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第1章

倒れるメイドに頼れる執事

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「ミザリィさん……なんてことを……」

 ミザリィが震える手で握ったナイフは、ぴたりと私へ向けられている。
 まさに白昼堂々といった状況だ。
 誰がこんな町中で襲われることを予見できるものか。

「あんたが悪いんでしょ……」

 憎悪を孕んだ、その瞳はとても正気のものとは思えない。
 口元は忙しなく動き、ぶつぶつと何かを呟いている。
 
「コロスコロス殺すコロスコロスころす……絶対コロス」
「ひっ……」

 耳を済ましてみると絶えず私への呪詛を吐き出しているようだ。
 恐怖のあまり思わず声を上げてしまった。
 
「ウッ……」

 その時、足元で倒れているメリンダが苦しげな声を上げた。
 ちらり見やると、刺された腹からの出血はひどく、顔色を悪くしている。
 そんな青白い顔で唸るように呟いた。

「無事……です、か?」
「メリンダ、あなた大丈夫なの!?」

 まずい、気が動転している。
 刺されて大丈夫なはずがないのに何を聞いているのだ。

「に、にげ……て」
「で、でもそんなわけにはっ」

 その時、メリンダが苦しそうに咳き込んだ。
 思わず駆け寄ってしゃがみ込み、様子を確認しようとして——不意に走ってくる足音が耳朶じだを打った。
 
 もちろんメリンダは心配だ。
 けれど離すべきではなかった。
 自分に憎悪を向けているミザリィから目を離すべきではなかった。
 
 近づいてくる悪意の気配に、慌てて立ち上がろうとするも遅かった。
 部屋で刺繍ばかりしている不健康な白さのこの首が、赤く赤く染まる様を思い浮かべる。
 
 あ、死んじゃうんだ。
 
 何故か緩慢に感じる時の流れの中で、私はそう悟った——のだけれど。

 キンッという硬質な音が響き、ミザリィの持っていたナイフが弾き飛ばされた。
 え、一体何が起こったのだろう。

「クソがあぁぁぁッ」

 ミザリィは口汚い言葉を吐きながら落ちたナイフに向かって走る。
 まずい、ナイフを拾えばまた私を殺しにくるだろう。
 逃げる?いや、怪我をしたメリンダをここに置いていくわけにはいかない。
 どうしたら……。

「何をしているのです!」

 まだ陽のある時間にも関わらず、不自然なくらい人がいない街中にあって、その声はよく響いた。
 ナイフが転がった先の路地から誰かが駆けてくるのが見える。
 
「うるさいうるさいうるさいッ!」

 ミザリィはそんな声の主を無視するようにナイフへ走り、手を伸ばす。

「させませんっ!」

 叫び声の主はミザリィが拾おうとしたナイフを素早く蹴り飛ばす。
 綺麗な弧を描いたそれは、街の中を流れる川へ吸い込まれるように落ちていった。
 ナイフの行方を目で追ったミザリィは、手が届かないと見ると激しく地面の石畳を殴りつけた。

「……くっ……覚えてなさいよッ!」

 ミザリィは血走った目で私を睨むと、右手に血を滲ませながら走り去っていった。

 
 「大丈夫で……はなさそうですな」

 ミザリィを撃退してくれた命の恩人が近づいてきてそう呟いた。
 あれ、この人なんだか見覚えがあるような。

「あなた……は、もしかしてキール様の?」
「おや、覚えておいででしたか」

 そうだ、この人はキール様のお屋敷での夜会で挨拶をしていた老紳士だ。
 急に婚約者候補だなんて言い出した人だから強烈に記憶に残っている。

「私はキール様の専属執事シュバルトと申します。そんなことよりもまずはこちらの方を……」

 シュバルトさんがメリンダを見て顔をしかめた。
 つられて目をやると、メリンダの体からは完全に力が抜けてしまっている。
 どうやら血を流しすぎて意識を失ってしまったようだ。

「これはいけませんね。これ以上の血を流すと命に関わるでしょう」
「ッ! ど、どうしたら? 早くお医者さん、お医者さんに診せないとっ!」
「うむ……しかし無理に動かすと更に命が流れ出てしまう。どうにか傷口を塞いで止血できるとよいのですが」

 メリンダが死んでしまう?
 だめ、そんなことはあってはいけない。
 だってメリンダは小さな頃からずっと側にいて、これからもずっと側にいてくるはずで……。
 パニックに陥りかけた自分の頬をひとつ張った。
 私が冷静じゃなくてどうするの!

