はるばるサムライ 江戸時代の初め、ミャンマー西国の王に仕えた四十人のサムライたち

花丸 京

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4 新天地でポルトガル人を切る

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アユタヤ(タイ)は、交跡こうち(ベトナム)のフェフォよりも大きな町だった。
王城を中心に、お馴染みのポルトガル、オランダ、フランス、イギリス、支那、マレー、そして日本人の町があった。
それぞれの町は、メナム川からの流れを境の堀に引きこみ、独立していた。
 
街の中心に位置する王城は、幾層もの赤い焼き煉瓦れんがを積んで造られ、周囲は五つの区域に別れていた。
「焼き煉瓦でできた大阪城というところかのう」
又兵衛は、日本人町の宿の二階からアユタヤの城を仰いだ。
日本人町の左手に、ポルトガル人の町とアユタヤの港を挟み、巨大な金色のパゴダ(寺/仏塔)群が起立していた。 

又兵衛の背後には同宿の数人の部下がいた。
みんなすっかり日に焼け、肌は茶褐色だった。
ほかの部下たちは、近隣の民家に分宿していた。
「お頭(かしら)様、まだ大阪城を思い出していますか」
側についている次郎吉もたくましく日焼けしている。
「いや、未練はない。つい、たとえただけだ」
あごに短い無精鬚ぶしょうひげが生やした又兵衛が、苦しげに笑った。

旅は順調だった。
交跡からは、御朱印船ごしゅいんせんである三浦安針みうらあんじんの貿易船に乗ってきた。
三浦安針はオランダの船で日本にやってきたイギリス人である。家康に仕え、日本名を名乗り、貿易商として海外に出ていたのだ。

アユタヤには、ほかにも島津藩など多くの大名や商人の船がきていた。
三浦安針の船がアユタヤにいくと聞いたとき、又兵衛はすぐに乗船の交渉をした。切支丹であろうとなんであろうと、金さえ払えば問題はなかった。
又兵衛たちは、殿様の明石掃部あかしかもんから多少の金銀を預かっていた。
軍資金である。高山国の建設や統治に必要な資金の一部だった。


日本を捨てる覚悟で長崎を出航してから三ヶ月。
すでに季節は六月に入ろうとしていた。

東西二百メートル、南北五百メートルほどの日本人町を、太陽が火傷しそうなほどに照らしていた。
牛に牽かせた荷車が行き交う通りをはさみ、左右に家がならんでいる。住民たちの家は竹の材料を使った粗末なものだった。
又兵衛が泊まった宿は、日本人町の町長、城井久右衛門しろいくえもんの家であった。
宿といっても、宿屋の看板を掲げているわけではない。久右衛門たちアユタヤの住民は、日本人がくると自分の家を宿として提供する慣わしになっていたのだ。

又兵衛はさっそく、この町についての情報を集めさせた。
日本人住民は約四百。そのうちの一割が商人、あとは浪人である。浪人たちは又兵衛たちと同じように、幾度もの戦いを生き残ってきたつわものたちでもある。
彼らはいまだ、己の未来を武力によって計ろうと機会をうかがっていた。

町には、目を光らせた浪人たちがたむろしていた。
決戦前の大阪夏の陣の城下のごとき雰囲気である。
「連中には戦争しかできませんからなあ。それにここの王様は、日本兵を高く買っています」
口髭をたくわえた久右衛門は、ぞろりと手下をつれて現れた又兵衛を、値踏みするかのようにねめた。
町長の久右衛門には、商人の柔らかな賢さと、町の統率者としての油断ないたくましさがあった。
「わたしの目的は当地ではない。もっと南にいきたい」
又兵衛は、久右衛門の視線を感じながらそう訴えた。


アユタヤの港には、港を警護する多くの日本人|傭兵ようへい》がいた。その日本人の浪人たちがかもしだす殺気に途惑った。
こんな南の果てにまできて、まだ戦いに明け暮れようというのか、という腹立たしさのようなものだった。
だが、戦場で生きてきた彼らには、その仕事しかないのである。
幸い又兵衛たちには明石掃部から預かった軍資金があった。もしこの金銀がなければ、又兵衛たちも同じように傭兵の仕事を選んでいたかもしれない。

