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10 泪で出会った二人の観音さま
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1
どんぐりさんは飛燕を大切に守っていた。
木立のなかから、細くて長い木を伐りだした。
それを集め、屋根の型に組み合わせた。
組んだ骨組みに椰子の葉をかぶせた。
格納庫だった。
飛行機は、いつでも飛べるように整備されていなければならない。
あとは、車軸と車輪をどうするかだった。
うまくやれば、硬い木で、部品が作れるかもしれない。
とにかく、食べ物には心配がいらなかった。
どうやらそこは、敵の領空域でもなさそうだった。
同時に、味方の領域でもなさそうだった。
それどころか、だれ一人としていないのだ。
こんなにいい島なのに、どうして人が住んでいないのか。
だれもこの島を知らないからである。
どんぐりさんは、油気をたくさんふくんだ木をみつけた。
その木の葉を灯にくべ、煙を立ちのぼらせた。
毎日煙を絶やさなかった。
必ずだれかがくると信じた。
するとある日、三艘のカヌーがやってきた。
顎鬚をちりちりに生やした、褌ひとつの男たちだった。
それぞれのカヌーに二人ずつ。
合計六人の男たちだった。
どんぐりさんは、ものすごくうれしかった。
浜辺を跳ねて踊りたかった。はらって
だが、腰蓑つけ、落ち着きはらって浜に立った。
「こんちわー」
日常のごとく挨拶をした。
むこうもどんぐりさんに合わせ、挨拶をした。
おどろくでもなく、敵意をもつでもなかった。
六人の男は、カヌーをおりて浜の浅瀬をやってきた。
どんぐりさんは、浜辺の庭に、ありったけの食べ物をならべた。
食え、いくらでもある、と手真似で示した。
男たちは腹を減らしていた。
椰子の実でできた酒もだした。
椰子の新芽から出る液体を、椰子の殻に溜めておいたものだ。
偶然できた酒である。
六人の男たちは体格が良かった。
腹がふくれるほどに食った。
どんぐりさんは、島を案内した。
芋の畑が、ひろびろと広がっていた。
果物の木が重なりあい、茂っていた。
浜には、いくら獲っても魚や海老や鮑などがいた。
どんぐりさんは自分の家の隣に、両手で家を描いた。
その隣にも家を描いた。
そして、あなた、ここ、あなたは、ここ、というように示していった。
そこに住めといったのだった。
男たちはふたたび椰子の酒を飲んだ。
酔ったどんぐりさんの、ひょうきんな踊りも見学した。
いままでは、酔って一人で踊ってみても、面白くもなんともなかった。
男たちも自分たちの踊りを見せた。
男たちは、舟に芋をいっぱい積み、帰っていった。
はたして移住してきてくれるだろうか、と期待をした。
十日がたったが、姿を見せなかった。
二十日もしたとき、三十艘あまりもの大小のカヌーがあらわれた。
家財道具といえば、石斧と魚を突く銛くらいだった。
どやどやと連中は浜におりた。
そして、それぞれが勝手に高床式の小屋を建てはじめた。
村は五日あまりで完成した。
十軒あまりの家がならんだ。
子供が海岸を走り、若い娘が海で貝を拾った。
男たちは椰子に登り、ココナツや果物をとった。
また舟で湾の入り口までいき、蔓草の網で大きな魚をとった。
だれが酋長というわけでもなかった。
先住民として、ただ、どんぐりさんが一目置かれていた。
どんぐりさんは、孤独から解放された。
つぎにどんぐりさんは、ことばを覚えた。
初めに『なに?』ということばを覚え、あとは名詞を覚えていった。
動詞や助動詞を知らなくても、ことばに不自由しなくなった。
だが逆に『なに?』にどんぐりさんは窮した。
