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第六章 嘘
2 始発電車
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玄関を開けると、まだリビングから明かりが漏れていることに驚いた。
母さんと今は顔を合わせて話したくなくて、俺はそのまま二階の自分の部屋へ向かおうとする。
「楓?遅かったわね」
ぱたぱたとスリッパの足音が聞こえてきて、母が「おかえり」とリビングの扉から顔を覗かせた。
俺は自分の顔を見られるのが嫌で、下を向いたまま早口につぶやく。
「明日、東京戻るから」
「え?まだ夏休みでしょ。もっとゆっくりしていったら」
「もういいから!」
俺は反射的に大声をあげてしまい、はっと我に帰った。
「…いや、課題とか、向こうで片付けなきゃいけないことあるし」
何か尋ねられるのが怖くて、すかさずそれだけ言うと俺は母に背を向け、階段を駆け上がった。
バタン、と音を立て扉を閉めると、俺はその場に力なくうずくまった。どうしようもなくみじめで、やりきれない思いが全身に襲いかかってくる。
明日の始発電車で誰にも顔を合わせないように、ここを出よう。
俺は部屋の扉にもたれかかり、うつろに宙を見つめた。
東京で普通に過ごして、勉強も人並みにやって、働いて淡々と日々をこなしていけばいい。
昔からなんとなく、この世界からはみ出しているような、周りの皆に合わせることのできない、負い目のようなものを感じることがあった。自分がどこか欠けているような気がして苦しくて。
誰かにそれを分かれだなんて言う方が無理で、 情けないほど笑ってしまうような息苦しさの中で、早くこの街を出たかった。
こんな俺のことを悠也は責めたり否定しないで抱きしめてくれていたのに、俺が否定して仮初の日常はもうばらばらに壊れてしまった。
この燻る感情も、いつか散り散りになってなくなってしまえばいい。
早く、明日の準備をしないと。
俺は重たい体を持ち上げ机に向かった。乱雑に散らばった参考書やノートを片付けていく。少しくらい部屋を掃除しておくんだった。
机の端に何気なく目をやって、俺ははっと息を呑み固まった。
悠也からもらったペンポーチがそこにあった。手に取ると、悠也のあの日のやわらかい笑顔が脳裏に瞬いた。
俺は嗚咽を堪えて、ペンポーチを鍵穴のついた引き出しの奥に突っ込んだ。捨てることも持っていくこともできないまま、永遠に鍵をかけ閉じ込める。
衣服をスーツケースに乱暴に詰め込んで、必要な本をちゃんと入れたか確認もして、何とか深夜に荷造りを終え寝床に入った。
あとは始発電車に間に合うように少しでも休もうとしたが、こわばったままの体が、なかなか眠りにつかせてくれない。何度寝返りを打っても、目が冴えて仕方がなかった。
やがて鳥のさえずりが聞こえ、視界が眩しくなってきて目を開く。カーテンの隙間から差し込む朝日に俺は顔をしかめた。
のそのそと起き上がり窓の外を見ると、外はまだ仄暗いが、それでも遠くの空は白と橙色の混ざったような、明るい色になり始めていた。
眠ることのできないまま夜が明けてしまった。どうしようもない苦しさと気だるさがぐちゃぐちゃに混ざり合ったまま、ぼんやりと部屋を見渡す。
昨夜は室内はまだじっとりと熱気が残って寝苦しかったのに、今朝は扇風機の風がやや肌寒く感じられた。
扇風機のスイッチを消し、コンセントを抜いてぐるぐるとなるべくきれいにまとめる。少しでも部屋をましに整えて、ここからいなくなりたかった。
「おはよう」
音を立てないように気をつけながら、黙って家を出ようと思っていたのに、母親がすでに台所に立っていることに俺は呆然とした。
「ずいぶん早いじゃない。おにぎり持ってく?」
「母さんこそ、なんで…」
思わず尋ねた声は、自分でもびっくりするほどにかぼそかった。
「朝ごはんくらい用意しておこうと思って」
「…ありがとう」
くぐもった声で礼を言う。
母はまるで昨日のやりとりなんて忘れているかのように明るい声で、「どういたしまして」と嬉しそうに返してくる。
「気をつけて行きなさいよ。あと、いつでも帰ってきていいんだからね」
やわらかい声音に弾かれたように母をみると、やさしく笑っていた。
その顔を見たら、母さんは本当は何もかもわかっているんじゃないか、という気持ちが胸に突き上げた。何も聞いてこないことがかえって辛くて、俺はうつむいた。
「母さん、ごめん」
用意してくれていたおにぎりを受け取りながら、喉元にこみあげるものをぐいっと押し込めた。
「何よ、いきなり」
「や、なんとなく」
俺はなんでもないような顔をして、精一杯にっと笑ってみせる。
「ふうん?いってらっしゃい」
「…うん、じゃあ」
いってきます、とは言えなかった。
だってもう今度こそ、ここに帰ってくることは俺にはできないから。
ずっしりと重たいスーツケースをしっかり握りしめ家をでる。ただいま、を言うことはもう二度とないんだと思うと泣きたいほどに息がつまりそうで、だけどここにとどまるのはもっとずっと苦しい。だから、もうこれきりだ。
