Dragon's Song-竜は祈りを捧ぐ その傍に在る者と共に

篁 玖月

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亡国の残響

竜と消えた洗濯物・前編

 天脈樹の搬出が終わった翌日、王都の整備庫では、朝から木を削る音が響いていた。

 森から運び出された芯材は、一本ずつ包みを解かれ、床に組まれた台の上へ並べられている。淡い木目の内側には、風が流れる道のような筋が幾重にも走っていた。

「こっちは翼骨の補強。細い方は制御軸へ回す。先に切らないで。全部、測ってから決めるから」

 傷ついたホークの周囲には足場が組まれ、裂けた船腹の一部はすでに取り外されていた。艇体の奥まで露わになった姿は痛々しかったが、昨日までとは違う。

「何か、手伝えることはありませんか?」

「今はない」

「天脈樹をここまで運んでくれた。それで十分。ここから先は、私たちの仕事」

 森へ入る者の名と役割を揃え、決められた道だけを通り、風竜たちと共に倒木を切り分けた。運び出した跡には新しい土を戻し、シルフィとの約束どおり、最後まで森を荒らさずに帰ってきた。

「だから、ノアはノアの仕事に戻って」

「相談、溜まってるんじゃないの?」

 留守の間にも届いているはずの手紙。正門の受付へ預けられた伝言。王国騎士団が部隊を動かすほどではないと判断され、聖騎士の詰所へ回された相談の数々。

 けれど、困っている者にとっては、放っておけないことだった。

「戻ります」

「うん。こっちは任せて」

 ノアは整備庫を出る前に、一度だけホークを振り返った。

 それでも、修理はもう始まっていた。

 *  *  *

 王城西棟の一角にある聖騎士詰所へ戻ると、机の上には留守中に届いた相談記録が積まれていた。

 一方は王城西棟の廊下へ通じ、もう一方は中庭へ面している。相談に訪れる者は正門で用向きを告げ、許可を得たあと、中庭を抜けてこちらの扉を訪ねることができた。

 今日はレクサスが王城を離れられないため、ノアが外へ出ることになればついていくつもりらしい。日なたぼっこをしながら、ときおり詰所の扉へ顔を向け、静かに翼を畳んでいた。

