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第1章

天啓<ギフト>

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「こ、この度は我が娘とこここ、婚約いただき……」

 父はキール様を目の前にして緊張のピークを迎えていた。
 さっきまで母を相手に何度も挨拶の練習をしていたのに、どうやら練習は無駄になったみたい。

「そんな堅苦しい挨拶はよい。ローゼリアには私から婚約を申し込んだのだからな」
「そ、そうでございましたか! 手前味噌になりますがこの子は器量もよく、それに手先が器用で刺繍なんかも得意でして……」
「ふむ。しかし男爵はあまり刺繍を気に入られていないと聞いているが?」

 キール様にそう問われた父は、私をキッと睨みつける。
 しーらないっ、私はすっと目線を逸らした。

「そ、そんなことは……」

 父は否定しながら吹き出した汗を拭っている。

「まあ隠す必要もあるまい。しかしそれにしてはローゼリアが刺繍したものを店で売っているようだが」
「あれは店の隅に少し置いてやっているだけでして」
「それなら良かった。ローゼリアは近い内に我が領地へと赴いてもらう。そうなると刺繍は今まで通りのようには店に並べられないだろうからな」

 男爵家にとっての死刑宣告になりかねない事実を突きつけられ、父がうろたえた。
 そしてどうにか声を絞りだす。
 
「え、ええ……ですな。辺境伯閣下の領地に嫁ぐのですからそれはもう……当然のことでしょう」

 私の刺繍が売上に対してそれなりの比重があることをよく知っている父は渋い顔をしている。
 納得もしていないだろうけれど、私が嫁げばそうなってしまうのは当然のことだろう。

「商売は成り立ちそうか?」

 キール様に問われ、父は苦虫を噛み潰したような顔で唸っている。
 大丈夫だ、と胸を張っていえないのが現状だから仕方のないことだけれど。

「そこで代わりといってはなんだが、今後は身内として金銭的なことを含めて援助をさせてもらおうと考えている。異論ないか?」

 そうキール様が聞くと、父はまるで人生の春とでもいったように顔を綻ばせ、何度も頷いている。
 刺繍の売上を補填するために十分すぎる以上のお金を援助してもらえる、という話は既に手紙で聞いていた。
 父に黙っていたのはちょっとした意趣返しのつもり。
 ずっとバカバカしいといわれながら商品の刺繍をしていたんだからそれくらいいいでしょ。

「ちなみにだが、ローゼリアの刺繍を店に並べられないといったのは婚約だけが理由ではない」
「と、いいますと?」
「ローゼリアの刺繍は……なんといえばいいか。そうだな、特別なのだ」
「娘の刺繍が特別、ですか?」

 父はなんだか納得のいかなそうな顔をしている。
 実はその話を聞くのは私もはじめてで驚いていた。

「ああ。ローゼリアはおそらく”天啓ギフト”を授かっている」
「それは選ばれたもののみが女神様から下賜されるというあの……ですか?」
「そうだ」

 キール様は鷹揚にうなずく。
 え、私ってあの天啓を授かっているの?そんな自覚全く無いのだけれど。
 ということは私ってば実は特別な力を持ってるかもしれないのか……なんて少しだけワクワクしてきた。

「ローゼリア、君は神殿で宣託を受けたことはないのか?」
「は、はい。あれは戦場へ赴く騎士様が儀礼的に受けるものだとばかり……」
「まぁ一般的にはそうだ、否定はしない。過去を見れば望んでいない天啓を知ったばかりに戦場へ駆り出され散った命も多い。故に自分の天啓を知ろうとせず、気づかないままに一生を終える者もいるくらいだからな」

 天啓というものがそんな危険なものだったとは……。
 ワクワクしていた気持ちが急速に萎びていく。
 戦場に行く?ムリムリ、一日だって生きていられる気がしない。

「とはいえ、ローゼリアの天啓は戦闘向きの血生臭いものではなさそうだから安心していい」

 キール様は美しい所作でおもむろに立ち上がると、一枚のハンカチを取り出した。
 ちらりと蝶の刺繍が見えたので間違いない、あの日に私が渡したものだ。

「では見ていてくれ」

 キール様が真剣な顔でハンカチを握ると、刺繍の蝶が淡く光りだした。

「わっ……」
「もう少し魔力を込めるぞ」

 すると蝶の輝きはどんどん増していき——。

「えっ!?」

 なんとハンカチから光り輝く蝶がふわりと飛び立った。
 忙しなく羽を動かし、自由に空を翔んでいる。

「おそらく召喚魔法のようなものなのだろうが」
「き、綺麗……」

 私は驚きと感動で胸が詰まった。
 楽しそうな蝶の羽ばたきを見つめていると、やがて蝶は溶けるように姿を消してしまう。

「消え……ちゃいましたね」
「ああ、このままだと発動するための魔力効率も悪く、持続時間も短いからな」
「そうなんですか、これでは何の意味もないですよね。ごめんなさい」
「なぜ謝る? 素晴らしい天啓だぞ。確かに今のままではほんの一時の幻だが、もしかすると相当に有用かもしれない」

 少し疲れたような顔をしたキール様がそういって私の頭を優しく撫でてくれる。
 父の前で子供にするように撫でられるのは少し気恥ずかしいけれど、心地よくもあった。

「ローゼリアの刺繍が売れない理由はこんなところだ。これに値段を付けようと思ったら金貨3枚は下らないだろうからな」
「き、金貨3……枚?」

 父が呆けた顔をしている。
 そうなるのも仕方がないか、金貨どころかずっと銀貨5枚程度で売っていたのだから。
 単純計算で15倍以上の儲けがあったなら……男爵家の現状も大分違っていただろう。