格納庫である。
なかに入っているこれはなにか、ときくのだ。
どんぐりさんが丹精込め、保存している飛燕だった。
森のなかに油の木があり、それで機体を磨いていた。
どんぐりさんは両手をひろげ、からだを左右に揺らした。
こうやって空を飛ぶんだ、と説明するがだれも納得しない。
とにかく、実際に飛んで見せてくれという。
車輪が故障している、車軸が壊れているので飛べないと説明する。
すると、こういうものなら木を削って造ってやる、と男たちがいいだした。
ほんとうにこれができれば、空を飛べるのかと男たちがきく。
ほんとうだというと、彼らは森のなかに入っていった。
そして固いチーク材を伐ってきた。
大男たちは暇にまかせ、こつこつと部品を削りはじめた。
2
『我々は忘れてはならない 十九歳の特攻隊員のいたことを』
『今の繁栄は、彼らの犠牲の上にある。
昭和二十年三月八日、帝都防衛の戦闘機乗りの十九歳の少年兵が東京の空に散った。
特攻兵としてB・29に体当たりし、撃墜したのである。
そのとき、最後の飛行である深川の上空から、幼馴染の許婚の少女に手紙を出した。
封筒は住民に拾われ、遺品として靖国神社に保管された。
だが、なかに手紙は入っていなかった。
空中でどこかに散ってしまったようなのだ。
封筒が拾われたように、手紙も住民のだれかが拾っわれた可能性があると思われます。
現在、その手紙をご本人が探していおります。
東京銀座で花屋を営む進藤春江さんは、二十数年前の……』
詳しい記事が続いた。そして記事には古い写真がのっていた。
新聞社の屋上から撮影した体当たりの瞬間の写真である。
別枠には、飛行兵姿の小松伍長の写真があった
新聞には、同じような十代の特攻の少年航空兵がたくさんいた事実が述べられていた。
B-29を相手にしたり、沖縄や南方で散っていたのである。
『日本の戦闘機は、わが軍よりも機能や性能的にもはるかに劣勢な立場にありながら、見事なチームワークで、B・29の大編隊に果敢に襲いかかってきた。そしてB・29の乗組員を恐怖のどん底におとしいれた。みんな見事なほどに勇ましかったった』そんなふうに心境を語った、B・29のパイロットだったジェームスの言葉をかのんは思いだした。
新聞記者の取材で、新たな事実もわかった。
どんぐりさんは、初めは編隊飛行で敵を待ち伏せする作戦だった。
だが、一機だけ編隊からはなれ、深川上空を単独飛行したのだ。もちろん、許可を得ての行動である。
ところが、敵のB・29が予想外の速さで東京上空にあらわれた。
だからどんぐりさんは先頭の一機に、単独で体当たりを敢行したのである。
体当たりされたB・29は煙を吐きながら機首を東京湾の方に向けた。
体当たりした飛燕はB・29のどこかにひっかかったのか、機体の落下はなかった。
どんぐりさんは深川上空で手紙を落とそうとした。
だが、ふいに敵が出現し、時間がなくなってしまったのだ。
確実に敵に体当たりするためには、一瞬を逃せない。
だから敵にぶつかった上空から手紙を落としたのだ──。
新聞記事の反響はあったが、肝心の『手紙をひろった』という連絡はなかった。
川か海かに漂い、沈んでしまったのだろうか。
あるいはだどこかに落ち、翌々日の大空襲で燃えてしまったのか。
もしかしたら、ジェット気流にのって、どこかの遠い国に飛んでいったのか。
拾われた封筒は奇蹟だったのかもしれない。
3
店の花たちは客を待って、短い生涯を終える。
薇や菊やチューリップやゆりなどが主役である。
それに季節にあった草花も人気だ。
紫色の桔梗や鉄扇も銀座界隈の住民たちには、相変わらず好評だった。
朝、水切りを終え、それぞれの籠や瓶や筒に入れられ、客を待つ。