「ピニャール(カンボジア)ですか?」
ほう、というように久右衛門の口髭が動いた。
「いや、もうちょっと南にある切支丹きりしたんの国、シリアム(タニン)だ」
「シリアム? そのような国の名は聞きませんが」
今度は、あなたは切支丹か? という目をしながら久右衛門は、まぶしそうに又兵衛を見守った。

アユタヤの日本人町の頭目とうもくに、そんな国の名は知らないといわれ、又兵衛はとまどった。
「シリアムは、ミャンマー人の国のなかにある河口の都市国家と聞いておりますが」
「それならば、ミャンマー人の町にいって聞いてみればいい。ここではミャンマー人とは呼ばず、ペグー人と呼んでいる」

日本人にとってアユタヤより西の領域は、ほとんど未知の世界だった。
ペグー人の集落は、日本人町の裏側にあるマレー人の町に隣接していた。ペグーは、少々さびれているというが、れっきとしたミャンマーの首都の名だった。
早速、又兵衛の部下が探索に出、支那語を話すペグー人をみつけた。

その男はこう言った。
シリアムはもともとペグー人の王の支配する港湾の町だった。いまはインドと国を接する西のラカインという王国がそこを治めている。ミャンマーで反乱があったときにラカインの王の軍に助けられたので、その地を譲ったのである。そのとき、ラカインが知事にしたポルトガル人のデ・ブリトという男が切支丹だったから、自分の領地に住む民族をすべて切支丹にしてしまった。同時に、地域にあったパゴダをすべて破壊し、金でできた仏像は金貨に変えてしまった──。

「白人のデ・ブリトたちは切支丹であり、やつらは悪魔である、というのがそのペグー人の男の結論でした」
情報を仕入れてきた又兵衛の部下の八右衛門は、最後にそう付け加えた。
八右衛門は語学に堪能で、支那語やポルトガル語が話せた。
「悪魔であるか」
仏教徒はしばしば切支丹を悪魔と呼ぶ。気にすることはなかった。又兵衛は、狙った国が実現している事実に満足だった。

「それで、ペグー人はここアユタヤでなにをしている」
又兵衛が聞くと、八右衛門は丸顔に笑みをたたえ、懐から折り畳んだ半紙を取りだした。半紙をひろげると、そこには豆粒ほどの赤い石が乗っていた。赤い石の粒は楕円形だえんけいで、ぴかぴか光っていた。
「ルビーというものです。ペグー人たちは、これを白人たちに売っています。この石は、ミャンマーの山奥、モゴックという山でしか採れぬもので、良質のものは白人の国に貴重品として高く売れるそうです。ここにいるペグー人は、みなこの石の貿易商人です」

あとで知った事実であるが、ルビーの採れるモンゴックの山は、古くから一帯を支配してきたシャン族ものだった。
それを、最近になって勢力を拡大してきたミャンマー族が支配するようになった。
したがって、長年宝石に携わってきたシャン族の人々もそのままミャンマー族と暮らすようになった。
そのときの、ミャンマー族の王の住む都がペグーだったので、ペグー人と呼んだのである。

ルビーは、同じ大きさの金や銀の何十倍もの価値があるという。しかも、金銀は重いが、ルビーならば懐に入れて持ち歩ける。
「八右衛門、ルビーの鑑定術かんていじゅつとやらを自分のものにできるか?」
ルビーを自分たちが扱えるようになれるかどうかである。
八右衛門は答えた。
「どのくらい時間をいただけますか」
「われわれはここで、ジャンク船を買うことにした。船は三ヶ月後に完成する」
ジャンク船は、三本柱に三角の帆を張った木造船である。こちらの沿岸でよく見かける商業用の交易船だ。

注文があって建造中だったが、何らかの理由でキャンセルされたものを安く買い取ったのである。
殿様から預かった金塊は有効に使うのだ。
又兵衛は、部下をばらばらにしたくなかった。四十人が港町のシリアムに腰をすえ、貿易商としてやっていければと考えた。アユタヤでは、さっそくルビーという商品を発見した。

