ホラーハウス

七味春五郎

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あの家

その二

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     4

 ぽーん、ぽーん、ぽーん
 ピンクのボールが庭先をひとりではねている。こどもたちは消えていた。祥輔の前には太ったおばさんが立っていた。うしろに下がろうとする。おばさんは指にますます力をこめて許さない。
 そのおばさんはちょっと異様だ。ふとっているにしても、大きすぎる。まちがいなく横綱クラスだ。なのにふとっている人のやわらかさがなく、うごく岩みたいな感じがする。まるで邪悪さがかたまって、それでふくらんだかのようだ。
 看護婦長、ということばが頭にうかんだ。この女性にはにつかわしくない言葉だ。ナースのかっこうとはちがうし、どちらかというと、大昔の(戦時中の)看護婦みたいなかっこうだった。
「いらっしゃい、祥輔」
 と看護婦長はいった。ニコリともしなかった。重くてざらざらして、女らしさのない声だ。とはいえ、がさつではなく、威厳にみちた声だった。その声をきくと、祥輔のしびれはますます強くなる。脳みそにこだまする声が、こう連呼していた。危険! 危険! 危険! 看護婦長のすがたは、遠近感がくるったみたいに伸びちぢみする。
「いらっしゃい。いらっしゃい。いらっしゃい」
 口端がどんどんあがる。味気のない笑みになった。その顔は、こどもが大好きなのよ、でも、ほんとに好きなのは悲鳴なの、といっているみたいだ。祥輔は、手をはなして、はなせ! といった。看護婦長の腕から手をとりもどそうとひっぱった。そのとき、巨大なもみじみたいな手がかっとんできて、かれのほうを激しく打った。
 祥輔は門のたもとに倒れた。すごい打撃だ。くちびるのはしっこから血が糸をひいた。祥輔は立ちあがって逃げるんだ、と自分にいったけど、からだが震えてたてない。
 まごまごするうちに、首根っこをつかまれた。
「返事はどうしたんだい」
 看護婦長は、束ねた本を放り投げるみたいに、祥輔を庭園まで投げとばした。庭の石でふとももを打った、その勢いで一回転しながら手をついた。だけど、寝ころんでもいられない。背後の松や楓が、みたこともない植物にかわっていたからだ。巨大な口には、ギザギザの歯がはえている。その口をおおきく開けたり閉じたりしながら、祥輔に向かってしなやかな首をのばしてくる。ゴロゴロところがって、牙をかわす。手をついて顔をあげると、
「よくないね、よくない子だ」
 看護婦長がこちらにやってくるところだった。祥輔の目に涙がいっぱい浮かんだ。ちうさんとかあさんのことを考えた。
「ぼく、帰る! 帰らないと――!」
「帰さないよ」
「なんで? うちで母さんが心配してるもん! それに看護婦長は町内の人じゃないじゃないか! ぼくをさらったりできない……」
「もうやったよ」
「ぼくは帰るんだ……!」
 祥輔は走った。でも、門のほうこうは看護婦長がふさいでいたし、背後では人食い植物が牙をむく。祥輔は玄関にとびこむしかなかった。玄関のランプがぱっとついた。看護婦長の巨大な腕が、かれにむかって伸びてくる。
 祥輔はドアのとっ手を力まかせに引きあけた。ゴールをめざすランナーみたいに、ホラーハウスにとびこんだ。祥輔は反転すると、目をとじたまま、ドアに体当たりをしたけれど、赤ちゃんの頭ほどもある指が四本、扉のはしを、がっとつかんだ。
 祥輔はドアノブに手をかけたまま、恐る恐る顔を上げた。扉のわずかな隙間、はるか高見から、どでかい顔がかれを見おろしていた。
「来たね」
 と看護婦長はいった。
 看護婦長が扉をあけると、祥輔の小柄なからだはま後ろにふっとんだ。かまちに背をぶつけ、咳きこみながら見あげる。尻の下でクツがざらざらしている。こどものクツが無数にある。祥輔は、そのクツをひざで蹴ちらしながら玄関をよじのぼった。
 バタン!
 おおきな音と風が祥輔の後頭部をおそった。看護婦長か扉を閉めたのだ。
 祥輔は受付の真下でふるえながらうずくまった。
 玄関は左にクツおきがある、ふるぼけたスリッパがはいっている。右には、古ぼけたポスター。そのまんなかには看護婦長がいて、そのシルエットは一個の山のようだ。
 いよいよ痛めつけにかかるところだった。
 もうだめだ、と祥輔は仁王像みたいな女をみあげる。仁王像は夕陽をあびてまっくろだ。ぼくはホラーハウスにはいっちゃった、もう絶体絶命だ。
 そのとき、廊下のさきで扉がひらき、こどもたちの声があがった。

