所詮、わたしは壁の花 〜なのに辺境伯様が溺愛してくるのは何故ですか?〜

しがわか

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第1章

フラッディーマリーの香り

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 辺境伯様に手を引かれホールの中央に歩みを進めると、遠巻きに様子を見ている令嬢たちからひそひそとした囁きが耳に入る。

「なんであんな地味な子が!?」
「あれって壁の花でしょう。いっつも独りでつまらなそうにしているもの。閣下はそれを憐れんだんじゃないかしら?」
「それなら納得できるわ。さすが辺境伯閣下はお優しいのね」
「じゃあ壁の花の次は私と踊って頂こうかしら」

 好き勝手に言われているなあ……。
 ただ今の状況は辺境伯様の憐れみだろうという推測はさっき自分でも考えたことと同じであり、密かに納得していた。

「……言わせておいて構わないのか?」
「そうですね、概ね事実ですし。それに身分もあの子達の方が上ですから」
「そうか。君……ああ、ローゼリアにとって夜会はつまらないものなのか?」
「つまらなかった……です。でも今は——」

 辺境伯様の指が私の唇に触れて、あとに続く言葉を遮った。

空世辞からせじなら聞きたくない」
「そんなつもりじゃ……」
「今はただ——」

 ——踊ろう。

 辺境伯様が合図を出すと、部屋の端でゆるやかな音楽を奏でていた楽団が拍子を変えた。
 それをきっかけにして辺境伯様が私の腰へ手を回す。
 息がかかるような距離へと引き寄せられた私の胸は、はしたなく高鳴った。

 ええと、足の運びはどうだったっけ。
 顔の角度はこうで……手は引かれるままでいいのだろうか。
 必死に考えているからか笑顔がうまく作れない。
 けれど実践をしたことがなかったにしては我ながらうまく踊れている……なんて思った瞬間だった。
 曲の盛り上がりに合わせてくるりと回ると、ずるりと足が滑った。
 さっきの騒動の最中で誰かが溢した飲み物だろうか。

(あーあ、こんなところで恥をかくくらいならやっぱり私は壁の花でいればよかったな)

 ゆっくりと傾いていく景色の中で胸中はそんな後悔でいっぱいだった。
 遅れて訪れるであろう痛みに備えて身体をすくめると——ふわり、柔らかい腕が私を抱きとめてくれた。

「大丈夫か? すまない、段取りをとばしてダンスに誘ってしまったからな……床の清掃が間に合ってなかったようだ」

 申し訳なさそうな顔でそう謝った辺境伯様は、そのまま私を胸元に引き寄せてくる。
 不意に抱き寄せられた私は、抵抗することもなく彼の大きな胸の中にすっぽりと包まれた。

「あっ、いい匂い……」

 思わず口にしてしまってから、口元を押さえる。
 考えたことを先に口走ってしまう私の悪い癖がここで出てしまった。
 急に殿方の、ましてや辺境伯様の匂いを嗅ぐなんて失礼だし不敬にあたるかもしれない。
 慌てて謝ろうとする私に辺境伯様は笑いかけてくれる。

「これはフラッディマリーという花の香だ。うちの領地の特産でね。気に入ってくれたのなら嬉しい」

 不敬にあたるかも、なんて心配はその柔らかい笑顔で杞憂へと変わった。
 ずっと早鐘のように鳴っていた胸の鼓動はその笑顔によってより高らかに鳴り始める。
 やめて、こんなにくっついているのだから。
 辺境伯様に聞こえてしまう。
 はしたないこの心音が彼に聞こえてしまう。

「なによ、わざと転んで辺境伯閣下の気を惹こうとしてるのね」
「きっと私のことはあんな子よりもきつく抱きしめてくれるのでしょう」
「次の夜会であの子のドレスを引き裂いてやるわ」

 周囲からのそんな悪態が聞こえると、不意に冷水を浴びせかけられた気分になった。
 私は何をのぼせあがっていたのだろう。
 はぁ、次の夜会ではもっとひどい罵倒をされるんだろうな……胸の高鳴りは落ち込んでいく気分にあわせて静かになっていった。

「辺境伯閣下、そろそろ次の方に順番をお譲りしたほうが……」
 
 ここは今後のためを考えて少しでも早く身を引くべきだろう。
 そう考えた上での発言だった。
 
「そんな呼び方はやめてくれ。キールだ、君にはそう呼んでほしい」
「で、でもっ。そんなことは……」
「この際だ、はっきり言っておこう。私は、このあと他の令嬢と踊るつもりは一切ない」

