上 下
6 / 12
第二章

異界の図鑑

しおりを挟む
 


 あのおぞましい事件は連日のように報道されていた。私のマンション周辺では今も世界中のマスコミが陣取り合戦を続けている。

 美沙みさのご両親が心配して電話をくれた。『しばらくこちらに来たらどうか』と言われたのだが、丁重にお断りした。今、私のそばでは何が起こるかわからない。ご両親を巻き添えにすることなんて絶対にできるわけがなかった。

 疎遠になっている弟の拓海たくみからも電話があった。素っ気ない電話だったが、私の無事を聞いて少なからず安心はしてくれたようである。

 現代の科学では到底説明のつかない現象が起こり、多くの犠牲者も出た未曾有の事件。皆の関心が高くて当然である。

 犠牲者と言えば少なくとも百人以上と報道されているが、恐らくもっといると思う。私はあの地獄絵図を目の当たりにしたのでわかる。屍体どもはを喰らい尽くしていたのだ。跡形なんてほぼ何も残っていないだろう。よくホラー映画などでゾンビに喰われ、ゾンビの仲間になってしまう人間がいるが、あれはそんな生易しいものではなかった。

 そんな怪物どもの大群をいとも簡単にほふってしまったイヴ。
 あの時彼女は私を守ろうとしていたのだろうか? もしそうだとしたらなぜ?

 彼女は屍体どもの殲滅を終えると、私の部屋の時のようにまた赤い塵となり消えた。正体、目的は一切謎のままである。

 そしてあの屍体の大群……あいつらもどうやって現れたのだろうか? イヴやルーレットと何か関係があるのだろうか?

 謎が謎を呼ぶ。今は何でもいいから情報が欲しい。そのためにできることは全てやっておかなくてはならない。 
 
 幸い、会社から長期休暇をもらったので時間はたっぷりとある。年末年始ということもあったのだが、あの惨劇が私のマンションのすぐ近所で起こったことを知った上司が『しばらく休養が必要だろう』と気を遣って休暇をくれたのだ。私はその言葉に甘えさせてもらった。


 

 ルーレットをそっとテーブルに置いた。恐ろしい形相をしている悪魔、道化ピエロの針を見てゴクリと唾を飲む。
 今、唯一の手がかりはこのルーレットだけだ。できることはただ一つ……やるしかないと覚悟を決める。

 ルーレットの中央に突き出している円錐の先端に人差指の腹を強く押し付ける。指からほんのわずかな量の血がゆっくりと滴り落ちていく。
 
 三つの針がゆっくり動き出した。血が動力になっているのはどうやら間違いないようだ。

 カリッ カリッ カリ……

 針はこの前とは異なり、どれも一周ほど廻らだけでにすぐ止まってしまった。
 最後の悪魔の針が止まると同時に、またあの独特の禍々まがまがしい空気が立ち込めてくる。緊張がピークに達し、自分の心臓の音が気持ち悪いほど聞こえる。


 ゴトンと目の前の床に見覚えのある本が落ちた。

「えっ?」

 拍子抜けして思わず声が出てしまった。

 床に落ちた本を拾い上げる。読みかけのビジネス英語の参考書だった。確か、会社に持っていく鞄に入れていたはずだ。自室に行って机の脇に置いてある鞄の中を確認してみると、そこにあるはずの参考書はなくなっていた。

 鞄の中からリビングに瞬間移動したのか? 何がどうなっているのだ? 

 参考書の中身を確認してみる、その途端── 
 
 頭の中を奇妙な感覚が走り出す。自分の存在が本の中に吸い込まれていき、逆にこの本の存在が自分の記憶の中に入り込んでくるような奇妙な感覚。ルーレット、イヴ、動く屍体したい、そしてこの参考書……頭の中で次々と記憶がフラッシュバックしていく。

 めまいで立っていられずソファに寝そべる。
 深呼吸で気持ちを落ち着かせ、もう一度参考書を開いてみた。

 そこに書かれていたものはビジネス英語の参考書とは全く異なるものだった──


 一ページ目、そこにはゆらゆらと揺れながら『全ての収集狂へ捧げる』というタイトルが浮き出ていた。目で見ているというよりも感覚だ。

 不思議な感覚に戸惑いながら、ページをめくる。一ページ目同様、書かれている文字、描かれている絵全てがゆらゆらと浮き出ていた。

 二ページ目には何と、今私が見ているビジネス英語の参考書の絵が精細に描かれていて、絵の上には【No.1 収集狂の図鑑】と書かれている。そして隣の三ページ目にはその説明らしきものが書かれていた。



 一、これは、蝕界で生まれし図鑑である
 二、これは、召喚した者しか読むことはできない
 三、これは、蝕界で生まれた存在を自動書記していくことができる
 四、これは、召喚者の経験したものしか記さない

 『知識を極めし賢者が最後は覇者となる』


 どうやらこの参考書の外観は変わらず、が変な図鑑に変わってしまったようである。そしてこの図鑑に図鑑自身が載っている。恐らく説明にある『蝕界』という、聞いたこともない世界の影響で奇妙なことが起こってしまっているのだろう。

 さらにページをめくってみた。そこには目の前のテーブルに置かれている恐ろしいルーレットが載っていた。先ほどの図鑑のページと同じ構成で、見開きの左ページにルーレットが描かれていて、【No.488  愚者のルーレット】とある。右ページにはルーレットの説明が記載されている。



 一、これは、蝕界で生まれしルーレットである
 二、これは、生き血を捧げた者へ僥倖ぎょうこう、厄災のいずれかをもたらす
 三、これは、霊魂を賭けることで起動させることができる
 四、これは、蝕界の存在を召喚することができる 生き血を捧げた者はその存在の主人となる
 