     5

 受付の赤電話がりんりん鳴っている。十円玉をいれて使うやつが、台の上でけたたましく吠えている。その音をひきさいて、こどもたちが叫んでいた。
「祥ちゃん!」
「祥ちゃん、はやく! こっちよ!」
 祥輔はふりむいた。こどもたちが廊下の向こうで、ひとかたまりになって、かれの名前を呼んでいた。祥輔に迷っているひまはなかった。電話台をつかむと、痛みをこらえてダッシュする。
 看護婦長ののぶとい指は間一髪のところでかれの襟首をつかみそこねた。
 廊下のまんなかには、岡崎医院を中央でくぎるもうひとつの廊下が東にむかってのびていた。祥輔は暗い廊下を横目にみた。手術室、と書かれた扉がひらいた、血みどろの手術着をきた男が飛び出してきた。看護婦長と変わらないぐらいの巨体だった。ぼさぼさの髪、ふつりあいなほどちいさな眼鏡。全身に返り血をあびている。院長だ。
 祥輔をみると、一目散に駆けてきた。
 祥輔は悲鳴をあげて走った。院長と看護婦長の重みで床板がぐわんぐわんとたわむ。指が後頭部をかすめる。膝は恐怖にぐらつき、いまにも転びそう、目の端からは涙がこぼれている。
 祥輔はこどもたちにむかってダイブした。看護婦長はかれの真後ろにせまっていた。
 こどもたちが祥輔を受けとめるのと、扉をしめるのは同時だった。男の子たちが扉をおさえ、祥輔もくわわる。女の子のひとりが、長い髪をなびかせてカギ穴にとりつく。その子はちょっともたついた。看護婦長が扉をどんどん叩くものだから、ふるえてうまく刺さらないのだ。
 先端が金属板をむなしくうつ。三度めでようやくほんらいの位置におさまる。衝撃と汗で女の子の指はカギからはなれた。だれかが恐怖の悲鳴をあげた。看護婦長の体当たりで、こどもたちの体は扉のうえでジャンプしていた。
 女の子は容姿からは想像もできない罵声をあげて、大仰な飾りを力任せにつかむと、おおきくまわした。ぐるぐるぐる。看護婦長の打撃と怒声はカギがまわるごとに小さくなり、三度目にしてようやく聞こえなくなった。
 男の子たちは祥輔をみた。祥輔も男の子たちをみた。
 やがて、看護婦長がついにいなくなったのを知ると、かれらはおおきく吐息をつきながら、その場にくずおれてしまった。

