猫の女王 人から猫になってしまった三人 たった一夜の出来事だったけど猫の国で大活躍、女王はどこにいる 

花丸 京

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4 ドラ猫合唱隊の奇妙な歌

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「朝飯食べましたか?」
茶白ちゃしろのマダラが、三毛猫の銀次郎に声をかけた。
さっきから心地よい匂いが鼻を刺激し、落ち着かなかった。
舌の両脇から、じくっとよだれが湧きでていた。
灰猫の八田刑事も白猫の新米刑事のうららも、そわそわしていた。
「食べにいきましょう。どうぞ」

マダラは仲間とともにぞろりと歩きだした。
その後に、三匹もあわててついていく。
「目覚めてから猫嫌いの女房に見つからないようにって、夢中で家をでてきたんで、なにも食ってねえ。腹減ってふらふらだ」
「猫になってしまったので、昨日の被疑者の高田銀次郎の家にいけばなんとかなるだろうって夢中でとんできたけど、私も昨日の夜からなにも食べてない。目まわってるみたい」

他にもなにかがあって、刑事たちは忙しかったようだ。
コンビニのサンドイッチすら口にしていなかったのだ。
家に帰ってうとうとして目を覚ましたら、猫になっていたのである。
「病院で検査を受け、病室で目覚めてベッドから落ちたら、見事四本の足で着地していた。とにかく開いたドアから夢中で外にとびだした。夜も朝も食ってない。おれも腹減ったあ」
銀次郎も、自分の身におきた衝撃と腹のぐあいを報告する。

「高田銀次郎、確かにマタタビあそこにあるんだな、人間にもどれるやつ」
「もっと深く掘ればきっとでてきます。朝飯食ったら、すぐ作業再開しましょう。またちゃんと人間にもどれるんだから安心してください」
自分でもそう信じることにした。
同時に、今まで知らなかった猫の世界をのぞくのも悪くはないのでは、という思いが、ちらっと頭をかすめた。
 
芝生の斜面を横切ってツツジの垣根をくぐると、団地内の通路にでる。
通路を横断すると支援センターの看板をかかげた建物がある。役所の出張所だ。
「猫の世界にも悪いやつがいるようだな。おれが警官になったのは悪いやつを捕まえるためだ。どんなのがいるのかなあ」
八田刑事は、なにかを期待するかのようにつぶやく。

支援センターの建物の裏側を、マダラの仲間の猫、そのあとを三毛猫の銀次郎、灰色猫の八田、白猫のうららがついていく。
支援センターのとなりに、集会場の建物があった。
裏の植木の根元をぬけていくと、石の階段がある。
七、八段ほどの下は円形の石の広場だ。
広場の正面には管理事務所があり、この団地の中心点となっている。

猫たちの食欲をそそる匂いは、広場の端からながれていた。
広場の隅の物置小屋の前に、細身のおばさんと太めの禿はげのおじさんが立っていた。
銀次郎は一見、体の細いおばさんがネコババアかと思ったがちがっていた。

マダラと仲間が走っていく。
団地内の他の野良猫も集まっている。
みんな腹を減らしているのだ。新参しんざんの猫になりたての三匹も、遅れまいとついていく。

二人の人間の足もとには、三つほどの大皿が置かれている。
その皿に、持ったバケツほどの容器からお玉ですくい、煮物があけられる。
待ちわびていた十二、三匹の猫たちが頭を低くし、突進する。
駈けよった銀次郎も八田もうららもはじき飛ばされ、石畳の上にころがった。
野良たちの、食べ物を前にしたときの容赦ない勢いだった。


「あららら、新入りだわ」
「なんだ、なんだ、三匹もいるのか」
人間の二人が腰をかがめ、転がった猫をのぞきこんだ。
おばさんがバケツの脇にそえて持っていた皿状の容器をとりだし、石畳の上に置いた。
「まあ、まあ、まあ、新入りの猫ちゃんたち、どこからきたんだかね。三毛に灰毛に白ちゃん。さあさあ、ごはん食べな」
お玉から煮物が皿にあけられた。

とにかく腹が減っていたので三匹はマナーを忘れ、ふがふがと鼻を鳴らした。
魚の荒煮あらににご飯をまぜた餌だった。
銀次郎は、さっきからこの匂いで口のなかが唾でいっぱいだった。
くしゃくしゃ音をたてて食った。