朝の花たちは、みんな緊張している。
どんな客がくるのか。どんな客が気に入ってくれるのか。
どんなもてなしをうけるのか。玄関先の瓶に入れられるのか。
花として存分に自己を全うさせてくれるのか。
花たちは清楚な気分で、訪れる自分の運命をまっているのだ。
その日いちばんの客は、三十すぎの和服の女性だった。
「あなたが進藤春江さんでしょうか?」
和服の女性は、くっきりした目で微笑んだ。日本人形のように頬が白い。
「新聞の記事を読みました。私は高梨由比ともうします。この先の六丁目に住んでいます。わたし、あの手紙拾いました。あなたのもうひとつの名前は、かのんさんですね?」
かのんは手にした花を床に落とした。
「あらら、ごめんなさい。いきなりで」
たしかにいきなりだった。
高梨由比は、両手を合掌するようにあやまった。
「わたし、銀座育ちでずっとここに住んでるので、この店の前を何度もとおってるの。小さいころ、歯科医院さんで歯の治療したんです。だから新聞の記事、人から教えてもらって読んで、すぐあなただってわかったんです」
「その手紙、お持ちなんですね」
かのんは、客に椅子を勧めることも忘れ、手をだしかけた。
「あ、ごめんなさい。新聞読んで、そうだ、あれだって、おじいちゃんにも読んでもらって持ってきてもらおうと思った。ところが残念ながら、大事なもんらしいからこれはおれがしまっとくって、手紙あずかったんだけど、どこにあるのか覚えていないんです。申しわけありません」
高梨由比は、肩のところでカットした黒髪をゆらし、頭をさげた。
「わたしのおじいちゃん、ありゃあ、特攻の貴重品だから、たしか靖国に預けたんじゃないかなあ、なんて。もうぼけちゃって、八十九歳ですから」
かのんは、店員に、お茶を入れましたといわれ、はじめて客に奥の応接の椅子をすすめた。
4
14歳になった高梨由比さんは、近くの小学校にでむき、慰問袋を作っていた。勤労動員である。
その日は、材料不足で午前中で作業は終わりだった。
たまたまおじいちゃんも、用があって学校にきていた。
外でまってなと言われたが、おじいちゃんはなかなか出てこなかった。
由比がまっていたのは、鉄棒のわきだった。
由比はそのとき、クラスで一人だけ、逆上がりができなかった自分を思いだした。
ちょっとやってみるかと、手を伸ばし鉄棒にぶらさがった。
仕事がはやく終わって、みんなさっさと帰り、校庭にはだれもいなかった。
四度、五度と夢中でモンペをはいた足を回転させようとがんばった。
空襲警報がいつ鳴ったのか──。
気づくと、一機の戦闘機が低空飛行でごーんと飛んできた。
戦闘機が飛ぶ空には、アメリカの銀色の大型飛行機の姿があった。
戦闘機はあきらかに、上空の敵機、B・29に向かっていた。
「もしや、あれは特攻機」
由比は身の危険もわすれ、上空をあおいだ。
銀色の巨体がぐんぐん近づき、豆粒の戦闘機もぐんぐん上昇した。
「ぶつかる」
おもわず口にし、由比は目をつぶった。
わあー、がんばれー、わあー、わあー、と町から歓声があがった。
閉じていた目を開けると、青空に一筋の白煙が流れていた。
もうそこには、戦闘機も大型の爆撃機の姿もなかった。
由比は最後の一蹴りとばかり、えいっと足を蹴った。
見事にに成功し、ほっと息を吐いた。
そして、鉄棒の上で空を見あげた。
そのとき、まっすぐ校庭にむかって落ちてくる一枚の紙を見つけた。
由比はくるりと一回転し、鉄棒からおりた。
校庭を走った。
両手をひろげ、背伸びをするように紙をまった。
紙は両手をひろげた由比の手からそれ、校庭の土の上に落ちた。
拾った紙切れの右の上の角がすこし焦げていた。