ルビーという商品を見つけてきた物見の八右衛門は、仲間の二人と一緒に日本人の宿からペグー人の宿に移った。
ペグー人の国の言葉を覚えるためだ。その宿は何人かのペグー人のルビー商人の定宿であることも突きとめていた。
また又兵衛は、茂七という船大将とともに、新たに六人の日本人水夫を仲間に入れた。全員が大阪城陥落らっかん後に水夫として海をわたり、アユタヤで陸におりた切支丹だった。


三ヶ月後、船が完成した。
沿岸をめぐる貿易船である。
水路の案内人を兼ねたペグー人の商人二人も乗り組んだ。通訳は八右衛門たちである。
八右衛門はペグー語を三ヶ月間学ぶと同時に、見事にルビーの鑑定術かんていじゅつも盗んできた。

右側に大陸を眺めながら、又兵衛たちの船は航行した。
日本では台風の季節だったが、当地の海に台風はなかった。
青く澄んだ海がひろがっているばかりだった。

スマトラ島との海峡に、椰子の葉のゆれる景色が延々とつづく。
大型の明国みんこくの船や、遠く白人の国からきた帆船とすれちがう。
船の積み荷は、三番船が積んできた銃や火薬類だった。
三浦安針の朱印船しゅいんせんでアユタヤに運んでもらい、一時的に倉庫に保管してもらっていた。

船がインド洋からベンガル湾に入り、ミャンマーにちかづいた。
切支丹の国に期待するみんなの気持ちが、しだいにたかぶった。
新しい都シリアムは自由貿易港だ。どんな人間も、シリアムの港と都には出入りが自由だという。
二人のペグー人商人の案内で、船が河口の緑の大地にちかづいた。

風が肥沃ひよくな土の匂いを運んできた。
川をさかのぼると、左右に田んぼがひろがった。
自分たちが住むかもしれない国は、豊かな米の産地でもあった。
左右の岸辺に家が見えてきた。高床式の粗末な小屋だった。もっとも暑い南国であり、そのほうが、風がとおって涼しいのだ。
木立の茂みの下に家が寄りそっている。村のようだが大きな家はない。

行き交う舟の数が多くなってきた。
川幅がひろがり、流れが二股になった。
流れに挟まれた右側の奥の岸辺に、灰色の壁がそびえていた。壁のむこうに幾つかの塔が覗いていた。
壁ぎわの波止場には、何艘もの大きな船が停泊していた。
「おお」
又兵衛の船に感嘆の声が湧いた。
鐘の音が聞こえてきたのだ。全員が、胸に十字を切った。
「シリアムです」
ペグー人の商人が告げた。
岸にちかづくと、灰色の壁がはっきりしてきた。

シリアムは巨大な壁に囲まれた砦だった。
その内側から覗いている尖塔は教会である。砦の壁からはかなり離れた距離だったが、三棟ほどが天にむかっていた。
交跡こうちのフェフォやアユタヤに堂々と君臨してきたパゴダらしき金色の塔はない。
教会の屋根のむこうには、幾棟もの高い屋根の建物が散見できた。
繁栄していそうな港湾都市だった。

波止場の監視所から役人が小舟でやってきた。ポルトガル人である。
船主も乗組員も日本人と聞き、おどろいたような顔をした。
「わざわざ、どうしてここまで?」
「切支丹の国と聞いたからです」
又兵衛は、胸を張った。

積荷は武器だったが、貿易船であると告げると役人は納得してひきあげた。
さっそく、又兵衛の部下であるサムライたち切支丹は羽織袴はおりはかまで正装し、波止場に集まった。まずは全員で教会にお祈りにいくのである。
船大将の茂七と、新たに雇った六人の日本人水夫は船にのこった。


四十人のサムライは、分厚い壁をくりぬいた砦の脇門から中に入った。
あらかじめ役人から報告があり、サムライたちの服装に目を見張ったが、そのまま党された。
一人も欠けることもなく、無事に切支丹の国にたどり着けた誇らしさを、全員がおごそかに感じ取っていた。

内側の壁の下には市場があり、いろいろな民族の店が並んでいた。
人々は、ほとんどが腰に綺麗な布を巻く衣装だった。
野菜、果物、穀物、雑貨、衣類など市場の品物は豊富だった。
突然現れた、羽織袴姿の四十人のサムライ集団に、人々は、はっとおどろき、息を飲んで見守った。

市場を抜けると、石を敷き詰めた広場になった。
広場の奥に二階、三階の石の家が固まって見える。どうやらポルトガル人の家のようだった。
その広場の中央には、教会が三つならんでいた。
なぜ三つも隣りあって建っているのか。

真ん中の教会がいちばん大きかった。
石を何段にも積み重ね、窓のガラスに色で模様を描いている。そんなガラスが何枚も取り付けられ、壁も分厚く立派だ。屋根も高く天を突いている。
現地人の姿はあまりなく、衣服を整えたポルトガル人たちが、ちらほらと出入りしている。
あたりはしんとし、静だった。
又兵衛を先頭に、腰に刀を差した羽織袴のサムライたちは中央の荘重な教会を目差し、歩きだした。
四十人のサムライを見守る周囲の現地人は、沈黙し、いつしか恐怖の眼差しである。

サムライたちが、中央の教会の階段を登ろうとしたときだった。
いずこからともなく、ポルトガル人の衛兵えいへいが現れた。
衛兵は肩から斜めに皮の帯をかけ、腰に太い剣を吊げている。
「おい、どこへいく」

又兵衛は幼少のころ、切支丹のエコール(学校)でポルトガル語を学んだ。
「我々はキリスト教徒だ。祈りにきた」
「ここは、おまえたちが祈る場所ではない。あっちにいけ」
しっ、と手で追い払う仕草しぐさをした。
又兵衛と兵衛と又兵衛と他のサムライは氷りついた。

「どういう意味だ」
頭(かしら)の又兵衛は、いどみかかるように聞いた。
「どういう意味か、だとお?」
衛兵が目を見開いた。
「そうだ。訊いているんだ」
「なんだと」
剥きだした金壺眼きんつぼまなこに怒気が走った。本物の怒りだった。
右手が剣のつかにかかった。

やられる、と又兵衛は判断した。サムライたちのからだの全神経が反応した。
先頭の又兵衛の刀が、門衛の脇腹から肩口に、下から上へ斬りあげられた。
身を護るとっさの方法はそれしかなかった。
叫び声と血飛沫ちしぶきがあがった。
衛兵は剣を半分抜きかかった姿勢のまま、仰向けに倒れた。
「うおう……」
衛兵の重苦しい断末魔だんまつまが広場に響きわたった。

人々が逃げまどった。
どこにいたのか、剣を手にした他の衛兵が走ってきた。
サムライたちは光る刀をいっせいに抜いた。
きらきら光る白刃に、衛兵たちがぎょっと立ちすくんだ。

衛兵は五人ほどだった。が、気をとりなおし、さらに仲間を呼んだ。
又兵衛は、大変な事態になったと悟った。とにかくここは退くべきだと、部下たちに命令じようとした。
斬り合いになれば、大事おおごとになる。

と、一人の男が横から飛び出してきた。
「まて、まて、まてい」
金糸きんしの衣服をまとった中背の男だった。
顎に山羊のようなひげを生やしている。ポルトガル語で叫んでいたが、ポルトガル人ではなかった。
男は両者の間に入り、大きく両手をひろげた。
後からきた男の仲間の三人も、同じように両手をひろげていた。やはり白人ではない。

「船に引きあげろ」
その機に又兵衛は命じた。
「われわれは日本のサムライだ。今日、船で着いたばかりだ」
走り去りながら、立ちはだかる顎鬚あごひげの男に又兵衛は告げた。
さらにポルトガル人が数人、走り寄ってきた。だが、だれも追ってこようとはしなかった。


又兵衛たちは、群集の間を走って市場を抜け、港にもどった。
一団のサムライたちの突進に、住民たちがおどろいて道をあけた。
やってきて、いきなりの事件だった。
斬り合いを止めてくれた男が、何者なのかはわからない。だが、それなりに地位のある人物のようでもあった。
そして、教会で自分たちをはばもうとしたあの門衛の憤怒ふんぬはなんだったのか。
これから自分たちはどうなるのか──船ができる三ヶ月の間に、物見ものみをだし、いろいろ調べてみるべきだった。しかし、船荷の準備で多忙だった。

サムライたちは、停泊中の船にもどった。
それをまっていたかのように、砦側から小舟が日本船にこぎ寄せた。
すでに小舟には、さっきの顎鬚の男と、数人の部下らしき男たちが乗っていた。
男は乗船すると、出迎えた又兵衛に告げた。

「わたしはシリアムの副知事で、ヤカインの国から派遣されているセンチョウという者だ。あなたがたは日本からきたサムライなのか?」
センチョウという男に、敵意は感じられなかった。しかも、副知事という身分だと名乗った。
「わたしがこの船の主で、サムライの頭の前田又兵衛と申します」
又兵衛は握手をしながら頭をさげた。

「さきほどは助けていただき、ありがとうございました」
助けてもらったのかどうかはまだわからなかったが、とにかく礼を述べた。
「たまたま通りかかってね。見ていたよ、はじめから」
副知事のセンチョウという男は、長いひげをゆらしうなずく。

「なぜわたしは、斬り殺されかけたのでしょうか?」
とにかく、まず聞きたかった。
「あそこはポルトガル人たちのための教会なのだ。ポルトガル人は自分たち以外の人間を人間と思っていない。だから、なにかがあって殺したとしても罪は問われない」

又兵衛はセンチョウがなにをいっているのか、意味がよく理解できなかった。
「でもここは、切支丹の国ではないんですか?」
又兵衛は、おどろきのまなこを見開いたまま、うめくようにつぶやいた。
「そうだ。だが、ポルトガル人たちは、自分たちはいちばん神にちかい高等な生き物だと思っている。土民たちが祈るのは隣の小さな教会だ。土民たちは、救われるかどうかもわからない動物にちかい人間だからな。だからポルトガル人たちには、口のききかたも気をつけなければならない」

又兵衛は頭のなかで、センチョウという男の言葉をけんめいに理解しようとしていた。
「いまあなたはこの国で、副知事をなさっているとおっしゃいましたが」
とりあえず聞いてみた。

「ここはミャンマーだが、シリアムはわがラカインの自治の都だ。わが国の王は功績のあったポルトガル人を知事にし、お目付け役のわたしを副知事にした。デ・ブリトはこの土地を発展させ、住民を切支丹として見事に手なずけた。そして貿易で利益をあげた。知事は有能な男だ」
ちょっとまってくれ、われわれはシリアムが切支丹の国だと聞いたから、はるばる訪ねてきたんじゃないか、いったいどうなっているんだ、と又兵衛は声に出しそうになった。

副知事のセンチョウは、又兵衛の心の動きなど知らぬげにつづけた。
「アユタヤにはいるとは聞いたが、サムライに会うのは初めてだ。あなたがたは勇敢で強いと聞いている。たしかに噂どおりだ。しかもみんな賢そうだ」
センチョウは顎の先に伸びた鬚をゆらし、そろって甲板に迎えにでた又兵衛の部下たちを笑顔で見渡した。
事件などどうでもいいというようなものの言い方だった。

「われわれは、どうしたらよろしいのでしょうか?」
とにかく、ポルトガル人を一人殺してしまったのだ。又兵衛は処置が知りたかった。
「わたしは見ていた。ポルトガルの衛兵が悪い。あなたを殺そうとしたからな。この件の処理は副知事のわたしが引き受けた」
センチョウは、はっきりそう言った。
ラカイン人のセンチョウは、ポルトガル人の上の立場にいた。

ポルトガル人のデ・ブリトという男がシリアムで知事の地位を与えられ、自治をおこなっていた。だが、あくまでもラカイン国のお雇い外国人である。
デ・ブリトは、反抗心の強い地元モン族を手なずけ、貿易で利益を上げ、シリアムを繁栄させた。
その実績を買われているのである。
シリアムがどんなにすばらしい都市であるかを、又兵衛たちは空想してきた。
水面に反射し、あふれていた太陽の輝きが途切れ、目の前が真っ暗になった。

