2 / 11
2 負け戦(いくさ)大阪夏の陣
しおりを挟む
1
天王寺に陣をかまえた明石掃部は、3,500人の切支丹部隊を率い、逆転をかけた戦に挑もうとしていた。
だが、決戦のときだというのに、肝心の豊臣の大将、秀頼が出陣しなかった。
真田幸村、毛利勝永、後藤仁兵衛などの猛将が徳川軍の攻撃で戦死した。
やがて、大阪城に火の手があがった。
大阪方の完敗だった。豊臣方の明石掃部の家臣、前田又兵衛は負け戦を予測し、部下に城の探索を命じていた。脱出口の発見である。
部下の物見(しのび/スパイ)たちは大阪城をくまなく調べ、目論見どおり、秘密の通路を発見した。
最後のときをむかえた明石掃部と近親の部下300名は、又兵衛の案内で、大阪城の地下通路を経、京橋口に出た。
そこには、海運業の商人に嫁いだ明石掃部の長女の伝で、三艘の船が用意されていた。商人の名は岡平内といい、もと侍で切支丹だった。岡平内は又兵衛の要請に応えてくれたのである。
三艘は、すばやく瀬戸の海をわたった。明石掃部一行の行き先は九州の筑前だった。
海は、ほんのすこし前の阿鼻叫喚が嘘のように穏やかだった。
又兵衛は舳先に立っていた。戦いに負けた心境は複雑だった。だが、内心には、なんとしてでも生き延びてやるという強い力がみなぎっていた。
「神よ、我々にいつ、パライソ(楽園)を与えられるのでしょう」
又兵衛は、引き結んだ唇を噛むように低くつぶやいた。
今回の豊臣対徳川の大阪の戦には、多くの切支丹が参加した。切支丹たちは、切支丹の国を夢に見て戦った。
三年前の1612年、徳川家康は、直轄地である江戸や京都などに禁教令を発した。徳川の天下の到来を察していた諸国の大名たちも、自ら進んで切支丹狩りを開始した。
「結局、今回の戦は、切支丹たちが一ヵ所に集まるように仕掛けられ、皆殺しにされたようなものだった」
又兵衛の口からでた無念の言葉が、潮風にあおられ、後方に飛び散った。
船に乗った掃部の三百人の将兵たちは平服に着替え、戦場活動の痕跡はすべて海に捨てた。傷のある者の手当てもすんだ。戦場を不眠不休で切り抜けてきた安堵で、全員が死人のごとく船底で眠っていた。
「あの混乱のなかを明石掃部様と300人の家来一族が生きのびた。神の思し召しとしかいいようがない」
家来のなかには、五十人ほどの又兵衛直属の部下がいた。
又兵衛の一族は諜報活動に長けていた。戦場の偵察はもちろん、ときには敵陣深く単独で忍び込み、隙があれば大将の暗殺までも企てた。
部下たちはみな体力を鍛え、武術に優れ、あらゆる国の言葉をたやすく覚える術をもっていた。子供のころから親に教育をうけていたのだ。
2
備前に山城をもつ前田は、このように家代々特殊な人材を育て、藩主のお役に立ってきた。そうしていま、最後の戦いに敗れ、数少ない旧知を頼りに再び生き延びようとしていた。
「前田殿」
背中で声がした。ふりむくと、明石掃部の家臣の一人が立っていた。
「殿がお呼びでございます」
船倉の階段をおりていくと、二つならんだ手前の三畳ほどの船大将の部屋に、殿様が座っていた。
「豊後の杵築の港に着いたあとの我々の行動について、なにか意見があれば、あらためて聞いておきたい」
畳に手をつき、顔をあげた又兵衛は横一文字の眉を引き締めた。
「海外にお出になってはいかがでしょうか」
「海外?」
掃部には意外な言葉だった。
「海外はひろうございます。朝鮮や明や呂宋(ルソン/フィリピン)ばかりではございません。そのむこうには多くの国々がございます」
「そのどこかにパライソがあるというのだな」
「さようでございます」
又兵衛は額を光らせ、確信ありげに答えた。
「しかし我々は、パードレたちから、現実にそのような国があるなどという話を聞いたことはないがのう」
掃部は、以前から抱いていた疑問を吐きだすように口にした。
「パードレたちも探しているのでございましょう。そして彼らはわが国での、パライソの国造りに失敗いたしました」
又兵衛が心持ち、目を伏せた。
「パライソがなければどうする?」
掃部が又兵衛を見据えた。
又兵衛が口を閉じ、瞬く。
「自分たちで造るしかありません」
やがて低い声で告げた。
「なければ、自分たちで造るか……」
掃部の声が、重たく口から漏れた。
他人と争わず、富を独占しようとせず、隣人をいたわり、強き者が弱き者を助ける世界。
明石掃部も前田又兵衛も夢中で追い求めてきた。
「海外に出て、自分の目でたしかめるしかありません。いずれにしても家康が支配する日本に、もう安住の地はございません」
訴える又兵衛の目が、底光りしていた。すでに決意を固めているのである。