「あららららっ」
またおばさんの声がした。
夢中でかぶりついている背後からだった。
植松うえまつさん、ほら見て。この灰毛猫ちゃん……やだよ、こっちの三毛ちゃんもだわ」
銀次郎はあわててふり返った。
後ろに立った二人が、自分の尻を指さしていた。

「この子たち、タマつけてるじゃないのよ」
「あ、ほんとだ。しょうがねえなあ、さっそくキンヌキだな。団地の規則だからな。この分だと仲間の白毛も手術だな」
銀次郎と八田とうららは、わっと声をあげ、口から食べ物をこぼした。
「逃げよう、うらら。股ひろげられて卵巣|《らんそう》とられるぞ」
八田がよけいな一言を加え、ささやく。

どうしようかと三匹が腰を落としかけたとき、植松さんという禿のおじいさんがつぶやいた。
「でも左江子さんよ。たまには子猫見たくないか?」
左江子さんとは餌を配っているそのおばさんだ。
「子猫? 見たいよ。生まれてほどない子は、手のなかでふわふわの体でくりくりの目玉であたしを見あげ、にゃあごお~って鳴くんだよ」
「うん。かわいいよなあ」
おじさんは目に涙をにじませそうだった。

「そうだよ~、子猫ちゃん、また抱いてみたいよお」
左江子さんは餌の入ったバケツを足もとに置くと、両手を胸にあて、目をほそめた。
「だろう? だから去勢きょせいしてないこの三匹、管理事務所にも自治会にも内緒にしておこうぜ。知らん顔してて子猫が生まれたら『気がつかなかった、あれえ?』ってとぼけてな。それで、自分たちで処分するからって言って、どっかで飼っちゃえばいいんだよ」
「三毛と白毛の子がいいかな。それとも灰と白かな。うん、やっぱり三毛と白だね」

左江子さんはもう、具体的なイメージを頭に描こうとしていた。
「うん、三毛と白毛がいいね。どんな毛色の子が生まれるかなあ……あれ? よく見るとこいつ、キンタマつけてる三毛じゃないかよ、おい」
植松のおじさんが、大きな声をあげた。
「あら、キンタ……いいえ、三毛猫のくせに玉つけてるねえ。気がつかなかった。ほんと、牡の三毛猫だわ。はじめて見る」
三毛の銀次郎の尻をのぞきこむ。 

「おどろいたな。どうしようか?」
「どうしようかって、なにを?」
「めずらしいから、売れるよ。百万円はするよ」
「なに言ってんのよ。そんなのあたしが許さないからね。白ちゃんの子供産ませてくれるんだから」
「冗談だよ。とにかく三毛の牡は貴重品だから、大事に見守ろう。これも二人で内緒にしとこうな」
「はい。内緒ね。ところで三毛猫の牡って、なにかすごい力とか持っているんでしょう。貴重品なんでしょう」
おすのなかの牡、男のなかの男だな。強いんだよ。猫のスーパーマンだ。女にも持てる」

猫好きの二人の話が勝手にはずんだ。
三毛猫の銀次郎は、いつの間にかスーパーマンになっていた。
そして白毛のうららとの間に、子供までもうけることになっていた。
「うららさん、あんなこと言ってますけど、どうします?」
つい面白くなり、銀次郎は口にした。
「ふざけないでよ高田銀次郎。あなたは米田トメさんに対する容疑者なんだからね」
冗談半分のつもりの銀次郎だったが、うららに一蹴された。
そうか、まだ容疑が晴れていなかったかと、人間のときの現実にもどされた。

「さあ、みんな。朝のご飯しっかり食べてよ」
左江子さんは、明るい声で他の猫たちに語りかけた。
バケツからお玉ですくった雑煮ぞうにをまた皿に分ける。
茶白のマダラとその仲間たちは、他の猫にまじり、けんめいに餌にかぶりついている。

植松さんと佐江子さんは、そんな猫たちを満足そうに眺めている。
二人は、他にも団地の数か所で猫たちに餌を配っていた。
だから餌場が決まっている猫は、いくら香りが漂っても自分たちの場所以外にはやってこない。

