俺にヒロインは訪れない

流風

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放火魔

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「おかあさ~ん!まって~!」

 視界に入った野良猫に気を取られ、母親との距離ができてしまい、慌てて母親を追いかける少年。その少年を立ち止まり、微笑みながら待つ母親。

(平和だ)

 ほのぼのとした幸せな光景。その光景を見ると胸の内から湧き上がる感情がある。

(破壊したい)

 少し前までほのぼのとしていた光景が、悲鳴と嗚咽しか聞こえない世界になったら……そう想像するとゾクゾクする。



 農薬散布機を自転車に積むと、長屋のある方へ向かう。あまりの重さと大きさに自転車がフラフラするが、これから起こることを想像すると笑いが込み上げ思わずニヤニヤしながら自転車を漕ぐ足に力が入る。

 目的の長屋へと辿り着く。日は暮れて人々は夕飯も済ませて家の中で寛いでいる時間帯。鼻歌を歌いたいのを我慢しながら噴霧器のスイッチをオン。

 景気良く中から霧状の液体が吹き出してきた。

 家の壁、特にドアや窓周りに景気良く吹きつけていく。

「何か変な匂いしないか?」

「そうね……燃料(ガソリン)みたいな匂いがするわ」

 家の中から会話が漏れ聞こえた。そろそろタイムリミットかな?

 おむもろに一つのドアが開く。

「おい!お前、何してんだ!?」

 その声に向かってノズルを向けると、トリガーを引いた。

「ぎゃぁぁぁぁっ」

 男の叫び声を無視して、最後の仕上げと言わんばかりに噴霧器のトリガーを引く。

 無表情で淡々と噴霧器を操る姿は異様なオーラを放っている。

「おい、お前、これ……ガソリンか?!」

 そう。噴霧器で振り撒いたのはガソリン。ガソリンを吹き付けられた男の叫び声に他の家からも人が出てくる気配があった。

「てめぇ! こんな事をしてタダで済むと思ってるのか?!」

 ガソリンを吹き付けられた男がやっと目を開けられたのだろう。噴霧器を持つ相手を睨みつける。

 その声を聞きながら――ポケットからライターを取り出した。

「止めろ! 止めろぉぉぉ!!」

 噴霧器を吹きかけられた男の叫び声に構わず、ニヤリと口角を上げライターに点火。灯油ならこのぐらいでは燃えはしないが、撒かれたのはガソリン。

 瞬時に気化して、火を点ければ爆発する――。

 瞬く間に目の前がオレンジ色に染まり、膨張する空気が長屋の窓ガラスを全て吹き飛ばした。

「ぎゃぁぁぁぁ!」

 念願通りに火だるまになって転げ回る住人。叫べば肺や気管まで炎が入り込み、身体の中から生きたまま焼かれる。

「「きゃぁぁぁ!」」「「ぎゃぁぁぁ!」」

 住居には燃えるものがいくらでもある。新聞、布団、衣類、油や灯油、床材、壁紙――次々と引火して、そこは阿鼻叫喚の火炎地獄と変わり果てた。
 息を止めていても、俺の髪はチリチリと焼かれ、衣服は肌にへばりつきメラメラと発火し始めた。
 ジリジリと全身を焼かれる激痛が襲い、思わず叫び声を上げそうになり、俺はその場に倒れ込んだ。
 すかさず自分に向け、持ってきていた消化器で自身の火を消す。

 燃える火の色。泣き叫ぶ声。

 それを見ながら体の内から湧き上がる衝動を抑えきれなかった。

 
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