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3 十三隻の船団で高山国(台湾)へ  

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十三隻の大型の帆船はんせんだった。西洋のジャンク船である。
総勢で四千人ほどの兵隊たちが乗り組んでいた。
総大将は長崎代官、村山等安むらやまとうあんの三男、村山秋安しゅうあんだ。
海はうねっていた。吹きつける三月半ばの風は、まだ冷たい。橘湾たちばなわんに面した茂木港の沖である。
船の外装に塗りこめられた鯨油げいゆの匂いが、船内に漂っている。
前田又兵衛は、三番船の船倉で部下とともに、息を凝らしていた。頭の自分を入れ、総勢四十人である。殿様の明石掃部あかしかもんは、二百名ほどの家臣や部下とともに五番船にいる。

又兵衛が長崎代官、村山等安の高山国たかやまこく(台湾)征服計画を嗅ぎつけたのは、去年の五月だった。大阪夏の陣が終焉しゅうえんを迎えようとしていたころだ。
等安は切支丹である。長崎の外町に広大な屋敷をかまえ、ポルトガルや支那との貿易で莫大な財を蓄えていた。
家康は遠征を命じ、等安の自滅を謀ろうとしていた。
等安にはわかっていた。が、等安には自らの目論見があった。もし高山国の征服に成功すれば、そこは自分の国になる。高山国を南蛮なんばん貿易の基地にすると同時に、切支丹たちのパライソにしようという野望だった。

掃部と又兵衛は筑前ちくぜんに潜んだあと、長崎に移動した。
「よくぞ生きておられた」
掃部は、外町の等安の屋敷の裏口から招き入れられた。
久しぶりの面会だった。
「遠征に出ると噂を聞きもうした」
落ち武者として徳川方から追われつづけていた掃部は、さっそく本題を切りだした。
「まことでござる。切支丹の国を造る」
等安も即座に切り返した。
からだ全体から、見えない炎がゆれていた。

掃部は歴戦の勇士である。貴重な戦力になる。
夏の陣の大阪城から忽然と姿を消した掃部の行方を、徳川方は必死に探していた。当然、長崎にも目は光っていた。
等安は茂木港沖に、たくさんの船を浮かべていた。資材や物資を運んだり、武器などを備蓄する船である。夜の闇に乗じ、掃部たちが呼び寄せた家臣や部下をその船に運びこんだ。
九州各地に散っていた掃部の家臣や部下たちは、又兵衛の部下の連絡と導きで、すこしずつ集った。


3月末日、十三隻のジャンク船は、高く網代帆あじろほを上げた。
茂木港を見下ろす丘の上の大砲が、出航を祝う断続的な空砲の轟かせる。
船団は南の琉球沖を目指した。
又兵衛たちは甲板かんぱんに出、青空をあおいだ。
ひさしぶりだった。もう、人目を気にしなくてもよいのだ。

二本の帆柱は、とうで編んだ蛇腹式じゃばらしき網代帆あじろほをひろげ、力いっぱいに風を受けた。
新しい船は、あちこちで縄目や木組をきしませた。
「次郎吉、いよいよだのう」
束髪そくはつを風になびかせた次郎吉は、前田又兵衛家に代々仕えている家臣だ。
「殿もさぞかし、安堵あんどの胸を撫で下ろしていることであろう」
飛沫しぶきをあげ、後方につづく五番手の船を又兵衛はふり返った。
同じように甲板に出、安堵の息をつき、空を見上げている殿の掃部の姿を思い浮べた。
三十歳を過ぎた又兵衛に比べ、次郎吉はまだ若かった。二人とも顔を紅潮させ、瞳を子供のように輝かせていた。 
二人のまわりを、又兵衛の部下たちが取り囲んだ。みんな長い戦いを生き延びた男たちだった。

遠征隊の第一の目標は、島の北側に砦を築くことだった。
砦を基点にし、蛮族ばんぞくを征服し、国を造るのである。
蛮族に切支丹の教えを説けば、パライソができる。そんなに生易しいことではないとわかってはいたが、又兵衛たちは浮きたった。


海が激しく船をゆらした。季節はずれの嵐だった。
船団のそれぞれの影が波に隠れ、見えなくなった。
又兵衛の部下もふくめ、船底の兵士たちは、ことごとく船に酔った。
雨も激しくなった。風が唸りをあげた。
かしぎの係りが握り飯を配ったが、口にする者はいなかった。
船は横風を受け、流されはじめた。