「猫ちゃんたち、またな」
「新入りの三毛ちゃん、灰毛ちゃん、白毛ちゃん、ばいばいね。キンヌキとかはしないから、がんばって子供つくってね」
二人は去っていった。

餌場の皿は後で回収するのだ。
ほら、また言ったけど、と銀次郎は口にしそうになったがこらえた。
白猫のうららは、知らん顔で餌を食っている。
マダラの仲間や他の猫も、三つの皿にかぶりついている。


すると、妙な鳴き声が聞こえてきた。
「ごろごろろ、にゃあにゃあ、にゃあおう、があ」
恐ろしいような響きでもある。
しかし、まちがいなく猫の仲間が発する声だった。
「きたな」
茶白のマダラとともに、他の猫たちもいっせいに皿から顔をあげた。
銀次郎も八田もうららも、マダラの視線のほうに顔をむける。

広場は鉢状ばちじょうになった階段の下にある。
階段の上からは、団地のど真ん中を南側に一直線につっきる大通りが走る。
その終点にはスーパーを中心にした商店街がある。
だが、消費のすくない老人たちが多くなり、店の大半はシャッターをおろしている。
その団地のメイン通りを、ごろごろろ、にゃあにゃあ、にゃあおうがあ、と唄声とも叫び声ともつかぬ響きが、円形広場にちかづいた。

そして、階段のいちばん上の縁に、サビ猫が姿を現した。
白や茶や黒の毛が細かく混じりあった猫である。サビ猫は入り混じった毛色で全体的には黒っぽく見える。
目の色は茶緑。からだが大きい。
しかも一匹ではない。五匹ずつ二列に隊を組んでいる。

先頭の一匹とあとに従う十匹が、唄いながら行進しているのだ。
『ごろごろろ、にゃあにゃあ、にゃあおう、があ』
そう唱い、行進しているのだ。この響きだけでも不気味だ。
「なんだ、こいつらは」
当然、三毛猫の銀次郎はマダラ猫に訊ねた。

灰猫の八田も白猫のうららも、階段の縁を見あげる。
「ああやっていつも騒いで行進しているけど、なにかをする訳じゃないんだ。前にもちょっと触れたけど、これが自称ドラ猫合唱隊だ」
マダラ猫は、困ったように眉根をよせた。

「ふーん、ドラ猫合唱隊か」
銀次郎も階段をあおぐ。
「ほら、唄うよ」
黒っぽい影が、石の階段の上から大きな茶緑の目で、下の餌場の猫たちを睥睨へいげいする。
先頭の特別に大きな一匹は、黒にちかい毛色だ。
そのサビ猫たちが、ふっと胸をふくらませる。

🎵朝日がのぼる日ノ元で
 永久とわはぐくめわが民よ
 古き教えをたっとびて
 己の栄華を求むるなかれ
 神の御国のわが祖国

足踏みをしながら、蟀谷こめかみに筋が浮きでるほど、全員で我鳴がなった。
ドラ猫合唱隊というから、どんな美しいハーモニーを聴かせてくれるのかと期待した。

だが、四拍子の行進曲のリズムで、ただ集団でドラ声で唄っているだけだった。
もちろんハモリもなにもない。
しかし、よく聞くと歌詞はまともだった。
この歌を、ドラ猫合唱隊と称する乱暴そうな十一匹のサビ猫たちが、なぜ大声で唄うのか。

合唱隊が唄い終わった。
足を止め、円形広場に集まる猫を上から睨みつけている。
「この歌はなんなんだ。それにあいつらのあの態度はなんだ」
銀次郎は、たまらなくなって口にした。
「これは、この地に住む日ノ元|郷《ごうの猫族に古くから伝わっている歌なんです」
マダラ猫が、困ったように説明しはじめた。

「実はここに住む猫族は、日ノ元族と言い、昔からこの地で平和に暮らしてきた一族なんです。いつごろから唄われだしたのかは、はっきりしないのですが、伝統の歌なので、日ノ元族の猫たちは小さい時から誰でも唄えるんです。でもイメージが悪くなり、最近はだれも口にしなくなったんです」
マダラ猫は、階段の縁でそっくり返っているサビ猫たちをちらりと睨む。

