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使用人達が、ネロのことを天使だと、慈悲深いと言っていた意味がわかった。まあ、天使にしてはあの子は毒舌が過ぎるとは思うけれど。
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嵐のように言いたいことを捲し立て、離縁申請の手紙と血判状を手にしたネロが笑顔で「ご機嫌よう」と、帰って行き――――
一人、静かになった部屋で思いを巡らせる。
「・・・わたくしの、なにが悪かったのかしら?」
思わず落ちた呟きに――――
『は? 最初から最後まで全部ですよ。むしろ、自分のなにが悪いのかわからないことが悪いに決まってるじゃないですか。あなた、馬鹿なんですか?』
と、生意気な声が応えるような気がした。
悔しいけど、その通りだと納得して認めるわたくしもいる。
お前は、わたくしのことを馬鹿だ愚かだ、見苦しく無様だ、恥を知れと散々に言ったけれど――――
そんなことは、わたくしが一番よく判っているわ。だって、今までずっと、酷く惨めな思いばかりだったのだもの。
お前は、レーゲン様に対するわたくしの感情を勘違いだって、わたくしが自らの矜持を傷付けられたことへの怒りと悔しい気持ち、そしてそれを与えた相手への復讐心と醜い執着だと、そう言ったけれど。
愛情なんかじゃないと強く否定されてしまったけれど。
それでも、わたくしはレーゲン様のことを好きだったのよ?
レーゲン様をわたくしの、わたくしだけのものにしたかったの。
『馬鹿ですか? 人は物ではないのです。相手の意志を無視し、相手の幸福を考えられないのなら、それは愛ではありませんよ』
愛ではない、愛ではなかったというのなら……この感情は一体なんなのかしら?
『そうですねぇ……それこそ、執着。もしかすると、恋心とでも言うのかもしれませんね。まあ、自分の感情ばかりを優先して、相手のことを一切考えられない時点で……それは叶わぬ恋。もしくは、相手を傷付けて、相手に傷付けられるばかりの苦しい恋になるんじゃないですか? 愚かなあなたのように』
ウルサいわね! 全く、さっきから……
どっちが年上かわかったものじゃないわ。
それに、お前はもうここにはいないのに――――
思えば、お前とこんなに話したのは初めてのことだったわね。
お前があんなに口が悪くて、わたくしのことを酷く馬鹿にしているなんて知らなかったわ。
ああ、いえ。違うわね。わたくしが、ネロは自分の思う通りにできるモノだとしか思っていなかった。ネロと話をしようだなんて、思っていなかった。
そう、お前に……自分の意志があるという当たり前のことにすら気付けないでいた。
わたくしは……お父様とお母様みたいな夫婦になりたかったの。
お父様とお母様は、とても仲睦まじい夫婦で……わたくしは、お二人に憧れていたの。レーゲン様と、そんな夫婦になりたかった。
ああ、そうよ。レーゲン様が、あの女に……向ける表情がとても、愛しい人へ向ける表情だったから。レーゲン様は、好きになった相手を大切にするのだと思ったの。
わたくしにも、そんな風に愛しい人を見る表情を、視線を、態度を、言葉を、優しさを掛けて欲しいと、そう思って――――
けれど、失敗した。わたくしはレーゲン様に、「下賤出のあんな女より、わたくしの方がレーゲン様に相応しいと思いますわ!」と、必死でアプローチした。
そんなわたくしを、レーゲン様は毛嫌いした。わたくしは、殿方にそんな態度を取られたことがなくて・・・大層憤慨した。悔しくて悔しくて仕方なかった。
思えば・・・ネロの言う通りだったのかもしれないわね。どうしてもレーゲン様をわたくしに振り向かせてやると、意固地になっていたわ。自分でも抑えられない程の悔しい気持ちと怒り、強固でしつこい執着心。
レーゲン様にわたくしを選ばせる為なら、なんでもした。お父様もお兄様も、わたくしに甘いから。わたくしがレーゲン様を好きで、彼に嫁ぎたいと言ったら応援してくれたわ。
正妃には、既に公爵家のアストレイヤ様がなっていたから。側妃でもいいからと、レーゲン様の寵姫のあの女を我が家の寄子貴族の家の養女にしてやると交換条件を出して・・・
きっと、権力に対する欲などもあったでしょうけど。随分な無茶を言ったものね。
あの頃はわたくしが世界の中心で、わたくしのお願いが叶わないことがないと、愚かにもそう信じていた。
お母様だけは、「それであなたが幸せになるとは思えません。よくよく考えなさいミレンナ」と、そう言ってくれましたが。浮かれていたわたくしは、全く聞く耳を持たなかった。
わたくしは自分の恋心に、好きな人に振り向いてもらえない悲恋的な状況に、絶対にレーゲン様を振り向かせてみせるのだと、そういう風に自分に酔っていたのね。
その結末が、この状況。
無理矢理側妃に収まってもレーゲン様には愛されず、ネロとネレイシアを身籠ってからはひたすらに存在を無視され続ける日々。
初めての妊娠でとっても不安な日々を過ごしたの。わたくしを側妃に捻じ込む為に尽力してくれた家族には言えなかった。わたくしのことを案じてくださったお母様にも、相談なんてできなかった。
悲しくて、惨めで、不安で、つらくて、悔しくて、わたくしは――――
きっと、自分で自分を追い詰めていたのね。それを、周囲に当たり散らしていた。
何年も、ずっとずっと――――
暴れて、泣き喚いて、不満を叫ぶ姿をネロに散々馬鹿にされ、みっともない醜態だと言われて、貴族令嬢として相応しいかと問われて、漸く気付いた。
本当に、遅過ぎるわね。馬鹿にされて当然の醜態。わたくしだって、わたくし以外が……いい年をした貴族令嬢が目の前でそんな酷い姿を晒していたら、気狂いかと思うわ。嘲笑されて蔑まれても仕方のない姿。
絶対に、貴族令嬢が人前に晒していい姿ではない。
淑女として教育されたのなら、幼く小さなレディですらできることも、なにも判らなくなっていた。だって、レーゲン様に愛されない『自分が、世界で一番可哀想』だったから。
ああもうっ、本当に、今冷静に考えるとものすっごく恥ずかしいわねっ!?!?
