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1.匂いのない世界で出会った香り
しおりを挟む獣人のあいだで新しい疫病が流行った。死亡率が高く、死亡しなかったとしても後遺症が残る。手足が動かし辛くなる、疲れやすくなる、毛が抜けるなど様々あった中で獣人にとって致命的な後遺症が『鼻が利かなくなる』だった。
第五騎兵団で働いているオオカミ族のジェイク・エドワーズは、一年前かかった疫病の後遺症のせいで匂いがほとんどわからなくなっていた。
視覚より嗅覚が優位なオオカミ族で、これは世界の色をなくすのと同義だった。何を食べても味はせず、空気に含まれる自然の香りも感じないため、作り物の張りぼての中にいるみたいに空っぽだった。無意識で行っていた体臭でのコミュニケーションもできず、人間関係もギクシャクする。フェロモンも感知できず、多大な精神的ストレスのせいでEDになった。
もとより荒い性格がますます荒れて友人からも腫物扱いされている。
彼が毛を逆立ててイラついているのはストレスだけではない。匂いを感じられない自分がコミュニティからはじき出されているようで、怖くて仕方ないから威嚇してるのだ。死ぬまでこのままかもしれないという不安で足元がぐらつき、それを少しでも忘れるため味のしない酒を飲んで酔う毎日を過ごしている。
***
王都の門を通ろうとする奴隷商の荷馬車から申請書類を受け取った。奴隷商の荷馬車は排泄物の匂いがきついため、匂いの分からないジェイクが内容確認のために覗き込む。
本来なら鼻をつまむ匂いも、今のジェイクにとってはかすかな刺激臭でしかない。それに、刺激臭でもなんでもいいから匂いを感じたかった。がらんどうの味気ない世界で、少しでも生きていると感じたかったから。
今日は少し違った。奴隷商の荷馬車から刺激臭じゃない、嗅いだことのない匂いがする。スーっとするような爽やかさにスパイスが混じったような、胸をざわつかせて鼓動が早くなるような匂い。
後遺症が出てから、こんなにハッキリ匂いを感じたのは初めてだった。わけもわからず、もっと嗅ぎたいという衝動が狂おしいほどに湧き上がる。この匂いの元を見つけて手に入れなきゃいけないと本能がせっついた。
乗り込んだジェイクに、詰め込まれてる薄汚れた人間たちが怯えた目をむけるのはいつものこと。少しも気にせず、目当ての人間の元へまっすぐ進んだ。
首筋に鼻先を押し付けて吸い込むと、体中にその香りが行きわたって光が弾けるような気がする。久々に感じた明るさに夢中になって嗅いでいたら、ニヤついた声が聞こえた。
「……気に入りやした? お安くしますよ」
奴隷商の声で我に返る。自分の仕事を思い出して書類の人数と同じか確認し、怯えてる奴隷を見た。
人間の国から売られてきたばっかりなら好都合。教育費だなんだと余計な金がかかる前に買い取れる。他の買い手に手を出される前に、なんとしても手に入れてやると決意した。
荷馬車から降りて奴隷商に詰め寄る。
「アレをすぐ売ってくれ」
「へへっ、ありがとうございます。教育しますんで、お待ちいただけますか?」
「いや、すぐだ。今日の受け取りにいく」
「そりゃまた急ぎですな」
「連れてきたばっかりだろ? 安くしとけよ。うちの奴らに巻上げられそうになったら口きいてやっから」
「まあ、世話んなってますからね、そんときゃお願いしますよ」
「一時間後に取りにいくから誰にも触らせんなよ」
「わかりやした」
諦め顔の奴隷商が荷馬車と一緒に行ってしまうまで、追いかけたい衝動を我慢し続けた。
奴隷商との交渉を遠巻きにしてた同僚のヘイリーが近くにくる。
「ジェイク、俺に分け前は?」
「ワリィ、今度おごる」
「何もらったんだよ?」
「ちょっとした取引だ」
「娼館行くのか? 久しぶりだな。でもあそこ、人間ばっかだろ? お前って人間嫌いじゃなかった?」
「ちょっとな。……なぁ、嗅いだことない匂いしなかったか?」
「クセーだけだろ? 鼻の調子よくなったのか?」
「いや、そういうわけじゃねぇ。そんな気がしただけ」
あの匂いに気づかなかったのか? 嗅ぎ分けられるはずだけど。臭くて鼻つまんでたのかもしれねぇな。まあ、気付いてちょっかい出されるよりはいい。
離れがたいあの香りが消えた途端、ひどく心細い。何も感じられない、自分だけが隔離されたような孤独に苛まれる。
交代の時間までイライラして過ごし、仕事が終わったらすぐに飛び出した。目当ての奴隷商に息を切らせて飛び込み、主の部屋に入る。
「受け取りに来た」
「お早いことで」
「嫌味かよ。ほら受け取れ。残りは明日持ってくる」
「まいったな。明日はきっちり頼みますよ」
「わかってるって。アレに触ってねぇな?」
「ええ、何も」
「よし。ほら、行くぞ。お前は俺のモンだ」
茶色い髪の人間をつれて奴隷商を出た。そばにいればあの香りを感じられる。早く胸いっぱいに吸い込みたい。
歩くのが遅い人間の腕を引っ張れば小走りでついてくる。抱えて走りたくなったが、人目を気にして抑えた。
この獣人の国で人間はあまり見かけない。たいていは性奴隷か娼婦で外を歩くことはめったにない。
なので、ジェイクが人間を引っ張って歩いてるのは少しばかり目を引く光景だった。
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新連載です。よろしくお願いします。
本日は複数投稿します。8、10時ころの予定です。
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