 ガラスのリンゴの文鎮が、差し込む光を淡く透かしている。

 干していた布が、何度もなくなるという訴え。

 けれど、相談を届けた者にとっては、日々の暮らしを脅かす切実な問題だった。

 ノアが四通目の記録を開いたとき、中庭側の扉が控えめに叩かれた。

「はい。どうぞ」

 洗濯籠を抱えた中年の女性が、戸口からおそるおそる室内を覗いた。

「あの……こちらが、聖騎士様の詰所でしょうか」

「はい。ノア・ライトエースです」

「どうぞ、中へ。急がなくて大丈夫です」

 王城へ来ること自体に緊張しているのか、その足取りは固い。抱えた籠の中には、端を引き裂かれた布が一枚だけ残されていた。

「聖騎士様。竜に、盗まれたんです」

「うちの毛布も、隣の家の敷布も。夜になると、翼のある影が持っていくんです」

「順番にお聞きします」

「最初になくなったのは、いつですか?」

「三日前の朝です」

「裏庭に干していた毛布が一枚、なくなっていました。最初は風に飛ばされたのかと思って、近所を探したんです。けれど、どこにもなくて」

「その日は、風が強かったのですか?」

「いえ。穏やかな夜でした」

「翌日は?」

「隣の家の敷布が二枚。それから昨夜は、向かいの家の古い上掛けがなくなりました」

「なくなったものに、共通点はありますか? 色や大きさ、素材など」

「どれも厚手です。冬に使うものを、日が出ていたので干していました」

「衣服や薄い布は?」

「残っていました」

「翼のある影を見た方について、詳しく教えていただけますか?」

「向かいに住んでいるパン屋の息子です。夜中に物音がして、窓を開けたら、屋根から屋根へ飛び移る影を見たと」

「大きさは分かりますか?」

「そこまでは……。暗かったそうです。ただ、翼があって、長い尾も見えたと言っていました」

「現場を見せていただけますか?」

「来てくださるんですか?」

「はい。残っている痕跡を確認したいです」

「ありがとうございます。私はアミと申します。仕立屋通りの外れで、染め物の手伝いをしています」

「分かりました、アミさん。少しだけ準備をしますので、お待ちください」

 それでも、三日続けて生活に必要なものが消えれば、不安は日ごとに大きくなる。相手が竜かもしれないとなれば、恐れは見えない輪郭を勝手に膨らませていく。

「現場を見に行きます。モコも来てくれる?」

「きゅう!」

 陽を含んだ柔らかな体毛が揺れ、大きな翼が一度だけ開いてから、通路の邪魔にならないよう背へ畳まれる。

 *  *  *

 仕立屋通りは、王都の南寄りにあった。

 表通りには布地を扱う店や仕立屋が並び、軒先から色とりどりの布が垂れている。一本裏へ入ると小さな住居が密集し、それぞれの裏庭に物干し台が立てられていた。

 モコもノアの隣を歩いていた。成人の肩から胸元ほどに届く身体が狭い道へ入ると、人々は自然と道を空けた。

 モコはそれを気にした様子もなく、鼻先を上げて周囲の匂いを確かめている。翼は家々の壁へ当たらないよう、背に沿わせて畳んでいた。

「ここです」

 裏庭には木製の物干し台があり、何本かの紐が渡されている。地面には洗濯籠と、水を張った桶が置かれていた。

「この端に、毛布を干していました」

 布だけが、留め具から引き抜かれていた。

「留め具は、朝もこのままでしたか?」

「はい。二つとも地面に落ちていました」

 土は乾いている。人の靴跡はいくつも重なっていたが、それは毛布がなくなったあと、家人や近隣の者が探し回った際についたものだろう。

 物干し台の支柱には、淡い灰褐色の毛が数本引っかかっていた。

「分かる?」

「くるる……」

 モコは匂いを確かめるように何度か鼻を動かし、それから庭の塀を見上げた。

「ここを越えたようですね」

「やっぱり、竜なんですか」

「竜の体毛である可能性は高いと思います。ただ、この毛だけでは、布を持ち去った理由までは分かりません」

「理由なんて、あるんでしょうか」

「人の物を持っていったんだ。腹が減ってようが、遊びだろうが、盗んだことに変わりはないでしょう」

「被害が出ていることは、そのとおりです」

「なくなった布を取り戻せるか確認します。難しい場合も、持ち主の方が一方的に損をしないよう、方法を考えます」

「翼の影を見たのは、あなたの息子さんですか?」

「お話を聞かせていただけますか?」

 しばらくすると、十歳ほどの少年が窓から顔を出した。ノアを見るなり緊張したように背筋を伸ばす。

「見たものを、そのまま教えてください。分からないところは、分からないままで大丈夫です」

「夜中に、屋根で音がしたんです。窓を開けたら、向こうの家の煙突のところに影がいて」

「翼は開いていましたか?」

「畳んでた。でも、飛ぶときに広げた。あんまり大きくなかった」

「人が乗れるほどでしたか?」

「モコより、ずっと細かった。たぶん、子どもの竜だと思う」

「毛布はどう運んでいましたか?」

「口で端をくわえてた。何度も引っかかって、うまく飛べてなかった」

「どちらへ向かいましたか?」

「古い鐘楼の方」

 仕立屋通りの南には、今は使われていない礼拝所がある。王都の区画が広がる以前に建てられたもので、鐘楼も長く鳴らされていないと、ノアは聞いたことがあった。

「ありがとうございます。大事な手掛かりです」

「鐘楼の周辺を調べます。日が暮れる前には、一度戻ってご報告します」

「私たちも行きます」

 パン屋の男が言った。

 その後ろでは、騒ぎを聞きつけた近隣の者たちが、戸口や路地へ集まり始めている。竜を傷つけようとする者はいなかった。ただ、今夜も布が持ち去られるのではないかという不安が、落ち着かない視線となって鐘楼の方角へ向けられていた。

 ノアは彼らを見渡した。

「お気持ちは分かります。ですが、相手が追い詰められた状態なら、人数が増えるほど怯えさせてしまいます」

「逃げられたら、今夜も盗まれる」

「何が起きているのか、私が確かめます。分かったことは、必ず皆さんへお伝えします」

 静かな声だった。

 男はしばらく鐘楼の方角を見つめ、それから息を吐いた。

「……分かりました。お願いします」

「ありがとうございます」

 ノアは頭を下げ、モコとともに古い鐘楼へ向かった。
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