いつしか三月の日本の肌寒さはどこかに消え、全身が汗ばんでいた。
水夫の一人が船底にきたので、又兵衛が、いまはどの辺りにいるのかと聞いた。
すでに七日がたっていた。予定どおりであれば、もう高山国に着いているはずである。
わかりません、と褌一丁の水夫は応えた。
「船頭が言うには、だいぶ南に流されたとのことです」
水夫は青ざめていた。船酔いのためばかりではなそうだった。
「ほかの船はどうした」
水夫は日焼けた首をふった。

船は、疾風怒涛のなかを漂った。
襲ってくる高波に持ち上げられたかと思うと、舳先から急坂を落ちるようにはしった。
二本の帆柱が、風に二重奏で悲鳴をあげた。
肉体は困憊こんぱいし、音をあげることさえできなかった。
そんな日が、三日もつづいた。

ほとほと疲れ果てた又兵衛が眼を覚ますと、あたりがしんとしていた。
全身が汗にまみれ、むっと暑かった。
甲板かんぱんに出てみると、夜明けだった。
おどろくほどの青い海と青い空が、真っ平らにひろがっていた。
雨も、風も、波も、みんな消えていた。
左手から太陽が顔をだし、鋭い日差しを放ちはじめた。

船は出港まえの姿そのものだった。
帆柱の下に網代帆が折り畳まれ、綱でしっかり括られていた。
二本の帆柱も、なにごともなかったかのように、まっすぐに伸びていた。
三番船に、嵐の被害は皆無だった。
舳先に数人の水夫たちが集まっていた。
顔見知りの船頭頭が、遠眼鏡とうめがねを目に当てていた。

おーい、と頭上で声がした。主帆柱の上に一人の男が登っていた。
てっぺんで柱に両足をからませ、自由になった手に、やはり遠眼鏡をもっていた。
「ほかの船は、どこにも見えませーん。西の方向に島影が見えまーす」
帆柱の男が叫び、太陽が昇りだした方向とは逆の海に腕をさしのべた。

舳先へさきの男や甲板かんぱんにいた者が、いっせいにそっちに顔をむけた。
又兵衛も西に目を凝らしたが、なにも見えなかった。
「高山国か?」
又兵衛はそばを通った水夫に聞いた。
支那しな大陸です」
予想外の答えだった。

「高山国はどこにいったんだ。ほかの船はどうしたんだ?」
五番船に乗り組んでいる殿様の明石掃部の安否が気になった。
「高山国も、ほかの船も、どこにいったのかだれにもわかりません」
水夫は忙しそうに艫|《とも》のほうに走っていった。

船は、まっすぐ陸を目指しはじめた。
三時間もいくと、又兵衛の目にも海面に横たわる黒い影が見えてきた。
同時に、うだるような暑さが襲ってきた。


海は静かだった。数日まえの大嵐が嘘のようだった。
木々の茂る海岸がつづき、遠くに低い山々が見えた。
又兵衛はそれでも、もしかしたらそこは高山国ではないのかという望みをもっていた。
小舟は支那の言葉が話せる者を乗せ、陸にむかった。

だが、帰ってきた小舟からもたらされた情報は、おどろくべきものだった。
なんと、高山国どころか、朝鮮、澳門まかおを通りこし、交跡コウチ…(ベトナム)の海岸にまできているというのだ。
大きな船はほかに一艘もやってこなかった。

二週間ほど前、長崎はまだ肌寒い三月の海だった。
それが嵐から目覚めたら、時空を超えたように果てしない熱帯の海と陸がひろがっていたのだ。
又兵衛たちもほかの乗組員もわれを忘れ、熱帯の大陸に見入った。

やがて森が切れ、河口の町が見えてきた。
ひろい港に、流されてきているはずの仲間の船はやはり見当たらなかった。
三番船は、帆を降ろし、投錨とうびょうした。
どーんと一発、挨拶がわりの空砲を鳴らした。
ツーランだ、という水夫たちの声が聞こえた。

港の奥から、一艘の早舟が三番船にむかってきた。
交跡こうちの国の役人であろう。長崎と同じように、まずは検査官が乗船してくる。
赤い服の役人は、支那人そのものだった。だが、側に付き添っている着物の男は、間違いなく日本人である。
なにをどう報告したのか、役人たちは一人の水先案内人を残し、下船した。

三番船は再び帆をあげ、湾に注ぐ川をのぼりだした。
乗船していた兵隊たち全員が、左右につづく椰子やしや、川べりに建つ高床式の涼しげな竹の小屋などに見とれた。
さっそく、次郎吉たちが水夫から情報を仕入れてきた。