『かのんさんへ』という文字がまず目に入った。
「あたしに?」
由比は声にだした。
実は、今はすこし髪型を変えたが、由比も『かんのんさん』と呼ばれていたのだ。
「ほう、おめえに手紙か」
背後から声がした。由比のおじいちゃんだった。
「なになに……ええと……」
おじいちゃんは声をあげて読みだした。
「おい、なんだよこれは……飛行第244戦隊の皆様方、とかって書いてあるじゃねえか。昭和二十年三月八日、どんぐりこと、飛行第244戦隊 松井一郎伍長……これは遺書じゃねえか、どうしたんだ、これ?」
おじいちゃんはおどろいて、由比を見守った。
「日本の戦闘機が、高い空から落としたらしいんだけど」
「おめえ、飛行機乗りに恋人でもいたのか」
由比は首をふった。
「そうするとこれはあれだな、だれか他のかんのんに送ったんだろ。だったら探して届けてやんなきゃなあ。それにしても空から遺書なんて、住所と宛名を書いた封筒とかはどこかにいちゃったのかなあ」
こときは『かんのん』ではなく、『かのん』と書かれていたことに、二人は気づいていなかった。
5
『かのんさんへ お父さんへお母さんへ そして皆様へ
私は本日出撃いたします。
話していたように、見事に体当たりを果たし、敵機を撃墜いたします。
名誉ある一瞬です。自分を今日まで育ててくれた皆様のお陰です。
私を一人前の操縦士に育ててくれた多くの方々、
飛行第244戦隊の皆様方、
私を厳しく指導してくれた小林戦隊長殿、
私はこの日この時を、どんなに心待ちにしていたことでしょうか。
いまこうして、無事に御国のために尽くせることを、
皆々様方に深く感謝いたしております。
かのんさんもきっと、本日の私の活躍を目の当たりにすると思います。
私は心は誇りでいっぱいです。
私は本日、遠くへいってしまいますが、
かのん、あなたのことはいつまでも忘れません。
でも、どんなに遠くへいっても、
私はかのんの心の中にいます。
約束どおり、いつかあなたを迎えにいくでしょう。
私を忘れず、そのときを待っていてください。
私の分まで長生きしてください。
さようなら。
昭和二十年三月八日、どんぐりこと、飛行第244戦隊 松井一郎伍長 』
「わたしは何回も見たので、文面を覚えてしまってね。なにしろ一字ちがいでも意味は同じ『かんのん』宛ですからね」
高梨由比さんは、墨で同じ文面の書かれた半紙を懐から出し、かのんにくれた。
かのんは、食い入るように手紙を見つめた。
ほんとうに手紙をくれたんだ──。
封筒のかのんは、やっぱりわたし宛だったんだ──。
どんぐりさん、いまもらいました──。
やっとわたしのところに着きました──。
いま、読んでいます──。
頭のなかでどんぐりさんに語りかけた。
「今朝、おじいちゃんに新聞を見せ、その手紙のことをきいたら、そんな手紙あったっけ? なんて、もう完全にぼけちゃってる。ごめんなさいね。わたし、あちこちかきまわして探してみるから。やっぱり、自筆の手紙ほしいでしょう」
高梨由比さんは、六丁目で江戸時代から七代続いた日本手拭の絵師をしていた。
彼女も両親と兄弟を爆撃で亡くし、生き残ったおじいちゃんと二人で生活していた。
「1945年3月10日の空襲で、わたしの家族四人が焼け跡で黒焦げになってしまいました。昨日までいっしょに遊び、笑い、ご飯を食べていた父や母や姉や弟たちの変わり果てた姿が目の前にあったんです。あんな光景はもう二度と……それにあなたの場合は、十代で死んでいった特攻隊の許嫁の少年も……」
かのんの身の上は新聞の記事にのっていた。
二人は、いつしか手を取り合っていた。
そして目に涙をため、互いに見つめ合った。
かのん三十五歳、高梨由比三十四歳の二人だった。
(当時、18歳の少年兵、16歳のかのん、由比さんは15歳)
●10章終
6500
どんぐりさんは飛燕を大切に守っていた。
木立のなかから、細くて長い木を伐りだした。
それを集め、屋根の型に組み合わせた。
組んだ骨組みに椰子の葉をかぶせた。
格納庫だった。
飛行機は、いつでも飛べるように整備されていなければならない。
あとは、車軸と車輪をどうするかだった。
うまくやれば、硬い木で、部品が作れるかもしれない。
とにかく、食べ物には心配がいらなかった。
どうやらそこは、敵の領空域でもなさそうだった。
同時に、味方の領域でもなさそうだった。
それどころか、だれ一人としていないのだ。
こんなにいい島なのに、どうして人が住んでいないのか。
だれもこの島を知らないからである。
どんぐりさんは、油気をたくさんふくんだ木をみつけた。
その木の葉を灯にくべ、煙を立ちのぼらせた。
毎日煙を絶やさなかった。
必ずだれかがくると信じた。
するとある日、三艘のカヌーがやってきた。
顎鬚をちりちりに生やした、褌ひとつの男たちだった。
それぞれのカヌーに二人ずつ。
合計六人の男たちだった。
どんぐりさんは、ものすごくうれしかった。
浜辺を跳ねて踊りたかった。はらって
だが、腰蓑つけ、落ち着きはらって浜に立った。
「こんちわー」
日常のごとく挨拶をした。
むこうもどんぐりさんに合わせ、挨拶をした。
おどろくでもなく、敵意をもつでもなかった。
六人の男は、カヌーをおりて浜の浅瀬をやってきた。
どんぐりさんは、浜辺の庭に、ありったけの食べ物をならべた。
食え、いくらでもある、と手真似で示した。
男たちは腹を減らしていた。
椰子の実でできた酒もだした。
椰子の新芽から出る液体を、椰子の殻に溜めておいたものだ。
偶然できた酒である。
六人の男たちは体格が良かった。
腹がふくれるほどに食った。
どんぐりさんは、島を案内した。
芋の畑が、ひろびろと広がっていた。
果物の木が重なりあい、茂っていた。
浜には、いくら獲っても魚や海老や鮑などがいた。
どんぐりさんは自分の家の隣に、両手で家を描いた。
その隣にも家を描いた。
そして、あなた、ここ、あなたは、ここ、というように示していった。
そこに住めといったのだった。
男たちはふたたび椰子の酒を飲んだ。
酔ったどんぐりさんの、ひょうきんな踊りも見学した。
いままでは、酔って一人で踊ってみても、面白くもなんともなかった。
男たちも自分たちの踊りを見せた。
男たちは、舟に芋をいっぱい積み、帰っていった。
はたして移住してきてくれるだろうか、と期待をした。
十日がたったが、姿を見せなかった。
二十日もしたとき、三十艘あまりもの大小のカヌーがあらわれた。
家財道具といえば、石斧と魚を突く銛くらいだった。
どやどやと連中は浜におりた。
そして、それぞれが勝手に高床式の小屋を建てはじめた。
村は五日あまりで完成した。
十軒あまりの家がならんだ。
子供が海岸を走り、若い娘が海で貝を拾った。
男たちは椰子に登り、ココナツや果物をとった。
また舟で湾の入り口までいき、蔓草の網で大きな魚をとった。
だれが酋長というわけでもなかった。
先住民として、ただ、どんぐりさんが一目置かれていた。
どんぐりさんは、孤独から解放された。
つぎにどんぐりさんは、ことばを覚えた。
初めに『なに?』ということばを覚え、あとは名詞を覚えていった。
動詞や助動詞を知らなくても、ことばに不自由しなくなった。
だが逆に『なに?』にどんぐりさんは窮した。
格納庫である。
なかに入っているこれはなにか、ときくのだ。
どんぐりさんが丹精込め、保存している飛燕だった。
森のなかに油の木があり、それで機体を磨いていた。