     6

 七人だ……
 七人そろった……
 その子たちは口々にささやきあう。なぜか信じられないといった顔をしている。
 祥輔は怒鳴り声がやんだとたんに力がぬけて、その場にひざを落としてしまった。痛みが体中にもどってくる。まわりの声が遠くに聞こえた。血の気がひいて、横むきに倒れる。祥輔は舌をたらして痙攣している。
 こどもたちが心配そうにのぞきこんでいる。みんな亡霊みたいだ。
「しっかりしろよ」
 少年の腕が首のうしろにまわりこむ。祥輔はガタガタと震えながらもどうにか気をうしなわずにすんだ。
 部屋にいたのは女の子が二人、男の子が四人だった。祥輔はちょっと衝撃をうけた。ホラーハウスのなかにこんなに人がいたこと自体が驚き。その子たちがフルマラソンをやったあとみたいに(連続10回だ)くたびれはて、やつれきっているのにも驚いた。祥輔は信じられなかった。あれほど自分を痛めつけたがっていた看護婦長が簡単にあきらめたりするわけない。
 部屋の奥にあるソファにつれていかれた。部屋をみまわすと、どうやら待合室のようだった。おおきなソファーが二つ、突き当たりと西の窓際にあった。こども向けの本が机のうえにころがっている。
 カギをまわした子は美代子という名前だった。切れながの一重で、さらさらの髪があっちこっちに跳ねている。かたわらの女の子は日向子。美代子とは真逆の顔立ちで、おおきな瞳を恐怖でいっぱいにひらいている。ロングの髪を三つ編みにしている。勝ち気そうな顔だった。眼鏡をかけた男の子が一郎。鼻がひくいせいで、眼鏡がずりおちている。その眼鏡というのも、右はひびわれ、うす汚れて、かけないほうがよく見える、という代物だ。そばかすのおおいのが武彦、手足がしなやかでかけっこが早そうだ。一番ふとった子が太一。ピチピチのシャツを着ている。淳也という子は、ジャニーズにいそうなととった顔だけど、今はやつれてちょっと病的だった。
 祥輔は力のない目をあげて、
「なんで僕の名前知ってるの?」
 日向子が、血がでてる、といって、ポケットからハンカチを差し出した。口に当てると、傷が歯にあたって痛みがひろがる。ほっぺたが腫れて熱をもっていた。
 武彦が、まっくろなノートをさしだす。学校でつかう名簿のようだった。祥輔が表紙をあけると、先頭のページにみんなの名前があり、一番さいごには、祥ちゃん、と墨書きしてあった。
 ぼくの名前だ……とノドの奥でつぶやいた。
「3日前、名前がうかんできたんだ。だから、新入りがくるってわかった。だれかがくるときは、もとにもどるんだ」
「もとにもどるって、なんだよ!」
 おもわず怒鳴ってしまった。美代子がびくりと肩をふるわし、日向子が祥輔をにらむ。
 口の傷がますます裂けてにがい血の味が舌いっぱいにひろがった。祥輔は痛いのまで悔しくなって、わざと大声を出した。
「君たち、誰なんだ? どこの子だよ! 山西小の子じゃないだろ?」
 みんなはこまったように顔を見合わす。日向子がいった。
「あたしたちみんな山西小よ」
「うそだ。ぼくはみんなのこと見たことない」
 ここにいる七人は祥輔と年かっこうが変わらないのだ。
 美代子がともだちの背にかくれながら訊いた。
「いまは何年?」
 え? と祥輔は思わず聞き返した。
「一九九五年だよ。それとこの家となんの関係……が」
 祥輔はだまりこむ。美代子がいまにも泣きそうな顔をしたからだ。日向子もちょっと顔をふせていた。一郎が言った。
「美代ちゃんは十年以上この家にいるんだ」と言葉をきる。「ぼくは三年目だ」
 祥輔は脳天が干上がるような気味の悪さをおぼえた。武彦は五年、淳也は二年半ここにいる。こんなところに何年も。けれど、この子たちの言ってることはおかしかった。祥輔はハッと思い当たって、
「でも、年をとってない!」と美代子を指さした。「十年もいたらもう大人じゃないか! 子供のままなんて」
「年はとらないんだ」
 祥輔が振り向くと、一郎は目をそらしていた。自分の言葉を、自分でみとめたくないみたいだ。
「それだけじゃないのよ」と日向子。彼女らしくない重いちいさな声だった。「外の人たち、わたしたちのこと忘れちゃうみたい」
 淳也がうなずく。「ぼくと武彦は近所なんだ。武彦はぼくのことおぼえてた」
 けれど、淳也は武彦をおぼえていなかった。彼の弟や妹は知ってる。でもその子たちに武彦なんて兄ちゃんがいたなんて知らない。
 祥輔はツバをのみながら必死に考えた。六人、六人も行方不明になってたのか? あれはたんなる噂じゃなくて、でも――
「ほんとはもっと大勢いたのよ」日向子は美代子をひっぱって、「だってこの子がいちばん古株だもん。もっと前のメンバーにもあってる。カギを持ってたのはその子たちで、ほんとはあたしたちも、そのカギがなんなのか知らないんだ。そんで、その子たちは、みんなつかまっちゃった」
 つかまった――その言葉に祥輔の体はかすかに震えた。体には看護婦長の野太い指の感触とか、あいつの邪悪な息の匂いが鮮明に残っている。
 一郎がおそろしげに眼鏡をおしあげる。
「いまはぼくらしかいない」
 祥輔はつったったまま、みんなの顔を順番にながめわたした。おなじ町内、でも時代のちがうこどもたち、外の世界から忘れ去られたこどもたちがここにいる。祥輔はみんなのことも怖くなる。
 淳也がいった。「この家からはでられないんだ。ぼくらはずっとここにいて、院長たちから逃げまわってるから」
 祥輔は扉にむかいだす。「ぼくは帰る。とうさんとかあさんが待ってるんだ。忘れるはずなんてない!」
「ぼくだってそう思いたいよ」
 太一が甲高い声で泣きはじめる。太一がこの家に来たのは一年前だ。祥輔はその家を知っていた、その家の子たちも。でも、あの兄弟の真ん中に、太一なんて少年がいたこと、彼は知らない。
「なんで帰れないんだよ」と振り向く。ほんとうは一人で外にでるのがこわかった「カギがかかってるってこと? それともあのおばさんが見張ってんのか?」
 武彦は一郎と顔をみあわせる。
「そうじゃないんだ。この家がさっきみたいに岡崎医院にもどるの、めったにないから」
「つまりあんたみたいな新入りが来るときだけってことよ」そういったでしょ? と日向子は薄寒そうに肘をなでる。「この家って、あっちこっちの開かずの間につながってんの。それでこのカギでいろんなとこに行けるんだよね」
 それで看護婦長がいなくなったのか――
 その話を信じたわけじゃない。けれど、看護婦長の攻撃がやんだのはとつぜんだったし、カギを回したぐらいであきめたのはおかしかった。
 一郎がため息をついて、「あの人たちもカギを持ってる。だからぼくらの後を追ってこれるんだ」
 祥輔が青くなると、あわててつけたして、
「だいじょうぶだよ。行き先は自分で決められないんだ。それに外にはカギ穴がないだろ?」
 祥輔は指をにぎったり開いたりした。きちがいじみた話を信じたくない。けれど、かれの直観はぜんぶ本当だとつげている。さっきみたいなめにあった後ならなおさらだ。
 淳也が美代子からカギをうけとって、祥輔の腕をとった。
「来なよ、証拠をみせるから」
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