? 体も丈夫だし」
「……まあ、そうですな。よろしいでしょう。明日、出発です」
「わかりました」
「いいの? リディア、無理しなくても……」
「いいのよ」
あからさまにホッとした顔でそんなことを言う母に虫唾が走った。
私はやっと自覚する。この人たちを憎んでる自分を。ここを出ていくのは自分のため。この最悪な場所から離れるためなんだ。
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