どんぐりさんは両手をひろげ、からだを左右に揺らした。
こうやって空を飛ぶんだ、と説明するがだれも納得しない。
とにかく、実際に飛んで見せてくれという。
車輪が故障している、車軸が壊れているので飛べないと説明する。
すると、こういうものなら木を削って造ってやる、と男たちがいいだした。
ほんとうにこれができれば、空を飛べるのかと男たちがきく。
ほんとうだというと、彼らは森のなかに入っていった。
そして固いチーク材を伐ってきた。
大男たちは暇にまかせ、こつこつと部品を削りはじめた。
2
『我々は忘れてはならない 十九歳の特攻隊員のいたことを』
『今の繁栄は、彼らの犠牲の上にある。
昭和二十年三月八日、帝都防衛の戦闘機乗りの十九歳の少年兵が東京の空に散った。
特攻兵としてB・29に体当たりし、撃墜したのである。
そのとき、最後の飛行である深川の上空から、幼馴染の許婚の少女に手紙を出した。
封筒は住民に拾われ、遺品として靖国神社に保管された。
だが、なかに手紙は入っていなかった。
空中でどこかに散ってしまったようなのだ。
封筒が拾われたように、手紙も住民のだれかが拾っわれた可能性があると思われます。
現在、その手紙をご本人が探していおります。
東京銀座で花屋を営む進藤春江さんは、二十数年前の……』
詳しい記事が続いた。そして記事には古い写真がのっていた。
新聞社の屋上から撮影した体当たりの瞬間の写真である。
別枠には、飛行兵姿の小松伍長の写真があった
新聞には、同じような十代の特攻の少年航空兵がたくさんいた事実が述べられていた。
B-29を相手にしたり、沖縄や南方で散っていたのである。
『日本の戦闘機は、わが軍よりも機能や性能的にもはるかに劣勢な立場にありながら、見事なチームワークで、B・29の大編隊に果敢に襲いかかってきた。そしてB・29の乗組員を恐怖のどん底におとしいれた。みんな見事なほどに勇ましかったった』そんなふうに心境を語った、B・29のパイロットだったジェームスの言葉をかのんは思いだした。
新聞記者の取材で、新たな事実もわかった。
どんぐりさんは、初めは編隊飛行で敵を待ち伏せする作戦だった。
だが、一機だけ編隊からはなれ、深川上空を単独飛行したのだ。もちろん、許可を得ての行動である。
ところが、敵のB・29が予想外の速さで東京上空にあらわれた。
だからどんぐりさんは先頭の一機に、単独で体当たりを敢行したのである。
体当たりされたB・29は煙を吐きながら機首を東京湾の方に向けた。
体当たりした飛燕はB・29のどこかにひっかかったのか、機体の落下はなかった。
どんぐりさんは深川上空で手紙を落とそうとした。
だが、ふいに敵が出現し、時間がなくなってしまったのだ。
確実に敵に体当たりするためには、一瞬を逃せない。
だから敵にぶつかった上空から手紙を落としたのだ──。
新聞記事の反響はあったが、肝心の『手紙をひろった』という連絡はなかった。
川か海かに漂い、沈んでしまったのだろうか。
あるいはだどこかに落ち、翌々日の大空襲で燃えてしまったのか。
もしかしたら、ジェット気流にのって、どこかの遠い国に飛んでいったのか。
拾われた封筒は奇蹟だったのかもしれない。
3
店の花たちは客を待って、短い生涯を終える。
薇や菊やチューリップやゆりなどが主役である。
それに季節にあった草花も人気だ。
紫色の桔梗や鉄扇も銀座界隈の住民たちには、相変わらず好評だった。
朝、水切りを終え、それぞれの籠や瓶や筒に入れられ、客を待つ。
朝の花たちは、みんな緊張している。
どんな客がくるのか。どんな客が気に入ってくれるのか。
どんなもてなしをうけるのか。玄関先の瓶に入れられるのか。