母さんと今は顔を合わせて話したくなくて、俺はそのまま二階の自分の部屋へ向かおうとする。
「楓?遅かったわね」
ぱたぱたとスリッパの足音が聞こえてきて、母が「おかえり」とリビングの扉から顔を覗かせた。
俺は自分の顔を見られるのが嫌で、下を向いたまま早口につぶやく。
「明日、東京戻るから」
「え?まだ夏休みでしょ。もっとゆっくりしていったら」
「もういいから!」
俺は反射的に大声をあげてしまい、はっと我に帰った。
「…いや、課題とか、向こうで片付けなきゃいけないことあるし」
何か尋ねられるのが怖くて、すかさずそれだけ言うと俺は母に背を向け、階段を駆け上がった。
バタン、と音を立て扉を閉めると、俺はその場に力なくうずくまった。どうしようもなくみじめで、やりきれない思いが全身に襲いかかってくる。
明日の始発電車で誰にも顔を合わせないように、ここを出よう。
俺は部屋の扉にもたれかかり、うつろに宙を見つめた。
東京で普通に過ごして、勉強も人並みにやって、働いて淡々と日々をこなしていけばいい。
昔からなんとなく、この世界からはみ出しているような、周りの皆に合わせることのできない、負い目のようなものを感じることがあった。自分がどこか欠けているような気がして苦しくて。
誰かにそれを分かれだなんて言う方が無理で、 情けないほど笑ってしまうような息苦しさの中で、早くこの街を出たかった。
こんな俺のことを悠也は責めたり否定しないで抱きしめてくれていたのに、俺が否定して仮初の日常はもうばらばらに壊れてしまった。
この燻る感情も、いつか散り散りになってなくなってしまえばいい。
早く、明日の準備をしないと。
俺は重たい体を持ち上げ机に向かった。乱雑に散らばった参考書やノートを片付けていく。少しくらい部屋を掃除しておくんだった。
机の端に何気なく目をやって、俺ははっと息を呑み固まった。
悠也からもらったペンポーチがそこにあった。手に取ると、悠也のあの日のやわらかい笑顔が脳裏に瞬いた。
俺は嗚咽を堪えて、ペンポーチを鍵穴のついた引き出しの奥に突っ込んだ。捨てることも持っていくこともできないまま、永遠に鍵をかけ閉じ込める。
衣服をスーツケースに乱暴に詰め込んで、必要な本をちゃんと入れたか確認もして、何とか深夜に荷造りを終え寝床に入った。
あとは始発電車に間に合うように少しでも休もうとしたが、こわばったままの体が、なかなか眠りにつかせてくれない。何度寝返りを打っても、目が冴えて仕方がなかった。
やがて鳥のさえずりが聞こえ、視界が眩しくなってきて目を開く。カーテンの隙間から差し込む朝日に俺は顔をしかめた。
のそのそと起き上がり窓の外を見ると、外はまだ仄暗いが、それでも遠くの空は白と橙色の混ざったような、明るい色になり始めていた。
眠ることのできないまま夜が明けてしまった。どうしようもない苦しさと気だるさがぐちゃぐちゃに混ざり合ったまま、ぼんやりと部屋を見渡す。
昨夜は室内はまだじっとりと熱気が残って寝苦しかったのに、今朝は扇風機の風がやや肌寒く感じられた。
扇風機のスイッチを消し、コンセントを抜いてぐるぐるとなるべくきれいにまとめる。少しでも部屋をましに整えて、ここからいなくなりたかった。
「おはよう」
音を立てないように気をつけながら、黙って家を出ようと思っていたのに、母親がすでに台所に立っていることに俺は呆然とした。
「ずいぶん早いじゃない。おにぎり持ってく?」
「母さんこそ、なんで…」
思わず尋ねた声は、自分でもびっくりするほどにかぼそかった。
「朝ごはんくらい用意しておこうと思って」
「…ありがとう」
くぐもった声で礼を言う。
母はまるで昨日のやりとりなんて忘れているかのように明るい声で、「どういたしまして」と嬉しそうに返してくる。
「気をつけて行きなさいよ。あと、いつでも帰ってきていいんだからね」
やわらかい声音に弾かれたように母をみると、やさしく笑っていた。
その顔を見たら、母さんは本当は何もかもわかっているんじゃないか、という気持ちが胸に突き上げた。何も聞いてこないことがかえって辛くて、俺はうつむいた。
「母さん、ごめん」
用意してくれていたおにぎりを受け取りながら、喉元にこみあげるものをぐいっと押し込めた。
「何よ、いきなり」
「や、なんとなく」
俺はなんでもないような顔をして、精一杯にっと笑ってみせる。
「ふうん?いってらっしゃい」
「…うん、じゃあ」
いってきます、とは言えなかった。
だってもう今度こそ、ここに帰ってくることは俺にはできないから。
ずっしりと重たいスーツケースをしっかり握りしめ家をでる。ただいま、を言うことはもう二度とないんだと思うと泣きたいほどに息がつまりそうで、だけどここにとどまるのはもっとずっと苦しい。だから、もうこれきりだ。
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