酷く恥ずかしい。恥ずかし過ぎて、もの凄くへこむわ・・・
そして――――本当に、わたくしは酷いことをした。
わたくしの憧れたお父様とお母様は、わたくしとお兄様を愛してくれたの。いつも可愛がってくれたの。わたくしに、いつも笑顔を向けてくれたの。いつもわたくしを心配してくれたの。いつもわたくしを慈しんでくれたの。
わたくしは、そんな家族に憧れて、レーゲン様とそんな家族を作りたかったの。
最初の段階から全て、全部、須らく、なにもかも間違ってしまった。
ネロが言っていた。わたくしがレーゲン様と結婚しなければ、今とは違う未来があったのかもしれない、と。わたくしを愛する人と、その家族に囲まれていたかもしれない、と。
その言葉で、気付いてしまった。そう、仮令、今の状況のようにレーゲン様に愛されずとも、わたくし自身がネロとネレイシアを愛していれば、慈しんでいれば、ネレイシアも元気に生きていて――――母子三人で仲良く暮らせていたかもしれないという未来に・・・
でも、そんな未来を、可能性を、ネロとネレイシアを拒絶して潰したのはわたくし自身。
本当に、本当にごめんなさい。ネロ、ネレイシア。二人には、謝っても謝り切れない。
もし、わたくしがお父様とお母様に、レーゲン様とわたくしのように酷い態度を取られたら・・・きっと、耐えられない。もしかしたら、絶望していたかもしれない。お父様とお母様のことを心から嫌って、憎んで、恨んで、不幸になれと思っていたかもしれない。
わたくしとレーゲン様は、そんな酷いことを二人にした。
なのに、なのに、ネロはわたくしに対して見苦しいと、愚かだと、馬鹿だと、嫌いだと、憐れだと、そう言うだけで、わたくしに対しての恨み言も、レーゲン様に対する恨み言もなに一つとして言わなかった。
恨む程に憎む程に、わたくしに興味が無いと。そう言った口で、わたくしにこれ以上不幸になれとは言わない、と。あまつさえ、わたくしの身を案じてくれた。
今、わかった気がする。わたくしが、ネロに対して苛立っていた理由。あの女に対する対抗心だけではない。ネロの瞳が、きっとどこかレーゲン様の視線と似ていたから……なのだと。そう、わたくしに対して興味が無いと言わんばかりの冷たい視線。鬱陶しいと如実に語る視線。それが、本当に本当に嫌だった。
でも、わたくしが先程思ったように。お父様とお母様に酷い態度を、言動を取られていたら、到底許せたものではない。興味が無い、恨む程の情が無い、だけでは済まなかったと思う。
使用人達が、ネロのことを天使だと、慈悲深いと言っていた意味がわかった。まあ、天使にしてはあの子は毒舌が過ぎるとは思うけれど。
ネロの言葉は、甘ったれなわたくしには厳しいものばかりだったけれど。それは、わたくしがネロへ言わせてしまったもの。
あの子は、まだたった七つ。いいえ……違うわね。正確には判らないけれど、もう何年も前からわたくしの尻拭いをして来たのだったわね。あの子が無邪気に、周囲から愛されて幼い子供らしくいられる時間を、わたくしとレーゲン様が奪ったのだわ。
本当に、どちらが保護者だかわからないわね。わたくしは、レーゲン様に見向きもされないからとずっと自分で自分を憐れんで、周囲にも憐れまれて然るべきだと思って、なにも考えずにずっと泣き喚いていただけ。
息子に恥を知れと言われて気付くだなんて、こんなに恥ずかしいことは無い。
そして・・・酷く、胸が痛い。気付かなければ、わたくしは可哀想でいられた。わたくしは自分だけを憐れんでいられた。こんな、激しい後悔と深く苦しい胸の痛みに襲われることはなかった。
けれど、気付けてよかった。
こんな、どうしようもないわたくしを……許さないと口では言いながらも、レーゲン様と離縁して他人となり、縁を切ると告げたのに、わたくしとレーゲン様とは親子になれなかったと言って、それでも、新しい関係……お友達にならなってあげる、と示唆してくれた。
わたくしと、完全に縁を切らずにいてくれるという。
ありがとう。先にお前達を拒んだのは、わたくしなのに。こんなどうしようもないわたくしに、チャンスを与えてくれて。
ネロにこれ以上迷惑を掛けない為、わたくしはもうレーゲン様や王家に関わることをやめます。
ネロに言われた、わたくしが傷付けた人達への償いをしながら・・・ひっそりとお前の手助けをすることは許してちょうだいね?
匿名の差し入れや寄付なら受け入れると言ったのはお前なのだから。
そして、わたくしは――――ネレイシアが亡くなってから初めて、涙を流しながらネレイシアの冥福とネロの幸福を祈った。
もう母親じゃないし、家族でもいられない。そもそもが母親として失格で、最低なわたくしなんかの祈りでは、神様も聞き届けてくれるかはわからないけれど。
願わくば、せめてお前だけでも……ネレイシアの分まで幸せになりなさい、ネロ。
✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧
需要があるか不明な、ミレンナの一人反省会&懺悔でした。(*´ー`*)
次の話も書けたら更新になります。(;´∀`)ゞ
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