「シュバルトさん、傷を塞げば……一緒にメリンダを運んでもらえますか?」
「そうですな、見たところ華奢なお嬢さんだ。私ひとりでも十分に運べるかと」
「わかりました」
「何をなさるので?」

 私はポーチからを取り出した。
 いつも持ち歩いている小さなものだけれど、いま必要な道具はここにある。

「まさか……?」
「ええ……縫います」

 私は決意をこめて強く頷いた。
 とんでもないことをしようとしているのは分かっている。
 けれど今からここへ医者を呼ぶのも、メリンダを運ぶのも状況的に難しい。
 だったら……。

「それはいささか無謀では?」

 諌めるシュバルトさんの声も聞き流す。
 私はメリンダに死んで欲しくない。
 だからやれることを全部やるだけだ。
 急いで針と糸を取り出した私の手をシュバルトさんがそっと掴んだ。

「止めないでください!」
「いいえ、止めませんよ。貴女の覚悟は本物のようです。ですからこちらを」

 そういってシュバルトさんは懐から何かを取り出すと、私に握らせた。
 これは所謂いわゆるスキットルと呼ばれているものだ。
 つまり中身は……。

「お酒……ですか?」
「ええ、もちろん酒ですよ。我が領の特産品のかなりきついものです。こちらに針を浸すことで傷に悪いものが入るのを多少は防いでくれるはずです」

 まあ気休めですが、とシュバルトさんは続けた。
 礼と共に受け取ったスキットルの口を開けると、非常に強い香が漏れ出てくる。

「この香りは……フラッディマリー?」
「ええ、よくご存知で。旦那様が好まれている花でして、あれはこうして酒にもなるのですよ」

 匂いを嗅いだだけで酩酊してしまいそうなのはかなり強い酒である証拠だろう。
 フラッディーマリーの甘い香りの中に、診療所で嗅いだことのあるような独特な匂いも微かに感じ取れる。
 気休めとはいっていたが、自分よりも人生経験が豊かであろうシュバルトさんの言葉に従って針を酒で洗うことにした。

「メリンダ、痛かったらごめんね……」

 準備を終えた私はメリンダが好んで着ているメイド服を捲り上げた。

「傷口はここね……大きさはそんなでもないみたい」
「その方のためにも手早くすることをおすすめいたします」
「ええ、分かっているわ」

 私は唾をひとつ飲み込んで、決心をする。
 そして針を動かした。
 手早く、スムーズに、淀みなく、確実に。

「終わった……」

 時間にして数分といったところだろうか。
 溢れ出していた血はかなり収まったように見える。

「ふむ、かなりの手際でしたな」
「それじゃあシュバルトさん……」
「ええ、すぐにこの方を運びましょう」
「一番近い診療所は……」

 私が街の地図を頭に浮かべて考えているとシュバルトさんがそれを遮った。

「うちの屋敷に運ぶのはいかがでしょう。医療に関しては腕のいいものが常駐しております」
「辺境伯様のお屋敷に?」
「ここからだと少し距離はありますが、街中で急患を診てもらえる診療所を探すよりも確実でしょう」
「……わかりました。お任せします」

 私の言葉に首肯すると、すぐにメリンダの首と足の下に手を差し込んだ。
 そして濡れた血で服が汚れるのもいとわず、しっかりと抱きかかえる。

「屋敷の場所は分かりますね? 少々急ぎます故、ついて来られないようであれば後からお訪ねください」

 そういうと、私の返事も待たずにシュバルトさんは駆けだした。
 とても私が走って追いかけられる速さではない。
 人一人を抱えてなおあの速度……人は見かけによらないとはよくいったものだ。

 「メリンダ……頑張って」

 私は赤く染まった両手を合わせて女神様に祈りを捧げた。

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注) 納得できない部分があるかもしれませんが、あとで回収します
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