 「さて、呆けるのはそれくらいにして今後の予定を詰めておこうか」

 キール様は私を撫でる手を止めて、真面目な顔で父と向き合った。

 
「……まぁ、概ねこんなところか」
「はい、しかと了承いたしました」

 ようやく話し合いがまとまって、キール様はとっくに冷めてしまっているであろう紅茶を口にした。
 予想以上の支援をしてもらえると知った父の顔はテカテカと光輝いて見える。

「そろそろいいお時間です、ご一緒に食事でもいかがでしょうか?」
「すまないが、私はこれから陛下との話し合いがあってな。今日のところは遠慮させていただこう」
「へ、陛下と!? そうとは知らず長々と引き止めてしまい申し訳ございません!」
「なに、婚約者の実家を尋ねることも私にとっては同じくらい重要なことだ」

 キール様はそういうとゆるりと椅子から立ち上がった。
 
「キール様、お見送りいたします」
「ああ、ありがとう」

 キール様の側に寄り添いながら歩いていると、婚約したのだという実感がわいてくる。
 けれどキール様は辺境伯様なのだと改めて考えると緊張してしまうのは仕方がないこと……だよね?
 ちらりと見上げると私の旦那様の紅い瞳が優しく見つめ返してくれた。

「本当はすぐにでも私の屋敷に招きたいところだったのだが、陛下との会談や領地のことで立て込んでいてな……」

 すまない、とキール様が申し訳なさそうに頭を下げた。
 あわわ、辺境伯様にそんなことをしてもらうわけにはいきません!
 と、焦るみっともない自分をどうにか押し殺す。
 
「いえ、とんでもありません。時間ができたらいつでも会いにいきますから、それまで……忘れないでくださいね?」
「さあどうだろうな、忘れようとして忘れられれば寂しくないのだが」

 そんなことを真面目な顔でいうものだから、思わず顔を伏せてしまった。
 私の顔、きっと熟れたトメトの実よりも真っ赤になっているもの。
 このままじゃおかしくなっちゃいそう……話題を変えなきゃ。
 
「キール様にひとつ聞いておきたいことがあるのですがいいでしょうか?」
 
 私はトメト色の顔を隠すため、俯き加減でそう尋ねた。
 
「なんだろうか?」
「あの……嫁ぐ際にメイドをひとり連れていっても、いいでしょうか?」
「ああ、そんなことか。もちろん構わないとも。我が家で雇い入れて給金を支払う形にすればいいだろう」
「ありがとうございますっ!」
「リアが必要なものはなんでも持ってくればいいし、欲しいものがあれば買い揃えておこう」

 キール様はそういって私の頭を撫でた。
 良かった、これでメリンダと離れないで済みそうだ。
 振り返ってウインクをすると、後ろに控えたメイドは半笑いでため息をついた。

 そういえば前から思っていたけど、キール様って頭を撫でるのが好きなのかな。
 子供扱いされているのかと思ったけど、そういうわけでもなさそうだし。
 
「でもこんな私の頭で良ければいくらでも撫でてくださいっ!」
「ん、いくらでも……何だって?」

 しまった、心の声がダダ漏れしていたらしい。

「い、いえ、なんでも……ありません」
 
 後ろからくすり、と微かな笑い声が聞こえた気がした。
 
 屋敷をでると、門の前に豪奢な馬車が横付けされている。
 どうやらここでお別れらしい、もっと話していたいな。
 そんな気持ちが届いたのか、馬車へ乗り込む寸前でキール様は足を止めた。
 そして私の目をじっと見つめてくる。
 その顔は美しすぎて、私の中の緊張感が高まっていく。
 
「次に会う時はおそらく我が領地で、ということになる」
「もう領地へ戻られるのですか?」
「……陛下との会談次第ではあるが恐らくそうなるだろう」

 陛下との会談、か。
 滅多に領地から出ないという辺境伯様がわざわざ王都へ赴いたのだ、些事じゃないことくらいは誰だってわかる。
 もしかすると隣国との小競り合いに係ることだったりするのだろうか。

「リア、どうしてそんな不安そうな顔をしているんだ?」
「えっと、その……危ないことはないのですか?」
「そうか、私の身を案じてくれたのか。大丈夫、私は意外と強いからな」

 キール様はそういうとウインクを……しようとして両目を同時に閉じてしまった。
 普段の立ち振舞が完璧に見えるキール様にもどうやら苦手なことがあるんだな。
 そう思ったら婚約者だというのに側にいることすら緊張していた自分が馬鹿らしくなって。
 
「うふふ」
「何故笑うのだ?」

 どうやらキール様は自分ではウインクが苦手なことに気づいてないらしい。
 見た目はこんなに美しいのになんて可愛らしい人なんだろう。
 
「さあ、何ででしょうね? 次に会う時までの秘密ってことにしておきます♪」
「それでは余計次に会うのが楽しみになったな」

 キール様は輝く笑顔でそういうと颯爽と馬車に乗り込んだ。
 すぐに御者が馬車を動かすと、小窓から顔を覗かせて声を掛けてくれる。
 
「リア、君は笑っている方が可愛いのだから私の前であまり緊張しないでくれると……嬉しい。それでは、また」

 そんな言葉を残して馬車は去っていった。
 どうやら私がキール様の前でガチガチに緊張していたの……バレてたみたい。
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