落語のような世界

青西瓜(伊藤テル)

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【05 初天神】

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・【05 初天神】


 次の日、公演の30分前に京子が俺の病室へやって来た。
 いや、
「早すぎるだろ、来るの」
 と俺が言うと京子は髪の毛をかき上げてから、
「クールに行クールだから早くはない」
「いや普通に早いだろ、何か興奮を押し殺しているような喋りかただし」
「だって、輪郭亭秋芳さんの寄席がタダで見られるなんてそんなことないよ、おひねり投げるよ」
「じゃあタダにならないじゃん、勝手なことはするなよ」
 京子はフンスフンスと鼻息を荒くしていた。
 そんなことより、俺は京子の持ってきている紙のバッグが気になり、
「紙のバッグ、何か入っているんじゃないか?」
 と聞くと、京子はハッと驚いたような顔をしてから、
「よく分かってね、実は別のCDを持ってきたんだ」
「分かるだろ、最初の紙のバッグと一緒だから」
「ここからは古典のアレンジや新作落語もあるよ」
 そう言いながらCDを俺のテーブルにバンバン置いていった。
「ちょっと京子、重かっただろ」
「大丈夫だよ、由宇が聞いてくれるみたいだから」
「俺が聞くくらいでそんな、悪いよ」
「悪いって思わないで、私が好きで持ってきているだけだから」
 と、満面の笑みで言われたら、頷くしかできなくて。
 いや、それだけじゃないな、
「ありがとう、京子。良い暇つぶしにはなっているよ」
「そう言ってもらえて嬉しいな!」
 とニカッと笑った京子。
 あまりの明るさに俺もちょっと笑ってしまった。
 ところで、
「新作落語って一体どういったモノなんだ? この落語の本を読むと、全く新しい話らしいけども、それも落語なのか?」
「そう! 座布団の上で一席すればそれはもう落語! ……と言いたいところだけども、本当は違うんだ」
「えっ、やっぱり新作落語は落語じゃないのか?」
「ううん、座布団の上から離れて逆立ちをしてもそれは落語なんだよ」
 いや!
「そんなことないだろ! 漫才の最中に逆立ちするお笑い芸人とかいないからな!」
「でも実際にいるの、逆立ちをする新作落語も本当にあるよ。まあ勿論異端児だけどもね」
「いやまあそれは異端児だろうけども。大勢がやっていたら怖いけども」
「まあ逆立ちは行き過ぎた例えだけども、何をやったって1人なら落語だよ。後半に音楽を鳴らしてラップをする落語家もいるよ。それも異端児だけどね」
「異端児多すぎだろ」
 何か思っているイメージと全然違う……落語ってそんなに自由なのか……確かに俺が京子から渡されたCDはまだ入門編、古典に忠実な基礎中の基礎の落語らしい。
 これからこのCDで聞くことができる落語は一体どうなのだろうか、少しワクワクしてきた。
 京子と異端児の落語家の話を聞いているとあっという間に10分前になり、俺と京子は会場へ行った。
 着くと、お年寄りは思ったより少ないイメージ、俺は京子へ、
「落語ってお年寄りに人気じゃないのか?」
「まあ人それぞれだし、もしかしたら落語が好きなお年寄りほど来ないのかもしれない」
「どういう意味だよ」
「輪郭亭秋芳さんも落語界の異端児で、大胆なアレンジを施すことで有名だから、古典好きからはあまり好かれていないんだ」
「そんなこともあるのか、まああるか」
 でも俺はそれを聞いてよりドキドキしてきた。
 大胆なアレンジって一体どういったモノだろうか。
 時間になり、控え室から輪郭亭秋芳が出てきて、会場は拍手で出迎えた。
 輪郭亭秋芳は立て札のようなモノを持ってやって来て、自分の座布団の隣に立て札を置き、自分でめくった。
 そこには『初天神』と書かれていた。
 『初天神』をするのか、これなら粗筋を知っている。
 子供と父親が主人公で、何でも買ってほしいとねだる子供の父親が、どうせねだられると思って連れていくことをしぶっていた天神祭に子供を連れて行くと、むしろ父親のほうが天神祭にテンションが上がって子供そっちのけで遊んでしまい、子供から「天神祭に父親なんて連れてくるんじゃなかった」と言われてしまう、という話だ。俺が最初に聞いた話。
 最初に聞いた話だから愛着は多少なりにある。果たしてこの話をどうアレンジするのだろうか。
 輪郭亭秋芳が喋る。
