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(こ……交……)

 どう考えてもこの場にいる人間に適したものとは思えない条件に、アディルは身を震わせた。言葉の選択には人間への蔑視が滲んでいるが、言い換えたところで中身が変わるわけではない。

(わ、私と、シェアトに……!?)

 魔法使いという生業上、理不尽に対峙する機会など珍しくもないが、さすがに無理が過ぎると首を振る。

 拒む理由は山ほどある。第一に、シェアトはアディルにとって幼い頃から成長を見守ってきた子も同然の存在だ。それはどれほど冷淡に接されても変わらないし、当然ながらやましい目で見たこともない。
 次に、おそらくシェアトには恋人がいる。本人に確認したことはないが、新進気鋭の魔法使いであるシェアトは王都でも有名人で、街を歩けば常に婦人の視線を集める。誰かと噂になったことは数知れず、逢引きと称して外出するのも珍しくない。誰とも交際していないと考える方が不自然だ。
 最後に、アディルには異性との関わりが全くない。子供の頃から魔法ひとすじ、仕事や学問以外で他者と接する機会も少なく、一夜限りの関係などとも無縁だった。今までも、これからも、二人以上でベッドを分け合うことなどないだろう。

 そんな身の上で性交だなどと言われても、悪い夢としか思えない。よろよろと後ろに下がったアディルは、しかしすぐに硬いものにぶつかった。壁ではなく、苛立たしげな表情で直立する弟子に。

「あ、ごめ……」
「いい加減に、解除の条件を教えてくれませんか。私が途中で話を切られるのが嫌いなことはご存知では?」
「ご、ごめんなさい、あの……時間がかかって」
「あなたほどの人が暗号でもない文字の解読に手間取るわけがないでしょう」

 ぴしゃりと言い張るシェアトは辛辣だが、その言葉はアディルへの信頼に裏打ちされている。
 シェアトはアディルにのみきつく当たるが、師の魔法使いとしての力量は誰よりも高く評価している。魔物の討伐だろうが迷宮探索だろうが協力を惜しまなかったし、重篤な呪いに冒されたアディルのため、氷に閉ざされた迷宮まで解呪法を探しに行ったこともあった。

 だから、アディルもまたシェアトを信じていた。決して弟子の気持ちを裏切るまいと、生まれつき気弱な心を叱咤してどうにか師匠として接してきた。

(……なのに、こんな話をしないといけないなんて)

 込み上げる羞恥に何度も毛先を触りながら、アディルは重い口を開いた。

「えっと……交尾をしないと出られない、って書かれてて……」
「……は?」
「交尾っていうのは、その、性交っていう意味なんだけど」
「わざわざ説明していただかなくて結構ですよ」

 呆れたようなシェアトにますます気恥ずかしくなって、地面と平行に向き合うほど下を向く。アディルの内心は、ほとんど嵐の様相を呈していた。どう振る舞うべきなのかわからず、不安を誤魔化すように明るく演出した声が白々しく響く。

「でっ、でもね、大丈夫だから! 魔法の原理がわかれば仕掛けごと解除できるだろうし」
「…………」
「少し待ってて、そ、そんな複雑じゃないと思うし、数時間もあれば……」

 出られるはず、という言葉は形にならなかった。

「嫌です」

 きっぱり言い放たれた拒絶が何に向けられたものかわからず、アディルは反射的に後ろを振り返った。瞬間、強い力で身体を押され、躓きそうになりながら壁へと押しつけられる。
 シェアトに肩を掴まれたのだと、数秒かかって理解した。

「こんなくだらない魔法のために貴重な時間を無駄にしたくない、と言ったんです」

 凍えるほどに冷ややかな声。宵の空のような金と菫青の混ざった眼差しに射抜かれて、アディルはひどく困惑した。大柄な身体と硬い壁に挟まれて、逃げ出したいのに押さえ込まれた身体はろくに動かない。

「で、でも……え、他の方法はないよね……?」
「私があなたを抱けば良いだけでしょう」
「へ?」

 アディルの目が、まん丸に見開かれる。
 ぽかんと口を開いて、数秒後、ちぎれんばかりに首を振った。

「なっ、なな、何を言ってるの!?」
「交尾すればいいと仰ったのは先生じゃないですか」
「それは、せ、説明として……でも、そんなことするわけないし……」
「一から原理を調べるよりよほど簡単ですよ。失礼ですがご経験は?」

 咄嗟に黙りこむとシェアトが何かを察したように片目を細める。強烈な羞恥と困惑に晒されて、アディルの顔は紅潮から蒼白へと変わりつつあった。

 魔法使いたるもの、己の失敗は己で方を付けなければならない。それは魔法という強大な力を操るものにとって当然の責務であったが、アディルにしてみれば魔法使いの失敗は魔法で取り返すものである。弟子と性的な関係になるなんてあっていいはずがない。

「待って、い、急ぐから、私こういうの得意だし、条件を満たすより早いと思う」
「三十分以内に解錠できますか?」
「それは……せめて、二時間で……」

 しどろもどろに答えながら、アディルは落ちつかなく視線を動かした。なぜ弟子がここまで強硬な態度を取るのかわからず、曖昧な不安が込み上げる。

(そ、そもそもシェアトだって私なんて嫌でしょ……親代わりだし……)

 そこまで考えて、ふと一つの可能性に気がついた。シェアトはこの状況に至る原因となったアディルに腹を立てて、わざと困らせるようなことを言っているのではないか。だとすると、アディルが首を縦に振ったらあっさり手を離すかもしれない。まさか本気にしたんですかと、心底呆れた声で言いながら。

(そ、そうだよね……なんだ、びっくりしちゃった)

 一人納得して、アディルはぎこちなく笑った。絶対にそうだと半ば逃避のように考えながら、無意識に後ずさる。

 若くして高位の魔法使いとなったアディルの肉体は成長が止まっており、元々小柄なこともあって少女にさえ見える。そんな相手に、ましてや家族同然に過ごしてきた人間に、抱くだのなんだの思えるわけがない。それがアディルの出した結論だった。

「あ、あのね、そろそろ冗談はやめて解析を」
「先生」
「シェアト、討伐用のポーション仕込んでたよね、早く帰らないと駄目になっちゃうし……」
「先生、」

 シェアトの薄い唇から、細く長い息がこぼれる。ただでさえ冷たい眼差しは今や凍てつく寸前で、立ちのぼる白い冷気すら見えるようだった。

「今、あなたには二つの選択肢があります」

 言葉とともに、肩に込められていた力が消える。ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、次の瞬間唐突に顎を掴まれて、アディルはひいっと間の抜けた悲鳴を上げた。吐息の触れ合う距離で、シェアトが一言一言区切るように口にする。


「その役に立たない口を閉じてご自分で服を脱ぐか、脱がされるかです」

 
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