花として存分に自己を全うさせてくれるのか。
花たちは清楚な気分で、訪れる自分の運命をまっているのだ。
その日いちばんの客は、三十すぎの和服の女性だった。
「あなたが進藤春江さんでしょうか?」
和服の女性は、くっきりした目で微笑んだ。日本人形のように頬が白い。
「新聞の記事を読みました。私は高梨由比ともうします。この先の六丁目に住んでいます。わたし、あの手紙拾いました。あなたのもうひとつの名前は、かのんさんですね?」
かのんは手にした花を床に落とした。
「あらら、ごめんなさい。いきなりで」
たしかにいきなりだった。
高梨由比は、両手を合掌するようにあやまった。
「わたし、銀座育ちでずっとここに住んでるので、この店の前を何度もとおってるの。小さいころ、歯科医院さんで歯の治療したんです。だから新聞の記事、人から教えてもらって読んで、すぐあなただってわかったんです」
「その手紙、お持ちなんですね」
かのんは、客に椅子を勧めることも忘れ、手をだしかけた。
「あ、ごめんなさい。新聞読んで、そうだ、あれだって、おじいちゃんにも読んでもらって持ってきてもらおうと思った。ところが残念ながら、大事なもんらしいからこれはおれがしまっとくって、手紙あずかったんだけど、どこにあるのか覚えていないんです。申しわけありません」
高梨由比は、肩のところでカットした黒髪をゆらし、頭をさげた。
「わたしのおじいちゃん、ありゃあ、特攻の貴重品だから、たしか靖国に預けたんじゃないかなあ、なんて。もうぼけちゃって、八十九歳ですから」
かのんは、店員に、お茶を入れましたといわれ、はじめて客に奥の応接の椅子をすすめた。
4
14歳になった高梨由比さんは、近くの小学校にでむき、慰問袋を作っていた。勤労動員である。
その日は、材料不足で午前中で作業は終わりだった。
たまたまおじいちゃんも、用があって学校にきていた。
外でまってなと言われたが、おじいちゃんはなかなか出てこなかった。
由比がまっていたのは、鉄棒のわきだった。
由比はそのとき、クラスで一人だけ、逆上がりができなかった自分を思いだした。
ちょっとやってみるかと、手を伸ばし鉄棒にぶらさがった。
仕事がはやく終わって、みんなさっさと帰り、校庭にはだれもいなかった。
四度、五度と夢中でモンペをはいた足を回転させようとがんばった。
空襲警報がいつ鳴ったのか──。
気づくと、一機の戦闘機が低空飛行でごーんと飛んできた。
戦闘機が飛ぶ空には、アメリカの銀色の大型飛行機の姿があった。
戦闘機はあきらかに、上空の敵機、B・29に向かっていた。
「もしや、あれは特攻機」
由比は身の危険もわすれ、上空をあおいだ。
銀色の巨体がぐんぐん近づき、豆粒の戦闘機もぐんぐん上昇した。
「ぶつかる」
おもわず口にし、由比は目をつぶった。
わあー、がんばれー、わあー、わあー、と町から歓声があがった。
閉じていた目を開けると、青空に一筋の白煙が流れていた。
もうそこには、戦闘機も大型の爆撃機の姿もなかった。
由比は最後の一蹴りとばかり、えいっと足を蹴った。
見事にに成功し、ほっと息を吐いた。
そして、鉄棒の上で空を見あげた。
そのとき、まっすぐ校庭にむかって落ちてくる一枚の紙を見つけた。
由比はくるりと一回転し、鉄棒からおりた。
校庭を走った。
両手をひろげ、背伸びをするように紙をまった。
紙は両手をひろげた由比の手からそれ、校庭の土の上に落ちた。
拾った紙切れの右の上の角がすこし焦げていた。
『かのんさんへ』という文字がまず目に入った。
「あたしに?」
由比は声にだした。
実は、今はすこし髪型を変えたが、由比も『かんのんさん』と呼ばれていたのだ。
「ほう、おめえに手紙か」