「やつらはああやって、ここの団地の餌場や各所を歌を唄いながら行進し歩いているんです」
人間のとき銀次郎は、ときどき大騒ぎしている猫たちの鳴き声を耳にしていた。
騒ぎはそれだったのか。
「伝統の歌と言ったけど『永久に育めわが民よ』とか『己の栄華を求むるなかれ』とか唄ってたけど?」
銀次郎の問いに応じ、マダラが説明しはじめた。
意味はだいたい次のとおりだった。

『太陽がのぼる日ノ元郷で暮らす猫たちよ。自らの利益のために争うな。この教えを忘れるな。ここは神が住む永久の平和な国だ』
銀次郎は、ほうーと声をあげそうになった。
人間のときに、ぼんやり眺めていた日ノ元郷とやらの猫の世界に、そんな教えが行き届いていたのだ。
そのことについて以前ネコババアが、争いのない陽の昇る平和な国について説明していたことを、このときは忘れていた。

階段の上からのサビ猫たちの視線を感じながら、マダラが続けた。
代々の日ノ元郷育ちの年寄りから聞いたと言う。
『遠い昔、猫の祖先であるリビアヤマネコは、太陽を神としてあがめめていたが、神にちかづくため、陽の昇る東の地を求め、大陸を旅立った。そして苦難の末、たどり着いたのが海を越えた日ノ元郷だった。そこは稲作の国であり、ネズミを退治してくれる猫がすでに女王を中心に人々と供に暮らしていたんです』
マダラは三毛猫の銀次郎たちが、ちゃんと話を聞いてくれているかを確かめた。

『君臨する猫の女王は、暴力を使わず争いのない平和な国を造りあげていた。猫々びょうびょうたちは女王を尊敬し、それからも教えを守り、世代を越え、日ノ元の世を生きてきた。時が流れ、いつしかそんな世の中が当たり前になり、自分たちは気づかなかったが、争って生きるのが当たり前の他の猫族から見ても、それは異様な社会だった。以降、日ノ元の猫たちは伝統の教えを守り、助けあって生きてきたが、最近になって、どこからともなくサビ猫たちが現れ、妙な空気をはらませはじめた……という訳です』

米を作りだしたときから、人と猫は関係をもった。
両者は神の世からの古い歴史をもっていたことを、銀次郎はなにかの書物で読んだ。
「海をわたったところの日ノ元郷の話がでてきたけど、ここに海なんてないだろう?」
念のため、辻褄つじつまの合わないところを確かめた。
「日ノ元郷は遠い昔、海岸に隆起があって海から離れてしまったのです」

「では、最近になって姿を見せたサビ猫とやらはどこからきたっていうんだ」
「昔海側だった日ノ元郷とは反対の、山の荒れ地に住む鬼花郷おにばなごうからです。でも日ノ元郷側は、ずっと存在していた女王がいつの間にかいなくなってしまい、組織力も失せ、連中を調べる者も存在しなくなり、連中の意図がなんなのか掴めていないんです」

「でも怪しげな猫が現れたら、誰だってどこからきたのか、なにしにきたのかって聞くだろう?」
「新しい住民が現れたとき、根掘り葉掘り聞かないのが日ノ元郷の習慣なんです。相手がこの社会に溶け込もうという意志があるかぎり、どんな種族とも混じり合い、仲良く暮らしてきた伝統的な歴史があるんです」

「おい、それはないだろう。怪しいやつはチエックするのが常識だろう」
八田が声をあげる。
「はい、そう思ってはいるんですが……」
マダラは困ったように首をひねった。

「じゃあ、今そういう連中はどこに住んでいるんだ」
「いつしか一街区を占拠していたんです。初めは三匹くらいだったのですが、あっという間、鬼花郷からきた多くのサビ猫が、野良や家猫として住むようになって……」
あきらめたような口ぶりだった。
背後で話を聞くほかの猫たちも、弱々しくうなずく。


日ノ元団地は、隣接する都市への通勤圏にある大規模な団地だった。
同時に離れた奥の丘陵地帯きゅうりょうちたいの鬼花郷唯一の平地が開発され、そこにも団地が造られた。
鬼花郷団地である。
四十棟ほど小さな規模だった。
一本の国道が三十分ほどはなれた工業団地と通じるようになると、丘陵地帯の不便な場所だったが、いつの間にか団地のほとんどの棟に異国人たちが住むようになった。