「村山等安殿が高山国(台湾)の征服を計画しているそうでございます」
又兵衛が、あらたまった口調で告げた。
「等安殿が高山国を?」
長崎の代官である村山等安は来切支丹であり、旧知の仲だった。
「まことであるか」
掃部は膝を乗りだした。
「どのような計画なのか、まだはっきり分かりしませんが、事実であれば戦艦と多数の将兵が必要になります。船が豊後に着きましたら、早速、長崎へ部下の者を走らせましょう」
●2章了
天王寺に陣をかまえた明石掃部は、3,500人の切支丹部隊を率い、逆転をかけた戦に挑もうとしていた。
だが、決戦のときだというのに、肝心の豊臣の大将、秀頼が出陣しなかった。
真田幸村、毛利勝永、後藤仁兵衛などの猛将が徳川軍の攻撃で戦死した。
やがて、大阪城に火の手があがった。
大阪方の完敗だった。豊臣方の明石掃部の家臣、前田又兵衛は負け戦を予測し、部下に城の探索を命じていた。脱出口の発見である。
部下の物見(しのび/スパイ)たちは大阪城をくまなく調べ、目論見どおり、秘密の通路を発見した。
最後のときをむかえた明石掃部と近親の部下300名は、又兵衛の案内で、大阪城の地下通路を経、京橋口に出た。
そこには、海運業の商人に嫁いだ明石掃部の長女の伝で、三艘の船が用意されていた。商人の名は岡平内といい、もと侍で切支丹だった。岡平内は又兵衛の要請に応えてくれたのである。
三艘は、すばやく瀬戸の海をわたった。明石掃部一行の行き先は九州の筑前だった。
海は、ほんのすこし前の阿鼻叫喚が嘘のように穏やかだった。
又兵衛は舳先に立っていた。戦いに負けた心境は複雑だった。だが、内心には、なんとしてでも生き延びてやるという強い力がみなぎっていた。
「神よ、我々にいつ、パライソ(楽園)を与えられるのでしょう」
又兵衛は、引き結んだ唇を噛むように低くつぶやいた。
今回の豊臣対徳川の大阪の戦には、多くの切支丹が参加した。切支丹たちは、切支丹の国を夢に見て戦った。
三年前の1612年、徳川家康は、直轄地である江戸や京都などに禁教令を発した。徳川の天下の到来を察していた諸国の大名たちも、自ら進んで切支丹狩りを開始した。
「結局、今回の戦は、切支丹たちが一ヵ所に集まるように仕掛けられ、皆殺しにされたようなものだった」
又兵衛の口からでた無念の言葉が、潮風にあおられ、後方に飛び散った。
船に乗った掃部の三百人の将兵たちは平服に着替え、戦場活動の痕跡はすべて海に捨てた。傷のある者の手当てもすんだ。戦場を不眠不休で切り抜けてきた安堵で、全員が死人のごとく船底で眠っていた。
「あの混乱のなかを明石掃部様と300人の家来一族が生きのびた。神の思し召しとしかいいようがない」
家来のなかには、五十人ほどの又兵衛直属の部下がいた。
又兵衛の一族は諜報活動に長けていた。戦場の偵察はもちろん、ときには敵陣深く単独で忍び込み、隙があれば大将の暗殺までも企てた。
部下たちはみな体力を鍛え、武術に優れ、あらゆる国の言葉をたやすく覚える術をもっていた。子供のころから親に教育をうけていたのだ。
2
備前に山城をもつ前田は、このように家代々特殊な人材を育て、藩主のお役に立ってきた。そうしていま、最後の戦いに敗れ、数少ない旧知を頼りに再び生き延びようとしていた。
「前田殿」
背中で声がした。ふりむくと、明石掃部の家臣の一人が立っていた。
「殿がお呼びでございます」
船倉の階段をおりていくと、二つならんだ手前の三畳ほどの船大将の部屋に、殿様が座っていた。
「豊後の杵築の港に着いたあとの我々の行動について、なにか意見があれば、あらためて聞いておきたい」
畳に手をつき、顔をあげた又兵衛は横一文字の眉を引き締めた。
「海外にお出になってはいかがでしょうか」
「海外?」
掃部には意外な言葉だった。
「海外はひろうございます。朝鮮や明や呂宋(ルソン/フィリピン)ばかりではございません。そのむこうには多くの国々がございます」
「そのどこかにパライソがあるというのだな」
「さようでございます」
又兵衛は額を光らせ、確信ありげに答えた。
「しかし我々は、パードレたちから、現実にそのような国があるなどという話を聞いたことはないがのう」
掃部は、以前から抱いていた疑問を吐きだすように口にした。
「パードレたちも探しているのでございましょう。そして彼らはわが国での、パライソの国造りに失敗いたしました」
又兵衛が心持ち、目を伏せた。
「パライソがなければどうする?」
掃部が又兵衛を見据えた。
又兵衛が口を閉じ、瞬く。
「自分たちで造るしかありません」