背後から声がした。由比のおじいちゃんだった。
「なになに……ええと……」
おじいちゃんは声をあげて読みだした。
「おい、なんだよこれは……飛行第244戦隊の皆様方、とかって書いてあるじゃねえか。昭和二十年三月八日、どんぐりこと、飛行第244戦隊 松井一郎伍長……これは遺書じゃねえか、どうしたんだ、これ?」
おじいちゃんはおどろいて、由比を見守った。
「日本の戦闘機が、高い空から落としたらしいんだけど」
「おめえ、飛行機乗りに恋人でもいたのか」
由比は首をふった。
「そうするとこれはあれだな、だれか他のかんのんに送ったんだろ。だったら探して届けてやんなきゃなあ。それにしても空から遺書なんて、住所と宛名を書いた封筒とかはどこかにいちゃったのかなあ」
こときは『かんのん』ではなく、『かのん』と書かれていたことに、二人は気づいていなかった。
5
『かのんさんへ お父さんへお母さんへ そして皆様へ
私は本日出撃いたします。
話していたように、見事に体当たりを果たし、敵機を撃墜いたします。
名誉ある一瞬です。自分を今日まで育ててくれた皆様のお陰です。
私を一人前の操縦士に育ててくれた多くの方々、
飛行第244戦隊の皆様方、
私を厳しく指導してくれた小林戦隊長殿、
私はこの日この時を、どんなに心待ちにしていたことでしょうか。
いまこうして、無事に御国のために尽くせることを、
皆々様方に深く感謝いたしております。
かのんさんもきっと、本日の私の活躍を目の当たりにすると思います。
私は心は誇りでいっぱいです。
私は本日、遠くへいってしまいますが、
かのん、あなたのことはいつまでも忘れません。
でも、どんなに遠くへいっても、
私はかのんの心の中にいます。
約束どおり、いつかあなたを迎えにいくでしょう。
私を忘れず、そのときを待っていてください。
私の分まで長生きしてください。
さようなら。
昭和二十年三月八日、どんぐりこと、飛行第244戦隊 松井一郎伍長 』
「わたしは何回も見たので、文面を覚えてしまってね。なにしろ一字ちがいでも意味は同じ『かんのん』宛ですからね」
高梨由比さんは、墨で同じ文面の書かれた半紙を懐から出し、かのんにくれた。
かのんは、食い入るように手紙を見つめた。
ほんとうに手紙をくれたんだ──。
封筒のかのんは、やっぱりわたし宛だったんだ──。
どんぐりさん、いまもらいました──。
やっとわたしのところに着きました──。
いま、読んでいます──。
頭のなかでどんぐりさんに語りかけた。
「今朝、おじいちゃんに新聞を見せ、その手紙のことをきいたら、そんな手紙あったっけ? なんて、もう完全にぼけちゃってる。ごめんなさいね。わたし、あちこちかきまわして探してみるから。やっぱり、自筆の手紙ほしいでしょう」
高梨由比さんは、六丁目で江戸時代から七代続いた日本手拭の絵師をしていた。
彼女も両親と兄弟を爆撃で亡くし、生き残ったおじいちゃんと二人で生活していた。
「1945年3月10日の空襲で、わたしの家族四人が焼け跡で黒焦げになってしまいました。昨日までいっしょに遊び、笑い、ご飯を食べていた父や母や姉や弟たちの変わり果てた姿が目の前にあったんです。あんな光景はもう二度と……それにあなたの場合は、十代で死んでいった特攻隊の許嫁の少年も……」
かのんの身の上は新聞の記事にのっていた。
二人は、いつしか手を取り合っていた。
そして目に涙をため、互いに見つめ合った。
かのん三十五歳、高梨由比三十四歳の二人だった。
(当時、18歳の少年兵、16歳のかのん、由比さんは15歳)
●10章終
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