その異国人たちが、地域の鬼花郷のサビ猫を家猫として飼いだした。
やがて鬼花郷団地は異国人であふれるようになると、もっと便利で規模の大きな日ノ元団地に移り住むようになった。
家猫や野良の鬼花郷のサビ猫たちも、トラックに便乗し、日ノ本団地にやってきた。
あるいは、異国人と気の合うサビ猫たちは、遠路はるばる歩いて日ノ元団地を訪れ、住みだした。

「鬼花の名には、こんな伝説があるそうです」
マダラがぽつりと口にする。
鬼花は、山の草深い荒れ地に咲くユリ科の花である。
その花を見た者は、自個欲にとりつかれ、なんでも自分の物にしたるようになる。
欲望のためなら、略奪りゃくだつ欺瞞ぎまん、そして人殺しも平気になる。
もちろん、これは伝説である。

その伝説が正しいのか、鬼花郷は様々な種族が己の利益と覇権はけんをかけて争い続けた。
そして、血を血で争う残酷な殺し合いの歴史をくりかえしてきた。
結果、鬼花郷には強い者は、弱い者に対し、なにをしてもいいと言うような暗黙の慣行が生まれた。
それが日常の文化にも影響し、日ノ元郷とは完全に相入れなくなったのである。

「あなたたち、そんなやつら、さっさと追っ払ったらいいじゃないの。黙っていると、ここ滅茶苦茶になるよ」
白猫のうららが空色の目をまばたかせる。
「でも、歌を唄って怖い目で睨んでいるだけだし、合唱隊なのにものすごい下手だけど、日ノ元郷を称える内容の唄だし、愛国の歌唄ってどこが悪いのかって」

「なるほど。狙いはなんなんだ?」
さっきから、自分たちを鋭く見つめる階段の上のドラ猫合唱隊を睨みかえしながら、八田が聞く。
「分りません。なにしろ、ああやって怖い顔でただ唄ってるだけでね」
マダラはちらりと階段の上に目をやる。

「じゃあ、今の話にでてきた猫の女王というのはどこにいるんだ?」
「伝統の話にはでてくるし、少し前にはいたそうですが、今はどこにもおりません。見たこともありません」
「どういうことなのそれ。少し前っていつなの?」
うららが黙っていられず、口を開く。
「とにかく、私の子供の時代にふいに消えてしまったそうです。それ以降、日ノ元の中心であり、心の支えと教わってきた女王を誰も知らないんです」

人間でいえば、まだ三十歳くらいのマダラが、額にしわをよせる。
「でも女王については、こんなふうに聞いています。私たちは決まりを守って平和に生き、女王は静かに私たちを見守っており、しゃしゃり出てこない。私たちは、女王を見たら歌の教えのように伝統の決まりを守って生きようとします。女王には、平和と豊かさを築いてきた長い歴史的な実績があるのです。だから民は女王をうやまい、自ら行動するのです。でも、平和を乱す者と戦うときは女王と同胞どうほうの民を守るため、われわれはどこの猫族よりも勇敢に戦います。普段は大人しいのに、いざとなるととても強いんです」

「おい、なんだかすごい王様だけど、なんで女王なんだ。男の王様じゃいけないのか?」
男の八田が疑問を口にした。
延々えんえんと受け継いでいる女王としての神代かみよの血が、途中、なにかの都合でひょいと男に変わったら、神代ではなくなります。そうなったら誰も敬い、従おうとしないでしょう。もっとも、はじめから男の王様ならば男でもかまわないのです。とにかく初代の王の血を受け継いでいなければなりません。そのため女王は、必ず初代の王の血を引く男をパートナーにします。でもその女王はどこにいるのか、初代の王の血を引くパートナーたちがどこにいるのか、いまは誰にも分からないのです」
マダラが困ったように首をかしげる。
「あ、ドラ猫合唱隊がつぎの餌場えさばにいくようです」
マダラの仲間が声をあげた。

階段の上のサビ猫の頭が列の先頭に立ち、動きだした。
「あの先頭の黒毛にちかい大柄のやつがリーダーで、みんなはクロと呼んでいます」
「後をつけよう」
三毛猫の銀次郎がそわっと動きだそうとした。
すると、白猫のうららが三毛猫の足の前に、白い足をだした。
「それよりも、さっきの穴のネズミ探すほうが先です。ネズミ捕まえてはやいとこ私たちの元のに帰りましょう。八田さんも銀次郎もこっちの世界、気になってるみたいだけど」