 辺境伯様は紅い眼で私の瞳を見つめてそういった。
 変わらず演奏しているはずの楽団の曲も今は聞こえない。
 聞こえてくるのは再び激しく鳴り始めた自分の鼓動ばかりだ。

「その美しい赤い髪と銀色の瞳を見た時から決めていた。僕と——結婚してほしい」
「で、でもっ、私は二十四の行き遅れでっ……」
「うん、私の方が年上だね」
「か、顔だって普通だし……それにいつも壁の花で……」
「私にはその壁に飾られた花というのが一番美しく見えたんだ」

 そんな真っ直ぐに見つめられると恥ずかしくて顔を見ていられなくなってしまう。
 私は紅潮した顔を逸らした。
 
「身分だって男爵家ですし……」
「リア、それは断る理由を探しているのか?」

 不意に愛称で呼ばれたことに驚いて辺境伯様に視線を戻すと、彼はひどく悲しそうな顔をしていた。
 腰に回されている腕も微かに震えているようで——。

「いえ、そんなことはありません。嬉しい……嬉しいのです。ただ自信がないだけで……」
「そんなことか。大丈夫、ただ私の側に居てくれればいい。受けてくれるかい?」

 そうまで言われれば断る理由などひとつもなかった。
 
「……はい、喜んで」

 こうして一夜にして私は辺境伯……いやキール様との結婚が決まった。

 夜会はそのまま散開とされ、令嬢たちは怨嗟の瞳を私に向けながら帰路につく。
 令嬢たちどころか楽団さえもいなくなった広いホールに残された私はキール様と二人きりになった。

「そうか、リアの趣味は刺繍なのか」

 キール様はもう私のことをリアと呼ぶことに決めたようだった。
 距離の詰め方が凄い気もするけれど、男性とお付き合いをしたことがない私には判断がつきかねる。
 でも嫌じゃない……いや、むしろ心地が良かった。

「はい。幼い頃から刺繍に夢中です。やはりダメ……でしょうか?」
「ダメとは?」
「実は父が刺繍をしている私をあまり良く思っていないので。辺境伯様……キール様もあまり良く思わないのでは、と」
「そんなことはない、素敵な趣味だと思う。今度ひとつ見せておくれ」

 キール様はそういいながら私の髪を撫でて微笑んだ。

「あ、それでしたらっ」

 私はポーチから一枚のハンカチを取り出す。
 このハンカチにはワンポイントというには大きすぎるサイズの刺繍が入っている。

「こちらが私の刺繍になります」
「ほう……これは蝶だろうか?」
「はい。庭の花に集まる蝶が可憐でしたのでその姿を、と」
「ふむ……?」

 キール様はその紅い瞳を爛々と輝かせながら刺繍を見ている。
 もしかしたら気に入ってもらえたのだろうか。

「……ちょっとこれを預かってもいいか?」
「ええ、もちろんです。よろしければ差し上げますが……」
「本当か? それは嬉しい。それでは代わりのものを渡さねばならないな」

 そういうとキール様は自分の指から指輪を外し、私の指にはめてくれる。

「これは魔法の品でね。ほら、見ていてごらん」

 男の人が嵌めていた指輪は、当然ながら女の私には大きくてぶかぶかだった。
 けれどさすが魔法の品というだけあって、淡い光を放つと少しずつそのサイズが小さくなっていく。
 光が収まると、指輪は私の指にぴったりとはまる大きさになっていた。
 驚いて目を丸くしていると、キール様はそんな私を見て口角を上げた。

「本物の婚約指輪は次の機会に用意するとして、今はこれで我慢してくれるか?」
「我慢するなんてとんでもないです。指輪を……いえ何かを男性に貰うのなんて初めてなのでとても、とても嬉しいですっ!」
「それは良かった。その指輪はお守りみたいなものだからね、きっと君を守ってくれるだろう。さて、今日はもう遅い。家まで送らせよう」


 用意してもらった馬車に乗り込んだ私は、窓を開けてキール様にお礼を述べた。

「婚約の話はこちらから手紙を出しておく」
「はい。お待ちしております」

 つい乙女な声が出てしまって我ながら驚いた。
 キール様が用意してくれた辺境伯所有の馬車は、行きに乗った借り物の馬車とは全く違って揺れをほとんど感じない。
 乗り心地のいい馬車に揺られながら心地の良い車輪の音だけを聞きながら、私は貰った指輪をただただ撫で続けた。
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