 『魂にも質があるのだ お前の魂も計ってみるがよい』


 やはりこのアンティークは時計盤ではなくルーレットであった。そして異界から何かを召喚するための道具でもあるようだ。つまりこのルーレットで召喚したイヴや図鑑の主人は私ということか……イヴが私に危害を加えず、私の依頼を聞いてくれたことに合点が行く。

 『霊魂を賭ける』、『お前の魂も計ってみるがよい』という言葉が気になったが、それ以上に次のページを早く見たいという欲求に負けてしまう。

 さらにページをめくると、そこにはがいた。【No.XXXXXX イヴ】という名前がついている。
 私がつけた名前があることを不思議に思いつつ、さらに読み進めていった。

 恐ろしくも妖艶な姿が描かれてる。真紅の長い髪、若い女性のデスマスクのような顔。マネキンのようにすらりと長い手脚が伸びていて、体つきはモデルの女性そのものだ。しかし、全身真っ黒な上、下腹部から肩口にかけて赤い毛細血管のような筋が無数に浮き出ている姿を見ると、やはりこの世の者ではないのだと改めて思うのだった。

 イヴの説明はこう書かれている。

 

 一、これは、蝕界で生まれし最上位生命体である
 二、これは、蝕界で唯一無二の存在である
 三、これは、類稀たぐいまれなる能力を有する
  ・蝕界で最も硬度のある骨格、皮膚、筋肉、髪を有する
  ・思考と肉体の間には誤差、時間差が生じない
  ・髪を自在に操ることができる
 四、これは、主人に尽くすことを最上の喜びとする

 『深紅の焔は深淵の闇を照らし、数多あまたの業を焼き尽くすだろう』    

 

 なんという豪華なスペック。イヴのあの鬼神のような強さは図鑑にも現れていた。
 図鑑の名前には『No.XXXXXX』と書かれていて、他とは違う存在であることが何となく想像できる。存在自体も稀有なのかもしれない。

 私はとんでもない存在を召喚してしまったようだ……

 
 イヴの次のページには【No.187435 貪り喰う屍体】と書かれていた。ポートサイドに突如現れたあの腐った人体模型のような化け物。人間の全身の皮膚が溶け落ちて内臓や骨があらわになった姿をしている。こいつの表情からは生者の肉を求めるおぞましい執念のようなものが伝わってくる。



 一、これは、蝕界で生まれし擬似生物である
 二、これは、人間界の魂を供物として捧げることで容易に召喚できる下等な存在である
 三、これは、知能は低く、生者の肉を貪り喰うことしか考えない


 『自分の腹が破れても彼らは喰らい続けるだろう なぜ喰らうのかわかっていないのだから』



 あれで下等な存在とは……下等であってもあいつらが群になると非常に危険である。人間が次々と貪り喰われていった地獄絵図が目に焼き付いている。
 
 説明に『召喚できる』と書かれているので、誰かがポートサイドに〈貪り喰う屍体〉の群を召喚したということか。恐らく昼を一瞬で暗闇に変えたのも同一人物だろう。かなり危険な奴がいるということだ。
 
 次のページ以降は何も書かれておらず白紙であった。〈収集狂の図鑑〉の説明に書かれていた『召喚者の経験したことしか記さない』という説明の通りだ。つまり、『蝕界で生まれた存在』でしたものは、今のところこの図鑑に載っている四種だけということである。


 この図鑑をルーレットで召喚できたことは素晴らしい収穫であった。図鑑のおかげで未知の世界の情報を手にすることができた。
 すぐそばに常識を覆す未知の世界があるのだ。美沙の死がルーレットによるものであれば、ルーレットで生き返らせることもできるのではないかと淡い期待を抱いてしまう。このルーレットには何かそのような力が宿っているような気がしてならない。

 
 私は図鑑を閉じ、窓越しに空を見上げた。雲ひとつない紺碧の空が広がっていた。

 

 

 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

御機嫌ようそしてさようなら  ~王太子妃の選んだ最悪の結末

Hinaki
恋愛
令嬢の名はエリザベス。 生まれた瞬間より両親達が創る公爵邸と言う名の箱庭の中で生きていた。 全てがその箱庭の中でなされ、そして彼女は箱庭より外へは出される事はなかった。 ただ一つ月に一度彼女を訪ねる5歳年上の少年を除いては……。 時は流れエリザベスが15歳の乙女へと成長し未来の王太子妃として半年後の結婚を控えたある日に彼女を包み込んでいた世界は崩壊していく。 ゆるふわ設定の短編です。 完結済みなので予約投稿しています。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜

なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」  静寂をかき消す、衛兵の報告。  瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。  コリウス王国の国王––レオン・コリウス。  彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。 「構わん」……と。  周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。  これは……彼が望んだ結末であるからだ。  しかし彼は知らない。  この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。  王妃セレリナ。  彼女に消えて欲しかったのは……  いったい誰か?    ◇◇◇  序盤はシリアスです。  楽しんでいただけるとうれしいです。    

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

美しい姉と痩せこけた妹

サイコちゃん
ファンタジー
若き公爵は虐待を受けた姉妹を引き取ることにした。やがて訪れたのは美しい姉と痩せこけた妹だった。姉が夢中でケーキを食べる中、妹はそれがケーキだと分からない。姉がドレスのプレゼントに喜ぶ中、妹はそれがドレスだと分からない。公爵はあまりに差のある姉妹に疑念を抱いた――

処理中です...