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第二章

謎の女学生

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 品川駅港南口のロータリーは駅から溢れてきた人でひしめき合っていた。タクシーやバスの乗り場には長蛇の列ができている。全ての電車がストップしているのだろう。
 駅周辺の道路はひどい渋滞でクラクションや怒号が飛び交っている。私はそんな車の合間を縫って比較的人通りが少ない居酒屋が並ぶ路地に移動した。


 携帯電話でネットを確認しようとしたが、なかなか画面が切り替わらない。ネットに繋がりにくくなってきたようだ。周りにいる人も口々に携帯電話が繋がらないと言い始めた。これ以上の検索は時間の無駄のようだ。しかし、あのの情報をもっと知る必要がある。明らかにこの世のものではない存在、蝕界の……
 ──そうだ! 『収集狂の図鑑』。あの図鑑であれば、異世界の影響で起こったであろう現象が分かる。
 くそ、持って来れば良かったと毒づいた時、突然右手の辺りに黒い霧のようなものが出現した。

「うわっ!」

 辺りにいた人が奇異の目を向けてくる。私は慌てて右手を隠す。そっと右手を見てみると、黒い霧がまだまとわりついていた。そして黒い霧が徐々に何かの形を作り始めている。

 黒い霧が作ったもの、それは私のビジネス英語の参考書だった。いや、今は〈収集狂の図鑑〉。
 そうか召喚か! 確か図鑑の主人は私だったはず……私は召喚という非現実的な行為に興奮し、小さくガッツポーズをした。


 その興奮も冷めやらぬまま図鑑をめくっていく。やはり思った通りだ。図鑑には新しいページが出現していた。


【No.26750 冥府の芽吹】

 一、これは、蝕界で生まれし植物である
 二、これは、生き血を養分に成長し、あらゆるものを宿主にすることができる
 三、これは、初めに生き血を捧げたものを宿主にすることはない

 『怨念と血にまみれし肥沃な地を好む。さあ、血の雨を降らせよ、美しい華を咲かすであろう』



 苦痛に歪んだ人間の顔を潰したような種の絵が描かれていた。東京駅でゼリーのように溶けながらも助けを求めようとしていた人の顔のようだ。
 
 あれが植物とは……何て巨大で獰猛どうもうなんだ。捕食した人間を喰らいその生き血をすすり、さらにあの血の雨さえも養分にして育っていくということか。蝕界という世界のスケールに畏怖さえ感じてしまう。

 そういえば、血の雨は誰がどうやって降らせたのだ? この植物の説明に書かれていないところを見ると、別の何かの力が働いていると考えられる。横浜のポートサイドを一瞬にして夜に変えてしまったあの現象が頭をよぎる。

 いつのまにか空には何機ものヘリが飛び交っていた。空気が割れるような音を轟かせている。
 
 さて、どうすればいい? 東京城やあの赤い雨は危険過ぎて近づく気になれない。


「あのう、すみません……」

 突然、後ろから声をかけられ心臓が跳ね上がる。
 振り返ると、右目に眼帯を付けた可愛らしい女の子が立っていた。紺のVネックのカーディガンにグレーのチェックのミニスカート。首元には大きなネイビーのリボンを付けている。恐らく高校生だろう。

「はい、何か?」

 私は咄嗟に図鑑を後ろに隠し、平静を装って答えた。
 その子は左目にかかった前髪を耳にかきあげた。その数秒の仕草が妙に長く感じられた。彼女の目が後ろに隠した図鑑を見ていたように思えたからだ。

「お兄さん、その本……」

 心を見透かされたようで、図鑑を持つ手に汗が滲む。図鑑の中身を見られたのだろうか? いや図鑑は私以外は見ることができないはず。
 
「その本、この世のモノじゃないでしょ。私にはわかるの」

 何? 今何と言ったのだ? 私は動揺を抑え込み、何とか言葉をひねり出した。

「は? 今何と?」
「惚けちゃって」

 私は何て答えれば良いのか分からず、彼女の顔をじっと見つめ次の言葉を待つしかなかった。この子、微笑んでいる……私にはこの子がこの状況を楽しんでいるように見えた。

 突如、上空を飛んでいたヘリから緊急事態を知らせる呼びかけが始まり、二人の間の静寂を切り裂いた。

「──東京駅で発生した原因不明の事件による被害が拡大しております。東京駅方面への移動は大変危険です。決して近づかないようにしてください。繰り返します……」

 その子はヘリを見上げ、唇に人差し指をあてながら恐ろしいことを言い出した。

「東京駅やったのお兄さん?」
「えっ東京駅? あれは──」

 その子はすっと私の前に右手を差し出した。すると、彼女の手のひらから黒い霧が立ち込め始めた。私の図鑑の時と同じ黒い霧。

 黒い霧は彼女の手のひらに三つの小さな渦を作り、やがて赤色、白色、黒色の三つの小さな物体に変わった。

「お兄さん、本を召喚できるよね? 私と同類……」
「……君は一体何者?」
「お兄さんがやったの? まず私の質問に答えて」
「違う、やってない! 私にもわからないんだ。何が何だか……」

 年下の女の子に気圧けおされてしまう。何だこの子の自信は?

「ふぅん、お兄さんこれを見ても何もしてこないんだ。まっ何かしてきたとしても殺してやるけど」

 こんな女の子が『殺してやる』という言葉を平然と言ってのけるなんて……私は彼女の不穏な笑みに恐怖さえ覚える。
 

「お兄さん、一緒に東京駅行かない?」

 一見すると可愛らしい女子高生が放ったその小悪魔のような呼びかけに、私はただ黙って彼女を見つめ返すことしかできなかった。
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