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第2章

辺境伯の告解

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「死ねないというのも、存外つらいのだ」

 キール様は俯いたままボソっとそう口にした。
 私は聞きづらいことを聞こうかどうか迷って、やっぱり口にした。
 
「子を作って死のうとしたことは?」
「考えたことは、ある。しかし、この孤独感を自分の子に味合わせるなど……到底できない。つまるところ私の血は呪われているのだよ」
「じゃあなんでわざわざ私と婚約を……?」
「似ていたんだ……」

 赦しを乞うように頭を垂れたその姿は、まるで告解こっかいをする罪人のようだった。

「リディアという女性がいた。はるか昔、私の婚約者……だった」
 
 キール様は語ることにしたらしい——自分の過去を。

「リディアは物静かな女性だった。彼女は花が好きでね。
 ずっと、日がな一日花を愛でているそんな姿を覚えている。
 一方私は、その頃トラブルを抱えていた。
 今考えれば、たかが国の土地がどうだ、戦争がどうだとかいうくだらないトラブルさ。
 そのせいで彼女のことは放ったらかしにしていた。
 どうせ子を作るつもりはないし、形だけの婚約だ、とそう思っていたのもある。
 しかし、彼女は私のことをずっと想い続けていてくれたらしい」

 後悔と悲しみをない混ぜにしたような顔で、そう告白する彼の手は硬く握られている。
 ふう、と一息吐いてからキール様は続けた。
 
 「雨の日にしか咲かない花がある。名はブラッディマリーといった」

 ブラッディ?チェリエがいっていた花のことだ。
 あれは間違いではなかったのか。

「とても珍しい花だったから、その生態は誰も知らなかったんだ。
 けれど、どこからか雨の日にだけ咲く花がある、とリディアは聞きつけたらしい。
 その花の蜜を飲めば、女神の祝福を消すことができる。
 だからその花は女神の怒りをかって、空が見えない雨の日に女神の目を盗んで咲くのだ、とね。
 そんなのは花の生態からこじつけられた眉唾ものの話だ。
 けれど、リディアはそれを信じてしまった。
 それほどまでに私との子が欲しかったのもあったのだろう。
 それに気づいてやれなかった。
 なにしろ、何ヶ月も彼女を放って戦場を駆け回っていたくらいだからな」

 一気に話し、ようやく一息つくと、キール様は紅茶を口にする。
 その手は震えていて、彼の後悔が滲み出ているように思えた。

「ブラッディマリーは険しい崖に咲く花だ。
 彼女は私の天啓のことや、子について相談する人がいなかった。
 だから一人でその花を摘みにいったらしい。
 そして彼女は……帰らなかった。
 それを知ったのは、皮肉にも私が久しぶりに彼女の元を訪れた次の日。
 私は急いで彼女が向かったという山に入った。
 そこで見たのは、ブラッディマリーを握ったまま冷たくなっているリディアの姿だった」

 そういうとキール様は唇を噛んだ。口の端から血が滲んでくる。
 長い沈黙があって、血がぽたりとテーブルに落ちる頃、ようやく絞り出すように声を発した。
 
「ブラッディマリーには棘があったんだ。
 そしてその棘には毒があった。
 そんなことは知らなかった……誰も知らなかったんだ。
 だから根絶した。この世から駆逐したのだ。
 忌々しい棘がなくなるまで何度も何度も交配をさせた。
 憎々しい毒がなくなるまで何度も何度も何度も何度も交配をさせた。
 そして生まれたのがフラッディマリー。
 雨の日にしか咲かない、ただ美しいだけの哀しい花」

 ちらりと部屋の中に飾られている、その花を見ながら呟いた。

「ちなみにあの花はフリーズフラワーといって、一年中その開花した姿を保てるように改良してあるものだ」

 どおりでいつみても綺麗に咲いていると思っていた。
 あのお花は城中にあるけれど、萎れているところを見たことがないもの。
 
「生花のフラッディマリーは、城の庭園に植えてあるので今度見てみるといい。もちろん雨の日にしか咲かないが」

 はじめてこの城へ来た日に『今日はちょっと日が悪い』とピーターがいっていたことを思い出した。
 あれはそういう意味だったのか。

「つまり……私は、そのリディアさんに似ていると?」
「その銀の瞳は、な。ただそれよりも」

 キール様は余程言いづらいことなのか、口ごもった。
 
「……フラッディマリーに似ている、とそう思った」
「は、花にですか……?」
「い、いやっ、花とはいえ長い時間をかけて何度も交配をさせて作った私の唯一の子供みたいなものだからな」

 早口でそう言い切ったキール様は、まるで言い訳をする子供のようだった。
 うーん、だからといって花……花かぁ……。
 壁の花、と呼ばれていた私にはお似合いかもしれないけれど。

「すまなかった」

 キール様はそういって深く頭を下げた。
 しばらくそうして、頭を上げたその顔には諦めが滲んでいた。
 まるでもうこれで終わりなんだろうな、といっているかのようで。
 
 だから私は腕を振りかぶった。そしてキール様の頬を叩く。
 乾いた音が室内に響いて、驚いた顔のキール様は言葉を失っている。

「キール様、あなたは何に対して謝っているんですか?」
「こんな男が婚約を申し込んですまなかった、と。嫌いになっただろう?」

 なぜそんな不安な顔で、そんな哀しいことをいうのだろう。
 俯いて、自信がなさそうで。あなたのそんな姿なんてみたくない。
 
「そんなわけないじゃないですか。じゃあキール様は私なんか全く見ていないのですか? 今でもリディアさんだけを見ているのですか?」
「いや、そうではない。私は心からリアを愛している。そして今度こそは絶対に手放さないとそう誓って……」
「でも死にたがっているんでしょう? 私を置いて?」

 キール様はハッとした顔になった。
 
「そういえば、最近はそう思わない……ような」

 そんな煮え切らない態度にいい加減腹が立って。
 だから私は宣言した。
 
「はぁ。やっぱり今のキール様は嫌いです。私だけを見てくれるようになるまで結婚もしません!」
「リア……」
「だから私だけ見てもらえるように、私も頑張りますね」
「リア……!」

 キール様は勢いよく立ち上がると、私を抱きしめた。
 そして——なにかが壊れたらしい。
 ああ、よく分かった。この人はきっと弱い人だ。
 いや、何百年も生きているうちに心がひび割れて脆くなってしまったのかもしれない。

「はいはい、もう分かったから泣かないで。甘えん坊さんね」
「リア、リア、リア……」

 苦悩を告解して、張り詰めていたものが決壊したのだと思う。
 ずっと一人で抱えて、苦しんでいたんだろうから。
 私の膝で赤ちゃんのように泣くから、だから頭を撫でてあげる。
 いつもあなたにそうしてもらうように、優しく、ゆっくりと。
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