「わたしに任せなさい。副知事の権限で、わたしがあなたがたを守ります。ただしあなたがたはもう、シリアムには上陸できない」
センチョウの声が聞こえた。
「どうだろう。わたしの国、ヤカインにいってみないか。サムライは大歓迎だ。王もお喜びになる」
又兵衛は、呆然ぼうぜんとセンチョウの提案を耳にしていた。
「ラカインの都はムラウーというところだ。シリアムの数百倍も大きい。港にもたくさんの船がきて、貿易も盛んだ。もし行ってくれるなら、サムライたちやその仲間が暮らせる土地を与えよう。われわれの国は仏教の国だが、信仰は自由だ。王の住む都は、水辺にあり、とても美しい」

「戦争はあるのか?」
いのいちばんの質問だった。
「われわれがここにいるのは、前ミャンマー王では国の治安が保てないと、王の従兄弟が反乱を起こし、われわれがそれを助けたからだ。ラカイン王国は、強力な海軍と陸軍をもっているので戦争には負けない。だから、どこも攻めてこようとは思わない。それゆえラカインに戦争はない」
センチョウは胸を張った。

とにかく、平和のようだった。
「行ってくれるかくれるか。サムライは大歓迎だ」
「行きましょう」
又兵衛が答えると、背後でやりとりを聞いていた部下たちもうなずいた
いずれにしても、突然行き場がなくなってしまったのだ。
あこがれていた国が、ふいにどこかに吹き飛んでしまったのである。
 

ポルトガル人以外の人々は動物と同じであり、無礼があれば殺してもかまわないなどという発想は、どこから生まれてくるのか。
幸いなことに、ポルトガル人たちは追ってこなかった。
副知事のセンチョウのおかげである。
「明日、水や食料を運ばせましょう。それに、案内をかねてわたしの部下も乗せていってください。ラカインの都ムラウーまでは、三日ほどの旅になります」

センチョウは船のなかを一回りし、帰りがけ、さらにこう言った。
「又兵衛さん、あなたは独身ということですが、女房をもらうべきです。明日、わたしがつれてきます。では、今日はこれで失礼します」
なんですって、と又兵衛が問いただそうとしたが、もう背をむけていた。
波止場には数名のポルトガル人がいたが、変わったようすは見られなかった。

翌日の昼前、センチョウが数隻の小舟を日本船にこぎ寄せてきた。水と食料だった。
そしてその一隻の小舟には、商人と女性が乗っていた。水と食料を用意してくれたシリアムの貿易商人で、女性は商人の娘だった。
なんとその娘を又兵衛にくれるというのだ。

名前はサディといった。
父親も娘も、サムライの頭で船主でもある又兵衛を信頼していた。
又兵衛にサディを断る理由はなかった。
むしろシリアムの商人とのつながりができ、大歓迎だった。
娘も賢そうな目の色で、器量も悪くはなかった。
もっとはきりいうと、太陽のように輝いているその娘が、又兵衛は一目で気に入ってしまった。

「本当によろしいのでしょうか」
あまりにも好みがぴったりしたので、又兵衛は珍しく躊躇ちゅうちょし、はにかんだ。
物のようなやり取に多少の抵抗があったが、娘の容姿物腰がすべてを吹き飛ばした。
「かまいません、かまいません」
自分の娘でもないのにセンチョウがいう。

商人である父親も、初対面の又兵衛に詫びる。
「いい相手をとわたしが欲をだし、少々出遅れさせてしまいました」
出遅れたといっても、十八歳である。
三十歳の又兵衛とは十二歳違いだ。十三、四歳で嫁いでしまうこの地では、たしかに遅れたとはいえるが、又兵衛からみればまだまだ若い。

交易船の行き交う港の商人は、ほかの地域の港を基地に商売をする男に、自分の娘を嫁がせ、それをよしとしている。
娘の嫁いだ先にでかけ、そこでまた商売ができるからだ。
父親にとって又兵衛は、吉とでた相手なのだ。なにしろシリアムの副知事のお墨付きでもある。

又兵衛たちの船は、逃げるようにシリアムの港を出た。
ラカインの首都であり、貿易港のムラウーまでの三日のうち、二日間は陸沿いにベンガル湾を陸沿いに航行する。あとの一日間は、大陸を蛇行して流れるカラダン川をさかのぼる。
ラカイン国のムラウーという都は、カラダン川の上流、内陸深くにあった。
                 ●4章了
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