「本来こういう立て札のめくりは弟子がするんですが、私は1人が好きなので、全部自分でやります。自分以外信じられない人間なんです」
 と言って笑った。
 言い方は卑屈な感じではなくて、本当に明るく楽しくといった感じで、会場はドッと笑いに包まれた。
 本来、こういう自虐みたいな笑いは好きじゃないし、時代にも合わないと思うんだけども、プロの言い方というのか、本当に自然に笑ってしまった。
 輪郭亭秋芳は続ける。
「だからどうでしょうね、将来パートナーをもらって子ももらってとなった時、本当にやっていけるのかどうか不安ですよね。なんせ根は1人が好きだから。天神祭にもやっぱり1人で行きたいもので」
 と、流れるように本題へ入った輪郭亭秋芳に心の中で拍手をした。
 落語には枕という本題に入る前のフリートークのようなモノがある。今回の喋りはきっとアドリブではないと思うが、スッと本題に入ったので巧いと思った。
「子というものは可愛いんですけども、本当に面倒臭いところもあるみたいで、一緒に買い物へ行っても『これ買って! あれ買って!』とよくねだってしまって、大変らしいんですよね。まあ私は経験が一切無いので文字として覚えているだけですけどもね」
 輪郭亭秋芳の自虐がいちいち面白い。
 言い方、それにあの眉毛を情けなく下げた表情も面白さを盛り上げているんだと思う。
「ここからは知り合いに聞いた話なんですけども」
 と聞いたところで、もしかすると現代劇かな、と思った。
 そうか、古典落語って現代劇にしてもいいのか、と俺は驚いてしまった。
 それから輪郭亭秋芳の『初天神』は分かりやすかった。
 出てくる土地の名前も道具名も全て現代仕様。
 俺がCDで聞いた『初天神』では、独楽やめんこという言葉が出ていたが、ハンドスピナーやチョコバナナなど、現代日本になっていて、そもそも『初天神』とも言わず、夏祭りと表現していた。
 時折(LEDで電飾していると言っていたが)凧など本家リスペクトのような『初天神』らしさもあって、それがかえって現代仕様になっている世界の中の違和感になり、面白味の1つになっていた。
 基本的に現代仕様になっていたことで話もスッと入ってきて、分かりやすくて、輪郭亭秋芳のギャグも面白くて、大満足のまま1本目の30分が終了した。
 逆に現代的になりすぎたせいで、お年寄りがポカンとしている部分もあったみたいだけども、俺は満足だった。
 いやまあ全員を楽しませていないという意味では、プロとしてどうなんだろうとは思うけども。
 輪郭亭秋芳は立ち上がって、また立て札をめくろうとしたその時だった。
「いたたたたたーっ、足痺れてダメだぁ!」
 と叫んだ。
 不意を突かれたバカバカしい一言に会場は大笑い。
 そんなのアリかよ、と思った。
 前言撤回、ちゃんと会場全体笑っている。
 この落語家は見逃せないと思った。
 なんとか上半身の力だけで、立て札のところまでいったのだが、うまくめくれず、立て札が倒れてしまい、また笑いが起きた。
 さらにはめくれた立て札には多分時間分以上の演目が書かれていて、あたま山みたいな感じで『おしり山』と書かれていたり、これもまたあたま山のように『さくらんぼ山』など書かれていた。
 そんなにあたま山の派生形みたいなことばかりするはずないじゃん、と、俺は笑ってしまった。
 立て札をなんとか立て直すと、急に立ち上がり、当たり前のように歩き、座布団に座った輪郭亭秋芳。
 いや勿論本気で足を痺れていたとは思わなかったけども、そう、いとも簡単に過去を否定されてしまうとやっぱり吹き出してしまう。
 さて、次の演目は、と思って立て札を見ると、そこには『初天神』と書かれていた。
 いやめくり忘れているって、思っていると他のお客さんがヤジを飛ばした。
「初天神のままだぞ!」
 それを言われた輪郭亭秋芳は扇子で自分の頭を叩いてから、
「いっけない、めくり間違えましたね。でももう座ったんだし、動きたくないなぁ」
 そう言いながら座布団の上でだらりとした。
 その物ぐさな表情がまた面白い。
 輪郭亭秋芳はニコニコしながらこう言った。
「あっ、そうだ! じゃあ初天神をもう1回やりましょうか! それでいきましょう、では一席」
 と言ってから頭を下げて、さっきから柔和な笑顔だったのに、急にニヤッと怪しく笑った。
 もう1回初天神? 一体どういうことなのだろうか。
 もしかするとさっきやった話をもう1回するのか?
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