うららは、マダラたちに分からないように隠語をまじえた。
人間の世界に戻るほが先だろうと、たしなめたのだ。
「そうだな。こんなところで妙な事件に首つっこんでいる場合じゃねえんだ。職業柄つい引きこまれたけど、ネズミ捕まえるほうが先だった。捕まえにもどろうぜ」

「そうだ、おれたちはネズミを捕まえようとしていたんだ」
銀次郎もわれに返った。しかし、ネコババアが語っていた奇妙な世界をもっとのぞいてみたいと思っている自分も感じていた。
が、うららの不安気な空色の目と差し出された白い足に、一時もはやく人間だった自分にもどらなければと考えなおした。

「マダラさん、悪いが失礼するよ。行きましょう」
銀次郎はためらいを振り切るように、マダラ声をかけた。
そして、鉢状ばちじょうのコンクリートの階段を駆けあがった。
八田もうららもついてくる。
広場に残ったマダラたちが、無念そうに三匹を見送った。

さっききた、集ツツジの茂みに沿って進む。
三本の紅葉もみじ  の木が前方に見えてくる。
紅葉の木の下の穴は、さっきのまま縁に土を盛りあげている。
出刃包丁も真ん中の木の根元に横たわっている。


「あれ?」
最初に穴をのぞいた銀次郎が、声をあげた。
穴が、以前よりも深くなっていたのだ。
さらに穴の底に、ぽこんと二ヶ所、凹みができていた。
それは昨夜、証拠物件として八田が押収していった瓶とおなじ形だった。
すっぽり引き抜いていった跡である。

「八田さん。誰かが掘って、残っていたマタタビの瓶を持っていったらしいんだけど」
「なんだって?」
八田とうららが、銀次郎にならんで穴をのぞきこんだ。
「なにかの間違いだろ」
「もっと下のほうにあるんんでしょう?」
「よーし」
あわてて銀次郎と八田とうららが、両手で穴の底を掘りだした。

だがいくら掘っても瓶はでてこない。
「いまの二ヶ所の跡は、昨日、最初の瓶を見つけたとき、その瓶で底を突いてできた跡じゃないのか?」
八田が銀次郎に確認する。

「ちがいます。その瓶を見つけたとき、穴の外ですぐに蓋をあけ、なかを確かめたんです。さっきもこんな跡はなかったです。この二つは、誰かが掘って抜き取った跡です。間違いありません」
「じゃあ、やったのは誰だ?」
八田とうららと銀次郎は、のぞきこんでいた穴から体をおこした。
首をのばし、あたりを見回した。

すると背後のツツジの垣根のほうから、低い声が聞こえてきた。
「おめえら、そこを掘って探しもん取りだそうとしているらしいけど、さっきおれが二つの瓶を見つけて預かっといたぞ。おめえらが飯食いにいく前からおれはここでようすをうかがっていたんだ。おめえらは何者だ。どっからきた」
穴の縁に両手をつき、三匹の猫が首をひねってふり返る。そいつの姿はツツジの茂みの陰で見えない。

「そういうあなたこそ、何者なのよ」
白猫のうららが言い返した。
「おれは、ヨボヨボじいさんだ。ここではヨボジイって呼ばれてる。おれの質問に答える気がなさそうだな。そういうことなら、中味は預かっておく。その気になったら訪ねてこい」

ざざと藪が騒いだ。
ささっと足音がした。
あっという間、遠ざかっていく。
じじいを名乗りながら、かなり身軽だ。
「おい、ちょっと待て」
「こら、待たねえか」
「ヨボジイさん」

持っていかれたら、永遠に人間にもどれなくなる。
それにヨボジイとやらは、訪ねてこいと言いながら場所も告げず、どこかに行こうとしていた。
三匹でいっせいに、ツツジの茂みに飛びこんだ。
そこには細長い瓶が二つ転がっていた。
マタタビが入っていた瓶だ。中身は抜いてあった。

あわててそれぞれの方向を見回した。
が、ヨボジイとやらの姿は見当たらなかった。
「野郎め、話しているとき、跳びかかって捕まえとけばよかった」
「いや、まだその辺にいる。三方に別れて追おう」
「じいさんだから、すぐに追いつく」
                 4章了

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