やがて低い声で告げた。
「なければ、自分たちで造るか……」
掃部の声が、重たく口から漏れた。
他人と争わず、富を独占しようとせず、隣人をいたわり、強き者が弱き者を助ける世界。
明石掃部も前田又兵衛も夢中で追い求めてきた。
「海外に出て、自分の目でたしかめるしかありません。いずれにしても家康が支配する日本に、もう安住の地はございません」
訴える又兵衛の目が、底光りしていた。すでに決意を固めているのである。
「村山等安殿が高山国(台湾)の征服を計画しているそうでございます」
又兵衛が、あらたまった口調で告げた。
「等安殿が高山国を?」
長崎の代官である村山等安は来切支丹であり、旧知の仲だった。
「まことであるか」
掃部は膝を乗りだした。
「どのような計画なのか、まだはっきり分かりしませんが、事実であれば戦艦と多数の将兵が必要になります。船が豊後に着きましたら、早速、長崎へ部下の者を走らせましょう」
●2章了
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】月よりきれい
悠井すみれ
歴史・時代
職人の若者・清吾は、吉原に売られた幼馴染を探している。登楼もせずに見世の内情を探ったことで袋叩きにあった彼は、美貌に加えて慈悲深いと評判の花魁・唐織に助けられる。
清吾の事情を聞いた唐織は、彼女の情人の振りをして吉原に入り込めば良い、と提案する。客の嫉妬を煽って通わせるため、形ばかりの恋人を置くのは唐織にとっても好都合なのだという。
純心な清吾にとっては、唐織の計算高さは遠い世界のもの──その、はずだった。
嘘を重ねる花魁と、幼馴染を探す一途な若者の交流と愛憎。愛よりも真実よりも美しいものとは。
第9回歴史・時代小説大賞参加作品です。楽しんでいただけましたら投票お願いいたします。
表紙画像はぱくたそ(www.pakutaso.com)より。かんたん表紙メーカー(https://sscard.monokakitools.net/covermaker.html)で作成しました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
16世紀のオデュッセイア
尾方佐羽
歴史・時代
【第13章を夏ごろからスタート予定です】世界の海が人と船で結ばれていく16世紀の遥かな旅の物語です。
12章は16世紀後半のフランスが舞台になっています。
※このお話は史実を参考にしたフィクションです。
不屈の葵
ヌマサン
歴史・時代
戦国乱世、不屈の魂が未来を掴む!
これは三河の弱小国主から天下人へ、不屈の精神で戦国を駆け抜けた男の壮大な物語。
幾多の戦乱を生き抜き、不屈の精神で三河の弱小国衆から天下統一を成し遂げた男、徳川家康。
本作は家康の幼少期から晩年までを壮大なスケールで描き、戦国時代の激動と一人の男の成長物語を鮮やかに描く。
家康の苦悩、決断、そして成功と失敗。様々な人間ドラマを通して、人生とは何かを問いかける。
今川義元、織田信長、羽柴秀吉、武田信玄――家康の波乱万丈な人生を彩る個性豊かな名将たちも続々と登場。
家康との関わりを通して、彼らの生き様も鮮やかに描かれる。
笑いあり、涙ありの壮大なスケールで描く、単なる英雄譚ではなく、一人の人間として苦悩し、成長していく家康の姿を描いた壮大な歴史小説。
戦国時代の風雲児たちの活躍、人間ドラマ、そして家康の不屈の精神が、読者を戦国時代に誘う。
愛、友情、そして裏切り…戦国時代に渦巻く人間ドラマにも要注目!
歴史ファン必読の感動と興奮が止まらない歴史小説『不屈の葵』
ぜひ、手に取って、戦国時代の熱き息吹を感じてください!
枢軸国
よもぎもちぱん
歴史・時代
時は1919年
第一次世界大戦の敗戦によりドイツ帝国は滅亡した。皇帝陛下 ヴィルヘルム二世の退位により、ドイツは共和制へと移行する。ヴェルサイユ条約により1320億金マルク 日本円で200兆円もの賠償金を課される。これに激怒したのは偉大なる我らが総統閣下"アドルフ ヒトラー"である。結果的に敗戦こそしたものの彼の及ぼした影響は非常に大きかった。
主人公はソフィア シュナイダー
彼女もまた、ドイツに転生してきた人物である。前世である2010年頃の記憶を全て保持しており、映像を写真として記憶することが出来る。
生き残る為に、彼女は持てる知識を総動員して戦う
偉大なる第三帝国に栄光あれ!
Sieg Heil(勝利万歳!)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる