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勇者に付きまとう過去の呪縛
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「リュカ……リュカ……起きて……」
目を開けると、鼻先が触れ合うほどの距離で僕を覗き込んでいる美しい顔があった。
桃色の唇から微かに漏れる暖かい吐息。僕の頰にそっと触れる柔らかい手のひらの感触。僕の意識は徐々に覚醒していく。
「──ロシュ」
ロシュが満面の笑みを浮かべた。この世の全てを包み込むような優しい笑顔。
「リュカ、できたよ。死神の香水」
黒っぽい半透明の瓶を自慢気にちらつかせるロシュ。窓から差し込む光がその瓶を透過して、真っ黒な影を落としていた。
光を闇に変換してしまう水晶──暗黒水晶だ。
「ロシュ、徹夜で作っていたのか?」
ロシュはコクコクと頷いた。僕はそんなロシュが愛しくなり、その頭をくしゃくしゃに撫でた。
尖った耳がピクッと動く。ロシュが嬉しい時に見せる仕草だ。
部屋の隅で雑魚寝していたマリユスが寝返りを打ってこちらを向いた。無精髭を生やしたその顔にはまだ疲労の色が残っていた。
暗黒水晶を手に入れるため、数週間もの間、深淵の洞窟の奥深くに篭って探索を続けていたんだ。疲労が抜けきってないのは当然。僕の顔も同じだろう。
「リュカ、ブロンシュ……もう起きてたのか」
マリユスは寝ぼけ眼をこすりながらその場にあぐらをかいた。
「マリユス、ごめん、起こしちゃったね。まだ寝てていいのよ」
「いや……君の方こそ一睡もしていないのだろう。それは──まさか一晩で作ってしまったというのか?」
「死者の涙をこの暗黒水晶の容器に一滴ずつ入れていくのは大変だったけどね、夜の間しかできないから……」
ロシュは朝日にキラキラと輝く黄金の髪を耳にかきあげると、死神の香水を見せびらかして微笑んだ。
僕はこの笑顔に何度も癒されてきた。ブロンシュ・キャリア──なんと美しいエルフなのだろう。
突然、辺りが真っ暗になった。身体の芯から凍えてしまいそうなほどの冷気が漂う。
気がつくと僕は夥しい数の死体の山に囲まれていた。吐きそうなほどの、腐臭や血の匂い。
その死体の山の先に裸で立っているロシュ。ヨロヨロとこちらに歩いてくる。歩くたびに足下に広がる血の海からしぶきが飛び散り、その透き通るような色白の肌を汚していく。
僕はロシュに声をかけようとするが、なぜか全く声が出ない。
「リュ……カ……」
ロシュが僕に手を伸ばそうとする。僕は痺れる体を必死になって動かし、一歩でもロシュに近づこうとする。
ロシュの背後の暗闇から音もなく一人の男性が現れた。その男はロシュを後ろから抱きしめると、彼女の首筋を舐り、そして噛み付いた。
「ひっ!」
ロシュの股の間から太ももの内側にかけて何かの液体が伝いだす。ロシュは慌ててそれを隠そうとする。
「や、やめて……」
その男は僕に見せつけるように背後からロシュの胸を揉みしだき、淫部を弄る。
必死で抵抗しようとするロシュだったが、次第にその男に身をまかせるようになった。
「み、見ないでリュカ……お願い、アアアアァ」
ロシュは悶えながらその男に舌を絡めている。焦点が合っていない彼女の翠色の瞳は、雄を求める雌のそれだった。
僕は声を絞り出そうとするが、かすれた声しか出ない。涙は止めどなく出ているのに。
「アアアァァアアアアアアア」
ロシュは腰をガクガクと震わせ、淫部から大量の液体を噴き出した。
ロシュの背後にいた男が僕を見てニヤリと笑う。見覚えのあるその顔、それは──マリユス。吸血鬼となったマリユスだった。
食いしばった奥歯がガリゴリと音を立てて砕けるのがわかる。僕は渾身の力を振り絞って叫んだ。
「マ、マリユスゥウーーーーーーー、貴様ぁああああああ!!」
頭の中で何かがプツンと音をたてて切れた。目の前が真っ白になる。
気がつくと、僕の足元にバラバラになったマリユスとロシュの姿があった。
血まみれのロシュが血の涙を流しながら僕を見つめている。その唇が微かに動いた。僕に何かを伝えようとしていた。
「ご……んね……り……とう……」
▫️
「ロシュ!!」
目を開けると、蜘蛛の巣がかかった煤けた天井があった。
身体中に鳴り響く耳障りな鼓動の音や、全身を濡らす冷たい汗が自分が現実にいることを知らしめる。
過去に嫌というほどうなされた夢。やっとの思いで克服して見ることがなくなった夢。まさかまたこの夢を見るなんて……
吸血鬼の館での忌々しい記憶が頭をよぎる。
真面目なマリウス・ストラーゼが地域安定のためと受けてきた吸血鬼討伐の仕事。この時、彼を疑う余地なんて微塵もなく、僕とロシュはその仕事を手伝うことを快諾した。
しかし、マリユスはこの時点ですでに吸血鬼だったのだ。どこかで真祖ヴァンパイアによって吸血鬼化され、眷属として操られていたのだ。
後でわかったことだが、マリユスは死神の香水をその不死となった肉体にかけることで、昼間でも太陽の光を恐れず、人間と同じ生活を送ることができていたのだ。
マリユスが吸血鬼となっていた期間はどれほどかわからないが、僕はそれを見抜けなかった。これは僕の未熟さゆえの落ち度だった。
人間に扮した吸血鬼マリユスによって、僕たちは吸血鬼の館に誘われた。当然のごとく、そこには地獄が待ち構えていた。
張り巡らせれていた罠という罠や、無数に湧いてくるアンデッドやヴァンパイアの波状攻撃により、僕は二人とはぐれてしまった。これも真祖ヴァンパイアとマリウスの思惑だとはつゆ知らず。
そしてロシュはマリユスの裏切りによってその毒牙にかかってしまう。無二の仲間であったマリユスによって凌辱されるロシュ。僕はそれを黙って見ているだけで彼女を救うことができなかった。吸血鬼の館に入る前にマリユスに勧められたポーション、それに遅発性の神経毒が入っていたのだと思う。
仲間であったマリユスが見せつけるようにロシュを辱めたことへの嫉妬、そしてその快楽に身を委ねたロシュへの怒りで僕はパニックになり、二人を殺めてしまった。自分を抑え切れなかった僕は二人の仲間を惨殺してしまったのだ。
強烈な復讐の念に囚われてしまった僕は、死に物狂いで真祖ヴァンパイアを見つけ出した。
また頭に血が上った僕は、真祖ヴァンパイアをいたぶり殺したいという衝動に駆られてしまう。そして吸血鬼が最も恐れる拷問── 死んだ人間の血を血管に注入するという蛮行に手を染めたのだ。
そこで全ての事実を聞かされたのだが、僕はまんまと彼の考えた罠にはまっていたということを知る。
嫉妬、怨嗟、そして復讐。人間に備わるあまりにも幼稚な感情に支配されていた僕。
だけど、今は違う。あれから僕は変わった。嫉妬や怨嗟などで心を惑わされることはなくなった。
なのに、まだこの夢に悩まされるとは。僕の深層心理にはまだ──
『あ、目が覚めたのかな? かなりうなされていたみたいけど、大丈夫ぅ?』
僕の暗い思想を吹き飛ばす、女神セレネーの甘ったるい声。
『ああ……ちょっと嫌な夢を見てしまったんだ。久々にゆっくりと眠れたから疲れはすっかり取れたし、問題ないよ』
『そう、良かった。一晩中だったから心配したのよ』
僕の意識の中にいる彼女たちだが、どうやら夢の中までは覗けないようだ。
『そうだ、勇者くん。一晩中とは言ったけど、全然朝がやって来ないのよね。どうなってるのかな?』
いつの間にか「勇者くん」呼ばわりされている。
『ヘカトは夜が明けない常闇の街。永遠に闇に閉ざされているんだよ。ところで、君たちはずっと起きていたのかい?』
『思念体となった私たちには、眠ったり起きたりという肉体特有の足枷がないの』
『へぇ、想像がつきにくい世界だな』
肉体という足枷か。もしかしたら、嫉妬や怨嗟という低レベルな感情も肉体の及ぼす足枷なのかもしれない。
『ねぇ、ヘカトが昔から言い伝えられてたって話なんだけど……』
『その話か。随分気になってるようだね。続きを知りたいのか?』
『うん、知りたい知りたい』
目を輝かせているのだろうか。セレネーが無垢な少女のように思えてくる。
『アダルジーザ・アカシア。大昔、伝説の女勇者と言われ──』
突然、ある仮説に思い至る。もしや、アダルジーザは……
『勇者くん、突然黙ってどうしちゃったの? アダルジーザちゃんなら私も知ってるよぉ。稀代の勇者だったけど、その最期が不明っていう……』
『ちょっと思い当たることがあってね。確認したいことがあるから、すぐに出かける』
『出かけるって、どこへ?』
『ここ、ヘカトの街だよ。ここにアダルジーザがいるかもしれない』
『──って、彼女が生きていたのはもう何百年も前のことだよぉ?』
僕はセレネーの質問攻めをくぐり抜けながら、身支度をすませたのだった。
目を開けると、鼻先が触れ合うほどの距離で僕を覗き込んでいる美しい顔があった。
桃色の唇から微かに漏れる暖かい吐息。僕の頰にそっと触れる柔らかい手のひらの感触。僕の意識は徐々に覚醒していく。
「──ロシュ」
ロシュが満面の笑みを浮かべた。この世の全てを包み込むような優しい笑顔。
「リュカ、できたよ。死神の香水」
黒っぽい半透明の瓶を自慢気にちらつかせるロシュ。窓から差し込む光がその瓶を透過して、真っ黒な影を落としていた。
光を闇に変換してしまう水晶──暗黒水晶だ。
「ロシュ、徹夜で作っていたのか?」
ロシュはコクコクと頷いた。僕はそんなロシュが愛しくなり、その頭をくしゃくしゃに撫でた。
尖った耳がピクッと動く。ロシュが嬉しい時に見せる仕草だ。
部屋の隅で雑魚寝していたマリユスが寝返りを打ってこちらを向いた。無精髭を生やしたその顔にはまだ疲労の色が残っていた。
暗黒水晶を手に入れるため、数週間もの間、深淵の洞窟の奥深くに篭って探索を続けていたんだ。疲労が抜けきってないのは当然。僕の顔も同じだろう。
「リュカ、ブロンシュ……もう起きてたのか」
マリユスは寝ぼけ眼をこすりながらその場にあぐらをかいた。
「マリユス、ごめん、起こしちゃったね。まだ寝てていいのよ」
「いや……君の方こそ一睡もしていないのだろう。それは──まさか一晩で作ってしまったというのか?」
「死者の涙をこの暗黒水晶の容器に一滴ずつ入れていくのは大変だったけどね、夜の間しかできないから……」
ロシュは朝日にキラキラと輝く黄金の髪を耳にかきあげると、死神の香水を見せびらかして微笑んだ。
僕はこの笑顔に何度も癒されてきた。ブロンシュ・キャリア──なんと美しいエルフなのだろう。
突然、辺りが真っ暗になった。身体の芯から凍えてしまいそうなほどの冷気が漂う。
気がつくと僕は夥しい数の死体の山に囲まれていた。吐きそうなほどの、腐臭や血の匂い。
その死体の山の先に裸で立っているロシュ。ヨロヨロとこちらに歩いてくる。歩くたびに足下に広がる血の海からしぶきが飛び散り、その透き通るような色白の肌を汚していく。
僕はロシュに声をかけようとするが、なぜか全く声が出ない。
「リュ……カ……」
ロシュが僕に手を伸ばそうとする。僕は痺れる体を必死になって動かし、一歩でもロシュに近づこうとする。
ロシュの背後の暗闇から音もなく一人の男性が現れた。その男はロシュを後ろから抱きしめると、彼女の首筋を舐り、そして噛み付いた。
「ひっ!」
ロシュの股の間から太ももの内側にかけて何かの液体が伝いだす。ロシュは慌ててそれを隠そうとする。
「や、やめて……」
その男は僕に見せつけるように背後からロシュの胸を揉みしだき、淫部を弄る。
必死で抵抗しようとするロシュだったが、次第にその男に身をまかせるようになった。
「み、見ないでリュカ……お願い、アアアアァ」
ロシュは悶えながらその男に舌を絡めている。焦点が合っていない彼女の翠色の瞳は、雄を求める雌のそれだった。
僕は声を絞り出そうとするが、かすれた声しか出ない。涙は止めどなく出ているのに。
「アアアァァアアアアアアア」
ロシュは腰をガクガクと震わせ、淫部から大量の液体を噴き出した。
ロシュの背後にいた男が僕を見てニヤリと笑う。見覚えのあるその顔、それは──マリユス。吸血鬼となったマリユスだった。
食いしばった奥歯がガリゴリと音を立てて砕けるのがわかる。僕は渾身の力を振り絞って叫んだ。
「マ、マリユスゥウーーーーーーー、貴様ぁああああああ!!」
頭の中で何かがプツンと音をたてて切れた。目の前が真っ白になる。
気がつくと、僕の足元にバラバラになったマリユスとロシュの姿があった。
血まみれのロシュが血の涙を流しながら僕を見つめている。その唇が微かに動いた。僕に何かを伝えようとしていた。
「ご……んね……り……とう……」
▫️
「ロシュ!!」
目を開けると、蜘蛛の巣がかかった煤けた天井があった。
身体中に鳴り響く耳障りな鼓動の音や、全身を濡らす冷たい汗が自分が現実にいることを知らしめる。
過去に嫌というほどうなされた夢。やっとの思いで克服して見ることがなくなった夢。まさかまたこの夢を見るなんて……
吸血鬼の館での忌々しい記憶が頭をよぎる。
真面目なマリウス・ストラーゼが地域安定のためと受けてきた吸血鬼討伐の仕事。この時、彼を疑う余地なんて微塵もなく、僕とロシュはその仕事を手伝うことを快諾した。
しかし、マリユスはこの時点ですでに吸血鬼だったのだ。どこかで真祖ヴァンパイアによって吸血鬼化され、眷属として操られていたのだ。
後でわかったことだが、マリユスは死神の香水をその不死となった肉体にかけることで、昼間でも太陽の光を恐れず、人間と同じ生活を送ることができていたのだ。
マリユスが吸血鬼となっていた期間はどれほどかわからないが、僕はそれを見抜けなかった。これは僕の未熟さゆえの落ち度だった。
人間に扮した吸血鬼マリユスによって、僕たちは吸血鬼の館に誘われた。当然のごとく、そこには地獄が待ち構えていた。
張り巡らせれていた罠という罠や、無数に湧いてくるアンデッドやヴァンパイアの波状攻撃により、僕は二人とはぐれてしまった。これも真祖ヴァンパイアとマリウスの思惑だとはつゆ知らず。
そしてロシュはマリユスの裏切りによってその毒牙にかかってしまう。無二の仲間であったマリユスによって凌辱されるロシュ。僕はそれを黙って見ているだけで彼女を救うことができなかった。吸血鬼の館に入る前にマリユスに勧められたポーション、それに遅発性の神経毒が入っていたのだと思う。
仲間であったマリユスが見せつけるようにロシュを辱めたことへの嫉妬、そしてその快楽に身を委ねたロシュへの怒りで僕はパニックになり、二人を殺めてしまった。自分を抑え切れなかった僕は二人の仲間を惨殺してしまったのだ。
強烈な復讐の念に囚われてしまった僕は、死に物狂いで真祖ヴァンパイアを見つけ出した。
また頭に血が上った僕は、真祖ヴァンパイアをいたぶり殺したいという衝動に駆られてしまう。そして吸血鬼が最も恐れる拷問── 死んだ人間の血を血管に注入するという蛮行に手を染めたのだ。
そこで全ての事実を聞かされたのだが、僕はまんまと彼の考えた罠にはまっていたということを知る。
嫉妬、怨嗟、そして復讐。人間に備わるあまりにも幼稚な感情に支配されていた僕。
だけど、今は違う。あれから僕は変わった。嫉妬や怨嗟などで心を惑わされることはなくなった。
なのに、まだこの夢に悩まされるとは。僕の深層心理にはまだ──
『あ、目が覚めたのかな? かなりうなされていたみたいけど、大丈夫ぅ?』
僕の暗い思想を吹き飛ばす、女神セレネーの甘ったるい声。
『ああ……ちょっと嫌な夢を見てしまったんだ。久々にゆっくりと眠れたから疲れはすっかり取れたし、問題ないよ』
『そう、良かった。一晩中だったから心配したのよ』
僕の意識の中にいる彼女たちだが、どうやら夢の中までは覗けないようだ。
『そうだ、勇者くん。一晩中とは言ったけど、全然朝がやって来ないのよね。どうなってるのかな?』
いつの間にか「勇者くん」呼ばわりされている。
『ヘカトは夜が明けない常闇の街。永遠に闇に閉ざされているんだよ。ところで、君たちはずっと起きていたのかい?』
『思念体となった私たちには、眠ったり起きたりという肉体特有の足枷がないの』
『へぇ、想像がつきにくい世界だな』
肉体という足枷か。もしかしたら、嫉妬や怨嗟という低レベルな感情も肉体の及ぼす足枷なのかもしれない。
『ねぇ、ヘカトが昔から言い伝えられてたって話なんだけど……』
『その話か。随分気になってるようだね。続きを知りたいのか?』
『うん、知りたい知りたい』
目を輝かせているのだろうか。セレネーが無垢な少女のように思えてくる。
『アダルジーザ・アカシア。大昔、伝説の女勇者と言われ──』
突然、ある仮説に思い至る。もしや、アダルジーザは……
『勇者くん、突然黙ってどうしちゃったの? アダルジーザちゃんなら私も知ってるよぉ。稀代の勇者だったけど、その最期が不明っていう……』
『ちょっと思い当たることがあってね。確認したいことがあるから、すぐに出かける』
『出かけるって、どこへ?』
『ここ、ヘカトの街だよ。ここにアダルジーザがいるかもしれない』
『──って、彼女が生きていたのはもう何百年も前のことだよぉ?』
僕はセレネーの質問攻めをくぐり抜けながら、身支度をすませたのだった。
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