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#55 夏、混沌の中

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「もしもし、お嬢さん、落としましたよ」

 俺は背後からアリサに声を掛けると、体を一瞬ビクッとさせたのち、こちらを振り返った。そんな反応をするってことはやっぱり悪いことをしているって自覚があるみたいだ。

「あ、あら、ありがとう……」

 俺はハンカチをアリサの目の前でフリフリと猫じゃらしを振るように揺らす。

 アリサが手を伸ばそうとしたところで、俺はハンカチをひょいっと上に持ち上げる。「えっ?」と言わんばかりの困惑した顔でアリサは俺の顔を見てくる。

「あなた……どこかで見たような……」

 俺は口元を吊り上げる。

「ええ、その通りですよ、お嬢さん」

 俺は被ってあるキャップを脱いで、自分の素顔を見せてやる。

「初めまして、アリサ。スカイって言えば分かるかな?」

 スカイという単語を聞いた時、アリサの顔から血の気が消え失せ、みるみるうちに真っ青になっていく。

「嘘……。そんな、どうして……」

 手が震えている。すごい狼狽えようだ。俺はアリサのハンカチをパタパタと振り、団扇のようにして風を自分に送る。

「それにしてもここは暑いなぁ。ちょっと日陰のあるところに行きませんか? お話はそこでゆっくりとしましょう」

 俺はあえて敬語で喋る。フランクな喋り方よりも、こっちの喋り方の方が得体のしれない感じがあって、より恐怖感を駆り立てることが出来ると思ったからだ。

 俺たちは道の脇にある雑木林まで移動する。ここなら誰にも見つからないだろうし、木の影で暑さもいくらか軽減される。俺が歩き出すと、アリサは逆らわずに俺の言う通りついて来てくれた。それにしても世界の終わりみたいな顔をしているなあ。それは俺に会ったからなのか、ホテルから出てきたことがバレたかもっていう不安からなのかは分からない。なんだか可哀想に思えてきたのでいつも通りのフランクな口調に戻してあげることにした。人間、優しさが大事だからね。

 俺は木に寄しかかり、帽子を持ったまま腕を組む。アリサは下を向いたまま、目をキョロキョロとさせており、なんだか落ち着かない様子だ。優劣関係がハッキリと出ているな。

「えーと、知っていると思うけど、俺はスカイ、君の元恋人……いや、別れ話はしていないし、恋人関係は続いているのかな? 夏休みに会う約束をしていたので、秋栖町まで遥々やってきました。これが彼氏からのささやかなサプライズプレゼントってやつだよ。アリサはもっと喜ぶべきだと思うな」

「へ、へえ……スカイ君がわざわざ会いに来てくれるなんて嬉しいなあ。それで何の用だろう?」

 自然を装っているようだけど、表情がこわばっている。相当無理をしていますね、コレは。

「アリサに幾つか聞きたいことがあってね。まずは一つ目、さっき会っていた人は誰?」

「なんのこと? 私は誰とも会っていないよ?」

 ふうん、しらばっくれるつもりか。急所は隠しておくものだって言うしね。分かりやすくて助かるよ。

「じゃあ、この質問は後に回そう。アリサはDOM内で、キャラID、xxxx-xxxxのフィロソフィってプレイヤーと浮気をしていた。これは事実で間違いないな?」

 アリサはしばらく考えるような素振りをして、俺の目を見つめながら、そうよ、とだけ言った。そうじゃなきゃ今まで連絡を取っていないのも不自然だしね、認めざるを得ないのさ。

「で、それは何時から? 何がきっかけでそうなったんだ?」

「……フィロソフィとの浮気をしたのはギルドに入って間もない頃よ。スカイが居ないときにフィロソフィから積極的にアプローチされて、私は次第に彼に惹かれていったの」

「なるほど。アリサは彼氏がいるのに簡単に他の男に靡くような尻軽女だったってことか」

「…………」

 アリサは俯いただけで何も答えなかった。ここで「はい、そうです。私は尻軽女です」って答えたら面白かったのになあ。アリサはユーモアが無いんだよ。

「それで、未成年のアリサは中年のおっさん、フィロソフィとリアルでも会っている。違うか?」

「違うわ、会ったことなんてない」

 ハッキリと言っているつもりなんだろうけど、声が震えている。どうやらアリサはリアルで会っていることを認めるつもりは無いらしい。これを認めてくれないと話は先に進まないんだけどな。こうなったらアレを見せて認めさせるしかないか。

 俺はポケットに手を突っ込んでスマホを取り出す。

「なあ、アリサ、知っているか? フィロソフィのSNSアカウントで現実世界のアリサと2人で映っている写真がアップされていたんだぜ。まあ、すぐに削除されたようだけど、これを見ても認めないか?」

 俺はスマホに保存されてある、あのツーショット写真をアリサに見せてやった。そして、さっき撮ったホテルから出てくる2人の写真も。アリサはただでさえ顔色の悪いのに、更に顔を青くさせる。夏でクソ暑いっていうのに震えているじゃん。その反応を見るからに、SNSにアップされていたことは知らないようだった。

「はぁ……。そうよ、私はフィロソフィとリアルでも会っていた……」

 驚くことにすんなりと認めてしまうアリサ。アホはやりやすいからホント助かりますよ。

「しかも、会っていたのは一回だけじゃない。ここの近くにあるラブホでフィロソフィのおっさんと毎週火曜日に会うことにしている。そうだろう?」

 アリサは目を泳がせ、言いづらそうにしながらも、やがて口開き、そうだと認めた。

「そのラブホで何をやっていたんだ? まあ、やる事といったら決まっているんだろうけど。その口で言ってみろよ、縮れた毛がはみ出ているぜ」

 アリサは慌てて口元を手で触れ確認する。当然だけど何もついていない。そんな慌てていたら答えを言っているようなもんだよ。馬鹿だなあ。

「……私はフィロソフィとセックスした。そして、一緒にDOMにログインしたの」

 まさかこんな美少女の口からセックスなんて言葉が聞けるとは思わなかった。ヤバい、何かに目覚めそう。

「こんなこと、親御さんは知っているのかな? 友達が聞いたらドン引きするんじゃねえの?」

「…………」

 アリサは唇を強く噛みしめ、だんまりを決め込んでいる。

「アリサは未成年で、フィロソフィは中年のおっさんだ。こんなのバレたら犯罪でフィロソフィは捕まるだろうし、アリサも退学処分になったりするんじゃないか?」

「……スカイ、こんなことを聞いてどうするつもり? 一体何が目的なの!」

 アリサは感情を爆発させ、声を荒げる。少々挑発しすぎたかな。だがこれでいい。せっかく現実世界で会えたんだ。同じ人間同士、本音でぶつかり合いたいよね。

「目的? そんなの無いよ。66%の興味と33%の恨み、1%の正義に従って動いているだけさ! そんなことよりも、まだまだ聞きたいことはあるんだ。激しい運動の後で悪いけど、休まずに答えてもらうよ」

「……嫌って言ったら?」

「断る権利があるとでも?」

 俺はスマホをプラプラと揺らしてみせる。そしたら、アリサは大層恨めしそうな表情で俺を睨んでくる。それはまるで逆らうと電流が流れる首輪をつけられた肉食動物のようだった。
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