それによれば、先に寄った河港はツーランというところ。これから行くのは、フェフォという港町。大きくて貿易が盛んで、そこには日本人町があるという。
また、嵐でながされてきた船はほかには一艘もないという。高山国は、ここからはとんでもない南にあり、航行は不可能と聞かされた。
さらに、フェフォには教会があり、切支丹たちは自由に信仰が許されているというのだ。
三番船は、やってくるかもしれない仲間をフェフォで待つつもりだった。

フェフォには日本の朱印船が入港していた。
そのほかポルトガル、スペイン、オランダ、支那の船などが川沿いの港に停泊していた。
右側の川岸に、屋根瓦の家がならんでいた。家は土塀に囲まれ、外を歩いている男女は間違いなく日本人だった。

どこから現れたのか、一艘の小舟が三番船に接近し、おーい、おーい、と呼んだ。
「日本から逃れてきた切支丹はいるか。わたしはパウロ斉藤という者だ。上陸したらわたしを訪ねてきなさい。ここでは切支丹は自由だ。わたしは日本人町の教会にいる」
小舟はそう叫びながら船を一回りし、また岸に引き返した。
パウロと名乗る中年のその男が、小舟の中央に立っていた。町人髷ちょうにんまゆい、和服を着ていた。

入れ替わり、旗を立てた役人の舟がやってきた。やはりサムライ姿の日本人が乗っている。
船内を検査し、そのまま帰っていった。
前回と同じように、日本人は無表情で通訳の役目をこなした。
まちにまった上陸許可がでた。

船から三艘の小舟がおろされ、三十人ずつが順番に乗り組み、上陸した。
町は日本人町と支那人町に別れていた。白人たちの住む町もあった。みんな商人の家だった。フェフォは貿易商人の町だった。
日本人町は六十軒ほどが、川沿いの道を挟んでならんでいた。日本人住民は四百人ほどであるという。

町の真ん中の通りをいき、橋をわたると、たしかに教会があった。
又兵衛は、パウロ斉藤という人物に会ってみたかった。だが、気をつけなければならなかった。思いがけないことに、町には長崎奉行の手代てだいが送りこまれていたのだ。
手代は、長崎では切支丹を厳しくとりしまる役を担っていた。
とにかく三番船は、現れるかもしれない他の仲間の船をまった。
一週間たっても、二週間たっても現れなかった。


一ヶ月がたったとき、船大将からおれがあった。
三番船は高山国へはいかず、商船として荷を積み、長崎にもどる、というのである。
このまま長崎に引き返されたら、役人に捕まる。捕まれば獄死である。

又兵衛は船大将にこう告げた。
「わたしの仲間が大勢五番船に乗っている。高山国にいったかもしれない。ここから高山国へいくのは困難と聞いたが、わたしたちはフェフォで船をさがし、高山国にいって仲間と合流する」
船大将がそれに応えた。
「ばかを言うな。あの嵐ではどの船も高山国には着けない。もし着いたとしても、十三隻揃わなければいくさはできない。ほかの船はどこかに流されたか、沈没したかだ。まっていても一艘も現れなかったではないか。おれたちは運がよかったのだ。せっかく拾った命を無駄にするのか」

又兵衛も、まともならばそう述べるだろう。
「しかし、われわれは高山国へいく」
又兵衛は言い張った。
「好きにすればいい。お主たち、切支丹であろう」

船大将は、又兵衛たちの正体を見抜いていた。
又兵衛は、あらためて三十九人の部下に告げた。
「われわれは決断しなければならない。ここで船をおりる。もう日本へは二度ともどらない。帰りたい者がいても拒まない」
帰国を望む者はいなかった。

隣国のアユタヤ(タイ)には、フェフォよりも大きな日本人町があった。
アユタヤの日本人は、アユタヤ王朝の兵士として働く者が主である。ただし、集まっている日本人のほとんどは流れ者であり、切支丹とは無縁であった。
教会は、ヨーロッパからきた外国人町にあるという。

フェフォの町で聞いたもっとも興味ある話は、ミャンマーの国についてだった。
ミャンマーは、アユタヤのさらにそのむこうにある国だ。
ミャンマーに行くのには、アユタヤを経由する。
ミャンマーにはシリアム(タニン)という都市国家があった。
ポルトガル人が、その都市国家を治めていた。そして、そこは完全な切支丹の国だというのだ。
又兵衛たちはこの情報に興奮した。
フェフォに残った又兵衛たち四十人は、切支丹としての、豊臣秀吉、徳川家康とつづいた長い戦いが終わったのだと思った。
                    ●3章了

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